偽りの兎座   作:コユルギミカン

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闇夜を跳ぶ兎

「ごめ〜ん! 遅くなっちゃった〜! 大丈夫〜? そこに倒れてるポケモンさ〜ん!」

 

 ゴロンダのものでも、エレザードのものでもない、可憐(かれん)なポケモンの声がそこに響き渡った。

 

 唐突な出来事に、既に(こぶし)を振り下ろしていたゴロンダは自慢の拳がエレザードの頭に直撃する直前で腕を止め、諦観(ていかん)極地(きょくち)に達していたエレザードはハッと目を見開いた。

 

 そして、2匹はほぼ同時に声がした方向、ゴロンダの真後ろにそびえる4階建てらしき建物の屋上を見上げた。

 

 2匹の目には、はっきりとは見えていないが、確かに、1つのシルエットが佇んでいるのが見えた。

 

「何モンだ、ゴラァ!! こっちの邪魔してんじゃねぇぞ!」

 

 ポケモンを痛めつける楽しみを奪われたゴロンダは、真っ先にそのシルエットへと大きな口を開いた。

 

「さっさと下に降りてこいやぁ! てめぇも粉々に潰してやる!」

 

 ゴロンダは、エレザードに振り下ろしかけていた右拳を、いつの間にかシルエットの方へ突き出して叫んだ。

 

「はいは〜い! 大声出さなくても、ちゃんとすぐ下に降りるから、慌てないでね〜」

 

『ヨイショっと』という小さな声を上げながら、その影は元いた4階建ての建物の屋上からそのまま跳び上がり、エレザードから見てゴロンダを挟んだ反対側の地面に見事に着地した。

 

 ゴロンダも、流石にそのポケモンがそのまま()び下りてくるとは思っていなかったのか、一瞬ギョッとした表情を(あら)わにしてしまった。

 

 そして、先ほどから謎に包まれていたその影の主の姿が、ようやくゴロンダとエレザードの瞳にはっきりと映り込む。

 

 そのポケモンは、長い耳を垂れ下げて(りん)とした格好で立っていた。

 

 耳先からはふわふわとした毛が生えており、よく見ると手や足などからも、もこもこした毛が生えているように見える。

 

 エレザードは突然現れた、見ず知らずの割に印象的なポケモンの立ち姿に、思わず度肝(どぎも)を抜かれたような気持ちになった。

 

「ミミロップ……だとぉ?」

 

 ゴロンダはこのポケモンについて知っていたのか、渋い顔をしながら言った。

 

「カロスじゃ見かけねぇ(ツラ)だなぁ……おい、トレーナーの人間とはぐれたか?」

 

 そのミミロップは首を傾け、垂れ下がった耳先の毛を丁寧に手で整えながら答えた。

 

「ヒ・ミ・ツ……別にあなたに教える義理はないも〜ん☆」

 

 ミミロップの小馬鹿にするような口調にゴロンダは苛立ちを隠せず、顔をさらに歪ませた。

 

「んだとぉ……おい! てめぇ、メスのポケモンだよなぁ? 言っておくが、俺はメスにも手加減しねぇからなぁ? 覚悟しろよ?」

 

 ゴロンダは両手をパキポキと鳴らしながら、ミミロップに威嚇の言葉を投げつけるが、彼女の耳には彼の声が届いていないのか、耳先を整える手を止めない。

 

「これでよしっ……と」

 

 ゴロンダの罵声(ばせい)はどこ吹く風といった様子で、ミミロップは耳の毛づくろいを終え、彼に向き直り静かに言葉を紡いだ。

 

「別にいいよ〜! 私、そんなことはこれっぽっちも気にしてないから〜……でも」

 

 そこまで言い終わると、それまで控えめな光を(たた)えていた彼女の瞳に、ゴロンダへ向けて鋭い刃に映し出されたような眼光(がんこう)(とも)り始める。

 

「そこに倒れている彼にあなたがしたことは絶対に許せないわ」

 

 先ほどまでの茶目(ちゃめ)()に溢れた喋り方から、ミミロップの口調は唐突に鋭い言葉へと変化した。

 

 予想外の反応にゴロンダは冷静さを少し取り戻し、相手の出方(でかた)を伺った。

 

