アルカンレティアの街並みを、俺たちはこそこそと身を隠しながら進んでいた。
前を歩くのは、駄女神アクア、中二病のめぐみん、そしてポンコツ店主のウィズの三人組。
そして彼女たちが尾行しているのは、豊満なプロポーションを持て余すように歩く、謎多き美女――ウォルバクさんである。
「めぐみんめぐみん!」
「シッ。何ですかアクア。お姉さんに気づかれますよ、静かにしてください」
「あのね、あそこのアルカン饅頭を買ってきてもいいかしら。実はここに来てからまだ一回も食べたことがないの」
「……本当はあんパンがいいと思いますが、まあいいでしょう。尾行や張り込みには携帯食料が必須ですからね」
「あのぉ、私たち温泉を満喫してるだけでは……? 浴衣で温泉街を巡って、おいしいフルーツ牛乳まで飲んで……。これって本当に尾行調査してるんですか?」
「ウィズ。これはカモフラージュというやつなのですよ。街に溶け込むにはその街に合わせた都市迷彩が必須なのです。アルカンレティアではこのスタイルが一番というだけなのですよ」
「な、なるほど」
そんな会話がウォルバクさんの後方で繰り広げられている。
騒がしいし一瞬でばれると思いきや、予想に反してアクアたちの尾行は意外と順調だ。
というか、ウォルバクさんが全く警戒していないのだ。
ウォルバクさんの目立つ容姿もあって、道行く人に「すっごいスタイルの良いお姉さん見ませんでした?」とめぐみんが訪ねるだけで、簡単に足取りがつかめてしまった。
だが、順調なのは見失わないという点だけだった。
――アクアたちの後方に、怪しい影が三つ。
「な、なあ。その、そろそろアクアたちに合流しないか? 先ほどからずっと三人の後ろをつけ回ってるが……」
「いいか、俺たちの役目はあのトラブルメーカーがやらかさないかを見張ることだ」
そう、俺たちである。
アクアたちの後ろの物陰に、俺の潜伏スキルを使用しながら、ダクネスとゆんゆんと隠れていた。
尾行組の尾行をしているという、気づかれれば完全に不審者の大行列だろう。
「しかしどうして隠れてる必要があるのだ?」
「大人数で行動したらそれだけ騒がしくなるだろ? 俺とゆんゆんを見習えよ。特にゆんゆんを見ろ、かつて本職だったストーカーみたいに息を殺してるぞ」
「や、やめてください! 昔も今もストーカーじゃないですから!」
「でもめぐみんが『毎日私の後をこそこそつけ回してた』って言ってたが」
「め、めぐみんのバカぁ!」
「バカ、気づかれるだろ! 殴りに行きたい気持ちはわかるが静かにしとけ!」
ゆんゆんの口に饅頭を詰め込みながら、自分もフルーツ牛乳を頬張る。
ダクネスは「これ、息を殺して潜んでいるのか……?」と言わんばかりの目を向けてきたが、あくまで俺たちの目的は湯治。
トラブルメーカーを見張ることは本命じゃないのだ。
不満げなダクネスの口に饅頭を詰め込んで黙らせていると、アクアの方で動きがあった。
「ねえ、めぐみん。あのお姉さん、さっきから普通に温泉巡りして、途中で温泉卵食べて、お土産屋さんの木彫りの置物を眺めてるだけなんですけど……? 本当に犯人の正体を知ってるの?」
「焦らないでください。きっと裏があるはずです。あんなに堂々と観光を満喫しているフリをして、油断を誘っているのに違いありません!」
アクアは物陰から顔を出して不満げに文句を垂れるが、めぐみんが探偵気取りでビシッと指を差す。
しかし、どう見てもウォルバクさんは純粋にアルカンレティアの湯治を楽しんでいるようにしか見えない。
