教会の裏手から続く、アルカンレティアの最奥。
もうもうと立ち込める湯けむりと、鼻を突く硫黄の匂いの中を、俺たちは源泉に向かって全力で走っていた。
「はぁっ、はぁっ……っくそ、なんで湯治に来てまでこんな目に……!」
「しょうがないでしょ! 私の可愛い信者たちのピンチなんだから!」
走りながら、俺は内心で盛大に悪態をついていた。
正直なところ、こんな面倒くさい事件など放り出して、今すぐアクセルに帰りたい。
魔王軍の幹部がどうとか、温泉の毒がどうとか、俺の知ったことではないのだ。
そう思っていたのだが、走りながらふと今の戦力を頭の中で計算して、俺はある重大な事実に気がついた。
(……待て? 今の俺たちのパーティー、控えめに言って最強なんじゃないか?)
普段の俺たちのパーティーといえば、メイン火力のはずのめぐみんは一日一発のネタ魔法使いだし、要のタンクであるダクネスは攻撃が一切当たらないくせに勝手に敵陣のど真ん中へ突っ込んでいくド変態だ。
回復役のアクアは幸運値が最悪で、常に自らトラブルを引き寄せているときた。
まともなのは俺とゆんゆんくらいで、いつもギリギリの綱渡り、一歩間違えれば全滅必須のクソゲー難易度の戦いを強いられていた。
だがしかし、今回は違う。
ウィズとウォルバクさんがいるのだ。
ポンコツで万年金欠の駄目店主とはいえ、ウィズのその正体はアンデッドの最高位であるリッチー。
そしてウォルバクさんに至っては、めぐみんにあの頭のおかしい爆裂魔法を教えたこと以外に欠点が見当たらない。
――懸念があるとすれば、ウォルバクさんの行動には不可解な点が多いことだが、めぐみんの師匠という肩書きがある以上、ある程度は信用に足る存在といえるだろう。
この二人が味方にいる。
女性を盾にして後ろに隠れるようなマネは男として気が引けるが……いや、背に腹は代えられない。
もし戦闘になっても負ける要素は微塵もない。
どんな状況でも勝てる。
どう考えても負ける要素がない。
ここで温泉の危機を救って、ゼスタから報奨金をたんまり受け取り、アクセルの街に帰った暁にはギルドの連中に英雄譚として見せびらかしてやるのも悪くない。
「いやー、魔王軍の幹部? 俺の指揮でサクッと倒しちゃったわー」と自慢しながら、美味しい酒と高級カニを毎晩貪り食う毎日が俺を待っている!
そんな素晴らしい妄想を夢見ていた俺だったが――現実はそう甘くなかった。
「ちょっと、あれを見てちょうだい!」
源泉へと続く巨大な門の前。
そこを指差すアクアの声で、俺は現実に引き戻された。
見れば、頑丈な鉄格子が下ろされた門の前を、門番が塞いでいたのだ。
俺たちが近づくと、隊長らしき男が槍を突き出して鋭く制止してきた。
「止まれ! ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ!」
「頼む、通してくれ! さっき源泉の方に行ったやつがいなかったか! そいつが犯人の可能性が高いんだ!」
「先ほど温泉の管理者は通ったが、不審なものはいなかった。それに、温泉の管理者殿から『今日は施設の点検があるから誰も通すな』と厳命されている。引き返してもらおうか」
「融通が利かないわね! いいこと、よく聞きなさい!」
俺が説得に失敗するや否や、アクアがふんぞり返って兵士たちの前に進み出た。
そして、これ見よがしに懐から自分の冒険者カードを取り出すと、門番の目の前にビシッと突きつけた。
「私はアクア! このアクシズ教の由緒正しきアークプリーストよ! 街の危機を救うために来たんだから、大人しく道を開けなさい! さもないと、あなたたちに神罰与えるわよ――具体的には、毎朝飲む水がすべて生ぬるい白湯になるわ!」
「なんだその微妙に嫌な神罰は……。というか、アクシズ教のアークプリーストだと?」
「えっ……ちょ、ちょっと? なんで武器構えてるのよ? 同じアクシズ教の仲間でしょう?」
「俺たちはアクシズ教ではない! 日々街の治安を守っている俺たちに、毎日毎日洗剤いかがですかって布教してくるお前らアクシズ教徒にはウンザリしてるんだよ!」
「な……っ!?」
半泣きになって俺の背中に隠れる駄女神。
時間が惜しいのにどうすれば……
力ずくで突破するわけにもいかないし……
俺が頭を抱えた、その時だった。
「……退いてくれないだろうか」
静かな、しかし有無を言わせぬ凛とした声。
ダクネスだった。
彼女は兵士たちの前に歩み出ると、懐から一つのペンダントを取り出した。
「なっ、その紋章、まさか……!」
「私はダスティネス家の者、ダスティネス・フォード・ララティーナという。この先に街を脅かす真の元凶が潜んでいると思われる。どうか、我々を通してはくれないだろうか」