「俺がしたこと? こいつに俺が何をしていたのか、コソコソ見ていたのか?」

 

 ミミロップはゴロンダを(にら)め付けながら続ける。

 

「えぇ、全部は見ていないけど、あなたが彼にどんな仕打ちをしていたのかは、ちゃんと知っているわ。その上で言っているのよ。あなたみたいな畜生(ちくしょう)は絶対に許せないってね」

 

 口調は穏やかで冷静そのもののように感じ取れるが、言葉の端々から彼女の激情が漏れ出しているように聞こえた。

 

「ほぉ……一部始終を見てたってわけでもねぇのに、言ってくれるじゃねぇか。てめぇ、そこでボロ雑巾(ぞうきん)のように転がってるエレザードの知り合いか? それとも、そいつのように俺にボコボコにされに来た、ただの馬鹿かぁ?」

 

 ミミロップは侮蔑(ぶべつ)するようなゴロンダの言葉にも動じることもなく、目を丸くしているエレザードを一瞥(いちべつ)すると淡々と自分の口を動かした。

 

「あいにくだけど、彼と私は初対面よ。かといって、あなたに痛めつけられるためにここにいる訳でもないわ」

 

 冷たく言い放たれたミミロップの台詞は、ゴロンダに対して大いなる疑問を生み出した。

 

「じゃあ……てめぇは一体何しにきた……?」

 

 ゴロンダのその言葉を待っていたかのように、ミミロップはほんの(わず)かに耳をピクつかせながらゆっくりと口を開いた。

 

「聞きたいことがあるの、あなたに……ね」

 

 そう言うと、ミミロップはゆっくりとゴロンダの方へ歩み始めた。ゴロンダは先手を打とうと動くことも考えていたが、それは叶わなかった。(すき)がないのだ。

 

 ミミロップを見た当初は、この華奢(きゃしゃ)な身体を叩き潰すのはいとも容易(たやす)かろうと、ゴロンダは考えていた。

 

 だが、自慢の拳を叩き込んでも、まともに当てられる確証がないほど、今の彼女には無駄がなく、隙がなかったのだ。

 

 まるで、霧の中の煙に拳を叩き込まなければならない、そんな状況が今のゴロンダに起こっていたのだった。

 

 ミミロップの動きを読もうと逡巡(しゅんじゅん)を巡らせていると、いつの間にかゴロンダの目前(もくぜん)まで彼女が近づいていた。

 

 よく見てみると、ミミロップの胸のあたりからは、不思議な白い光が漏れ出していることに気づいた。

 

「き……聞きたいことがある? それだけのために、わざわざ俺に会いに来たのか?」

 

「余計なことは言わなくていいから、私の質問に答えて……」

 

 完全にゴロンダの間合いに入っているにも関わらず、ゴロンダはピクリとも動けなかった。

 

 ミミロップが眼前に来て初めて、彼女の得体の知れない威圧感と殺意を身をもって感じざるを得なかったのだ。

 

 気のせいか、彼女の胸から発せられている光の輝きも、その強さを増しているかのように感じられた。

 

 ゴロンダは、この時、今まで裏の社会で生きてきて、久しく味わったことのない『恐怖』という感情を抱いた。

 

 このポケモンはヤバい! 

 

 彼の直感が脳裏(のうり)をヒリヒリと焼け付かせていた。

 

 そして、彼女はおもむろにゴロンダへ問いかけるのだった。

 

「あなた……クノエシティの外れの森にあった廃墟を襲って、そこに住んでいた大勢のポケモンたちの命を奪ったことはある?」

 

 

 

 今まで、このゴロンダは何匹ものポケモンたちを(おとし)め、痛めつけ、苦しめてきた正真正銘の極悪ポケモンだ。

 

 その中には、死まで至らしめた者もいる。

 

 彼らは大抵、今回のエレザードのようなゴロンダからの『仕事』を断った者や、ゴロンダに反抗する者など、ゴロンダにとって邪魔で不必要な存在と見なされた者たちだった。

 

 確かに、ゴロンダは生粋(きっすい)の極悪非道な下衆(ゲス)ではあったが、自分が死に追いやったポケモンのことは、絶対に忘れない自信があった。

 