犯人と密会するようなそぶりは一切なく、ただただのんびりとした休日のお姉さんである。
後ろで尾行している俺たちも、だんだん馬鹿らしくなってきた。
「カズマさん……私たち、ただのストーカーみたいになってませんか……? アクアさんたちも……誰かに見られたら、衛兵さんに通報されちゃいますよ」
「大丈夫だ、どうせ俺たちもただの観光客だと思われてるだろうし、もし捕まりそうになったらテレポートでも使って逃げればいい。前を歩いてる三人が捕まっても、俺たちは赤の他人のフリをしてダッシュで逃げる手はずになってる」
「そんな薄情な!?」
そんな茶番を繰り広げながら数件目の温泉を巡った頃。
ウォルバクさんが、街の外れにある人気のない秘湯、それも『混浴』の暖簾をくぐっていくのが見えた。
それを見たアクアたちは、慌てて隣にある『女湯』の暖簾へと飛び込んでいった。
「尾行なら一緒の混浴に入ればいいだろうに……」
「きっと、尾行してるから姿を見られないようにあえて隣の方にいったんですよ。天井はつながってるから耳を澄ませば声は聞こえるでしょうし」
いや、絶対恥ずかしがってるだけだろ。
俺は茂みに隠れながら呆れながら、その秘湯の裏手にある竹垣の隙間に身を潜めた。
ここなら、女湯にいるアクアたちの声も、隣の混浴の声も、どちらもかすかに聞き取ることができる。
「ねえめぐみん、やっぱりあのお姉さん、ただ温泉に入りに来ただけじゃない! もういいわ、私が直接行って締め上げて……」
女湯から、アクアの痺れを切らしたような声が聞こえてきた。
めぐみんの推理もこれまでか、と思ったその時だった。
静かな混浴の露天風呂に、ヒタヒタと足音が響いてきた。
それはウォルバクさんのものではない。
「はぁ…………」
「湯船に入ったら? 気持ちいいわよ?」
「……俺が入ったら大変なことになるだろうが」
それはウォルバクと、一度だけ聞き覚えのある男の声だ。
竹垣の隙間からそっと覗き込もうとするが、中の様子はあまり見えない。
湯に浸かっているウォルバクさんに向かって、男は低く濁った声を掛けた。
「忌々しいこの教団もこれで終わりだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
ドンピシャだ。こいつが、温泉を汚染している犯人だ。
めぐみんの推理は見事に的中していたのだ。
俺の心臓が騒がしくなっているのを感じる。
しかしウォルバクさんは声色一つ変えずその男に返事をする。
「いろいろ大変みたいね、ハンス。どこまで進んだのかしら」
「ああ……後は泉源だけだ。まったく、人が下手に出ていれば……やれ入信だ、やれ勧誘だ、なんだかんだなんだかんだ言いやがって、くそ……」
「あ、あなたはずいぶん疲れてるみたいね?」
「……ここは魔境だよ」
ハンスという男の口から出たその言葉には、底知れぬ疲労と、深い絶望が滲み出ていた。
背負った業の深さというか、精神をガリガリと削り取られた者の魂の叫び。
竹垣の裏にいる俺は、思わず深く頷いてしまった。
アクシズ教徒による、あの笑顔での執拗な石鹸勧誘。
洗剤の押し売り。
「お兄さん、ちょっとお時間いいですか?」からの逃げ場のない包囲網。
あいつらは昼夜お構いなしに、精神的ダメージを与えてくるのだ。
ここはそんな集団の総本山。
魔王ですらトラウマを抱えて逃げ出すほどの、正真正銘の魔境なのだ。
「そんなことより、お前の方、本当の目的はどうなんだ。やるのか」
ハンスが声を一段低くして、核心を突くように尋ねた。
……ウォルバクさんの目的?
