「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
冒険者ギルドの片隅。
いつもなら喧騒の中心にいるはずの俺たちのテーブルは、まるでそこだけ別次元の結界が張られているかのような、異様な静寂と重苦しい空気に包まれていた。
壁際の長椅子に四人が横並びになり、全員が膝を抱えたままの「体育座り」で、焦点の合わない虚ろな目で虚空を見つめている。
誰の口からも言葉は出ない。
ただ、時折「ひっ」とか「うぅ……」といった、絞り出すような嗚咽が漏れるだけだ。
目の前に置かれた冷めたエールにも、手をつける気力すらない。
心にポッカリと開いた巨大な穴を、冷たい風が吹き抜けていく。
俺たちは今日、冒険者としての尊厳どころか、一人の人間としての存在価値すらも根本から否定され、徹底的に破壊されて帰ってきたのだ。
そんな時だった。
「たのもう! めぐみんたちいる?」
そんな元気な掛け声とともに開かれた扉。
ギルドの中央に、突如として二人の少女が現れた。
紅魔の里へ行っていたはずの、ゆんゆんとねりまきだ。
たった二日で戦いが終わったのか、その顔には達成感が滲んでいた。
そんな晴れやかな表情でギルドを見渡す二人。
しかし、二人の視線が壁際の俺たちのテーブルで止まった瞬間、その笑顔は完全に凍りついた。
「えっ……? ……えええええええっ!?」
悲鳴のような声を上げ、血相を変えてこちらへ駆け寄ってくるねりまき。
ゆんゆんも目を丸くしてその後を追ってきた。
「ちょ、ちょっとみんな、一体どうしたっての!? カズマの顔色が土気色通り越して透明になってるし、アクアさんに至っては鼻から魂みたいなの出てるし!?」
「き、きっとそれはただの鼻提灯……のはず……」
「でもさゆんゆん! ダクネスさんは完全に魂が抜けてるし、めぐみんは……! めぐみん、しっかりして!」
「ほ、本当に私がいない間に何があったの……?」
「だ、だめだ! 完全に心が折れてるっていうか、すり潰された後の残骸みたいになって一言もしゃべらないよ!」
ねりまきが慌てふためきながら、めぐみんの肩を揺する。
しかし、めぐみんは、いや、俺たちは誰一人として明確な反応を返すことができない。
ただ、虚無の底から響いてくるあの優しくも恐ろしい声の幻聴に苛まれ続けていた。
「こ、こめっこ! めぐみんたちは一体どうしてこんなことになってるの!?」
「ねーちゃんの使い魔一号、慌てすぎ。みっともない」
「こめっこが暢気なだけだよ!?」
隣のテーブルで、ホーストとアーネスに見守られながら山盛りのオムライスを頬張っていたこめっこは、ねりまきの悲鳴にやれやれと頭を振りながらスプーンを置いた。
そして純度100パーセントの悪気のない声で、事実だけを淡々と告げた。
「ねーちゃん、お花のお化けに悪口言われて、泣いちゃっただけだよ。ねーちゃん、なんにもしてない。役立たずだった」
「……あ、あぁ……」
その言葉が、最後の引き金だった。
めぐみんはガクガクと震え出し、両手で顔を覆い、ついにはボロボロと大粒の涙をこぼしてうわ言のように呟き始めた。
「わが名はめぐみん……紅魔族随一の天才にして、アクセルで一番の魔法の使い手……。だ、大丈夫、私は強い……私は、強い……。私は紅魔族の落ちこぼれでもないし、モンスターの言う事に耳を貸す必要もない……っ」
あの、どれだけ窮地に陥ってもプライドだけは決して捨てなかっためぐみんが、ただの子供のように泣きじゃくりながら、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいる。
「『強気な孤高の魔法使いを気取っているけど、実は友達いなそう』なんて……あんな言葉も、気にする必要も何もない……。だいじょうび、私にはここに仲間がいますから……大事な、仲間たちが……。だから、空っぽなんかじゃ……ひぐっ……」
「ちょ、ちょっとこめっこ! あなたのお姉ちゃんに何てこと言うの、優しくしてあげなさい! あと『お花のお化けに悪口言われた』ってどういうこと!? ゴースト討伐に行ってたんじゃなかったの?」
「その後に別のクエスト受けてたよ。ねーちゃんたちクエストに行って、帰ってきたらこうなってた。あんらくおうじょ? っていう意地悪なお花さんとおしゃべりしてきたんだって」