 自分自身が絶望に沈みそうになった時、これまで死に至らしめたポケモンの、苦痛に満ちた顔を思い出すことで、自らの希望の糧としていたからだ。

 

 その歪んだ性癖の元となる記憶が、皮肉にもミミロップの問いかけに真実を伝えるのだった。

 

「……クノエシティの外れの廃墟に行ってポケモンを殺ったことがあるか……? フン……そんなとこ、行ったこともねぇし、知らねぇよ。なんだぁ? くだらねぇ仇討ちでもするつもりかぁ?」

 

 そう言ってゴロンダが鼻を鳴らしながらおどけてみせると、ミミロップの眉間(みけん)に深い(しわ)が寄せられた。

 

「言ったでしょ? あなたは言われたことに答えていればいい、と……」

 

 そう(たしな)めると、ミミロップは右手を(あご)に置くような仕草(しぐさ)をしながら、ゴロンダに背後を見せた。

 

「じゃあ……『ユニオン』のことも知らないって言うのね……本当かしら……?」

 

「あぁ? 『ユニオン』? 何だよそれ、知らねぇよ、バ〜カ。他を当たれやボケが」

 

「そぅ……」

 

 その瞬間、完全にこちらから背を向け、ようやく隙を見せたうさぎポケモンの頭をめがけ勢いよく、しかし隠密(おんみつ)かつ狡猾(こうかつ)にゴロンダは自分の右拳(みぎこぶし)を振り上げた。

 

 その様子を見ていたエレザードは、ミミロップに迫る危険を知らせるために声を張ろうとしたが、ボロボロになった全身から()けるような痛みが(はし)る彼の肉体がそれを許さなかった。

 

 逃げ……て……

 

 声にならない声を出して、エレザードは悪漢(ゴロンダ)の拳が迫っていることを、雌兎(ミミロップ)の背中に必死に祈った。

 

 振り上げた拳が、ミミロップの頭蓋(ずがい)を捉えるのをゴロンダは確信した。

 

 

 ドォォォォン

 

 

 轟音。それは突然、彼らのいる路地裏にけたたましく鳴り響いた。

 

 それに気づいたゴロンダが、いつの間にか閉じていた(まぶた)を開くと、彼はさっきまで立っていた場所から数メートル離れた建物の壁にもたれかかっていることに気づいた。

 

 彼がもたれかかっているその壁は、巨体(きょたい)がぶつかった衝撃のせいか砕け散って破片を辺りにばら撒いている。

 

 そして少し遅れて、激しい痛覚が彼の全身を襲った。

 

 今の一瞬で何が起こったのというのか。

 

 彼は激痛と混乱が奔る顔を持ち上げ、周りの状況をなんとか理解しようとする。

 

 彼の元いた位置を見ると、ミミロップが傷だらけのエレザードを優しく担ぎ上げているのが見えた。

 

 その様子を見るに、どうやら彼女の方は無傷のようだ。そのまま彼女はエレザードを近くの壁にそっと、丁寧に下ろした。

 

「て……てめぇ……一体……何しやがった……!」

 

 怒りによる(たかぶ)りと筋肉にダメージが入ったことによって、自分の顔がピクピクと痙攣(けいれん)しているのを感じながら鮮血(せんけつ)の流れる口をどうにか動かし、ゴロンダは声を振り絞ってミミロップに声を上げた。

 

「あっ、気がついた〜? ごめんね〜、いきなり後ろから殴り掛かられたものだから、つい()けて蹴り飛ばしちゃった♡」

 

 ミミロップはゴロンダの方を振り返ると、つぶらな片目をウィンクさせ、左手を口元に当てるような仕草をして応えてみせた。彼女の口調と態度は、当初の茶目っ気に溢れた雰囲気のあるものに戻っていた。

 

「俺の……不意打ちを……避けただと……!?」

 

 それだけでも驚愕(きょうがく)だが、それから瞬発的に自分を蹴り飛ばして数メートル離れた壁まで吹っ飛ばしたとでもいうのか。

 

 まさか。

 

 ゴロンダは彼女の言葉がにわかには信じられなかったが、彼女の余裕に満ちた態度と今の自分の惨状(さんじょう)を見て、現実として飲み込み、戦慄(せんりつ)するしかなかった。

 

「じゃあ、さっきの会話の続き、しよっか!」

 

 両手をパチン! と叩き、ミミロップが(ほが)らかな様子で言った。

 

 その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、肉体へのダメージで気を失いそうに(うつむ)いていたゴロンダは、声のする方へ咄嗟(とっさ)に焦点を合わせた。

 

「続き、だと……?」

 

「そうそう! もう一回言うから、よ〜く聞いててね♡」

 

 まさか、さっきの問答を続けるつもりか? 

