アルカンレティアの朝。
さわやかな鳥のさえずりと共に訪れる。
窓の外からは水と温泉の街にふさわしい清々しい風が吹き込み、木漏れ日が優しく差し込んでいる。
何一つ不満のない朝だった。
「うう……頭が……割れる……」
「カズマさん、カズマさん……お願い、私にエールを……女神の私に誰か追いエールをかけて……」
「エールって酒のことかよ! あっやば、頭に響く……エールじゃなくてヒールをくれぇ……」
俺たちが泊まっているこの阿鼻叫喚な地獄絵図を除いて。
畳の上に散乱する大量の酒瓶、テーブルの上には大量の真っ赤なカニの殻。
まるで空き巣に入られたかのようだったが、これを作り出したのは酒を飲み明かして限界を超えた俺たちだった。
激しい頭痛と、胃袋をかき回されるような強烈な吐き気。
いわゆる、最悪の二日酔いである。
昨日の夜、俺たちは完全に理性を失っていた。
温泉の汚染調査、不審者の追跡、そんな面倒くさい任務は、目の前に積まれた「最上級の霜降り赤がにの食べ尽くしセット」と極上の美酒を前にした瞬間、俺たちの脳内から綺麗さっぱり消え去ったのだ。
めぐみんとウォルバクさんがいつ帰ってきたのかもわからない。
ただ昨夜、俺たちが何をしたかの結果だけがあった。
「お前……女神のくせに二日酔いになるなよ……マジでポンコツ女神……うっぷ」
「なによぉ、女神だって酔う時は酔うの。というか、昨日『まだまだいけるだろアクア!』って無理やり飲ませてきたのはカズマじゃない」
「記憶にございません」
布団の上で芋虫のように丸まりながら呻く俺とアクア。
そんな俺たちを、部屋の隅から絶対零度の視線で見下ろしている人物がいた。
「……本当に、あなたたちという人はいい大人なんですから自己管理位してくださいよ。よくもまあ、ここまで見事に自堕落を極められますね。感心すら覚えます」
「うるさい……正論を言うな……頭痛に響く……」
「そうよ……。それに、夜遊びしてるめぐみんには……言われたくないわ……」
「いや、7時には帰ってましたから。そのときにはすでにアクアたちはできあがっていたのでわからないでしょうけれど」
腕を組み、冷ややかな目でこちらを見下ろしているめぐみん。
めぐみんは昨晩、ウォルバクさんとの混浴から戻ってきた後、すっかり出来上がってバカ騒ぎしている俺たちを見て深い溜息をつき、早々に布団に入っていたらしい。
「どーせ、私のことを子供扱いしてシュワシュワは飲ませないのでしょう? だから私は早く寝たのです。どうして……どうしてゆんゆんには許可するくせに、どうしてなのですか」
「だって、めぐみんは……まだ成長期が来ていないじゃない。成長する、前に飲むと頭が……ぱぁになんのよ。……ね、ゆんゆん」
「う、うん。まあ、めぐみんの場合すでに爆裂魔法でぱぁになってる感じするけど。それに、実際シュワシュワはそこまでおいしいものじゃないし……なんか大人の味というか……」
「嫌みですか! 私より数ヶ月遅く生まれたくせにどうしてこんなに成長してるのですか! 毎日肩が凝ったとアピールして! その余計な脂肪を私によこすがいいですよ!」
「め、めぐみん! 痛いから! 痛いから胸を揉まないでぇ!!」
めぐみんとゆんゆんの声が二日酔いの頭に響く。
気持ち悪くてうずくまっておる俺たちを見て、めぐみんはため息をつく。
「そんな状態で大丈夫ですか、今日も温泉の調査をするのでしょう?」
「そう、だっけ……?」
「そうですよ。カズマもアクアも『明日から本気出す』とか『今はカニの浄化が最優先だ』とか訳の分からないことを喚きながら、ひたすら酒をあおっていたじゃないですか」
「どうするアクア。気持ち悪いし明日からにしないか……」
「そうね、そうしましょう……」
「……本当にあなたたちという人は」
布団をかぶり直す俺たちを見て、めぐみんが呆れかえっていたときだった。
バァンと、突然の激しい音とともに、部屋の襖が勢いよく開け放たれた。
「カ、カズマ! 大変だ!!」
そこにいたのは、ダクネスだった。
彼女は朝風呂に行っていたはずだが、その姿を見て俺の酔いは一瞬だけ吹き飛びかけた。
濡れた金髪から雫を滴らせ、豊かな胸の谷間も露わに、薄い浴衣をはだけさせたままの無防備すぎる姿で飛び込んできたのだ。
朝からなんて刺激的なんだと一瞬思ったが、ダクネスの表情はいつになく真剣で、どこか焦燥感を帯びていた。
「どうしたダクネス、朝からそんなはしたない格好で……。もしかして男湯と間違えて入って、誰かに見られでもしたのか? だったら俺にも後で詳しく――」
「違う、そうじゃない! カズマ、ここの温泉だ! 私たちが泊まっているこの宿の温泉までもが、汚染されているぞ!」
「……は?」
俺の頭痛が、別の意味でガンッと強くなった。
ダクネスは息を荒げながら、浴衣の胸元をぎゅっと握りしめる。
