【習作】恋人以上で友達未満な二人 作:言語嫌い
少しずつ、前に進むために……
あの日のことはよく覚えてない。
――――いや、違う。
覚えている。忘れるはずがない。本当は、覚えている。ただ、思い出したくなくて、忘れていたくて、覚えてないと言っているだけ。
「――――!! ……!?」
痛かった。辛かった。怖かった。だから、忘れていたい。二度と思い出したくない。でも、時折、ふと思い出してしまう。
「……――――! ――――……」
彼の声が聞こえるから。彼の姿が見えるから。だから、一つだけしっかりと覚えていることがある。私は彼に助けられた。彼に救われた。彼に助けられたから、ここにいる。すっと、目の前にある玄関を見る。何度も、何度も訪れた家。けれど、一度も迎え入れてもらえたことがない場所。
学級委員長だからプリントを持っていくようにと先生が言ってくれた時には少しだけうれしかった。彼に会えるかもしれない。そうしたら、あの時のお礼が言える。そう思っていた。でも、かれこれ一年近く訪れているけど、彼に会えたことはなかった。インターホンを押しても一度も応答はなかった。居留守なのか、それとも本当に居ないのかでさえ、私にはわからない。
「今日は……会えるかな……?」
ほんのちょっとだけ期待しながら、いつものようにインターホンを押した。
「やっぱり、出てなんてくれないよね……」
そして、私はいつものように現実を知る。不愛想な彼が出迎えてくれるなんていうような幻想は、いともたやすく崩れ去った。わかっていたことだった。何度も何度も、同じことの繰り返しでしかないことだって知っていた。それでも、期待していた。もしかしたら、今日は会えるかもしれないと。
「帰ろう……」
それでも、やっぱり、ダメだった……
***
あの日……俺とあの少女が出会った日。その日から、俺の日常は少しだけ変化した。それが良い方向になのか、悪い方向になのかはわからない。でも、俺は良い方向に進んだのだと思いたい。
いや、今も変化を続けている。ただ、無意味に時間を消費し続けていた日々に少しだけ意味が表れ始めていた。少女との出会いが、少女との触れ合いが、ともにいる日々が、俺を少しずつ変えていった。そして、そんな少女に――俺を変えてくれた幼い少女に対して小さく決意した。誰にも聞かれることのない決意。どんな意味があるかもわからない決意。あまりに抽象的で、大雑把な決意。それでも、俺はこの少女に告げた。たとえ、聞こえてなくても確かに告げた。
――――がんばるよ
だから、すこしだけ、前に出てみよう。一歩ずつでいいから進んでみよう。進むことをやめていたことを、やめよう。関わることを拒絶していたことをやめて、少しだけ周りを見てみよう。
玄関のインターホンを押しているおとなしそうな雰囲気の少女を見ながら、そう思う。その少女はプリントを抱えたままインターホンからの反応を待っている。反応がないことを知っていながら、どこかで期待しているのだろう。俺が間違えて反応するのを。だが、うちにインターホンを押してまで訪ねてくる奴なんて限られている。押し売りの類か、この少女だけである。だから、俺がインターホンに応じることはない。
「やっぱり、出てなんてくれないよね……」
「…………」
それはきっと、これからもそうなのかもしれない。俺はインターホンを無視し続ける。そして、少女もどこか悲しそうな顔をしながら、手に持っているプリントをポストに入れるために移動を始める。それが、いつもの光景。少女は四苦八苦しながらなんとかプリントをポストに入れ、少女がいなくなってから、俺はそのプリントを回収する。
そんな日々を俺は――良しとしていた。
だから、
「おい」
「……え!? あ、う、うん。な、なに?」
だから、声をかけた。俺はその良しとしていた日常を変えるために、変わりたくない自分が望んだ日々を壊すために、俺は一歩だけ前に進む。目の前の少女のために、公園で泣いていた少女のために、そして俺を護ってくれたアレのために――俺は当たり前だった日々を、新たな日常へと変える。声をかけられた少女は最初に驚き、そして、声の方向を見て戸惑い、そして、少しだけ嬉しそうに笑った。しかし、すぐにその表情は少し前の困惑によって塗りつぶされてしまったが。まあ、いきなり反応があったらそうなるよな。
「開けるから待ってろ」
俺は二階の自室から玄関先にいる少女へと声をかけると、数枚のプリントをつかんで玄関へと向かった。
「…………え? ……うそ…………え?」
俺から反応があったのが予想外だったのか、少女はプリントを抱え呆けたままに立ち尽くす。そんな少女の姿は俺が玄関を開けて現れ、声をかけるまで続いていた。
「何をぼうっとしている? プリントを持ってきてくれたんだろ?」
「……夢? これは、夢なの? 倉橋くんが声をかけてくれるなんて……え?」
未だに現実を受け止められない少女から俺はプリントを受け取ると、とりあえず、玄関まで入ってもらった。
「男の子のお家に上がっているんだ……私……」
「聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「え、あ……ええと、なにかな?」
「この問題がわからない。教えてくれ」
「うん……え?」
少女は出されたプリントを見て再び呆気にとられる。まあ、当然といえば当然だ。明らかに自分たちの学年で学ぶようなことではないからだ。とはいえ、学校に行ってない、勉強もしていないのだから、ある意味で当然の結果である。馬鹿にされても仕方ないともいえる。だけど、それでも少女は特に何も言わずに教えてくれた。
