防衛拠点──今やそう形容して良いのか怪しいほどだが──に到達した私たちが見たのは悲惨としか言いようのない光景だった。
「う、う゛ぉえぇぇぇぇぇ…」
べちゃべちゃべちゃと汚い音を鳴らしながら足元を汚す。鮮明に見えてしまっていた最悪の光景が溢れ出る涙によって歪み見えなくなっていく。
理解はしていたはずだった。戦争がどんなものか。そんなもの、前世より知識としては持っていたはずだった。だが現実はどうだ。こんなこと、予想できたか。いや、訂正。予想はできていたさ。だが、心のどこかでそんなこと起きるわけがないとその可能性を切り捨てていた。
甘えもあったのだろう。私たち、この世界の住人は拳銃の銃弾程度ではケガすらしない。だから、死人が出るなんてあり得ないと思っていた。どこどこの部隊で死人がでただの、どっかの誰かが借金鳥に捕まって行方不明だの、そんな噂を聞いていたにも関わらずどこか他人事のようで、下手すれば別世界の出来事として捉えていた節もあった。
だが目の前で戦友が私を庇って腹から血を垂れ流し、そしてこの防衛基地だったものの惨状を見て。ようやく私はこの状況を、この現実を飲み込めた。
人は死ぬのだ。
それも、あまりに簡単に。
「……ちっ。ミナトは索敵。コウは残った物資をかき集めてこい。マユはそのままアイナを見てろ。俺は拠点を確保する」
「了解」
「……はい」
「……」
口にのついた吐瀉物を拭き取りこれ以上荒らしようがないほど荒らされた防衛拠点だったものに残った使えそうなものを取り尽くすため行動を開始する。できるだけ、地面に落ちているモノや壁にもたれかかったモノを視界に入れないようにして。
◇
「……」
もういい時間なのだろう。廃墟に隠れゆく夕陽が嫌に美しい。
結局この時間まで物資を捜索した結果見つかったのは幾つかの包帯などの医療品と心許ない弾薬と食料少々。おそらく敵兵か、私たちと似たような境遇の奴らが先に漁ったあとだったんだろう。持ってくるはずだった物資のほとんどは装甲兵員輸送車とともにお釈迦になってしまい、なんとか持って来れた少なすぎる物資と合わせても数日生きられるかどうか。
おそらく小隊長もこの基地の状況は察していたのだろう。殴られはしなかった。
「……マユ、さん」
「っ!やめて!!!」
差し出した缶詰ごと手が弾かれる。カランコロンと軽快な音を立ててそれは荒れ果てたアスファルトを転がり、倒れた。
「あ……ち、ちがうの!その、ご、ごめんなさい……」
「………アイナさん、は…」
「………息は、してる」
アイナとマユ。活発で元気な性格のアイナに優しいおねーさん的なマユ。二人は私がこの隊に入った頃から二人でいることが多かった。話を聞けば、幼少期から二人で一緒にあのスラム同然の環境で生き延びてきたらしい。私のように利用するため他のグループに入り込んだりすることもなく二人きりで。
軍に入るまでは窃盗に略奪。殺害以外はなんだってやったそうだ。もちろん、そんな境遇の人間なんてここじゃ珍しくもない。むしろデフォルトだ。だが、だからこそここの皆は仲間を家族と呼び大切な存在に位置付ける。私にとっては訓練をともにした小隊の皆、そしてサオリたち3人がそれに当たるんだろう。自覚はないけど。
故にそれを、それこそ人生の大半をともに過ごした半身が失われようとしている現在彼女はとても不安定だ。
………私の、責任だ。
あの時もっとしっかり警戒していれば。あのドアを選ばなければ。
………彼女に庇われず私だけが死ねば。
「……ごめん、なさい」
私にとって彼女たちはただの部隊メンバーだ。彼女たちが私をどんな目で見ていようとそれ以上の関係性を私は感じられない。いや、再び失うことを恐れて彼女らを拒絶していた。だから、私に彼女の喪失感、不安を真に理解することはできない。
けれど、それがどれだけ苦しく悲しいことかは完全に同じでなくとも知っている。だからこそ、罪悪感を感じる。重く、背にのしかかるように。
「………いいの。アイナは、自分の意思であなたを守った。私は、アイナの意思を尊重したい。貴方を責めることはしない」
「………」
いっそ、罵って責めてくれればどれだけ楽だったか。
彼女の悲しみを押し殺したような優しげな笑みが心を締め付ける。
「ミナト、どうだった?」
「周辺に人影なし。敵兵も、味方の残党もいないみたい。戦闘後、いつもだったら湧いてくるゴミ漁り共もこの惨状じゃ足がすくんでしばらく出てこないと思う」
「よし。暫くは此処を仮拠点とする。本部が生きているのなら暫くしたら無線が来るはずだ。それまで待機」
「こなかったら?」
「その時はホームレス生活に逆戻りだな」
小隊長とよく話しているのはミナト。この部隊での1番の古株らしい。軍での実戦経験もあるようで実質的なサブリーダーを務めている。一見仏頂面で怖いけど、訓練の後にスポドリを差し入れてくれたり結構優しい人で、私は好きだ。