そんな疑問とともに、竹垣の向こうの空気がピリッと張り詰める。
「……いいえ、もう目的は果たしたわ」
「手を出さないってか、穏便派のお前らしい。……もし俺にやらせてくれるんなら」
「ハンス」
ハンスが殺気を滲ませ、指の関節を鳴らしたその瞬間。
たった一言、ウォルバクさんが名前を呼んだだけだった。
しかし、その声には、周囲の温泉の温度が一気に下がるかのような、静かで圧倒的な怒気が込められていた。
竹垣の外にいる俺でさえ、背筋が凍りつくような強烈なプレッシャー。
ハンスの殺気が、一瞬にして霧散したのがわかった。
「……そう怒るなよ、お前の手柄は奪わない。出しゃばりすぎたな」
「わかってくれたならいいわ。じゃあ、私は先に上がるわね」
ウォルバクさんはそう言い残すと、温泉から立ち去っていった。
そこまで来て、緊張で動けないでいた俺の体はようやく元に戻る。
これ以上身を潜めている意味はない。
俺たちは急いで竹垣の裏から飛び出し、温泉の出入り口へと先回りした。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「あら、あなたたちは……」
出入り口から出てきたウォルバクさんの前に、俺たちより先に勢いよくアクアが立ち塞がった。
めぐみんとウィズもその後ろに控えている。
「奇遇ね、こんなところで。どうしたの、そんなに慌てて」
「とぼけないでちょうだい! さっきの男との会話、全部聞いてたわよ! ハンスとかいう男が温泉の毒の犯人なんでしょ! どこに行ったのよ!」
アクアがズイズイとウォルバクさんに詰め寄る。
ウォルバクさんは一瞬だけ困ったように眉をひそめたが、すぐに微笑んだ――かなりぎこちなかったが。
「え、えっと、な、何のことかしら? 私はただ、一人でゆっくりお湯を楽しんでいただで……」
「嘘おっしゃい! あんた、どうしてあの男のことを隠そうとするのかしら。もしかして、あの男の仲間なの? ……こうなったら力尽くでも吐かせ――」
「あ、あの、アクア様」
ウィズが慌ててアクアの腕を掴んだ。
彼女は自分の頭をポンポンと叩きながら、何かを必死に思い出そうとしている。
「ハンス……ハンスさん……。どこかで、ものすごく聞き覚えがある名前なんです。えっと、たしか一緒にお昼を……じゃなくて、うーん、借金取り……?」
「ええい、もどかしいわね! 古い機械は叩けば直るものよ! こうなったらたっぷり神の裁きを……っ!」
「やめろ馬鹿野郎!!」
「あだぁっ!?」
俺は茂みから飛び出すなり、アクアの脳天に渾身の鉄拳を振り下ろした。
「カ、カズマ!? なんであんたがここにいるのよ! 痛いじゃない!」
「痛いじゃない、じゃねえよ! ウィズもウォルバクさんも犯人じゃないんだぞ! 何でも殴って解決しようとすんな!」
「そ、そうよ! ハンスとかいう男、まだ遠くには行っていないはず! 早く犯人を捕まえてしばきあげるわよ!」
俺がそう怒鳴ると、アクアは頭のコブをさすりながら、ハッとしたように顔を上げた。
さっきまでの痛みを完全に忘れ、アクアは意気揚々と温泉施設の表通りへと飛び出していった。
――しかし。
「――いたぞ!! あの青い髪の女だ!!」
「いたずらで温泉の効能を消してる魔王軍の手先だ!! 捕まえろ!!」
「「……え゛!?」」
表通りに出た瞬間、地響きのような怒号が響き渡った。
そんな声に、俺とアクアは思わず声を出してしまった。
めぐみんとダクネスは俺たちの前に出て杖で牽制をする。
「いきなり何ですかあなたたちは!」
「お前が勝手に温泉をただのお湯に変えたせいで、客がみんな帰っちまったんだよ! この悪魔め!」
「私の仲間のことを悪魔だの魔王の手先だのと……何かの間違えではないだろうか」
「引っ込んでろ邪教徒め!!」
「!?」
