『紋章』の力──それは、母から最期に贈られた私だけの特別なものだと、『あの日』からそう思っていた……
──だが、それは違った。
まさか、この街に来てからの2日間で、2つもの新たな『紋章』に
「……聞いてない……」
その声は、ゼロにぃの攻撃でコンクリートの地面に叩きつけられた『
「……聞いてないわよ……! ……この街にもう一匹も『紋章使い』がいるなんて……っ!」
絞り出すように聞こえるマスカーニャの声が耳に届いているのかいないのか、ゼロにぃはただ自分の胸で光を
「……なんだよ……これ……」
彼の様子からして、おそらく紋章が発現したのは、彼にとってこれが初めてなのだろう。
明らかな動揺が見てとれた。
それは、私にとっても同じだった。
私の憧れであり、この世で最も
だが、今の『この姿』の私には、そんな感情の
心中と裏腹に、私は先ほどゼロにぃに突き飛ばされて倒れた身体を起こしながら、冷ややかな口調で彼に言った。
「……それは、『紋章』……あなたの中の秘められた能力が覚醒した証よ……」
「『紋章』……だと……!?」
その声に、彼はこちらの方をチラリと振り向いた。彼の戸惑いと混乱、そして疑いが混じったような複雑な表情を見て、いたたまれなくなった私は視線を彼から
「…….そう……まさか、あなたも『
嬉しさと誇らしさのあまり、不意に顔を
「でも……なぜ、そんな力がいきなり……今まで、こんなことはなかったのに……」
「……それは……」
初めて見るゼロにぃの
「……『共鳴』……したの……よ……」
「……!」
それは、ついさっきまでゼロにぃの攻撃によるダメージと、精神的なショックでうなだれていたマスカーニャの、これまでに比べると驚くほどか細い声だった。
「……きょう……めい……だと?」
「……」
私は、口を閉じてマスカーニャの話に聞き入っていた。
「……私と、そこの『
マスカーニャは、その言葉とともに、一度は崩れた精神と身体を徐々に立て直しているようだった。
「……あなた、なぜ『この力』についてそんなに詳しいの……? あなたは一体、何者なの……?」
「……おバカさん……世間を賑わす怪盗の私が、そう
「……?」
「少なくとも、あなたたちよりも紋章のことは詳しいつもりよ……その力の使い方も含めて……そして、あなたよりもそこの『イケメン』さんの方が、紋章の『本当の力』を引き出せているってことも……ね……♡」
「……紋章の『本当の力』……? それはどういう……」
私が言い終わる前に、ビュン! という風切り音とともに、黄色い影が目にも止まらぬ速さでマスカーニャの身体に
バチィィィッッッ!!!
という再びの激しいスパーク音とともに
「……んなことはどうだっていいんだよ……とにかく、こいつをぶっ潰す『力』が手に入った……それだけで十分だ……!」
吐き捨てるように言いながら、ゼロにぃは素早くマスカーニャに防がれた右拳を引っ込めると同時に、左拳を彼女のガードの隙を狙って思い切り打ち抜こうとした。
しかし、今度はマスカーニャがそれに反応して
「……調子に乗らないでよ、おバカさん……私も『紋章』を持ってるってこと、忘れちゃったの?」
そう言うと、マスカーニャの紋章が強く輝き始めるとともに、その姿が一瞬で私の視界から消え去った。
「……また消えた!? 気をつけて、ゼロに……ゼロッ!」
私は身構えながら、横目でゼロにぃに注意を促した。しかし、彼は冷静に一点を睨みつけていた。
「……消えた? 何言ってるんだ、お前? あいつなら、そこにいるだろ……」
「……え……?」
その言葉に従ってゼロにぃの視線の先を見てみるが、そこには影ひとつ見当たらなかった。
「……何も……見えないじゃない……」
戸惑いながら、ゼロにぃの方に再び目を向けると、彼は視線を動かさないまま口角を少し上げ、なぜか笑みを浮かべていた。
「……なるほどな……」
あまりにも意味不明な彼の言葉に、私は首を
「……何が……?」
すると、彼はこちらを
「……お前には見えないとかいう、あいつの姿が俺にははっきり見えるのは、俺の『紋章』とかいう力のおかげってことだよ……見てな……」