普段のドMな変態騎士としての姿からは想像もつかない、威厳に満ちた貴族令嬢としての振る舞い。
その紋章の持つ圧倒的な権力を前に、兵士たちは顔を青ざめさせ、慌てて槍を引き、一斉に最敬礼の姿勢をとった。
「だ、ダスティネス家の方とは知らず、大変失礼いたしました! おい、すぐに門を開けろ!」
「は、はいっ!」
重い音を立てて、鉄格子の門が開かれていく。
俺たちは呆然とダクネスを見つめた。
「ダクネス……お前、たまには役に立つんだな」
「たまにとか言うな! 本来、貴族としての権力を笠に着るなど、騎士としてあるまじき恥ずべき行為なのだが、そうも言ってられないからな」
門を通過して、しばらく進む。
すると、巨大な泉のほとりに立つ男の背中を、先頭を歩いていたダクネスが見つけた。
「何者だ! そこで何をしている!」
ダクネスが大剣を構え、凛とした声をあげる。
その声に、男の肩がピクリと反応し、ゆっくりとこちらを振り返る。
その顔には、先ほどの温泉街で見せたような疲労感に満ちた表情は見事なまでに隠され、愛想の良い胡散臭い笑みが貼り付けられていた。
「おや……これは観光客の方ですか? 残念ながらここは立ち入り禁止ですよ。私はこの温泉施設の管理者でしてね。お湯の調子が悪いというので、源泉のパイプを点検していたところ――」
「あっ! ハンスさん! ハンスさんじゃないですか! お久しぶりです〜!」
空気を全く読まない、間延びした声が洞窟内にこだました。
その瞬間、ハンスの顔から愛想の良い笑みがスッと消え去った。
声の主は、俺の後ろからひょこりと顔を出したウィズだった。彼女は嬉しそうにぶんぶんと手を振っている。
「……チッ」
ハンスは小さく舌打ちをすると、完全にウィズを無視し、足早にその場を立ち去ろうとした。
しかし、ウィズのドタバタとした足の速さは予想以上だった。
あっという間に回り込まれ、ハンスは行く手を塞がれてしまう。
「ああっ、ちょっと待ってください! どこへ行くんですか!」
「いやぁ、た、たぶん人違いです。さて、私は仕事が山積みでして……」
「私ですよ私! ハンスさんと同じ魔王軍で、幹部をしてるウィズですよ! もしかして忘れちゃいましたか!?」
ピタリと空気が、文字通り完全に停止した。
「……あの……ウィズ?」
「どうかしましたか、カズマさん?」
「ウィズって……魔王軍の幹部、なのか?」
「あれ、言っていませんでしたっけ? 私、こう見えて魔王軍の幹部をやらせてもらってるんですよ」
てへっ、と照れ笑いを浮かべるウィズ。
俺とゆんゆんは、あんぐりと口を開けたまま硬直した。
いや、ウィズがアンデッドの王であるリッチーなのは知っていた。
知っていたが、魔王軍の幹部……!?
いつも温厚で、あの貧乏でポンコツな魔道具店の店主が!?
衝撃の事実に俺の脳の処理が完全に追いつかない中、ただ一人、即座に反応した者がいた。
「やっぱりアンデッドは浄化あるのみね!! 『ターンアンデッド』!!」
「きゃああああああああっ!?」
神聖な青い光がウィズの体に直撃すると、シュウシュウと音を立てて透け始めた。
アクアは真の敵であるはずのハンスには目もくれず、魔王軍幹部という単語に反応して、躊躇いなくウィズに浄化魔法を放ったのだ。
「ちょっとアクア様!? なんで私に撃つんですかぁぁぁ! 体が、体が消えちゃいますぅぅ!」
「アンデッドで魔王軍幹部なんて、百害あって一利なしの粗大ゴミよ! ここで私が世界の平和のために綺麗さっぱり消し去ってあげるんだから、大人しく成仏しなさい!」
「ひぃい! 違うんです! 私、幹部といっても名ばかりなんです! かつて魔王城に一人で乗り込んだことがありまして、その時に魔王さんから『魔王軍に敵対しない代わりに、魔王軍も城の維持結界の仕事以外はさせない。戦いに無関係の民間人を巻き込まない』って、ちゃんと約束してもらってて――」
「問答無用! アンデッドの言うことなんて信じられるもんですか! 観念して成仏なさ――いたっ!? ちょっと、何するのよ!」
「こっちの台詞だ馬鹿女神! 敵はそっちの男だろうが! 味方を消滅させてどうする! ウィズの話を聞いただろ!」
俺は浄化を続けるアクアの脳天に、容赦なくチョップを叩き込んだ。
「痛いじゃない! でも幹部なのよ!? 討伐対象よ!?」
「今ウィズが消えたら、誰が向こうの幹部と戦うんだよ! お前一人で何とかできるのか!?」
「うっ……そ、それは……わかったわよ。ひとまずあの男を倒すまでは浄化はお預けにしてあげる」
ブーブーと不満を垂れるアクアからウィズを引き剥がしつつ、俺は内心でさらに戦慄していた。
魔王城に一人で乗り込んで、魔王に直接条件を飲ませた……!?
