我は邪王真眼の使い手、めぐみん!   作:桃玉

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30-3 左目の…黄金(マイン・ゴールド)

大気を震わせる巨大な咆哮が、濁った湖畔にこだまする。

地面を揺るがす地響き、水面が弾け飛ぶ轟音、そして鼻を突く強烈な悪臭。

普通に考えれば、いや、普通に考えなくても、ここは間違いなく死地であった。

 

「くっ……なんという暴力的な質量……! 鎧越しでも骨が軋む音が聞こえるぞ! 八つの首が順番に私を押し潰し、噛み砕き、その猛毒の涎で私の身体を犯そうとしている……! ああ、なんという辱め……!」

「ちょっとダクネス! あんた何うっとりしてるのよ! 早く、早くデコイ使ってぇぇええああああ!! この7番目の首だけ私のことを執拗に襲ってくるの!」

「う、うらやましいぞアクア! どうしてデコイを使っているのに全部の首が私に攻撃してこないのだ! あれか、アクアは汚れを浄化するからか!? 私だってクルセイダーで汚れを払うジョブなのに!」

「私の方に首が向かってきてひぃぃい!? かすった! ねえ、今私のチャームポイントを首がかすめていったんですけど!! カズマさぁぁぁん! カズマさん助けてぇぇぇ! このままだと女神がトカゲの餌になっちゃうぅぅぅ!」

 

最前線では、ダクネスが『デコイ』のスキルをフル稼働させて、クーロンズヒュドラの八つの首を一身に引き受けていた。

その強靭すぎる肉体とクルセイダーの頑丈な鎧がなければ、開始数秒で肉塊に変わっていただろう。

その後方では、アクアが涙と鼻水を撒き散らしながら逃げ惑い、ダクネスの体力を回復しつつ、並行で自身を守る防御魔法、そして周囲の浄化を凄まじいスピードで行っていた。

泣き叫んでパニックになっているように見えて、サポートの腕だけは本物だ。

 

「ええいっ! 『ライト・オブ・セイバー』!!」

 

そしてもう一人。

前衛と後衛の間、絶妙な位置に陣取ったゆんゆんが、手にした杖から光の刃を次々と放っていた。

鋭い光の斬撃が、ヒュドラの太い首の一つを根本から切断する。

ズズンッと巨大な質量が湖面に落ち、血が間欠泉のように噴き出した。

 

「や、やったわ! また一つ落とし――って、ええええええ!? ま、まだ再生するの!? どれだけ再生するのよ、もう何十回も切り落としたはずなのに!」

 

ゆんゆんが喜んだのも束の間、切断されたヒュドラの首の断面が、グチャグチャと不気味な音を立てて波打ち始めた。

肉が盛り上がり、骨が伸び、鱗が形成され――ほんの数秒の間に、真新しい首が完全に再生してしまったのだ。

 

デタラメな再生能力。

これじゃあ、いくら首を落としてもキリがない絶望的な状況。

一歩間違えればパーティー全滅の危機。

誰もが必死に命を削り、巨大な厄災に立ち向かっている。

 

そんな中――俺は。

 

「…………ふわぁ」

 

湖畔から少し離れた安全圏で大あくびをしていた。

頭上を巨大な水しぶきが飛び交おうが、アクアの悲痛な叫び声が聞こえようが、俺の心は驚くほど凪いでいた。

普段の俺なら、こんな強敵を前にしたら真っ先に「逃げるぞ!」と叫んで踵を返すか、腹を括って知恵を絞り、どうにかして勝機を見出そうと必死に指示を出しているはずだ。

 

だが、今は違う。

頭の中に薄い膜が張っているような、心地よい鈍麻。

思考を巡らせること自体が果てしなく面倒くさく、立ち上がって武器を構える労力すら惜しい。

俺は青い空に浮かぶ白い雲をぼんやりと眺めた。

仲間が死に物狂いで戦っているのに、本当に、心の底から『どうでもいい』と思ってしまっていた。

 

頭では異常だと感じているはずなのに、全く危機感を覚えない心。

そんな俺の異常な姿を、少し離れた場所から青ざめた顔で見つめている人物がいた。

 

 

 

 

 

「……間違いない、私の権能の効果……ちゃんと効いていたのね」

 

