偽りの兎座   作:コユルギミカン

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花の都の魔術師

「……あ……もう、あさか……」

 

 誰もいない部屋でそう呟き、私は床に敷かれた毛布から重々しく身体を持ち上げると、フラフラと玄関の方まで千鳥足(ちどりあし)になりながら歩いて行った。

 

 

 ──結局、『彼』は私の期待を裏切らなかった。

 

 モルと共謀してゼラオラ……ゼロにぃがあの『事件』の襲撃者ではないかということを確かめたのは、昨日の深夜のことだった。

 

 モルには、『ミミロル』としての(ユイ)に変身してもらい、私は『兎座(レプス)』を名乗る『ミミロップ』として、ゼロにぃを試したのだ。

 

 はっきり言って、結果はある程度予想できていた。

 

 なぜならば、記憶を失っているという彼の様子や、ミミロルの私の姿を初めて見た時の反応から、彼が嘘を()き過去を(いつわ)っているとは到底考えられなかったからだ。

 

 だが、それだけでは私の内にこみ上げる『復讐心』は抑えきれなかった。

 

 だから、私は実行したのだ。彼の正義感を利用した、あの卑劣で手の込んだ『尋問』を──

 

 だが、私は彼のことを甘く見過ぎていたようだ。

 

 まさか、自分の命を犠牲にしてまで、私の復讐を止めようとするとは

 

 ──罪悪感のあまり思わず、彼に最後のトドメを刺すフリをして、自分の正体を明かしてしまおうとした……その時だった。

 

 待ちに待った、私の本当の敵が現れたのは……

 

 ──それは、姿こそ見せなかったものの、禍々(まがまが)しい気配と挑発的な物言いで、私に存在をアピールしていた。

 

 そして、そいつは風のように(またた)く間に気配を消したのだ。

 

 ──やっとだ。やっと、私の生きる『目的』に辿り着いたのだ。

 

 気配を消す前に、奴は言っていた。

 

 自分を探し出してみろ……ずっと私を見ている……と。

 

 今このタイミングで、なぜ奴の方からコンタクトをとってきたのかがいまいち()に落ちないが、そんなことはどうでもいい。

 

 ──探してやるとも。やり方はいくらでもある。

 

 このミアレシティの裏に生きるポケモンを片っ端から襲いかかって、昨日のように『尋問』する……

 

 ──あるいは、街を守る『探偵(エージェント)』として活動するマチエールを利用して、奴の居所を突き止める……

 

 ──考えれば考えるほど、私の胸の高まりは強くなっていくのを感じていた。

 

 復讐のための計画の思案を巡らせることに、(えつ)に入りそうになるのを我慢して、私はあの後、モルをミアレの外れにある、隠れ家の『洞窟』へと帰ってもらった。

 

 そしてその後、自らを犠牲にして復讐を止めようとした勇敢で(たくま)しく、そして呆れるほど真っ直ぐな『ゼロにぃ』を持ち上げ、夜闇のミアレを跳び回り元の場所へと運んで行った。 

 

 ──それが、昨晩のあの後の顛末(てんまつ)なのだった。

 

 ──きっと、ゼロにぃは昨晩の出来事をマチエールに話しているのだろう。

 

 だとすると、このドアを開けた後の展開は容易に予想できるため、心の準備はできているが、やはり気が重い……

 

 ハァ……と、小さな口でため息を()くと、私はハンサムハウスの1階のドアをゆっくり押し開けた。

 

「……お……おはよう……ござ……」

 

「あっ! ユイちゃん!!!」

 

 私の挨拶をかき消すかのように、甲高(かんだか)い女性の声が私の鼓膜を突き抜けた。

 

 やはり、そう来たか……と心の中で嘆息する束の間もなく、次の瞬間、私の元に駆け寄ってきたその声の主の両腕に私の小さな身体はがっちりと捕まり、思いっきり抱き上げられた。

 

「大丈夫!? 痛いところとかはない!?」

 

 痛いところはない!? と()いておきながら、ミミロルの華奢(きゃしゃ)な身体をギュッと強めに抱きしめ、それをゆっさゆっさと勢いよく揺さぶっているマチエールに内心(あき)れ返りながら、私は作り笑いをしながら答えた。

 