「な、なるほど。でもこめっこちゃんの言うとおりだったとして、安楽王女って、確か物理的にも精神的にも攻撃するタイプのモンスターじゃなかったような気がしてたんだけど、どうしてこんなことに……?」
ゆんゆんの疑問はもっともだ。
確かに、俺たちが初めて喋った時は穏やかで、このパーティーの誰よりも淑女で、俺が思わずドキリとしてしまうほどの魅力を放っていた。
でも、それは最初だけだったんだ。
やつは本性を隠していただけだったんだ。
ゆんゆんは、焦点の合わない目をしている俺の前に立ち、両肩をギュッと掴んできた。
「カズマさん、一体何があったんですか? めぐみんに何があったか、ちゃんと教えてください!」
「……ゆんゆん。お前、自分のコンプレックスを、優しい声で、絶対に反論できない正論で、一時間ぶっ通しで抉り出されたこと、あるか……?」
「えっ? い、いや、一時間も悪口言われ続けたことはないけど……」
「そうか……。なら、聞かせてやるよ。俺たちが今日、どんな地獄を見てきたかを……」
俺は乾ききった喉を潤すために、テーブルにあった水を一口飲む。
虚空を見つめたまま、重い口を開いた。
「俺たち、ゴースト討伐の後、ルナさんに別のクエスト押し付けられたんだ。……安楽王女の討伐だってよ」
「そ、そうだったんですね。でも安楽王女とかは、物理的な攻撃なんてしないことで有名ですよ……? どちらかと言えば庇護欲で相手をその場にとどまらせて餓死させるような、そういう系のモンスターじゃ……」
「それはゆんゆんだけだ。お前はアイツの本性を知らないからそんなことを言えるんだ」
ゆんゆんがゴクリと息を呑み、隣の席に座り込んだ。
ねりまきも真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける。
「俺も最初は舐めてた。動かない植物なら、遠くからめぐみんの爆裂魔法で吹き飛ばせば終わりだろってな。でも、ダクネスがまずは説得からって言い出してな――」
俺がそう言った瞬間、隣で体育座りをしていたダクネスがビクッと肩を震わせ、両手で頭を抱えながら泣き言を漏らし始めた。
「なあゆんゆん……私は影が薄いのだろうか? 存在感があまりないのか……? 言われてみると、心当たりがあることが多いのだ。昨日も活躍していたのはアクアとめぐみんで、そして今日はお前一人で安楽王女を討伐した……」
「ダ、ダクネスさん? そんなことないわよ、いつも体を張ってくれてるじゃない!」
「ごめんなさい……。私は無能な肉壁です……。余計なことをしてばっかりのへっぽこですごめんなさい……私は、安楽王女が言うように……本当に、いらない子なのかな……。私がいなくても、代わりにアダマンマイマイを連れて行っても、結果はあまり変わらないのだろうか……。うぅっ、ごめんなさい……立派な騎士じゃなくて、アダマンマイマイ以下の存在で……っ」
「えぇ……アダマンマイマイ以下って、どれだけ酷いこと言われたのよ」
引き気味に突っ込むねりまき。
そうだ、コイツが最初に「安楽王女は対話ができるモンスターだ。もし説得できるのならそれに越したことはないだろう」だなんて言い出さなければ、こんな悲劇は起きなかった。
だが、俺にはそれを言う元気すら残っていなかった。
ただ淡々と、ゆんゆんとねりまきに俺たちの身に何が起きたかを伝えることしかできなかった。
「……ほんと、最初はよかったんだよ。安楽王女のところに着いて、話してみたら物わかりのいいお姉さんでさ。第一声がこれだ。『安楽王女とは私のことですか。なるほど、あなたたち人間は名前というものがありますからね。私にも名前をつけてくれたんですね、ありがとうございます。この名前をつけてくれた人にお礼を言ってくれませんか』……ってな。めちゃくちゃ礼儀正しいだろ?」
「えっ、すごくいい魔物じゃないですか。じゃあどうして……」
「罠だったんだよ。あいつは続けてこう言った。『私はここから離れられないもので。私の根に触ってはいけません。この根は私の意思に関係なくあなたたち人間に危害を加えるのです』……ってな。自分の身を案じてくれる冒険者に警告までしてくれる、慈愛の聖女そのものだった」
その言葉に、ゆんゆんはますます訝しんだ。
どうして俺がそんな心優しい安楽王女を討伐しようとしたのかと。
人の心とかない俺なら躊躇しないだろう……そんな顔だった。
俺は表情が抜け落ちた顔で話し続けた。