ウォルバクは、胸の奥をギリギリと締め付けられるような罪悪感と焦燥感に苛まれていた。

命の危機がすぐそこまで迫っているというのに、逃げようとも戦おうともしない。

ただ無気力に横たわっているだけの少年。

かつて魔王軍の幹部であるハンスやベルディアをも討ち果たし、常に予想外の機転で窮地を脱してきた、あの狡猾でスリザリンに溢れていたカズマの姿は、そこには微塵もなかった。

 

「でも……こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのよ……!」

 

ウォルバクは、ギュッとローブの裾を握りしめた。

カズマを殺したくて、あるいは戦闘で命を落とすように仕向けるために、この権能を使ったわけではない。

むしろその逆だった。

 

彼がこれ以上魔王軍と敵対しないように。

これ以上、危険な冒険に巻き込まれて傷つかないように。

家から出る気力を奪い、屋敷でダラダラと平和に過ごしてほしかっただけなのだ。

『怠惰』に身を委ね、危険な外の世界を忘れて、ただ安全な場所で笑っていてほしかった。

 

しかし、現実はどうだ。

強引にヒュドラ討伐の調査クエストに連れ出され、よりにもよってこのタイミングで最悪の魔物が目覚めてしまった。

もしヒュドラが目覚めなければ、カズマはあのままシートの上でピクニックを楽しんで、安全に帰路につくはずだった。

そうなるように祈っていたのに。

 

……計画の完全なる失敗。

自分がカズマと敵対しないようにかけた保険が、今、彼を無防備な状態にして死地へと追いやっている。

 

権能を解除しなければ……今のカズマでは、流れ弾の一つでも致命傷になりかねない。

ウォルバクはカズマに向かって手を伸ばしかけた。

だが、その手は空中でピタリと止まる。

 

「……ゆんゆん! 魔法の軌道が少し逸れていますよ! もっと正確に首の根本を狙いなさい! これでは余計な魔力を消費するだけです!」

 

すぐ隣で、めぐみんが杖を構えながらゆんゆんに指示を飛ばしていたのだ。

ウォルバクの額を、冷たい汗が伝い落ちた。

今ここで『怠惰の権能』を解除すれば、どうなるか。

魔力を行使し、権能の繋がりを断ち切った瞬間、間違いなく隣にいるめぐみんにはその魔力の変動が察知される。

紅魔族随一の天才を自称しているが、それに見合うだけの才能があり、魔力の流れに極めて敏感だ。

カズマに何かをしていたのが自分であると、一瞬で悟られるだろう。

魔王軍幹部としての正体がバレるかもしれない。

カズマを害しようとしたように見えることで、彼らとの関係が完全に崩壊してしまう。

その恐怖が、ウォルバクの指先を空中に縫い留めていた。

 

「ちょっとめぐみん! さっきから指示ばっかり出してないで、一緒に手伝ってよ! 私の魔力、もう半分切ってるのよ!?」

 

前衛で息を切らしながら、ゆんゆんが悲痛な声を上げた。

ヒュドラの再生能力は凄まじく、切っても切っても新しい首が生えてくる。このままでは完全にジリ貧だ。

しかし、めぐみんはカズマの横に仁王立ちしたまま、一歩も動こうとしない。。

 

「何を言っているのですか! 私は最後にして最強の切り札ですよ! 爆裂魔法は、ゆんゆんがどうしようもなくなった時、倒しきれなかった時の最終手段として取っておくべきなのです!」

「嘘おっしゃい! あなたが爆裂魔法を撃たずに我慢してるなんて絶対におかしいわ! どうせ、私がヒュドラの体力と魔力をギリギリまで削り切ったところで、最後にドカンと撃って美味しいところを全部横取りする魂胆でしょ!」

「なっ……!? 人聞きの悪いことを言わないでください! 私は純粋に、パーティーの勝利のために最善のタイミングを見計らっているだけです!」

「顔がニヤけてるわよ! 紅魔族として恥ずかしくないの!? めぐみんの卑怯者ぉぉっ!」

 