「……う……うん……だいじょうぶ……ぜ……ぜんぜん……いたくないよ……」

 

 表情は取り(つくろ)えても、身体をきつく締め付けられながら必死に絞り出した声までは流石に誤魔化せなかった。どうやらこの人間の娘は、やや感情的に動きすぎる節があるようだ。

 

「……おい、マチ。ユイが苦しそうだぞ。放してやれよ」

 

 彼女の過剰な反応に見かねた様子のゼロにぃは、まるで大蛇のように私を締め付けているマチエール……『マチ』の背中を軽く叩きながら、落ち着いた声で彼女を(さと)した。

 

 少し間を空けて、マチは(あわ)てて私を両腕の束縛(そくばく)から解放した。

 

「ハッ……私ったら、つい思わず……ゴメンね、ユイちゃん……」

 

「ケホッ……う……ううん……きにしないで……しんぱいしてくれてありがとう、マチおねえちゃん」

 

『つい思わず』どころじゃないでしょ! 締め付けが強すぎて死ぬかと思ったわ! 

 

 と心の中で慟哭(どうこく)しながら、それを表に出さないように何とか()えてみせた。

 

 そんなマチの身体を押し退()けるようにして、今度はゼロにぃが私の前に立った。

 

 彼は神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで口を開いた。

 

「……ユイ……昨晩はその……大変な目に()わせちまったな……本当に……ゴメン……」

 

「……えっ!?」

 

 予想だにしなかったそのセリフに、私は心の底から動揺を隠せなかった。

 

 

 

 どこからともなく現れた謎のミミロップが、その日に偶然保護したミミロルに襲いかかり、その場に居合わせたゼラオラを脅迫し、唐突な尋問を行う……

 

 ──昨晩決行された作戦は、急ごしらえで考えついたものだったため、どう見ても不自然な点が目立ってしまっていた。

 

 進化関係にある、ミミロルの『ユイ』とミミロップの『兎座(レプス)』が、全くの無関係であると考える方が、むしろ無理があり過ぎると私自身も感じていた。

 

 だから、当然ゼロにぃには真っ先に『兎座(レプス)』との関係を疑われるだろうと考え、身構えていた。

 

 だが、彼はそんな疑問よりも『今』の私の……『ユイ』の身を案じる発言をしたのだ。

 

 そんな彼を、普通であれば愚直(ぐちょく)無頓着(むとんちゃく)な行動と(そし)るであろうが、私は違った。

 

 やはり、ゼロにぃは2年前から何も変わっていない。呆れるほど真っ直ぐで、本当に心優しい、私の憧れの存在なのだ。と真ん丸の瞳を(うる)まさずにはいられなかった。

 

 そんな私の複雑な心情をひた隠すように、私は精一杯の作り笑いをしてみせた。

 

「えへへ……ありがとう、おにいちゃん。わたし、ぜんぜんこわくなかったよ!」

 

「ユイ……」

 

 そう優しく私の名前を呟き、私の頭をそっと()でるゼロにぃは、まるで記憶を取り戻しているのではないかと錯覚するほど、私の知っている『彼』の姿そのものであった。

 

 ずっと、こうして撫でられてもいいかも……そう思ったのも束の間だった。

 

「でも、そもそも何で『レプス』……? だっけ? そのポケモンは、ユイちゃんを(さら)おうとしたんだろ?」

 

 マチの声に反応して、恍惚(こうこつ)とした表情をした私の額を撫でる、ゼロにぃの手が止まる。

 

 邪魔をするな! と言わんばかりに、思わず一瞬だけ、マチの方を鋭く(にら)みつけてしまう。

 

「……わからねぇ。だが、奴の本当の狙いはユイじゃなくて俺だったらしい。ただ、あいつの言っていたところによれば、俺が奴の大事な『家族』を殺した……そう思って、俺を問い詰めるためにユイを利用したんだろうな……」

 

 流石に、マチには自らの命を差し出してまで、『レプス』の復讐を止めようとした、ということまでは彼の口から言わなかったことに、私はどこか一安心した。

 

「それにしても……」

 

 私の方にふと目を()りながら、マチが口を開く。

 

「その『レプス』ってポケモン、話を聞く限りだと『ミミロップ』っていうポケモンみたいなんだけど……」

 