私がまた疑問を言う前に、ゼロにぃは地面を瞬間的に蹴り上げ、何もない虚空へとプラズマを
「……??」
私には何も見えない空間に向かって突き出された拳は、当然空を切る……
──かのように思えた、次の瞬間。
「……!!」
なんと、いつのまにかゼロにぃの目の前にマスカーニャの姿が現れ、しかもその身体をゼロにぃの拳が貫いていたのだった。
「……チッ! 『
ゼロにぃが舌打ちをしながら右拳をマスカーニャの身体から引き抜くと、彼女の身体はみるみるうちに霧散していった。
「……やっぱり……まぐれとかじゃなくて、ちゃんと見えてるのね……私の姿……」
どこからともなく聞こえた声の方に目を動かすと、そこには美術館の屋上を囲う手すりの上に佇むマスカーニャの姿があった。
当然、その姿も先ほどまでは全く見当たらなかったのだが。
「あぁ……どうやら、俺のこの『紋章』は、お前の姿を消す『
自らの胸に光る紋章に手を当てながら、ゼロにぃがマスカーニャに向かって言うと、彼女は驚く素振りもなく、妖しげにクスッと微笑みながら答えた。
「……フフッ……そうみたいね……私の紋章の力……『
「フンッ……余裕かましやがって……とにかく、もう小細工は俺に通用しないぞ! さっさと決着を付けようじゃねぇか!!」
そう勢いづくゼロにぃに対して、マスカーニャは相変わらず不敵な笑みを崩さずに言い放った。
「いいわ、受けて立とうじゃない……と、言いたいところだ・け・ど……ごめんなさいね、今日はここまでにさせてもらうわ……」
そう言うと、マスカーニャは私たちに背を向け始めた。彼女の顔を覆う仮面の代わりに、背中にはためく深緑のマントが私たちに向けられた。
「はぁ……? お前、何言って……」
ゼロにぃを遮り、マスカーニャが最後の言葉を言い始める。
「……いつか必ず、今日の決着を付けさせてもらうわ……その時まで……ウフ……楽しみにしていてね……♡」
そう言い残すと、マスカーニャは屋上の手すりから、身体を外に投げ出した。そう、飛び降りたのだ……
「待ってっ! 待ちなさいっ!」
彼女が飛び降りた瞬間、私は叫びながら一目散に彼女が立っていた手すりに駆け寄った。
「あなたは……! あなたは一体……!!」
手すりの間から、彼女が落ちていった地面の方に向けて必死に声を振り絞るが、もう彼女の姿も声も、私には届かなかった……
「……行っちまったか……クソッ……」
手すりの前で呆然と膝をつく私の横に、ゼロにぃが近づいてきた。
「……あいつには、色々と聞きたいこととかあったのに……チッ……!」
私と同様に、ゼロにぃも彼女を取り逃がしたことを受け入れられないようだった。
「……あり……がとう……」
私はゆっくりと立ち上がりながら、おそるおそるゼロにぃに向けて口を開いた。
「……ん?」
自分に向けられた言葉と理解できていなかったのか、少し間をあけてからゼロにぃが反応した。
「……マスカーニャの攻撃から、私を庇ってくれたでしょう? だから、ありがとう……」
「あ……あぁ……あの時は、俺もどうしてお前なんかを守っちまったのか、自分でもわからないんだよ……」
その言葉を聞いて、私は胸が締め付けられるような気がした。
彼自身は多分自覚していないだろうが、それは、彼の肉体に刻まれた、かつての盟友……そして私の母でもある『ミミロップ』……リンの面影を無意識に感じ取っていた故の行動だったのだろう……と、私は気づいたのだ。
思えば、初めて彼と対峙した時も、彼の攻撃や行動には、どこか躊躇いや迷いがあるような気がしていたのだ。
今のゼロにぃには、『ユニオン』が襲われる前の記憶がない……だが、それはあくまで彼の精神の話だ。
たとえ彼の心が失われていても、その身体に遺された軌跡は決して消えることはない……
──これは全て、私の勝手な臆測かもしれないが、少なくともゼロにぃの『敵』として立ち振る舞わなければならない今の私を苦しめるには、十分過ぎるほどだった。
「……さて、次はお前の番だ……」
感傷に浸る間もなく、ゼロにぃが鋭い視線をこちらに向けてきた。
無理もない。
彼らの大事な『
「……」