 

 ゴロンダの嫌な予感は、見事に的中してしまった。

 

「『ユニオン』、襲ったこと、ある?」

 

 彼女は微かな笑みを浮かべた表情を保ったまま、まるで幼子(おさなご)にでも話しかけているかのような、そんな問いかけをした。

 

 しかし、その言葉はもはや肉体だけでなく精神まで極限まで達していたゴロンダを戦慄(せんりつ)させ焦燥(しょうそう)()らせるには十分だった。

 

「い……言っただろうが……! 俺は知らねぇって!」

 

 血の混じった(つば)を飛ばしながら、ゴロンダは必死に訴えかけた。

 

 その様子は、まるでさっきまで自分が痛ぶっていたエレザードの姿そのもののようで、それに気づいた彼は内心(ないしん)でこの上ない屈辱(くつじょく)を感じていた。

 

「そっかぁ……わかった〜! 答えてくれてありがとう♡」

 

 ミミロップは満面の笑みを浮かべながら感謝の言葉を述べた。やっと終わったか。

 

 そう思いながら、ゴロンダが安堵(あんど)の表情を見せようとしていた、次の瞬間。ミミロップが彼の視界から消えた。

 

 ゴロンダはすぐに目を()らして彼女の姿を捉えようとしたが、どこにも見当たらない。

 

 それから間髪(かんぱつ)を入れず、彼の視界に上から何かの影が降ってくるのが見えた。

 

 そして、それは壁に寄りかかっていたゴロンダの下腹部(かふくぶ)にそのまま勢いよく衝突した。

 

 彼は、自らの下腹部に(はし)る衝撃と激痛を感じるのと同時に、目の前でそれを踏んづけているのが、(くだん)雌兎(ミミロップ)であることを咄嗟に理解した。

 

「ぐっ……ぐぁぁぁあああぁぁぁっ!」

 

 内臓が爆発して弾け飛んだかのような痛みに耐えきれず、ゴロンダは思わず野太い悲鳴を上げられずにはいられなかった。

 

「な〜んちゃって! どお? 思い出した?」

 

 ミミロップは踏み込んだ左脚をゴロンダの下腹部に()じ込ませながら、苦痛で歪み切った彼の顔をフフッと微笑みながら見下ろしていた。

 

(こいつは……完全に……トチ(クル)ってる!!)

 

 自らの体を地面に打ち付けている細脚(ほそあし)を、(かろ)うじて動く腕で必死に退()けようとしながら、彼は恐怖と絶望で満たされた心の中でそう叫ぶしかなかった。

 

「ふざ……けんなよ……本当に……知らねぇって……言ってんだろうが……!」

 

 深く食い込んだ雌兎の(あし)をなかなか退()かせずに、そう声を絞り出す大熊猫(ゴロンダ)の姿に、もはや寸刻(すんこく)前までの余裕と自信は微塵(みじん)も残されていないようだった。

 

「右からがい〜い? それとも、左からがい〜い?」

 

 ゴロンダの声が聞こえていないかのように、ミミロップは次の質問を始めていた。

 

「…………は?」

 

 質問の意味が全くといっていいほど理解できていなかったにも関わらず、熱く()けそうな血液とは異なる、冷ややかな汗がゴロンダに流れ始めた。

 

「あ……ごめ〜ん、聞く順番間違えちゃった☆あなた自身は本当に知らなさそうだから、質問を変えるね〜! クノエシティの外れの森にあった廃墟を襲って、『ユニオン』っていう、行き場のないポケモンの群れの命を奪ったポケモンに、心当たりないかなぁ〜?」

 

 彼に答えられるわけがない。

 

 彼と『同業(どうるい)』のポケモンの中に、彼女の質問に当てはまりそうな連中が何匹かいることは知っていた。

 