 それを聞いた途端、私は(かす)かに耳をピクッと震わせた。

 

「……? それがどうした?」

 

 含みのある言い方をするマチに、ゼロにぃが怪訝(けげん)そうな顔で問いかける。

 

「たしか、ミミロップってミミロルの進化形だった気がするの。もしかして、そのミミロップはユイちゃんのこと、前から知っていたんじゃないかって……」

 

 やはり、そう来たか。

 

『レプス』の正体を探れば当然浮かび上がる疑問である。

 

 そして、私は彼女の次の言葉も手に取るように予想できた。

 

「ユイちゃん……間違ってたらゴメンだけど、あのミミロップのこと、知ってたりしないかなぁ?」

 

「……ッ!?」

 

 短く声を上げたのは私ではなく、マチの発言に動揺したゼロにぃだった。

 

 彼の視線がこちらに集中しているのを視界の(はじ)で捉えながら、私は前もって心の中で準備していた『演技(さるしばい)』を始めた。

 

「……ううん……わたししらない、あんなかわいい……じゃなくて、こわいポケモンなんて……」

 

 途中、調子に乗って思わず自画自賛(じがじさん)の本音が漏れ出てしまったが、私は目を(うる)ませながら必死に『被害者(かわいそうなポケモン)』を演じてみせた。

 

「そっか……つまり、偶然だったってことだよね!」

 

 マチの声を聞き安堵(あんど)の一息を()こうとしたその時、『彼』が突然口を挟んだ。

 

「……そういえば今更だけどよ……色々あって聞きそびれていたんだけど……」

 

 それは、私にとっては予想外のアクションだった。一難去ってまた一難を予感しながら、ゼロにぃの方へ視線を動かす。

 

「ユイ……お前、どこから来たんだ? どうしてミアレの街中を1匹でウロウロ歩いてたんだ?」

 

 そういえば、この質問が飛んでくるリスクをすっかり忘れていた。

 

 てっきり、こんなに愛くるしいミミロルが迷子のように困った素振(そぶ)りを見せていれば、そんな些事(さじ)は気にも()まらないだろうと、謎に満ちた自信を(いだ)いていたのだ。

 

「……えっ……えっとぉ……それは……」

 

 予想外の問いかけに、私は動揺を隠せなかった。まずい……上手い言い訳が思いつかない。

 

 

 ここで安易(あんい)に、トレーナーの人間や、ポケモンの群れからはぐれたと答えてしまうと、マチとゼロにぃは間違いなく、存在しない私の『保護者』を私を連れて探すことになり、この街での私の行動範囲を制限してしまうに違いないだろう。

 

 それは、私の目的を大きく阻害(そがい)することになり、避けるべきである。

 

 ──では、いっそのこと自分のことを放浪(ほうろう)の旅をしに来た野良ポケモンとでも言うべきか? 

 

 ──いや、こんなに貧弱(ひんじゃく)そうな『ミミロル』が、1匹だけで放浪旅ができるなど、どこの誰がまともに受け止めてくれるだろうか……

 

 

 思索(しさく)を巡らせながら狼狽(うろた)える私の様子を、明らかに疑念に満ちた表情でゼロにぃは凝視していた。

 

 それが、私の焦りを加速させる。

 

「……そういえば昨日初めて会った時、俺のことを前から知っていたようなことを言っていたな……自分でも覚えていなかった俺の『本当(ゼロ)』の名前までも口にして……まさか……お前、俺たちに何か隠し事があるんじゃ……」

 

「っ!!」

 

 ゼロにぃのその一言に、私は凍りついた。

 

 早く……早く……

 

 何か言わなければ……! 

 

 このままでは……!! 

