街に繰り出してから数分後のことだった。
「ああっ! 大変、私のリンゴがぁ!」
すぐ近くで、一人の女性がリンゴの入ったカゴを派手にひっくり返した。
俺は反射的に、転がったリンゴを拾い集めて彼女に手渡す。
「大丈夫ですか?」
「……あ、ありがとうございます。なんて親切な冒険者様……」
「いえいえ、そんな――」
「お礼をしたいので、あちらの喫茶店でお話しませんか? アクシズ教が運営している、とってもアットホームな喫茶店なんですけど」
「…………」
顔を上げた彼女の目を見て、俺の背筋に冷たいものが走った。
目は大きく見開かれ、瞳孔はギラギラと輝き、ガンギマっていた。
「いえ、急いでますので」
「まあまあ、そう言わずに! コーヒー一杯だけでいいんです! お話を聞いてくれるだけで、貴方の魂は救われるんですよ! さあ、この入信書にサインを……名前だけでも! 血液型でもいいですからぁ!!」
「待て、この者たちは私の連れだ。あまり強引な勧誘は慎むがいい。私はこれでも、敬虔なエリス教徒――」
「ぺっ」
ダクネスが胸元のエリス祭具を見せつけた、その瞬間。
女性は氷のような視線で、地面にペッと唾を吐いて去っていった。
「…………っ! な、なんて酷い仕打ちだ……初対面の者に唾を吐かれ、蔑まれる……なんてすば――ひどい街なんだカズマ!」
「今興奮したろ」
「してない……」
こんなことが数分おきに何度もあった。
あるときは……
「ああっ! ど、どなたか! ここに勇敢なアクシズ教徒の方はいらっしゃいませんか!? そうすれば、私を襲うこの悪漢も、恐れて逃げ出すというのに!」
「……」
「さあ、貴方がアクシズ教に入ってくだされば、この男は退散します! 名前を書くだけでいいんです、さあ!」
「げへへへへ! 早くしないとこの女性を襲っちまうかもしれねえな! まあ、勇敢なアクシズ教徒がいたら話は別だがな!」
またあるときは……
「ねえ、もしかして君! 覚えてる? 私だよ私、同じ学校の! ……まあ、気づかないよね。アクシズ教に入ってから別人みたいに幸せになって、ぶつぶつだった肌がこんなにきれいになったんだもの! さあ、君も一緒に――」
「俺、学校とか通ってねぇから。引きこもりだったから」
「…………そ、そこのナイスバディなお姉さん! あなたもアクシズ教にはいればもっと肌がきれいに――!」
「すまない、私はエリス教なのd――」
「ぺっ! ……ぺっ!」
さらに極めつけは……
「あっ、大丈夫か?」
「うん! 親切なお兄ちゃん、お姉ちゃん、助けてくれてありがとう! ねえ、お兄ちゃんのお名前はなんていうの?」
「お兄ちゃんはサトウカズマって言うんだ」
「そのお名前ってどう書くの? この紙に書いて教えて!」
「ああ、いいぞ? お兄ちゃんの名前はこう書――………………フンっ!!!!」
「お兄ちゃぁぁぁああんっっっ!!」
たった一時間程度の散策……それなのに俺の心はひどく荒んでいた。
そんな疲れをとるために立ち寄った喫茶店でも――
「こちらの席へどうぞ。あ、エリス教のお客様に席はないので床にでも座っててください」
「……なぁカズマ。この街、最高じゃないか。住民のほぼ全員から蔑みの視線を浴びるなど、アクセルでは経験できない贅沢だぞ……!」
「お前はいつでもどこでもたくましいな……」
「なあ、ここに住まないか?」
「住まないよ? それよりお前はそのエリス教のペンダントをしまえよ」
「断る」
俺が疲れ果てていくのに反比例するように、ダクネスの肌はつやつやになっていく。
観光してまだ一日もたっていないのに帰りたい気分だ。
そう思いながら足早に喫茶店から出る。
小走りで向かう先はアクシズ教の教会本部。
アクアを回収して防御壁にする算段だ。
アクシズ教の仲間がいれば変な勧誘をされなくて済む。
最初は旅館に直行しようと思ったが、現在地的に教会がすぐ近くにあると気づいた俺は天才だ。
そう思いながら俺は教会の扉を開けた。
「……いいですか。エリスの胸はパッド入り。もし貴方が惑わされるようなことがあれば、この言葉を唱えなさい。同じ悩みを抱えている方に説くのも、また善い行いです……」
「アクシズ教徒はやればできる。できる子たちなのだから、うまく行かなくてもそれはあなたのせいじゃない。上手くいかないのは世間が悪い」
……懺悔室から、とんでもない邪説が漏れ聞こえてくる。
しかも聞きなじみがある声で。
「あいつは自分の信者に何教え込んでるんだ……」
俺が遠い目をしていると、教会の隅でゆんゆんが一人の恰幅のいい男と話しているのが見えた。