 だが、それを彼女に教えて生きて帰れたところで、行く末で彼を待っているのは死よりも辛く、恐ろしい『処刑(みせしめ)』だ。

 

 死んだ方がマシと思えるほど壮絶な仕打ちを受け、それでもなお苦しみながら生き続けなければならない。

 

 連中を裏切れば、そんな未来が待っていると予測することは、裏のポケモン社会で生き続けたゴロンダにとって非常に容易いことであった。

 

 だから、彼は唇を噛みながら無言を貫くしかなかったのだ。

 

「………………」

「あれ〜? もしも〜し? 聞こえてますか〜?」

 

 左手を口に添えながら、ミミロップがゴロンダに問いかけるが、彼は瞼を閉じ必死に無視しようとしているようだ。

 

 その様子を見た雌兎は、彼を地面に縛り付けていた左脚(ひだりあし)をどかし、深くため息をついた。

 

「はぁ〜あぁ……やっぱりダメかぁ〜……じゃ、こっちで勝手に決めちゃうね〜。まずはこっち側から……えい!」

 

 

 グシャ! 

 ボキッ! 

 

 

 何かが潰れる音と、何かが折れる音、その2つの不快な音がほとんど同時に鳴り、(つか)の間に訪れていた静寂を貫いた。

 

「あ……あぁ……ああぁぁあああぁぁぁ!!」

 

 鳴り響く再びの絶叫。

 

 ──見なくてもわかる。

 

 ──見たくない。

 

 ──右脚が砕かれた。

 

 ──骨ごと。

 

 ゴロンダの思考は立て続けに駆け巡る鮮烈な痛覚に支配され、ただそれだけしか考えられなくなっていた。

 

 そして、その片隅(かたすみ)で彼女のこの行為が意味するところを、彼女の真の目的を、ここにきてようやく完全に認識することができた。

 

 彼女は拷問(ごうもん)するつもりだ。必要な情報を聞き出せるまで。もしくは死ぬまで。

 

 拷問──

 

 それは、敵対する相手から情報を引き出す手段としては最も()(かな)っており、かつ最も効率的な方法であるといえる。

 

 そのことは、闇の社会で生き続けてきたゴロンダ自身がよく知っていた。

 

 かくいう彼も、かつては何匹ものポケモンたちに同じような仕打ちをしてきたので、拷問された者がどのような苦痛を受け、どのような結末が待ち構えているかは十分理解しているつもりだった。

 

 しかし、そんな自らがまさか拷問される立場になるとは彼自身にとって全くの予想外であったし、しかもメスの、華奢(きゃしゃ)な見た目をしたポケモンにそれをされるているという事実こそ、まさに彼にとってはれっきとした『拷問(いきじごく)』であった。

 

 右脚を砕かれた痛みに辛うじて慣れ始めてしまった頃、ふとゴロンダはあることに気づき、呟いた。

 

「な……なんでこんな馬鹿でけぇ声で叫んでるのに……誰も来ねぇんだ……」

 

 今、彼らがいる路地裏は人やポケモンの通りが多い表通りではなく、夜間は滅多に人やポケモンが通らない裏路地の一角になっている。

 

 だが、ゴロンダが不自然だと感じている原因は、彼が今いる場所のまさに裏手側に自身の仲間がいるであろう、『施設』が建っていることにあった。

 

 ミミロップからの攻撃に耐えきれなくて、先ほどから連続して大音量の咆哮(さけび)を上げているのにも関わらず、彼の仲間が様子を見に来る気配が全くしないのだ。

 

 ──誰もいない? 

 

 ──まさか帰った? 

 

 ──いや、この時間でも仲間のポケモンや人間共がまだ施設にいるはずだ……

 

 ──では、なぜ自分の悲鳴を聞いて彼らが駆けつけてこない……? 