「え、ええと、ここはね……」
少女は式台に腰掛けると、次から次へと俺のわからないところへの回答を示してくれた。幸い、少女は勉強ができるようで、俺の質問にはすべて答えてくれていた。時間にして30分ほど、俺の疑問はすべて少女によって解決していた。まだないの? と言いたげに少女がこちらを見てきているが、今のところは皆無だ。
「いや、もう大丈夫だ」
「わからないところがあったら言ってね。また教えに来るから……」
俺がプリントをまとめて立ち上がると少女もまた立ち上がった。そして、踵を返し玄関の扉に手をかけたまま、少女は優しくこちらに微笑みながら言った。
「それじゃあ、また来るね。倉橋くん」
「ああ、そのときは頼む、松原」
「…………うん。またね」
そんな小さな約束を交わして、俺は少女と別れた。
そう、俺は勉強をするようになっていた。すべてが終わったあの日から一度も目を通していなかった教科書を開くようになった。机の上に積まれていたプリントの山を整理し、それらに目を通し始めた。そして、一つずつ解くようになった。わからなければ、非常に癪だが……ああ、本当に嫌だったが、たまにプリントを届けに来ているうっとうしい少女――松原に尋ねることにした。いや、そいつ以外に頼れるやつがいなかっただけとも言えるのだが。しかし、その少女は俺のそんな気持ちなんて知らない。ただ、少しだけうれしそうに、俺の質問に答えていった。俺にはそれがわからない。あれだけ拒絶されたのに、なぜ、そのように俺に笑いかけてくれるのか。俺と接してくれるのか。
「え?」
ああ、本当に――――どうして、
「どうしてって……私が、そうしたいからだよ……」
こいつらは、馬鹿なんだ……
――――そんなこいつのことを少し知りたいと思った。
数日後――――
「あ、あの、プリントを……」
今まであれだけ拒絶してきたのに、なぜか、いつまでも俺にかまってくる少女。そんな少女はほぼ毎日のように俺の家にプリントを持ってくるようになった。最近では、プリントだけでなく、過去に彼女が書いたノートまで持参してくるようになった。いらないと断りたいが、非常にわかりやすくまとめられているので、断るに断れない。
「……開けるから待ってろ」
「うん」
インターホンを不安そうな顔で押すのは変わらなかったが、俺の反応があると小さいけれど、まぶしく笑うようになった。こうして、俺の日常に新たに一人の少女が加わった。
「倉橋くん……」
「なんだ?」
「なんでもないよ」
二人で勉強をしているときに、ふと名前を呼ばれる。聞き返すと、何でもないと少しうれしそうにこいつは笑う。そんな日々。そんな新たな日常。ほんの少しだけ、こいつのことを知りたいと思ったことを少し後悔しそうな日々が続いている。やはり、この少女のことはよくわからなかった。だが、悪い気はしない。こんな変化をいいと思っている自分がいた。
「倉橋くん」
「……今度は、なんだ?」
「ありがとう……」
「うん? なにかしたか?」
「言いたかっただけ。気にしないでいいよ」
だけど、やっぱり、俺にはこいつらのことが分からない。いきなりお礼を言われたことに対する意味も、やっぱり分からない。
分かる訳もない。分かる気もなかった。
「……俺が勝手にしただけだ。礼なんていらない」
「え……」
「なんでもない! 次、これだ! これはどうすればいい!」
「あ、う、うん。これはね……」
俺にはこいつらのことがよくわからない。だから、こいつが嬉しそうにしている理由も分かる訳がない。そう、言い聞かせた。
***
少女は、ようやく自分の願いが叶った。だが、そうすると、新たな願いが出てくる。今までは叶うわけがないと思っていた願いが。だが、その願いはすでに叶っている。
「ありがとう」
「ふん」
きっと、この少年は少女の言葉に込められた意味を知らない。
***
「あの……」
「なんだ?」
どこかためらいがちに少女は問いかける。だから、俺は答えた。
「ううん、なんでもないです」
「そうか」
少女は何も言わない。なら、俺も何も言わない。聞かれたら答えたかもしれない。けれど、少女は沈黙を良しとした。なら、俺もそれにならう。そして、少女はそっとこちらへと体を預けてくる。俺はそれに何も言わない。ただ、静かに時が過ぎていく。帽子の下の彼女の表情は見えない。でも、彼女は泣いていない。そのことだけは理解できた。
俺の日々は少しだけ変わった。いや、きっとこれからも変わっていくだろう。そして、これは俺だけじゃない。きっと、この少女の日々も少しずつ変わっていくと思う。だが、変わらないものもある。
「……ん」
「…………」
俺とこの少女の関係はいつまでもこのままなのだと思う。それが、どこかうれしくて、少しだけ寂しかった。
*用語集*
式台:玄関ホールと土間の段差が大きな場合に設置される板張りのこと(作者はこの名前を思い出せなかった)
倉橋:主人公の名字(ようやく固定)。男のツンデレ誰得……
松原:第2話にて登場した少女の名字。癒し
帽子の少女:高町なのは。癒し
アレ:「アレ」です。アレ
主人公の立ち直りが早いと思われそう……そんな本編です。
まあ、未だ伏せてますが、本編の前に大きな事件を一つ解決した後です。ついでに、そこでトラウマゲットして、しばらく苦しんだ後です。そんな彼を、周りのみんなが救おうとします。そんな第1章はもう少し続きます。
第1章に当たるこの章が終わると、また彼には大変な目にあってもらいます。あげて落とすとはこのことですかね……
それでは、次回でお会いしましょう。