午後11時過ぎ。
ドスン、という鈍い音が夜も
「た……頼む! 見逃してくれ! もう俺は仕事を続けるつもりはないんだ!」
倒れ込みながら、消え入りそうな声で必死に訴えているのは、体中に痛々しい
「今この時も、俺の帰りを待っている家族がいるんだ……だからどうか、俺から手を引いてくれ!」
町外れの
「まだ、わかってねぇようだなぁ……てめぇの立場をよぉ……」
倒れ込んだエレザードのもとに、ドスの効いた重苦しい声を響かせながら、1つの大きな影がゆっくりと近づいて来る。
路地裏の建物の隙間から差し込まれた月光に照らされ、そのシルエットが明らかになる。その正体は、
その顔や体には無数の古傷がついており、彼の壮絶な生き様を物語っているようである。
「家族が待ってる……とか言ったかぁ?」
ゴロンダは倒れているエレザードの目の前まで歩み寄ると、そのまましゃがみ込み、エレザードの頭を片手で乱雑に掴み上げながら言葉を続けた。
エレザードはなすすべなく、ただゴロンダの言葉を聞き取ることしか出来なかった。
「てめぇのその家族が今まで何不自由なく暮らせてきたのは、誰のおかげだと思ってんだぁ? あぁ!?」
掴み上げたエレザードの頭を、グイッと勢いよく自分の顔に近づけると、ゴロンダは声を荒げて自身の不満をより
「い……今まで……はぐれ者の俺たちの住む場所や食べ物を恵んでくれていたことについては……感謝している……」
残された力と勇気を振り絞って、エレザードは目の前の
「でも……こんなことはもうやめたいんだ……俺はただ……家族と平穏に暮らせればそれでいいんだ……!」
エレザードは声を詰まらせながらも、自分の意思をゴロンダに向かって投げかける。その
このエレザードは、元々他の個体と群れを成して平凡に暮らしていた。彼の人生が一変したのは、
彼は4096体に1体の確率で発生する個体、つまり『色違い』の個体だったのだ。
それを機に、群れに属する他の個体からの、エレザード親子への心ない迫害が始まった。
差別や偏見、それは人間社会だけではなく、ポケモンたちの社会においても例外はなく、時として容赦なく牙を剥く。
エレザード親子はまさに、その歪んだ狂気の犠牲となったのだ。
こうして、群れを追われて行き場を無くし、ミアレシティで行き倒れそうになっていたエレザード一家に目をつけたのが、ゴロンダだった。
彼は、父親であるエレザードに家族の居場所や
その『仕事』とは、ミアレシティのとある施設の『発電』であった。
ゴロンダによると、この施設ではエレザード一家のようなはぐれ者のポケモンたちを保護するための大規模なリフォーム工事を行っていて、それには膨大な電力が必要になるということだった。
そこで、エレザードの発電能力を活かして、この施設のリフォームに使われる電力を
ゴロンダの提案に、エレザードは二つ返事であっさりと『仕事』を請け負うのだった。
エレザードにとって、他に行き場のない家族を養いつつ、自分たちのような境遇のポケモンのためになる仕事に関われるという待遇に、これ以上ない魅力を感じていたからだ。
仕事を始めた当初こそは、自分の行動に対するやりがいを感じながら、充足感に満ちた生活を送ることができた。
しかし、その生活も決して長くは続かなかった。エレザードが発電の仕事を行っている間、その施設には全くといっていいほど、
現場作業員の人間や作業を行うポケモンの姿が見えなかったのだ。
その代わり、施設でよく目にしたのは目を
それでも、エレザードは家族を守るため、そしてゴロンダの言葉と貰った恩を信じ仕事を続けた。
仕事を始めてからしばらく経ったある日、エレザードがいつものように仕事を終え、家族のもとへ帰ろうとしていたところ、ゴロンダが他のポケモンたちと会話している光景を目撃した。彼らの振る舞い方から、それはゴロンダの取り巻きのようだった。
「いやぁ〜、それにしてもうまくやりましたね〜ゴロンダさん。まさかはぐれエレザードを使ってこの施設を発電をさせるとは」