ウィズって本当にどんだけチートなんだ……!?
そんな俺たちの内輪揉めを冷ややかな目で見ていたハンスが、限界を迎えたようで、地を這うような低い声をだした。
「ウィズ……お前、どうして俺の邪魔ばかりするんだ。あと少しで、この忌々しい街の源泉を絶つ工作も終わりそうだったのに、お前のせいで計画が台無しになっちまったじゃねえか!」
「ええっ、何かお邪魔しちゃってたんですか!?」
「俺のことを魔王軍だって大声で暴露した上に、忌々しいアクシズ教のプリーストを連れてきやがっただろうが!」
「す、すみませんすみません!!」
「謝って済む問題じゃねえ! ……まあいい、どうせ泉源の工作はほとんど済んでる」
ハンスは嘲笑うように、口の端を歪めた。
……ほとんどの工作が済んでいる?
ここは教会の裏で、温泉の管理者がいたはずだ。
なのに、ここまで汚染が広がるまで、誰も気づかなかった……管理者がいたにも関わらず。
「お、おい、門番の人たちが、ここには温泉の管理者しか来ていないと言っていたが、温泉の管理者さんはどこへやったんだ!」
「食った」
「えっ……」
「俺はスライムだからな。捕食した人間の姿を完璧にコピーできる。我ながら諜報活動にはもってこいの能力だ」
その瞬間、周囲の空気が、凍りついた。
比喩ではない。
実際に、足元の岩盤からパキパキと霜が張り始め、吐く息が真っ白に染まったのだ。
「……『カースド・クリスタルプリズン』」
ウィズの顔から、いつものぽわぽわとした天然な表情が完全に消え失せていた。
前髪の奥から覗く瞳は、一切の感情を排したような、底知れぬ漆黒。
彼女の周囲の空気が歪むほどの、桁外れの魔力が渦を巻き始める。
足元から伸びた無数の巨大な氷柱が、ハンスの腕を飲み込んだ。
突然の強烈な冷気と殺気に、ハンスがたじろぐ。
「お、おい、ウィズ! どうして俺に魔法を向けた! まさか魔王軍を裏切ったのか!」
「……私が、魔王軍に手を出さない条件は、戦いに関係のない民間の人々に手を出さないことだったはずです」
「本気かウィズ! 早く魔法を解け! 俺らは同じ幹部だぞ!」
「冒険者さんや兵士の方々は、命のやりとりをして生計を立てているのです。彼らも自分が死ぬことを覚悟して戦っているはずです。だから、戦いの中で魔物に殺されてしまっても、それは仕方のないことです。……ですが――」
ウィズの周囲の温度が、さらに急激に低下していく。
氷点下を遥かに下回る絶対零度の冷気が、源泉の熱湯すらも凍りつかせていく。
「ですが、温泉の管理者さんは……何も関係ないじゃないですか!!」
それは、いつも穏やかでおっとりしているウィズにあるまじき、激しい怒りと哀しみに満ちた冷酷な声だった。
『氷の魔女』と呼ばれた彼女の真の恐ろしさが空間を震わせる。
追い詰められたハンスは、血走った目を俺たちの後方――ずっと黙って静観していたウォルバクさんへと向けた。
「くそっ! ウォルバク! 手伝え!」
「な、何を言ってるのかしら?」
「どういうことだ!」
突然名指しされたウォルバクさんが、ビクッと肩を震わせた。
「えっと、何を言っているかわからないのだけれど……」
「しらばっくれるな! どうして余計な奴らをここまで連れてきた!」
「……ど、どうして私があなたの手伝いをしなきゃならないのかしら」
ウォルバクさんは嘘が下手だ。
ハンスとの関係をうまくごまかしたいみたいだが、空気を読まないハンスは容赦なく言葉を続ける。
「どうしてウィズを止めないで黙って静観してるんだ! あと少し……あと少しで、この忌々しいアクシズ教の財源を絶てたんだぞ!」
「ハンス、こ、これ以上は余計なことを言わないでちょうだい!」
「なのに! ……まさかお前、魔王軍幹部の立場でありながら、魔王様を裏切――」
「『インフェルノ』――ッ!!」