私は既に覚悟を決めていた。マスカーニャにさえ辿り着けば、私は
だから、ここでゼロにぃに裁かれることから逃げるつもりはなかった。
いや、むしろ裁いてほしかったのかもしれない。
ミミロルの『ユイ』として彼を騙し続け、そしてミミロップの『
──コツン
目を閉じて、ゼロにぃの一撃を待っていた私の額に、軽く何かがぶつかった。
目をゆっくりと開けると、ゼロにぃが握りしめた拳を軽く私の額に押し当てているのが見えた。
「……えっ……?」
予想外のあまり、私は『ユイ』モードの時に出すような、か弱い声を出してしまった。
「……お前、本当はユイを傷つけるつもりはなかったんだろう?」
その声には、敵意や憎悪などを一欠片も感じさせない、温もりが感じられた。
「……あなた、何を言って……」
ゼロにぃの言葉に動揺し、しどろもどろになる私に、ゼロにぃは優しさを
「……昨日の夜、お前がユイを襲った時、俺は最初お前が本気でユイに危害を加えようとしていたと思っていた。でも、お前は俺を誘き出すとユイを早々に手放し、そして俺に『尋問』を始めた。考えてみれば、その気になればお前はそのままユイを手元に残して、その状況を利用し、俺を脅して情報を聞き出すこともできたはずだ。それをお前がしなかったのは、元々ユイを傷つける気はなかったからだ……違うか?」
「……さぁ? どうかしら……」
正確には、『
「……フン。まぁいい。ともかく、お前が本気でユイを襲ったという確信が得られない以上、俺はお前と戦うつもりはない……だが、一つだけ、俺の言うことを聞いてもらう……」
ゼロにぃは私の額に押し当てた拳を引っ込めると、両腕を組む様にして手すりに寄っ掛かった。
「……何のこと?」
ゼロにぃの方を真っ直ぐ見据えながら、私は問い返す。
「……ユイに謝ってくれ。お前のせいで、あいつは精神的にかなりのショックを受けた。大した怪我とかもしなかったが、お前の口から、あいつに謝罪の言葉を言ってやるんだ……いいな?」
「……っ!? ……プッ……フフフ……」
また再び、予想の斜め上を行く彼の突飛な発言に、私はとうとう我慢できずに、笑い声を上げてしまった。
「何だ、何がおかしいんだよ?」
突然の私の笑いに、今度はゼロにぃが不意を突かれたように、素っ頓狂な声を上げた。
「……フフ……いえ、昨日、あんなに私に敵意を丸出しにしていたあなたが、あの
口ではそう言ったが、内心ではゼロにぃの優しさと慈悲に深く感銘を受けていたのだ。
あぁ、やっぱりゼロにぃは、私にとってこの世で最も大切で、最愛のポケモンなのだと、改めて思い知らされていた。
「……お前は、この『紋章』についても、俺に少しヒントをくれた。お前にも、本当は聞きたいことは色々あるが、今日のところはそれで勘弁してやるよ……」
そう言うとゼロにぃは、自らの胸でまだ僅かに光を残す紋章に手を当てて、視線を落とした。
「……わかったわ。あの『ユイ』っていうミミロルちゃんには、私から謝っておくから……」
そう言うと、私はその場から立ち去ろうと、ゼロにぃの元から離れようと動き始めた。
「……そうか……頼んだぞ……」
ゼロにぃは安心したかのように、ホッとひと息吐きながら言った。
「……ひとつだけ、忠告しておくわ……」
私はゼロにぃに背を向けながら、チラリと後ろを
「……何だ?」
屋上の手すりに寄りかかっているゼロにぃは、短く問い返した。
「……マスカーニャの件は、私が始末する。邪魔はしないでね……あなたのパートナー……『エスプリ』にも、そう伝えておいて……」
そう言うと、私は再び前を向き、歩き出した。
「何だと? ……始末って、どういうことだ? なぜ、エスプリのことを……おいっ!!」
ゼロにぃが後ろから追いかけてくるような足音が聞こえたところで、私はミアレ美術館の屋上の地面を思い切り蹴り付け、星空の広がる宙へと跳び上がっていった──
──ハァ……ハァ……──
……危なかった……彼らの前では何とか持ち堪えて見せたが、さっきの戦いで私の身体には相当なダメージが入っていた。
『
もしや、『彼』に騙された……? 私の『遊び』を、『彼』に邪魔された……私は『彼』に裏切られた……?