「極めつけはこうだ。『あなたは今までここに来た冒険者さんとは違うみたいね。とても強い心を持っている。ねえ、こんなことを頼むのは本当に心苦しくて申し訳ないのだけど、大好きな人間のため、私を退治してくれませんか。私は、この世に存在してもいいのですか?』……なんて、儚げに微笑みながら言うんだぜ。そんなの、倒せるわけないだろ」
「カズマさん……。何でそんな人を殺したんですか……!」
「……俺も、そう思ってたんだ。その時は、最終的に安楽王女を説得して帰ろうってなったわけだ」
「……えっ? つまりカズマたちはクエスト失敗したってこと?」
「……いや。まだ続きがあってな。……帰り際に、俺は考えたんだ。あんな優しいやつなら、安楽王女に森の管理をしてもらえばいいじゃないかと。自殺しに来た人を説得して、森から追い返したり、迷ってる人がいたら帰り道を教えてあげたり。定期的に食べ物を持って行くからそうしてくれないかって提案しようとしたんだ」
それが間違えだったんだ。
モンスターの本性さえ知らなければ、俺たちは幸せに生きていけたのだ。
「安楽王女のところに戻ったら、アイツ、何してたと思う?」
俺が問いかけると、ゆんゆんはゴクリと唾を呑み、ねりまきも固唾を呑んで俺の次の言葉を待った。
俺は乾いた笑いを漏らし、焦点の合わない目でその時の光景をなぞるように話し始めた。
「……あいつ、俺たちがいなくなったと思って油断したんだろうな。さっきまでの聖女のような微笑みはどこへやら、とんでもなく汚ねぇ言葉で毒づいてやがったんだよ」
「ど、毒づいてた……?」
「ああ。俺は気配を消して近づいたから、奴の独り言がバッチリ聞こえちまったんだ。『あーあーまた失敗か。さっきの冒険者、肉付きが良くていい養分になりそうだったのに……クソ、餌来ねえな。曇ってるけど光合成でもするか。あーめんどくさ』ってな」
「ええっ!? 豹変しすぎでしょ!?」
「俺が戻ったことに気づいた瞬間、あいつ、何食わぬ顔でまた『……今のは見なかったことにできませんか?』なんてお上品な声出しやがって。俺はブチギレて、アイテム袋から除草剤を取り出したんだよ」
「じょ、除草剤……? そんなのでモンスターを……?」
「俺が除草剤を構えた瞬間、あいつは『私が一体何をしたんだよ! ここに来る連中は自分の意志で来ているんだぞ。一人寂しくくたばるよりは、私に看取られた方がマシだろう! 冒険者は苦しむこともなく幸せ、私も良質な栄養がもらえて幸せ。みんな幸せな話なのに何の文句があるんだよ、この偽善者が!』って必死に言い訳を始めた」
「うわぁ……開き直った」
ねりまきがドン引きした顔で呟く。
隣の席では、いつの間にかこめっこのところへサキュバスたちがわらわらと集まり始め、カオスな状況が加速していた。
「さあこめっこちゃん、お姉さんが買ってきた特製マカロンよぉ。こっちにおいで?」
「無礼者め! 下級悪魔ごときが気安く触ろうとするな!」
「ああん、こめっこちゃんのことなでなでさせてよぉ……。ほぉら、こめっこちゃん、なでなでさせてくれるならこのお菓子あげるわよ」
「わーい! おねーちゃんたち、ありがとう!」
「あっ、こ、こめっこ様! あのような不純な者たちに近づいてはなりませんよ!」
「まあそう堅いこと言うんじゃねえよ。ガキが美味そうに食ってんならそれでいいじゃねえか」
「お前は甘やかしすぎなんじゃないかホースト!」
冒険者ギルドにモンスターが蔓延る異常空間。
だが、今の俺たちにはそれを止める気力すらなかった。
「……あいつも必死だった。俺が除草剤の蓋を開けようとしたら、今度は命乞いみたいな交渉に持ち込んできたんだ。『分かった、やめよう、話をしよう。私がここにいるのが気に入らないなら、遠くの山に植え替えてもらっても構わないから頼むよ! 私から人間を襲ったり早死にさせるような真似なんかしてないはずだ! 見逃してくれよ! もし見逃してくれるなら、あんたのことは一生覚えといてやるからさ。私は今までに取り込んできた連中のことをみんな覚えているんだぞ? 子供を残せなかった人間の誰かにずっと覚えておいてもらえるのは、価値があることだろう!?』……だとよ」
「す、すごい執念……っていうか、取り込んだ連中のこと覚えてるって、自白しちゃってますね……」
「そうなんだよ。だから俺は無視して除草剤をまき始めた。……もう、そこからは思い出したくもない地獄だったよ」
俺は両手で顔を覆い、指の隙間からゆんゆんたちを見た。