俺が気付くのと同時にゆんゆんも気づいたようで、俺たちの方に手を振――ろうとして、視線を去らせた。
「ゆんゆん、お前こんなところで何してんだ?」
「わ、私はゆんゆんじゃあないですよ? 私は、ええっと……かれん……そ、そうです、私はカレンっていいます。ゆんゆんなんておかしな名前の子は知りませんよ?」
「カズマ、ゆんゆんがおかしくなってしまったぞ!?」
どれだけ他人のふりをしたいんだ……自分の名前をおかしいとか言い出すし。
あまりにも無理がある偽名と、現実逃避全開の虚ろな目に、ダクネスが悲鳴に近い声を上げる。
「いや、おかしいのは元からだろ」
「誰が元からおかしい子ですか!!」
「…………確かに、言われてみればカズマの言う通りか。ゆんゆんはよく一人で奇行をしてるし今更か」
「しかしかわいそうに。アクシズ教のせいでただでさえおかしな子がさらにおかしく……」
顎に手を当てて、真面目な顔で頷くダクネス。
ゆんゆんは顔を真っ赤にし、プルプルと震えながらダクネスの方を向いた。
「いつの間に見られて……!? ……ね、ねえクルセイダーのお姉さん? 念のために聞くんだけどその話っていつの――」
「いつと言われても……強いていえば毎日だろうか」
「ぐふぅ……ッ! ま、毎日!?」
「ああ、『ねえねえ私、今日はめぐみんと一緒に爆裂散歩に行くんだけどどういう服にしたらいいと思う?』『そうねぇ……このフリルがついた服なんてどうかしら?』みたいな感じで自分と会話しているのを――」
「そ、そんなことをする人だとは思ってませんでしたよダクネスさん! コソコソと隠れて私の部屋をのぞくなんて……見損ないました!!」
「いや、私とゆんゆんの部屋は隣同士だし、よく壁から聞こえてくるというか……我が家の壁は薄いからな」
「!?!?!?」
自分のプライベートが筒抜けだったことを知って魂が口から抜けかけてやがる。
しかし、俺もまた、魂が口から抜けかけていた。
「あ、あのぅ、ダクネスさん?」
「どうしたカズマ」
「もしかしなくても俺の部屋からも変な音が聞こえてたり……」
「変な音? いいや、カズマの部屋を通るときに変な物音は聞こえてこないな」
「そ、そっか! うん、いや、それならよかった! 幽霊とか居たからな、うん、少し心配だったんだよ」
「そうだったのか。小心者のカズマらしいといえばらしい心配だな」
「誰が小心者だ。……まあ、でも本当によかった。切実に」
俺は冷や汗を拭いながら、力なく笑った。
どうやら俺の尊厳は、首の皮一枚で繋がっていたらしい。
心臓の鼓動が激しいのを必死に抑えながら、俺は話題を強引に引き戻した。
「なあダクネス。もしよければゆんゆんのそういうエピソードをもう少し詳しく――」
「ごめんなさい、他人のふりしたのは謝りますから意地悪するのやめてください!!」
「やっと正体を現したか。……それで? 何をしてんだよ?」
見られたくないものを見られてしまったような、気まずそうな表情な顔をしているゆんゆん。
その隣に男は神官服を纏い、一見すると徳の高そうな顔をしているが……。
「ああ、なるほど。いわゆるパパかt――」
「そうです」
「違います!! 断じて違います! この方はゼスタさんっていって、アクシズ教の最高司祭で……めぐみんやねりまきの昔から知り合いなんです!」
「今さらっと自分のことを知り合いから除外してたが、もしかして二人は初対面なのか?」
「違います」
「違います!!」
「ですよねゆんゆんさん。いやぁ、私とゆんゆんさんの濃密な絆を否定されたのかと思って一抹の寂しさを覚えましたが、それはいらぬ心配だったようですね」
「違います、カズマさんの言葉を否定したんじゃなくて、ゼスタさんの言葉を否定したんです!」
「なんと! ではゆんゆんさんが私のことを牢屋に閉じ込め、私のことを踏んで、私のことをお兄ちゃんと呼んでくれたあの甘美な時間はただの遊びだったとでも言うのですか!?」
「「!?」」
「そ、それは、ゼスタさんのせいで――」
「「!?!?」」
俺とダクネスの頭の上に、同時に巨大なクエスチョンマークが浮かび上がった。
最高司祭を牢屋に閉じ込めて踏みつけ、挙句の果てに「お兄ちゃん」呼ばわり。
「ゆ、ゆんゆん! 私の知らない間にどんな高度なプレイを習得していたんだ! 是非それを私にも!」
「ゆんゆん、それはちょっと俺でもドン引きだわ……今度からゆんゆんさんって呼ぶことにするわ」
「ち、違いますよダクネスさんにカズマさんも!! 何か変な勘違いをしてると思うんですけど、これには複雑な経緯があって――」