もし、そうなら許すことはできない。この『
疲れ切った身体と擦り減った精神を必死にフル稼働させながら、私はミアレシティの街を誰にも見られぬように駆け抜け、この街の『
──やはりそこに、『彼』はいた。
昨晩と同じく、『彼』はタワーの端に座り込み、両足をだらんと宙空に垂らしていた。私は、忍び足で座り込む彼の背後に近づいていく。
「……やれやれ。また来たのか……」
『彼』は私の方を見ることもなく、ため息混じりに言い放った。
「……どういうことなのよ……」
昨晩、彼と会話した時とは打って変わって、私の声は
「……さて……一体なんのことだ……?」
彼はこちらを振り向くこともなく、私とは対照的に平坦な声色で答えた。
「とぼけないで……! あなたは『
「……フン……それは私も聞きたいものだ。まさか、『ユイ』だけではなく、『ゼロ』までもが『紋章』を手にするとは……ククッ……面白くなってきたじゃないか……」
私の問いかけの答えになっていない答えを口にした『彼』に、私は詰め寄りながら言葉を重ねた。
「……いい加減にして……あの『ゼロ』とかいうポケモン……あれも、あなたの『計画』の一部……『被験体』なの?」
すると、『彼』は突然立ち上がった。私の身長よりも、10cmほど高い『彼』は私を見下ろすようにしながら、私の顎を鋭い爪を使って持ち上げ、私の視界の焦点を彼に注がせた。
「……惜しいが、正確には違うな……『ゼロ』は確かに、かつて私が集めていた有象無象のサンプルの一部だったが、奴は貴様のような『成功例』ではなく……ただの『失敗例』だったのだ。だから、彼が『紋章』に目覚めたのは、正直私にとっても驚きであり……喜びでもある……これで満足か……?」
私は、顎を持ち上げる『彼』の爪を振り払うと、そっぽを向きながら吐き捨てるように言った。
「……『失敗例』って……あなた、以前すべて『処分』したと言っていたじゃない……!」
「……そう……たしかにあの時、『不要な』失敗例はすべて処分した……だが、私はいくつかの種を
いつにも増して、彼は
「……くだらないわね……」
とりとめもない長話に
「……フン……被験体のコソ泥ごときに、貴様が目の当たりにした出来事の素晴らしさが理解できる訳もないか……まぁいい、ともかく貴様には感謝しているぞ、マスカーニャ……これで、『実験』へまた近づいた……」
「……そう……それはよかったわね……それじゃ、私は休むわ……あなたの実験とやらに私の『力』が必要になったら、呼んでちょうだい……」
そう言うと、私は踵を返して、『彼』に背を向けて、ゆっくりと歩き始めた。
「……あぁ……『その時』が来たら、そうさせてもらおうか。何と言ってもお前は、私の貴重な『被験体』なのだから……」
『被験体』……その呼び方に私はこの上ない嫌悪を感じるが、紛れもない事実であり、『
「……わかったわ。それじゃ、これで失礼するわね……」
──そして、私は『彼』の方を振り向くと、彼の後ろに伸びる赤毛に向けてゆっくりと頭を下げ、久々に彼の名を口にする──
「──『
──To be continued ep.4 -ミアレの闇に- ──