「除草剤がかかった瞬間、『やめろ! 身動きの取れない私に実力行使は卑怯よ! 口で負けそうになったからって力でどうかしようとするのはずるいと思うわ! やめてひどいことしないで、そんな汚らわしいものをかけるのやめて、私を汚されちゃう!』……なんて、最初は悲劇のヒロインぶってた。けど、薬が効いてくると本性むき出しだ」
「ど、どんな風に……?」
「『やばい吐きそう! 吐くものなんてないし、そんな器官もついてないけどものすごく気分が悪い! こんなクソまずいもの撒きやがって地獄に落ちろ、童貞野郎が!!』」
「ど、童貞っ!?」
ゆんゆんとねりまきが顔を真っ赤にして同時に叫ぶ。
「そうだ、あの野郎、俺のアイデンティティをピンポイントで抉りやがった! 『除草剤なんか蒔きやがって、口で負けたからって実力行使は恥ずかしくないんですか!? 顔真っ赤じゃないですか! さっきあんたが自分で童貞冒険者とか言ってましたけど、童貞冒険者が童貞で恥ずかしすぎませんか! 周りにメスが3匹もいるのに未だに童貞でどうなの!?』……って! しかもその罵声を聞きつけて、待機していたアクアたちが心配して戻ってきたんだ。そこでも安楽王女は、『お前さっきはそいつらのことを仲間だとか何とか言ってたけど、案外そう思ってるのお前だけで、そいつらは知り合い以上友達未満なんか思ってるんじゃ?』とか言ってきてな……俺のライフはもうゼロだよ!」
「え、えげつなー……カズマさん、元気出して……?」
「ねりまき……! もしかして俺に優しくして――」
「勘違いしないでよね!? いや、本当に普通に慰めてるだけだから! 私はカズマのことなんとも思ってないから! いや、ほんとに!」
これはツンデレというやつなのだろうか、それとも真面目に拒否してるだけなのか。
傷心している俺はこれ以上心の傷をえぐらないように前者だと思うことにした。
おかげですこし調子が戻ってきた気がするが、隣ではアクアがブルブルと震えながら、涙目で虚空に向かって呟いていた。
「安楽王女……怖いよぉ……。安楽王女の森に、もう近づきたくないよう……。私のこと、ただの宴会芸の女神だとか、いてもいなくても一緒だとか……ひぐっ、うぇぇぇぇんっ!」
「……ねーちゃんたち、お花のお化けに言い負かされてかっこ悪い」
「こ、こめっこちゃん、お願いだから、今日はめぐみんのことそっとしておいてあげて? ほら、アーネスさんたちに構ってもらいなさい」
「わかった!」
こめっこの無邪気な一撃に、吐血する勢いでショックを受けているめぐみん。
その背中をねりまきが優しくさすっていた。
ゆんゆんが、恐る恐る俺の顔を覗き込んでくる。
「……ねえ、カズマさん。みんな安楽王女にひどいこと言われたのはわかりましたけど……その、討伐はできなかったってこと?」
「い、いや、一応俺が除草剤を蒔ききって討伐はした。……上半身だけだけどな」
「えっ、上半身だけってどういうこと?」
「『まずい畜生、この童貞野郎が……! 私の根はこの森中に広がってるわ。それを全て根絶やしにするには、一体何十年かかるのかねぇ……!』」
俺の説明が終わると、再びテーブルに重い沈黙が降りた。
俺たちはただ、この先数百年続くであろう魔物の怨念と、突きつけられた自身のコンプレックスの重圧に押し潰されそうになりながら、アクセルの街に夜のとばりが落ちてくるのを感じていた。
「ねーちゃん、まだ泣いてるのー? ほら、このお菓子あげるから元気出してー!」
「うわぁぁぁん! こめっこぉぉぉっ! お姉ちゃんは空っぽじゃないですよね!? ただの花火屋さんじゃないですよねぇぇっ!」
「おいコラ淫魔ども! こめっこ様が困惑しておられるではないか! これ以上近づくなと言っているだろうが!」
「なによケチ! こめっこちゃんの頭なでなでさせなさいよー!」
隣の席の騒がしさが、今の俺たちには酷く遠い世界のことのように思えた。
俺は再び体育座りに戻り、虚空を見つめた。
もう冬は終わって春の日差しが温かく感じる季節だというのに。
俺たちの心の冬は、当分終わりそうになかった。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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第8章
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リメイクしてテンポよく進める