見れば、松明や鍬、そして石鹸の束を手にしたアクシズ教徒の住人たちが、数十人規模で待ち構えていたのだ。
彼らの目は完全に血走っており、異端審問にかける気満々の狂気に満ちていた。
そんな中、俺は温泉から出てきた一人の男性を見つけた。
めぐみんと一緒に爆裂散歩をしたときに見かけた、特徴のある声の男性だ。
「ちょっと待て! あの人だ! 温泉を汚染してるやつは!」
「でかしたわカズマ! 皆さん、あの人が犯人です! この街の温泉を汚染してる真犯人は! 私たちは汚染された温泉を浄化してただけで――」
「アクシズ教の資金源を断つ者は、魔王軍と同罪だ! やっちまえー!!」
……ああ、終わった、誰も話を聞きやしない。
先入観に捕らわれてるアクシズ教には何を言っても無駄だろう。
俺はこれ以上面倒ごとに巻き込まれないように、潜伏スキルを発動して物陰に隠れようとして――
「か、カズマ助けてぇぇぇ!!」
「お、おま、ひっつくな! こっそり逃げようとしてたのにこっち来んなよ、俺までお前の仲間認定されちまうだろうが!」
「あっちの男も見え覚えあるぞ! あの女の仲間だ! 吊せぇー!!」
「ほらいわんこっちゃない! どうしてくれるんだアクア!」
「薄情なカズマが悪いのよ!! 早く、早く教会本部に行って誤解を解いてもらわなきゃ!」
俺たちは半泣きになりながら、猛烈なスピードで逃走を開始した。
俺たちも巻き込まれて石を投げられ、たまらず全力ダッシュでその後を追うハメになった。
這々の体で俺たちが逃げ込んだ先は、アクシズ教の最高教会だった。
重厚な扉を閉め、ぜぇぜぇと息をつく。
「おや、これはカズマ殿にアクア様。随分と賑やかな朝の散歩ですね」
「ゼスタ、さん……」
「……ふうむ、淑女の汗ばんだ浴衣姿、そしてその息遣い。素晴らしい、ええ、実に素晴らしいです。できればその汗を拭った手拭いを、後で私に高値で売っていただけないでしょうか?」
教会の奥から現れたのは、アクシズ教の最高責任者であるゼスタだった。
大変な状況だってことくらい見ればわかるだろうに、変態的な発言を淀みなく滑り込ませてくるブレなさには、ある意味敬意すら覚える。
「手拭いくらい後でいくらでもくれてやるから! ゼスタさん、外の連中をどうにかしてくれ!」
「おや、すみません。どうやら私から街中の信徒への周知が不足していたようで。申し訳ありません」
「ちょっと待ってください、私の手ぬぐいはあげませんからね!? それを使って一体何をするつもりなのか!」
「それより!」
「それよりとは何ですか!」
「温泉を汚染している真犯人がわかった! ハンスっていう男だ! それから次の目的は泉源の汚染だ!」
めぐみんが俺の肩を揺さぶる中、ゼスタの表情がスッと引き締まった。
先程までの変態的な笑みが消え、教団のトップとしての鋭い眼光が宿る。
「……なるほど。源泉を狙う不届き者の正体が割れましたか。教団の存亡に関わる重大な事態です。我らアクシズ教徒、売られた喧嘩と洗剤は必ず買い取らせる主義。……信徒たちを招集し、そのハンスとやらを血祭りにあげましょう。ちょうどよく、あなた方がここまで信者たちを引き連れてきてくれたようですしね」
ゼスタはそう宣言すると、教会の扉を開け放った。
「カズマ殿、泉源は教会本部の裏手にあります。私は信者たちを説得してから向かいますので、先に向かって犯行を阻止していただきたい」
「わ、わかった!」
俺たちはゼスタと狂信者の群れに街の混乱を任せ、アルカンレティアの最奥、源泉が湧き出る巨大な施設へと向かって走り出した。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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