 

 と、心の中で必死にもがくが、私の口は空虚(くうきょ)でパクパクと音もなく動かすことしかできなかった。

 

 あぁ……もうダメだ……と、うさぎポケモンの宿命である『おくびょう』な性格に、心が押し潰されそうになった私を救ってくれたのは、先ほどまで邪険(じゃけん)に感じていた『彼女』の一言だった。

 

「ちょっと! ユイちゃん、(おび)えちゃってるじゃない!! 何考えてるのよ! ゼラオラ……いえ、『ゼロ』!」

 

 そう語気(ごき)を強めながら、私とゼロにぃの間に堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒が切れた様子のマチが割って入った。

 

 その勢いに、思わずゼロにぃが少し後ずさる。

 

「お……おい、落ち着けよ……俺はただ、ユイが何で昔の俺のこと知ってて、何しにミアレに来たのか知りたいだけだって……」

 

 ゼロにぃの苦し(まぎ)れの一言が、マチを更にヒートアップさせる。

 

「はぁ!? あなた、まだわからないの!? ユイちゃんが、この街に来た理由……それは、あなたよ、『ゼロ』!」

 

 ビシッとマチに人差し指を突き出されたゼロにぃは、咄嗟(とっさ)に首を(かし)げる。

 

「……何だと? どういうことだ?」

 

「……いい? ユイちゃんはね、昔のゼロのことを知っていたのよ。ユイちゃんのあなたに対する態度から察するに、多分相当(した)われていたのね。でも、おそらく何かのトラブルがあって、ユイちゃんとあなたは離れ離れになってしまった。ユイちゃんは多分、あなたを探し回って旅をしていたはずよ。そして、どこかであなたがミアレ(ここ)にいるという情報を掴んだのよ。それで、ユイちゃんはこの街(ミアレ)に来て、運命の再会を果たした……そうなんでしょ、ユイちゃん?」

 

 私とゼロにぃは、マチエールの見事な推理に口をボカンと開けて、呆気(あっけ)にとられていた。

 

 そしてそれは、自分にとってこの上なく都合の良いアシストであることに気づいた私は、咄嗟(とっさ)に彼女の言葉に相槌(あいづち)を打った。

 

「う……うんっ! そうなのっ……わ……わたし、ゼロおにいちゃんのこと、ずっとさがしてて……やっと……やっとこのまちであうことができた……だから……だからっ!」

 

 目に涙を溜めながら、私は心の中で『よしっ!』と、ガッツポーズをとった。

 

 まぁ、実のところ彼女の話もあながち全てが虚実(ウソ)であるという訳でもないのだが……

 

「そうか……やっぱりお前、昔の俺と一緒にいたんだな……悪かった。あんなことがあったっていうのに、疑うようなマネをして……」

 

 マチのナイスアシストと、私の名演技によって情に流されたゼロにぃは、私に向かって頭を下げた。

 

 私は自らの目的のためとはいえ、真っ直ぐで清らかに生きている彼を(あざむ)いている罪悪感を感じながら、口を開いた。

 

「ううん……おにいちゃんは、わたしのことしんぱいしてくれたんだよね? わたし、うれしいの……やっぱり、おにいちゃんはやさしくて、あったかい……むかしのままでいてくれて……」

 

「ユイ……」

 

 私とゼロにぃは、お互いの顔を正面から見合わせて、しばらく立ち尽くしていた。

 

 私から見た彼の姿は、まさにユニオンにいた頃いつも見慣れていた『雷閃(らいせん)の勇者』そのものだった。

 

「……コホン!」

 

 私たちのそんな姿に遂に(しび)れを切らしたのか、マチが勢いよく咳払(せきばら)いをして私たちの気を()らした。

 

「……いい雰囲気になっているところ、邪魔してごめんなさい。でも、せっかくならミアレの街でも案内して回ってきたらどうかなって……私と他のポケモンたちは、ちょっと仕事があるから一緒に行けないけど……」

 

 マチの気遣(きづか)いに、若干(じゃっかん)(せわ)しなくゼロにぃが答える。

 

「あ……あぁ! そうだな! ユイもまだこの街に慣れていないだろうし、少し散歩してくるとしようか!」

 

 私にとって、それはまさに最高の提案だった。

 

 もちろん、『仇敵』が身を(ひそ)めるミアレシティを見て回るという目的を達することができることもあるが、何よりも誰にも邪魔されずゼロにぃと2匹きりで『お散歩』できることが嬉しかったからだ。

 

「うんっ! わたし、もっとこのまちのことしりたい! いこっ! おにいちゃん!」

 

 そう言うと私はゼロにぃの手を引いて、ハンサムハウスを勢いよく飛び出していった。

 

 手を振って見送るマチエールを背に、私とゼロにぃはミアレシティの街並みへと繰り出して行った。

 