激しい地鳴りとともに炸裂した極大の炎の魔法が、ハンスの言葉の続きを完全に爆砕した。
無詠唱にもかかわらず、硬い岩盤をあっさりとドロドロのマグマに変えるほどの規格外の魔法。
炎の直撃は、氷が溶けたおかげで間一髪で避けたものの、ハンスは熱波に吹き飛ばされ、顔をしかめてウォルバクを睨みつけた。
「……なるほど。よくわかったぜ。お前もウィズも……魔王様を裏切った反逆者だ。ここで俺がまとめて始末してやる!」
「ま、待って、そんなつもりじゃ――」
ハンスが、ギリッと歯を食いしばりながら立ち上がる。
それに対してウォルバクさんは額に滝のような冷や汗を流しながら、必死に弁明しようとした……そのときだった。
突然、ハンスの体が膨張を始めた。
紫色と緑色が混ざり合った、おぞましい粘体の巨塊が姿を現す。
酸鼻を極める悪臭が爆発的に広がり、触れた岩盤がシュウシュウと音を立てて溶け始めた。
「なっ……なんだあの姿は!?」
「ス、スライム……!? ハンスは、スライムだったんですか!?」
ダクネスとめぐみんが驚きの声を上げる。
しかし俺は緊張から一転、ホッと胸をなでおろし、思わず口の端をニヤリと歪めた。
「なんだ、正体を表したと思ったらスライムかよ」
「カズマさんが……なんだか頼もしい……?」
「油断しないでくださいカズマさん! 相手は魔王軍幹部ですよ!」
「ふっ、でかい図体だけの見掛け倒――今なんて? 魔王軍幹部?」
俺は調子に乗って前に出ると、腰から無銘の愛刀を抜き放った。
俺の剣の錆にしてやるぜ……なんて思って、斬りかかろうとした瞬間だった。
「カズマ、この世界においてスライムは物理攻撃が効かない、厄介極まりないモンスターよ。窒息死を狙って顔面に飛びついてくるわ!」
「しかも魔法にも耐性があってあの巨体……上級魔法を何発撃っても倒しきれる想像ができないわ」
「何それ怖い!? スライムなんてのはゲームを始めて一番最初に倒す、最弱の雑魚モンスターの代名詞じゃないのか!?」
「何を馬鹿なことを! あの紫色の体表……あれはただのスライムではありませんよ。デッドリーポイズンスライムでしょう。しかも変異種……アルカンレティア中の温泉を汚染したその猛毒は、触れただけでも即死すると思ってください」
「そ、即死!?」
俺は、抜き放った剣を見つめた。
そして、目の前でドクドクと不気味に波打つ、触れれば即死の巨大な毒スライムを見上げた。
十数メートルはあろうかという巨体が、俺を見下ろしている。
「……」
スッ、と。
俺は流れるような無駄のない動きで短剣を鞘に納めると、見事なムーンウォークで後方へと退避した。
そして、ウィズとウォルバクさんの背中の後ろに、完全に身を隠した。
「ふっ、俺にはちょっと役不足みたいだな。ウィズさん、ウォルバクさん、懲らしめてやりなさい!」
「……カズマ、その役不足の使い方は誤用ですよ」
「……今の前振りから即座に逃げるなんて……本当に情けないわね」
「カズマ、貴様という男は……盾役の私すら差し置いて、迷いなく女の背中に隠れるとは……! なんという卑劣、なんというクズ……!」
「カズマさん、いくらなんでも見損ないました……」
「うるさい! 命あっての物種だろうが! 物理無効の即死毒持ちスライム相手に、短剣一本でどうしろっていうんだよ! 適材適所って言葉を知らないのかお前ら!」
振り返った俺に向けられる、生ゴミでも見るような冷ややかな視線。
俺が開き直って喚いている間にも、デッドリーポイズンスライムと化したハンスは、巨大な波となって俺たちに襲いかかろうとしていた。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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