夜が深まり、花の町のホテルでは、多くの催しが賑やかに繰り広げられていた。
煌びやかな装飾が施されたホール内は、多くの観客で埋め尽くされており、次の催しを心待ちにする空気が広がっていた。
──だが、その盛り上がりの中、一匹だけ浮かない表情のポケモンがいた。
舞台最前列のテーブル席に座る、小さなイーブイ。
『……』
彼女は両前足を揃えて座りながらも、うつむき気味で落ち着かず、時折耳だけがピクピクと動いていた。
『イーブイ、ちゃんと観なきゃダメよ?』
姉であるエーフィがそっと声を掛けた。柔らかい口調だが、どこか心配げな様子だ。
『……分かってるけど……』
イーブイは小さな声で答えた。けれど、その表情にはどこか寂しさと戸惑いが浮かんでいる。
『昼に会えなかったから、やっぱり行っちゃったのかなって思ったの……』
シャワーズも席から身を乗り出し、イーブイに声を掛ける。
『ほら、次はダンスだって。ちゃんと観よ?』
そう言って、明るく笑う。
するとホール内に司会者の声が響き渡った。
「それでは、次のイベントに移ります。 ダンスショー担当の方、ステージへどうぞ!」
ざわつく会場の中、ライトがステージに向かって照射され、幕が静かに開いていく。
会場全体が一斉に注目する中、ゆっくりと姿を現したのは、黒いマントで体を包んだ一人の人物だった。
会場にどよめきが走る。
「誰だ?」「演出か?」「本格的じゃん……」
その静けさと期待の中、ゆっくりとその人物がマントに手をかけ――
ふわりと宙を舞うようにマントが外される。
その瞬間、誰よりも先に声を上げたのは、イーブイだった。
『エ、エボル!?』
彼女の目は大きく見開かれ、前足が小さく震え始めていた。
ステージ上に立っていたのは――エボル。
赤黒の長髪がライトに照らされ、首にはシンプルながらも印象的な銀のチェーン。
黒のシャツとジャケットが、普段の少年の姿とは異なる大人びた雰囲気を演出していた。
エボルはイーブイの声に一瞬だけ反応し、最前列に目をやる。
だが、その視線は一瞬で終わり、すぐに音楽のリズムへと身を委ねた。
♬──♪
音楽がホールに鳴り響く。
すると、エボルの体が静かに、だが鮮やかに動き始めた。
一歩、また一歩。
軽快なステップを踏み込むと、やがてリズムに乗りながら、体が舞い始める。
観客たちは息を飲んだ。
──そして、コークスクリュー。
体を空中で一回転しながら、回転着地。
アクロバットの技を立て続けに披露し、エボルは一切のブレなく踊り続ける。
続いてタップステップ。
つま先と踵で床を連打するように、高速で打ち鳴らすリズム。
『かっこ……いい……』
イーブイは、ぽつりと呟いた。目を潤ませながら。
会場からは徐々に歓声が上がり、手拍子が起こる。
エボルは音楽に身を任せながら、最後の一節に入った。
二度ステップを踏み込み、旋回するように回ってから――右手を天に突き上げ、力強くポーズを決めた。
♪──音楽がピタリと止まり、照明が暗転。
観客たちから一斉に拍手と歓声が沸き起こる。
「すごい!」「あれ、ほんとに子供?」「スターみたい!」
ステージの幕が降りていき、エボルは静かにその場から退出した。
一方、そのステージを見守っていたエーフィとシャワーズは……驚愕の表情を浮かべていた。
『……あ、あれがエボル……?』
『ど、どういうこと……今まで一度も……』
二匹が言葉を交わしていると、ふと隣にいたイーブイが反応しないことに気付く。
『イーブイ?』
『……』
呼びかけても返事がない。
『イーブイ!』
慌てて顔を覗き込むと、イーブイは気を失ったようにぐったりと前のめりに倒れていた。
『イ、イーブイ!? どうしたの!? 大丈夫!?』
エーフィが何度も呼びかけるが、イーブイは気絶したまま。
その様子を見たシャワーズが、ぽつりと呟いた。
『……分かったわ。あれね』
『な、なによ……この状況で何が分かったのよ!』