「朝一番の湯を楽しもうと浸かった瞬間、肌を刺すような微かな痛みが走ったのだ! それ自体は……くっ、なかなか悪くない刺激で、まるで見えない無数の小鬼に肌を責め立てられているような、背徳的で素晴らしい快感だったのだが……!」
「お前の性癖の話はどうでもいいが、それってつまりアクシズ教に対する嫌がらせが広がって……」
「ああ、どうやら、この宿のお湯だけでなく、アルカンレティア中の宿の温泉が、今朝になって一斉に酷い状態になっているらしい」
なんてことだ。
この温泉が汚染されたということは、つまり、ウォルバクさんの姿を混浴で拝めないってことじゃないか。
そう思っていると、布団を被っていたアクアはのそりと顔を出す。
「一斉に……? それって、どういうことよ」
「昨日アクアたちが浄化した温泉も、再び汚染されているということだ。しかも、その度合いは昨日よりも強い」
源泉がやられている。
その事実が意味するものは、この温泉街の壊滅だ。
アルカンレティアは温泉によって成り立っている街であり、アクシズ教の資金源でもある。
そこが潰れれば、この街は完全に終わる。
「……マジかよ。昨日あんなに苦労して、マルチ商法のおばちゃんから逃げ回りながら浄化したってのに……」
「苦労したのは私よカズマ! あんたはずっと女湯の暖簾の前で座ってただけじゃない!」
「す、座ってねえし!」
ギャーギャーと騒ぎ始めたアクアをよそに、めぐみんがふと顎に手を当て、何かを考え込むように視線を落とした。
その赤い瞳が、微かに揺れている。
「……やはり、そういうことですか」
「めぐみん? 何か心当たりでもあるのか?」
「カズマ。昨日、あなたが帳簿を調べて見つけたという、頻繁に温泉を出入りしている二人の不審人物。一人はお姉さんで、もう一人は知らない男だと言っていましたね?」
「あ、ああ。そうだけど……」
「昨日の夜、私がお姉さんと一緒にお風呂に入った時のことです。お姉さんに不審な人物や、温泉の汚染について心当たりがないか尋ねてみたのです」
めぐみんは、昨夜の露天風呂での出来事を語り始めた。
ウォルバクさんが露骨に動揺し、不自然に目を泳がせたこと。
そして、めぐみんを事件から遠ざけようとするような、不器用な優しさを見せたこと。
「あの態度は、何も知らない人間のそれでは決してありません。おそらくお姉さんは、その正体を知っています。いえ、それどころか、誰が温泉を汚染している犯人だと確信していて、一人でその後を追っているに違いありません」
「一人で……? そう言えばウォルバクさんは……?」
部屋を見渡すが、そこに姿はない。
ダクネスが慌てて風呂から出てきているのだ、この宿の風呂を利用してるならウォルバクさんも出てきているはずなんだが……
「お姉さんは温泉巡りに行くといって早朝から出かけましたよ。おそらく今日も犯人の跡を追ってるに違いないです」
「なんでそんなことするんだ。あの人が直接動かなくても、衛兵とかゼスタの奴らにでも言えば――」
「お姉さんは、とても優しくて、そして不器用な人なのです。おそらく、知り合いである私たちを危険に晒したくないのでしょう。不審な男の正体は、間違いなくお姉さんが知っています。そして、お姉さんは朝早くから宿を出ていきました……であれば、私たちが犯人にたどり着くには、お姉さんを追えばよいのです」
めぐみんの断言に、部屋中が静まり返った。
重い空気が漂う中――不意にアクアが布団を跳ね除けて立ち上がった。
二日酔いで青白い顔をしているくせに、その瞳だけは異様なまでに爛々と輝いている。
「めぐみん、素晴らしい推理だわ! こうしちゃいられないわ、めぐみん、あなたの力が必要よ! 犯人を見つけるのに協力してちょうだい!」
「ふふん、そうでしょうとも! 我が紅魔族の頭脳は世界一! 私の観察眼と推理力を以て犯人を突き止めて見せましょう!」
「ウィズ! どうせあんたも暇してるでしょ! ちょっと犯人探しを手伝いなさい!」
「ええっ!? あっ、あの、これから私はお風呂に入ろうかと思って……リッチーなので毒などは効きませんし……、それに、アクア様が浄化した温泉に入ると肌がヒリヒリするんですぅ! 後生です、許してくださいぃ!」
「つべこべ言わない! 私がアクセルからここまでの長旅で、荷台でガタガタ揺られて腰を痛めたのは、あんたが馬車の中で無駄に場所を取ってたせいもあるのよ! その分、しっかり働きなさいな!」
「そ、そんなぁ……!」
涙目になるウィズの腕を、アクアは強引に引っ張り上げた。
のんびりしていたウィズを無理矢理立たせると、アクアは俺の方を見てきた。
そして、俺の方にずいずいと近寄ってきた。
……なんだかやな予感がするんだが。
「ねえカズマ、あんたも――」
「行かない」