 

 

「うわぁ〜! おおきなたてもの!」

 

 私とゼロにぃは、ミアレシティの中央に(そび)え立つ巨大な塔……『プリズムタワー』の元へと来ていた。

 

 

 ハンサムハウスを後にした私たちは、まずはミアレシティの外周に沿って街を散策(さんさく)した。

 

 美術館やポケモン研究所、オシャレなカフェに豪華絢爛(ごうかけんらん)なグランドホテル……

 

 ──さすがは大都会というべきか、今まで見たことのない建物ばかりだった。

 

 そして、外周から中央に向かって伸びる5つの大通りにも、レストランやブティックなど、様々な店が立ち並んでいることに、私は心底舌を巻いた。

 

 と同時に、これだけ広大な街からどうやって『仇』を見つけ出せばよいのか……と、(ひそ)かにため息を吐いていた。

 

 そうこうしているうちに、ミアレシティの主だった場所はほとんど見終わった私とゼロにぃは、最後のとっておきの観光スポット……プリズムタワーへと足を運んでいたのだった。

 

 時間はあまりよく見ていなかったが、ちょうどお昼時なのだろうか、雲一つない晴天の()が、高々とミアレシティを見下ろしていた。

 

「ここはな、プリズムタワーっていうんだ。中に、この街のポケモンジムもここにあるんだぜ」

 

 ゼロにぃはそう言って、私を両手で持ち上げて私を両肩の上に乗せて肩車をしてくれた。

 

 小さな身体ではよく見えなかったが、周囲を見ると多くの人間やポケモンたちが、タワーを見上げたり写真を撮っていたりしているのが見えた。

 

()しかったなぁ……」

 

 ゼロにぃが残念そうに呟いた。

 

「マチがいたら、俺たちの写真を撮ってくれたんだが……」

 

「えへへ……わたしはこれでじゅうぶんだよ、おにいちゃん。ありがとう……」

 

 私はゼロにぃの肩の上から顔を彼の(ほほ)()り寄せ、そのまま頬に軽くキスをした。

 

 彼は一瞬驚いたような表情を見せるが、そんな私を優しく撫でてくれた。

 

 あぁ……このまま時間が止まってしまえばいいのに……とウットリとしていたのも(つか)の間のことだった。

 

「よしっ! そろそろ行くか! ユイ、お腹空いただろ?」

 

 そう言うと、ゼロにぃは私の小さな身体を再び地面に降ろした。

 

 そうか、もうそんな時間になっていたのか……と楽しく甘美(かんび)な時間の(はかな)さを痛感しながら、私は目一杯の笑顔で応えた。

 

「うんっ! かえろう! おにいちゃん!!」

 

 そして、ゼロにぃが先導する形で歩き始め、私がその後から着いて行こうとした、その時だった。

 

 ──ゴツン

 

 と、何かが私の背中に当たったのを感じた。

 

「……!?」

 

 思わず振り向くと、そこには見たことのないポケモンが私の身体にぶつかっていた。

 

「……あっ! ごめんなさい! まえをよくみていなくて…… 」

 

 そのポケモンは、可愛(かわい)らしい声で恭しく謝罪の言葉を口にした。どうやら、メスのポケモンのようだ。

 

 緑色の毛並みに(おお)われた彼女の大きさは、ミミロルの私と大体同じぐらいだろうか。

 

 四足で体を支え、緋色の大きな瞳をこちらに向けている。こちらに怯えているのだろうか、身体を小刻みに震わせている。

 

「あの……だいじょうぶですか……?」

 

 そのポケモンの様子をまじまじと観察していた私を気遣ったのか、彼女が問いかける。

 

「う……ううん、わたしはへいきだよ。あなたこそ……けがとかはしていない……?」

 

「はい……わたしのほうも、とくにけがはしていないです……」

 

 よく見るとこのポケモン、かなり可愛らしいではないか……なんかムカつくな……と密かに嫉妬の炎を巻き起こしていたところ、聞き慣れた彼の声が耳に届いた。

 

「いきなり立ち止まってどうしたんだよ、ユイ……ん? そのポケモンは……?」

 

 ゼロにぃは、私の背に(たたず)んでいたポケモンに気付くと、軽く首を傾げながら言葉を続けた。

 