 

 ゴロンダがそんなとりとめもない考えを(まわ)らせ、怪訝(けげん)な顔をして(うつむ)いていると、彼の呟きが聞こえたのか、ミミロップがしゃがみ込み、彼と同じぐらいの高さで視線を合わせて喋り出した。

 

「ん〜? もしかして、この裏の建物にいた悪そ〜なポケモンさんとか人間さんのこと、言ってる〜? あ……そっか〜、そういえば言ってなかったね、ゴメンゴメン」

 

 ミミロップは意識朦朧(もうろう)と壁に寄りかかっているエレザードをチラッと一瞥(いちべつ)しながら続けた。

 

「あなたが彼を痛めつけている間に、そいつらは全員潰しておいたよ〜」

 

 無邪気な口調で何気なく発したかのような言葉が、今度は彼の思考を()し潰した。

 

「な……な……何……言ってやがる……あ……あの場所には俺の仲間や……裏社会の連中のポケモンや人間たちが何十といたはずだ……そ……それをてめぇ一匹(ごと)きが……」

 

「うん、潰しておいたよ☆一匹も……一人も残さずにね♡」

 

 数分前までの威勢(いせい)をすっかり失っていたゴロンダは動揺を隠せず、途切れ途切れに反論を試みるが、ミミロップの余裕に満ちたかのような声に無慈悲にかき消された。

 

 彼は続きの言葉を出そうと口を開けていたが、驚愕のあまり、そのまま何も言えず固まることしかできなくなってしまっていた。

 

 それを見た雌兎が微笑みながら話を続ける。

 

「最初に言ったでしょ? 『遅くなっちゃった』って……本当は、ここで酷いことしてたあなたを早めに潰しておこうかなぁって思ってたんだけど、あなたそこそこ強そうだったし、お仲間さんをまとめて片付けておいた方が効率良さそうだったから、先にそっちを潰しておいたの。みんな、全然手応(てごた)えなくて楽で助かっちゃった☆」

 

 馬鹿馬鹿しくて全く信じられない話だが、彼女のこれまでの強さと周りの様子から察するに、おそらく本当の話なのだろう。

 

 つまり、自分は最初(ハナ)からこの雌兎にマークされていた。

 

 それにも気づかず、エレザードを痛めつけて(えつ)に浸っている間に、まんまと仲間たちを片づけられていたということだ。

 

 そう思い至ったゴロンダは、自らの愚かさとショックに打ちのめされ、体をブルブルと小刻みに震わせ始めた。

 

「あ……もちろん、その場所にいたポケモンさんたちには、動けなくした後にあなたに言ったのと同じこと聞いたんだけど、みんな揃って一緒の答えしか口にしなかったんだよねぇ〜」

 

 そこまで言うと、ミミロップは再び眼光を鋭くしてゴロンダを睨みつけた。

 

「……『ゴロンダが知っている。奴に聞いてみろ』ってね……」

 

 それを聞いた瞬間、彼はただ自らを(わら)うしかなかった。

 

 乾いた声で。

 

 売られたのだ。

 

 自分はこんなに耐えているのに……仲間だと思っていた他の連中に、あっさりと。

 

「……クハッ……ハハッ……それで……残った俺に『特別サービス』を……してくれてるって訳か……でも悪いなぁ……俺は他の奴等とは違ぇんだ……てめぇの下らねぇ問いに答える気はねぇ……残念だったなぁ……イカレ(ウサギ)がよぉ!!」

 

 信じていた仲間に売られたということを知って、絶望と憤怒(ふんぬ)を感じるかと思われていたゴロンダは、自分でも驚くほど冷静に、(なめ)らかに悪態(あくたい)()いた。

 

 おそらく、もう彼のなかではある(しゅ)()()りがついていたのであろう。

 

 一方、ゴロンダからの罵声を受け取ったミミロップは、ゆっくりと腰を上げて立ち上がった。

 

 そして、彼女はだらんと垂らしていた長耳をピクピクと一瞬だけ震わせてから、口元に微かな笑みを浮かべた。

 

 しかし、その表情には温もりなどは全く感じられず、代わりに獲物を突き刺すような冷徹(れいてつ)で非情な印象のみが見てとれた。

 

「……そう……なら、好きにすればいいわ。後はどうなるかは、わかってるんでしょう……?」

 

 

 雌兎(ミミロップ)からの最後の忠告ともとれる言葉を聞いた大熊猫(ゴロンダ)は、絶望と恐怖で()り固まった表情筋を最後の力を振り絞って動かし、下卑(げび)た笑みを浮かべながら彼女の顔に向かって勢いよく(ツバ)()いた──





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