「マユ、アイナの様子は」
「……呼吸が浅い。心拍数も相変わらず早い。手足の末端が冷たい」
「……そうか」
小隊長の機械面に影がさす。
「小隊長、アイナは……」
「最善を尽くせ。医療品の使用を許可する。俺の道具だ。こんなところでぶっ壊れられちゃ困る。せめてもう一度くらい盾にくらいなってもらわないとな。だが………奇跡でも起こらん限り、な」
「……そう、ですか」
沈黙が場を支配する。
小隊長は……私が隊に入った当初から私たちのことを道具扱いしていた。文句はない。いや、言えなかった。逆らったら殴られるし、他の隊でも似たような環境らしかったから。私たちのことを人間ではなく、自分の昇進のための道具としか思っていないクズ、それが私の中でのこいつの評価だ。ただ、他の隊の教官共のように道具を使い捨てるタイプではなく、最後まで酷使してくださるようでその点は安心だ。
──けれど、その評価はもしかして間違いだったのではないか、とその夜私は思い直すこととなった。
「へくちっ」
月が嫌に綺麗な夜だった。
眠れなかった私は少し外の空気を吸おうと仮拠点としているボロ小屋の外に出る。あんな経験をして眠れるわけがなかったのだ。
だが、どうも先客がいたようで、無駄に明るい月明かりがその人影を照らす。
「──俺だって─────ナ…───くそ────すれば……」
ぶつぶつと、内容はよく聞こえなかった。けれどあまり良い感情を抱いているようではなかった。
瓦礫に隠れながらそろりそろりと近づけば、その大きめの影の主が現れる。
頭を抱え、丸まっているのか一瞬誰かわからなかった。だがわかった瞬間「まっずい」と後退りしそうになる。薄汚れ、元は純白だったであろう灰色のコート。私の毛嫌いする小隊長殿だ。
「っ……あ」
「っ!何者だ!」
声を上げることは防ぐことのできたものの、誤って足を踏み外し足音を鳴らしてしまう。瞬間振り向き銃をこちらに構える小隊長。目が合ってしまう。
「……コウか。貴様、何勝手に外に出ている」
「……しょ、小隊長だって…」
「俺はいいのだ」
「お、横暴……」
ツカツカと銃口は下げたものの威圧感がそのままに歩み寄ってくる。
「で、貴様。聞いたか?」
「え?」
「聞いたのか、と聞いている」
「な、なにを?」
「……ならいい」
「は、はぁ…?」
「座れ」
「へ?」
「いいから」
そう言われて無理やり小隊長殿の隣に座らせられる。綺麗な月明かりの下二人きり。文面に表すとロマンチックな雰囲気だが、実際に相対すると恐怖しか感じない。説教1時間コースでも始まるのだろうか。暴力だけは勘弁していただきたい。
「そう緊張するな」
「は、はい」
「……昼間は悪かった」
「………………へぁ?」
「お前に『一人で死ね』と言ったことだ」
「え、あ、はい?」
「あの場では思わず責めてしまったが、道具のミスは使い手の責任だ。アイナの件はお前達をうまく使えなかった俺の責任だ」
「そ、そんな、こと…」
「お前に命令をしたのは俺だ。お前の近くにアイナを配置していたのは俺だ。俺を責めろ。道具の貴様に責任はない。お前が思い詰める必要はない。そんなことをする暇はないはずだ。他にやることがあるだろう」
「………は、い」
……それは、あんまりじゃないか。
ずるいじゃないか。最低だ。
そんなこと言われたら、私は、この罪悪感は、どうすればいい。ああ、本当に。どうして、みんな私を責めてくれないんだ。
「……納得いかないか」
「……」
「そうか。なら、お前はそのまま罪悪感を抱え後悔したままでいい」
「…え?」
「後悔して、常に忘れるな。頭の片隅に入れろ。もう同じミスを2度としないように。今度はお前が仲間を助けられるように。俺は道具を一度のミスで捨てはしない」
「……」
「いいな」
「……は、い」
そういうと彼はそのゴツイ手で私の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でてきた。本人は星空を見ながら、私の顔を見ないようにしながら。
おかしいな。今日は、雨だったかな。
「明日は早い。もう寝ろ」
暫くした後、正気に戻った私は顔面蒼白になりながらも小隊長に謝り布団に入る。
寝る前に直前にした彼との会話を思い出す。
「…お前は、この先。俺たちがこの状況を脱せたら。何かしたいことはあるか?」
「…え?と、とくに……考えたことも、なかったです」
「明るい未来を考えることは良いことだ。クソッタレな現実でも、夢を見るのは大事なんだ」
「は、はぁ…」
「俺の場合は、そうだな。いちごクレープ、いちごクレープだ。昔たまたま“外”に出れた時、食べたことのあるそれをもう一度食べたい。……おっと、内緒だぞ。ガキの頃とは言え“外”に出たことがバレたら面倒だ」
彼は、思ったより良い人なのかもしれない。
あと好物が可愛い。