「……見たことないポケモンだな。どうしたんだ、一体……」

 

 すると、私が答えるより先に謎のポケモンが言葉を発した。

 

「あのっ……わたし、かぞくとはぐれてしまって……まいごになって、ここをさまよっていたんです……そこで、このポケモンさんにぶつかっちゃって……」

 

 泣くのを(こら)えながら、弱々しく答えるそのポケモンの様子に、ゼロにぃは優しく言葉をかけた。

 

「そうか……家族と……わかった! 俺がこの街で一番の探偵を連れてくる。それまで、ちょっと待っていてくれないか? ユイ、すまないけど、その娘の相手をしてくれ……頼む!」

 

 正直、私はこれ以上こんなにキュートなポケモンとは微塵(みじん)も関わるつもりもなかったが、他でもない私の大事な『お兄ちゃん』の頼みとあらば、断る理由は全くない。

 

「うん! まかせて!」

 

 私がそう言うと、ゼロにぃは足早にその場を去って行った。たしか、マチエールは仕事があると言っていたはずだから、ハンサムハウスにはいない可能性もある……

 

 ──そうなると、待ち時間が長くなってしまうのだが、さて、どうしたものか……と、幼なげな顔に見合わず眉間にシワを寄せて考え込んでいると、例のポケモンが声をかけてきた。

 

「ねぇ……せっかくだし、まっているあいだ、おしゃべりしない?」

 

 唐突な提案に戸惑いながらも、私は答える。

 

「え……えぇ、わたしはべつにいいけれど……」

 

「じゃあ、きまりだね! しずかなところで、おはなししましょ!」

 

 そう言うと、迷子のポケモンはプリズムタワーから離れた広場の片隅に向かって駆け出した。

 

「あっ……まって……!」

 

 私も彼女の後をついて行った。

 

 

 

 広場の片隅には、人間やポケモンはほとんどおらず、静寂(せいじゃく)な雰囲気が(ただよ)っていた。

 

「そういえば、じこしょうかいをまだしていなかったね」

 

 そう言うと、迷子のポケモンは私の方に頭を下げながら、名乗り始めた。

 

「わたしはニャオハ……くさタイプのポケモンだよ!」

 

 ニャオハ……それが彼女の名前か……ユニオンにいた頃も全く聞いた覚えがない。

 

 おそらく、他の地方から来たポケモンなのであろう……と考えると同時に、私も口を開いた。

 

 

「わたしはね、ミミロルってポケモンなの……いちおう、なまえがあるんだけど……」

 

 

 そして続きを言おうとしたその時だった。

 

 

「あっ……(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)! (⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)!!」

 

 

 えっ? いま、なんといったのだ? しってる? 知っていると言ったのか? 彼女は……? 

 

 

 突然の言葉に驚きのあまり、口を開いたまま固まっていると、ニャオハが私の周りをゆっくりと歩き始めた。

 

 

 しばらくして、彼女が私の耳元に口元を当て、妖しげにこう言い始めたのだ。

 

 

「あなたのなまえ……『(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)』っていうんでしょ……♡」

 

 

 ──ッ!? 

 

 

 (ほとばし)る衝撃……そして、すかさず私は攻撃を()り出した。

 

 小さな拳を声のした方に向けて振り回すが、あっさりと避けられてしまう。

 

 ──『兎座(レプス)』……私の『(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)』の名前を知っているのは、昨晩の出来事を知っている者だけだ……

 

 ──つまり、このニャオハと名乗るポケモンは、昨晩、あの場で私とゼロにぃの会話を、少なくとも盗み聞きしていた……ということ……

 

 ──そもそも、『兎座(レプス)』が本当は『ミミロル(ユイ)』の姿をしているということは、モルと私以外に絶対に知る由もないのだ……

 

 ──間違いない、こいつは『(⚫︎)』だっ! 