1匹の取り巻きが手をこまねきながらゴロンダに言った。
「ふん、まぁな。ああいう手合いはちょっと甘い汁飲ませて適当にあしらってれば、こっちの都合のいい道具になるんだよ」
ゴロンダが皮肉めいた笑みを
帰りの挨拶をするためにゴロンダに近づこうとしていたエレザードは、その会話を聞いて急いで物陰に隠れて聞き耳を立てた。黒い感情がエレザードの中で渦巻き始める。
「はっ、違いねぇですわ。まさか、自分が騙されて"裏社会の施設"の発電をさせられてたなんて、バカすぎるにも程がありますよねぇ!」
他の取り巻きがそう言うと、その場にいたポケモンたちが一斉に「アハハハ」という笑い声を上げた。
エレザードの頭の中は、もはや黒い感情と真っ白な思考が入り混ざって、物陰に立ち尽くしながらただ聞き耳を立てるしかなかった。
「ところで、なんでエレザードのようなポケモンにわざわざ発電させるような手間をかけているんです? 普通にミアレの電力を引いて来て使えばいいんじゃないんですか? それに、あいつを野放しにしないで人間に捕獲してもらってこき使わせた方が効率的なような……」
取り巻きの一匹がとぼけた表情でゴロンダに尋ねた。その言葉を聞いたゴロンダは、体の大きさに見合った特大のため息を吐いた。
「アホかてめぇは? いいかぁ? ここはミアレの裏社会に生きる人間やポケモンたちの、いわば『社交場』みたいな場所なんだぞ? お前らも知ってる通り、ポケモンを使った実験や、ポケモン売買のような表に出せないヤバいことしてるとこで使われてる大量の電力を、シャバから引っ張ってこれるわけねぇだろ。あと、あいつを捕獲するだと? バカ言え。発電するしか能のねぇ、あんな雑魚ポケモンを人間たちがボールを使ってまでわざわざ欲しがると思うかぁ?」
それを聞いたエレザードは、声にならない怒りを抑えつつ、今まで自分が見てきたものが何を意味していたのか、ようやく合点がいったような気になっていた。
つまり、自分は都合よく利用されていたのだ。この薄汚い裏社会のポケモンたちに。
「まぁ、そんなわけで困っていたところに、奴が現れてくれたって訳だ。奴を連れて来て、うまいこと丸め込んで『仕事』させたおかげで、人間たちからたんまりと謝礼を貰えたわけだし、奴には感謝しなくちゃなぁ!」
ゴロンダは嬉しそうにそう言うと、再び悪魔のような複数の笑い声が、エレザードの鼓膜を震わせるのだった。
ゴロンダと取り巻きはその後、しばらく話し込んでから解散した。
エレザードはそれまで爆発しそうな感情を必死に抑えながら物陰に息を潜めた。
そして、ゴロンダが1匹きりになったタイミングで、ゴロンダに向かって詰め寄った。
「ゴロンダ! どういうことだ!」
背後からの唐突な叫び声に、ゴロンダは僅かに飛び上がって驚いたようだが、振り返って声の主の姿を確認すると
「おう、エレザードか。もうとっくに帰ったものだと思ってたが、まだいたのか」
この期に及んで、シラを切ろうとするこわもてポケモンの態度が、はつでんポケモンの声帯をヒートアップさせる。
「さっきの会話、あれはどういうことだっ!! 俺を騙していたのか! 答えろゴロンダ!」
エレザードからの耳をつん裂くような罵声を浴びて、余裕のある表情をしていたゴロンダの顔が僅かに引き
「あぁ、聞いてたのか。さっきの会話。そうだ。お前にはちょっと嘘を吐いていた。すまんすまん」
「何だと……? お前はっ……」
ゴロンダのおどけるような口調にエレザードがすかさず非難の言葉を投げようとしたが、ゴロンダの言葉がそれを遮るように空気を震わせた。
「確かに、嘘を吐いていたのは事実だ……けどよぉ、それが何だって話じゃねぇか?」
「!?」
エレザードは、ゴロンダの言い分の意味が分からず、不意をつかれたように言葉を詰まらせる。
エレザードから顔を逸らし、ゴロンダが続ける。