「……恥ずかしがり屋ですねゆんゆんさんは。でもそんないけずなあなたでも私は深く愛せる自信がありますよ?」
「ちょっとゼスタさんは黙っててください!」
ゆんゆんは「こんな人と知り合いになりたくなかったんですけどね」と露骨に視線を逸らした。
ゼスタはやれやれといった様子で肩をすくめ、ゆんゆんの焦る姿をじっくりと観察している。
その姿は、徳の高い神官というよりは、獲物をじわじわ追い詰める粘着質なストーカーに近い。
「わかってますとも、ゆんゆんさん。貴女は年頃でシャイなだけなのでしょう? いわゆるツンデレの照れ隠しと同じです。私の性癖とは少しばかり異なりますが、それを楽しむのもまた乙なもの。私を蔑むその冷たい瞳……ご褒美ですな!」
「違います。本気で気持ち悪いと思ってるだけです」
「おおっ! もっと言ってください!」
ゆんゆんはげんなりした様子で俺に耳打ちした。
「……お世話になっちゃったので、お礼参りしたいと思って来たんですけど……。セクハラされるし、蔑んでも喜ぶだけだし。やっぱり、めぐみん的な意味での『物理的なお礼参り』をすべきだった気がします……」
その声は小さく、ひどく疲れ切っており、どれだけ苦労したかを物語っていた。
俺は同情を禁じ得ず、ゆんゆんの肩をそっと叩いた。
その時だった。
――ドォォォォン!!
遠くから、空気を震わせるような激しい振動と共に、聞き慣れた爆裂魔法の轟音が響いた。
タイミングからして、宿に残っていためぐみんがウォルバクさんを連れて撃ちに行ったのだろう。
「おや、爆裂魔法ですか。……めぐみんさんの仕業でしょうか。どう思いますかゆんゆんさん」
「ええ、まあ、きっとそうだと思います」
「やはり! いえ、しかしながら最近、温泉の質が少しおかしいのです。以前、温泉の湯に『ところてんスライム』を混入させるという魔王軍の妨害工作もありましたからな。念のために調査へ行きましょう」
ゼスタは一瞬だけ、最高司祭らしい鋭い顔つきになった。
流れるような動作で周囲のプリーストたちに指示を出し、爆発の発生した場所へと足を運ぼうとするその対応の速さは、さっきの変態ぶりからは想像もつかない。
「……意外だな。あの変態、仕事はできるのか?」
「いえ……。あれ、たぶんめぐみんに『罰』という名のセクハラをしに行くだけですよ。『少女には触らないけれど、少女から触ってくれる分には犯罪じゃない!』とか言い張る人なので。今回もめぐみんに『お兄さん』とか言わせたり、気持ち悪がられたりして喜ぶのが目的かと……」
「……やっぱりこの街、一刻も早く出た方がいい気がしてきた」
俺とゆんゆんは死んだ魚のような目をしていた。
一刻も早くこの魔境から脱出しなければならぬと。
「よし、帰るか」
「そうか? ならカズマは先に帰っててくれ。私はゆんゆんともう少し観光して――」
「帰りましょう!」
「そ、そうか……少し残念だが、帰るならアクアを連れて帰らなければ。一人だと迷惑かけたり、迷子になったりして泣いてる様子が目に浮かぶ」
確かに変態エリス教徒の言うとおり。
しかし元々アクアを連れて帰るという目的でここに来たはずなんだ。
アクアを盾にすることでアクシズ教の勧誘をされないようにな。
そう思って懺悔室で働いている駄女神を呼び出そうとしたのだが――変態アクシズ教徒が。
「ああ、そうそう。あなた方のお仲間のアークプリーストをお借りしたいのですがよろしいでしょうか」
「えっ? いやでも、アイツは面倒くさがりだし、魔王軍の仕業かどうかの調査なんてて危険なことはしたくないと思うんだが――」
突然の言葉に思わず否定する。
だってアクアがいなきゃまたあのしつこくて悪質な宗教勧誘をされるに決まってる。
懺悔室の前でそんな会話をしているとアクアが飛び出してきた。
「今なんて言ったのかしら! 魔王軍の仕業ですって!?」
「ああ、出てきたのかアクア。今から宿に帰ろうと思うんだが――」
「何言ってるのカズマ、魔王組の仕業の可能性があるんでしょ!? 私の子たちの総本山で悪事をする輩はこの私の名にかけて許さないわ! という訳で行ってくるわね!」
「……えっ?」
そう言ってアクアはゼスタとともに教会から出て行った。
ただでさえ死んだ魚の目をしていた俺の目はさらに死んだ……億劫で地獄な帰り道を想像して。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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