『エボルさんが……かっこよすぎて、卒倒したのよ』
『……はああ!? そんな理由で!?』
シャワーズは真顔で頷いた。
『きっと、あんな格好、あんなステップ、あんなポーズ……イーブイには刺激が強すぎたのよ……』
『そ、そんな……!』
騒がしくなるホールの一角で、イーブイはうっすらと笑顔を浮かべながら、すやすやと寝息を立てていた――
催しが終わり、熱気がまだ残るホテルの裏手、控室でエボルは一人、ダンス衣装を脱いで私服へと着替えていた。
「大盛況でしたよ! 一度だけっていうのは本当に惜しいですが、本当に助かりました!」
先ほどまで仕切っていたイベントスタッフが、満面の笑顔で頭を下げた。エボルはシャツのボタンを留めながら、苦笑いで返す。
「……まあ、あれはあれで良かったけど、詮索はしないでくれよ。こっちは助けただけだから」
「ええ、そこはちゃんと分かってます。けど、あの足さばき……どこかで経験が……いえ、やっぱり詮索はやめておきましょう!」
そう言ってスタッフは冗談交じりに笑うと、エボルもわずかに口角を上げた。
──終わったな。けど、最前列に……イーブイ達がいた。
心の中で呟きながら、エボルは控室を後にしてホールへと足を向けた。
案の定、ホールの隅にはイーブイ、エーフィ、シャワーズの三姉妹がいた。イーブイは、ぐったりと床に倒れ込み、目を回していた。エーフィが揺さぶりながら必死に声をかけている。
『イーブイ! ちょっと、しっかりしなさい!』
シャワーズは少し落ち着いた様子でこう言った。
『ああ、大丈夫よ。エボルさんのダンスに見惚れて気絶しただけだから』
エボルは一瞬眉をひそめると、モンスターボールからライガを呼び出した。
「ライガ、軽くでいい。電気ショック一発、頼む」
『ったく、便利な使われ方するなぁ、俺様……』
小さな電流がイーブイの身体に走る。ピクリと身体が跳ね、イーブイは目を覚ました。
『う、うぅ……エボルぅ?』
目を開いたイーブイは、目の前にいるエボルを見つけるなり、頬を赤らめて起き上がった。
その時、エーフィがじっとエボルを見て、眉をひそめる。
『その髪……どうしたのよ? 髪の色も長さも、あんた、変わりすぎじゃない?』
エボルは、皆が静かになったことを確認してから、真面目な表情で口を開いた。
「……俺の中には、ゾロアークの遺伝子がある。それが原因でポケモンの言葉が理解できるようになった。たぶんな」
エーフィとシャワーズは驚きの表情を浮かべ、息を呑んだ。
しかし、次の瞬間──。
『ってことは……エボルと番になれるってこと!?』
イーブイが勢いよく言い放った。
エボルは、一瞬固まり『番』という言葉の意味を理解できず、首を傾げた。隣にいたライガが割って入る。
『おいガキンチョ! 軽々しくその言葉言うな!』
「……番って?」
エボルの問いに、ライガがやや呆れたように答える。
『お前ら人間で言う“夫婦”ってやつだ』
ようやく理解が追いついたエボルは、そっとイーブイに向き直った。
「……イーブイ。お前の気持ちは分かった。けどな、俺とお前は番にはなれない」
『……どうして!?』
「友達にはなれる。だが、番にはなれない。……それに、思い出せ。お前の目標は何だった? 人を笑顔にさせるパフォーマンスで、もっと高い場所に立つって言ってただろ」
イーブイは、目を潤ませながら下を向いた。
『……だって、エボルのダンス見てたら、胸が熱くなって……』
エボルは静かに手を置いた。
「……お前の気持ちは、嬉しいよ。けど、それを軽く口に出したせいで、姉達がどれだけ心配してるか考えたことあるか?」
イーブイは何も言い返せなかった。
エーフィとシャワーズは、それぞれの感情を抑えながらも妹をそっと抱き寄せた。
『あんた、ほんと手がかかるわね……』
『でも、無事で良かった』
「今日は……ここにいてやるよ」
そう呟くエボルの声は、どこか優しさと寂しさが入り混じっていた。