「お前は、いや、お前たちはどうせ行くアテもないはぐれ者なんだろ? だったら、どんな仕事でも、報酬を貰って生きていくことができるだけ、ありがたいと思わねぇといけないだろ? 違うかぁ? んん?」
勢い付いたゴロンダは、さっきまでとは逆にエレザードへ詰め寄った。ゴロンダの勢いに負けそうになるが、エレザードも負けじと語気を強める。
「ふ……ふざけるな! 俺はこの仕事を引き受けることで、俺の家族のような社会からはぐれたポケモンたちを少しでも救えると思っていたんだぞ! なのに……それなのに、お前はそんな俺の想いにつけ込んで働かせていたんだ! こんな……こんな
エレザードは自分より一回り大きいゴロンダに向かって、自身の想いの
その様子を見たゴロンダは、一瞬ため息を吐いた後、冷静に言葉を発した。
「お前の言いたいことはわかった。俺が悪かったよ。今後のことについて話がしてぇ。ちょっとツラ貸してくれねぇか?」
そう言うと、ゴロンダは建物の裏手の路地裏の方へ進んでいった。頭に血が昇ったままのエレザードは、何も言わずゴロンダの後をついて行った。
その時の時刻は、午後9時過ぎ。今から約2時間前のことだった──
それからのエレザードの記憶は、ほぼ曖昧になっていた。
ゴロンダと裏路地に入った瞬間、ゴロンダから
話があるというのは、要するに『ケジメ』の話があるということだったのだ。
最初は、エレザードも必死に応戦しようとしていたが、相手は暴力の世界で生きてきたならず者で戦闘の経験差が大きく、一方的な攻撃に晒され続ける以外になす術がなかった。
やがて、エレザードの思考は、自己中で
「家族と平穏に暮らしたい……とか言ったか?」
ゴロンダの落ち着いた言葉が、過去の記憶を辿っていたエレザードの意識を現実に引き戻した。
相変わらず、彼はしゃがんだ姿勢で虫の息のエレザードを見下ろしている。
「叶えてやるよ、てめぇのその願いをよぉ」
ゴロンダの意外な一言に、エレザードは思わず目を見張った。
「本当か……?」
「あぁ……ただし、条件がある」
ゴロンダは人差し指を突き上げながら話を続けた。
「てめぇの臓器、1つよこせ」
「!?」
エレザードは驚嘆の叫びを上げようとしたが、全身に走る痛覚がそれを許さなかった。代わりに掠れた声をやっとの声で絞り出す。
「何……を言って……」
「だからぁ〜……てめぇの臓器を1つよこせば、家族の元に返してやるし、今後手も出さないって言ってるんだよぉ〜」
理不尽。こんなのは、まともではない条件だ。
到底受け入れられるわけがない。
エレザードは頭では十分理解していた。
だからこそ、彼は即断できなかったのだ。
「もし……断れば……?」
「ん〜……とりあえず、人間に渡して売り飛ばしてもらうかなぁ……俺の攻撃を喰らいまくっても、まだくたばらないぐらいしぶといんだ。少なくとも臓器1個分と同じぐらいの価値はあるだろ。まぁ、てめぇの家族とはもう二度と会えなくなるだろうがなぁ」
彼にとって、もはやエレザードやその家族のことなどどうでもよかった。
ただ、自分が贅沢できればそれで構わない、そういう類のポケモンだったのだ。
それはエレザードにもはっきりと理解できていた。
しかし、一刻も早く家族との平穏な暮らしを取り戻すため、エレザードにはもはや選択肢は無いに等しかった。
「……わかった。好きにしてくれ。ただし、用が済んだら、家族とちゃんと会わせてくれ」
苦虫を噛み潰したような、エレザードの苦痛に満ちた表情とその言葉を聞き届け、ゴロンダは嬉々とした表情で立ち上がった。
「よっしゃ! 交渉成立だな! じゃあ、ちょ〜っと一回殴らせてもらうが、次に目覚めたときはちゃんと家族に会わせてやるから、安心して受けてくれよ!」
ゴロンダはそう言うと、狂気に満ちた笑顔を浮かべながら右拳を天高く振り上げた。
その様子を見届けたエレザードは、地面に這いつくばりながら、自身の最愛の息子と伴侶の姿を思い浮かべながら、静かに目を閉じた。
「いくぜぇ! オラァ!!」
風を切る音と共に、ゴロンダの拳が振り下ろされた──