「なんでよぉお! というか、私の話を最後まで聞きなさいよ!」
「いや、どうせ一緒に犯人捜ししろってことだろ? 嫌だよ、二日酔いで気持ち悪いんだし」
「『ピュリフィケーション』! ほら、さっさと行くわよ!」
「嫌だよ」
「何でよ!」
「だって俺たちって湯治に来たんだろ? なのに何でそんな厄介ごとに首突っ込まなきゃなんだ」
「いい? アクシズ教の崇高なるご神体であるこの私と、その従者であるカズマが、私の可愛い信者たちの生活を脅かす犯人を許しておくわけがないのよ!」
「誰がお前の従者だ」
「それに、昨日の夜のカニの余韻を台無しにして、私の二日酔いを悪化させた罪は重いわ! 犯人を絶対に見つけ出して、神の鉄槌を下してやるのよ!」
……結局私怨じゃねえか。
というか、二日酔いはお前が飲みすぎただけだろ。
「とりあえず私はめぐみんの案内で犯人を捜すわ! カズマは教会本部に行って、状況を報告してきなさい!」
「えぇ……」
「さあ行くわよめぐみん、ウィズ! 不届き者をしばき上げるのよ!」
「ええ、望むところです! どんな敵だろうと、我が爆裂魔法で木っ端微塵にしてやりますよ!」
「あ、あの、ちょっと待ってください! 私は――ひぃっ!? アクア様、手を引っ張らないでください! 消えちゃう! アクア様の神力で私の腕が透けてきてますぅぅぅ!!」
ドタバタと騒々しい足音を立てて飛び出していった駄女神、中二病、そしてポンコツ店主。
残された俺は、開け放たれた襖を呆然と見つめていた。
静寂が戻った部屋に、朝の爽やかな風が吹き込んでくる。
「はぁ……」
俺は深々と、今日一番の特大の溜息を吐き出した。
ズキズキと痛む頭を押さえながら、再び布団に潜り込もうとする。
「カズマ、何をしているのだ、我々も急いで後を追わなければ!」
「嫌だってば、絶対行かない。俺は湯治に来ただけなんだぞ? なんで二日酔いの頭痛を抱えながら、探偵ごっこしてヤバい事件に首を突っ込まなきゃならないんだ」
「しかし、アルカンレティアの危機だぞ!」
「知るか。この街の連中は、俺に無理やり石鹸や洗剤を食わせようとした狂人の集まりだぞ。滅べばいいんだそんな街」
俺は布団を頭まで被り、完全な引きこもりモードに入った。
俺は間違っていない。
命あっての冒険だ、安全第一、平穏無事が重要なのだ。
この事件に関われば、ろくなことにならないのは火を見るより明らかである。
「そんな現実逃避してる場合じゃないですよ! ウィズさんはともかく、アクアさんとめぐみんの尾行なんて、気づかれて絶対に失敗します! というか、気付かれた瞬間にめぐみんが街中で爆裂魔法を撃つか、アクアさんが魔法をぶっ放してアルカンレティアの街ごと更地にしかねません!」
ゆんゆんの言葉に、俺の背筋に冷たい汗が伝った。
確かに、あの三人の組み合わせは最悪だ。
ウィズは常識人であるが、アクアたちのブレーキ役とはなり得ない。
アクアは後先考えずに突っ走るし、めぐみんは爆裂魔法で解決すればいいという短絡的な思考回路の持ち主だ。
最悪、損害賠償やら何やらで多額の負債を背負わされる未来が見える。
「カズマ、ゆんゆんの言う通りだ。あの三人を野放しにすれば、温泉の汚染どころかこの街が消滅する危険がある。……それに、犯人の正体もわからない今、あの三人だけに任せるのは不安だ」
俺は布団の中で葛藤した。
行きたくない。
絶対に面倒なことに巻き込まれる。
だが――。
「……っあーーーもう! わかったよ! 行けばいいんだろ行けば!」
俺は布団を蹴り飛ばし、やけくそ気味に立ち上がった。
二日酔いの頭痛が止んだ代わりに、別の頭痛がしてきた。
「よし、では急いで出発するぞカズマ!」
「私もお手伝いします! ……あ、あの、私も一緒に行っていいですよね? 一人でお留守番は寂しいですし……」
俺は痛むこめかみを指で揉みほぐしながら、覚悟を決めた。
あの駄女神・中二病・ポンコツ店主の三人組……絶対に何かやらかすに決まってる。
俺たちが『尾行組の尾行』をして、最悪の事態だけは回避するぞ!
そう意気込んで、俺の安らかな湯治旅行は完全に終わりを告げた。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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第6章(現在の章)
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第7章
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第8章
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リメイクしてテンポよく進める