 

「あ〜……びっくりしたぁ♡いきなりひどいじゃない…… (⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)さん? ウフフ♡」

 

 私を挑発しているつもりなのか、もはや惜し気もなく私の『もう一つの名』を口にするニャオハを、鋭く睨みつける。

 

「あなた……どうしてそれを……いえ、わかったわ……あなた……きのうのよる……みていたのね……わたしとゼロにぃのことを……」

 

 私は先走る気持ちを必死に抑えながら、淡々と事実確認を進めようとした。

 

「えぇ……わたし……けはいをけすのはとくいなの……♡」

 

 ──確かに、昨晩のことを思い出すと、ゼロにぃとミミロップの私が対峙(たいじ)していた時、周りに他の気配は一切感じられなかった。

 

 彼女の言っているように、気配を完璧に消して、私たちのことを何処(どこ)からか見ていたのだろう。

 

「それで……なぜ、わたしにちかづいたの? なにがもくてきなの? こたえて!」

 

 コソコソと、私とゼロにぃのやりとりを盗み見られていたという事実に耐えかねて、私は語気を強めてしまう。

 

 だが、ニャオハは飄々(ひょうひょう)とした様子で答えた。

 

「しってるわよ……あなた、さがしているんでしょ? だいじなかぞくと、なかまをころしたやつを……そして、あなたにふしぎなのうりょくがあることもね……」

 

 ──やはり、こいつは知っている! 

 

 ──2年の間、探し求めていた『仇敵(かたき)』のことを! 

 

 問い詰めようとした私を、ニャオハの言葉が遮る。

 

「わたしはね……あなたにあいにきてあげたの……おなじ『(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)』を、もつものとして……」

 

 ──こいつは、一体何を(のたま)っているのだ? 

 ──『(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)』とは……まさか……まさかっ!! 

 

 気づいた時には、ニャオハは見覚えのある光に全身を包まれていた。オーロラのような神秘的な光が、ポケモンの姿を変えさせるそれは……その現象は……!! 

 

「まさか……『もんしょう』っ!?」

 

 声を上げた時そこに立っていたのは、やはりニャオハではない、全く別のポケモンだった。

 

 

 それは二足で立ち、濃緑(のうりょく)の仮面とマント、それにピンクの首飾りを身に(まと)い、仮面の奥から(あや)しい瞳でこちらを見つめていた。

 

 そして、そのポケモンは仰々しく貴族風のお辞儀をしながら、こちらに向かって声を出した。

 

 

「はじめまして……私はマスカーニャ……マジシャンポケモンです……な〜んちゃって♡」

 

 その姿を見て、怒りよりも驚きよりも先に、私は予想外の感情を抱いていた。スリムで曲線美を帯びたそのフォルム……

 

 ──そして、見る者を魅惑するかのような(あや)しげな雰囲気……

 

 ──完敗だ……『ミミロップ(兎座)』とはレベルが違いすぎる……と、謎の敗北感に心にポッカリと風穴(かざあな)を開けられながらも、私も対抗して紋章の力を使おうとした瞬間。

 

 ──ドスッ!! 

 

「─ッ!?」

 

 突如、私のお腹に鈍い衝撃が響き渡った。

 

 ──下を見ると、何やら花のようなものが、私の下腹部に食い込んでいるのが見えた……

 

 おそらく、マスカーニャの攻撃を受けたのだろう……すっかり油断してしまっていた……

 

「……し……まっ……た……」

 

 ……やられた……ミミロルの姿になっている時を狙われるとは……と、自身の不甲斐(ふがい)なさを悔やみつつ、徐々に私の意識が遠のいていく。

 

「ウフフッ♡……今夜0時、ミアレ美術館の屋上……」

 

 マスカーニャの妖しげな(ささや)き声が、すぐ近くで聞こえた。

 

 どうやら、耳元で囁きかけているらしい。

 

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、その声を必死に手繰(たぐ)り寄せる。

 

「そこで待っているから、私と楽しみましょう。もし私に勝てたら、教えてあげるわ……」

 

 ……もう限界だ……()ちる……

 

 崩れ落ちる意識と身体を感じながら、魔術師(マスカーニャ)妖艶(ようえん)な声が頭の中に響き渡った。

 

「……あなたの……一番知りたい(⚫︎)(⚫︎)をね……♡ウフッ♡ウフフフッ♡」

 

 

 視界の(はし)から消えゆく魔術師(マスカーニャ)と、遠くから駆け寄ってくるお兄ちゃん(ゼロにぃ)の姿が、完全に意識を失う前の私の目に焼き付けられていた──





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