ゆんゆんの悲痛な叫びを、めぐみんは「あー聞こえなーい」とばかりに華麗に受け流した。

実際、ゆんゆんの推測は百パーセント的中している。

めぐみんは、勝負事となると紅魔族随一の天才と評する頭脳を、その狡猾さを遺憾なく発揮する。

クーロンズヒュドラという巨大な経験値と名声を、自分の爆裂魔法の戦果として華々しく飾る気満々も満々。

その面構えは、ピンチに陥っているパーティーのそれではなく、獲物を虎視眈々と狙う狡猾なハンターのそれだ。

 

「……それにしても」

 

めぐみんは、杖を構えたまま視線を横に落とした。

そこには、相変わらず無表情で空を眺めているカズマの姿がある。

 

「どうしたんですかカズマ。いくらなんでも、最近少し様子がおかしいですよ。いつもなら、一番後ろに隠れながらもダクネスやアクアにうるさいくらいに的確な指示を出すではないですか。今日のカズマは、まるで中身が抜けた操り人形みたいです」

 

めぐみんの鋭い観察眼が、カズマの異常を指摘する。

その言葉に、隣にいたウォルバクの肩がビクッと跳ねた。

 

「……あー? なんの話だ。俺はいつも通りだぞ。いつも通り、お前らに指示を出して、俺は安全なところでサボってるだけだろ」

 

カズマの返答は、ひどく間延びしていて、感情の起伏が全く感じられなかった。

ただ言葉の表面だけをなぞったような、ぼんやりとした受け答え。

普段の彼なら、「うるせえ、リーダーの俺が全体を見渡してやってるんだから文句言うな!」と、もっともらしい言い訳をまくし立てるはずなのに。

 

「……いつも通り、ですか」

 

めぐみんの紅い瞳が、すっと細められた。

彼女の視線は、カズマの虚ろな顔から、すぐ隣で不自然なほど俯き、黙り込んでいるウォルバクへと向けられた。

 

「…………っ」

 

ウォルバクは、めぐみんの視線に気づき、気まずそうに目を逸らした。

顔には濃い影が落ち、握りしめた手はかすかに震えている。

何もしていない一般人が、死闘を前にして怯えているだけには見えない。何か重大な秘密を抱え、隠し事の罪悪感に押し潰されそうになっている者の顔だった。

 

「……お姉さん」

 

めぐみんが、静かな、けれど有無を言わさぬ声でウォルバクに呼びかけた。

その声には、いつもの明るさも、無邪気さもなかった。

ウォルバクはビクッと体を震わせ、恐る恐るめぐみんの方を見た。

 

めぐみんの口が微かに動く。

何かを問い詰めようとして、しかし、言葉がつっかえたようにうまく出ない。

彼女はウォルバクの顔をチラリと見ては、スッと視線を逸らし、ローブの陰で小さな拳をギュッと握りしめた。

 

「……お姉さん、後で……聞きたいことがあります」

 

それだけを、絞り出すようにひねり出した。

決定的な言葉を口にするのを避けたのか、それとも今はその時ではないと判断したのか。

ウォルバクはめぐみんの言葉に応えることなく沈黙の姿勢を貫いている。

 

「沈黙は……肯定と見なしますよ」

 

その顔は動揺か、悲しみか、覚悟か、読み取ることができなかった。

しかしめぐみんは深く息を吐くと、眼帯を外し、輝きを増した黄金の邪眼を解放した。

 

「しかし、とにもかくにも、一先ずはあの巨獣を倒さねばなりません」

 

めぐみんは、ウォルバクからヒュドラへと向き直り、手にした杖を力強く握り直した。

瞳には、先ほどの疑念を振り払うかのような、強烈な紅い光が宿っている。

 

「私の爆裂魔法で、あの八つの首ごと跡形もなく消し飛ばして見せましょう……と、言いたいところですが」

 

めぐみんの表情が、かつてないほど険しいものになる。

 

「ゆんゆんの魔法を受けても、瞬時に肉を再生させているあの異常な回復力。正直、私の爆裂魔法で一撃で倒し切れるかどうかは、試してみなければわかりませんね。ほぼほぼ大丈夫だとは思うのですが……」

 

それは、爆裂魔法を誰よりも愛し、絶対の自信を持つめぐみんにしては、極めて珍しい弱音――いや、冷静な戦力分析だった。

 

「お姉さん。もし、私の爆裂魔法でも討伐に失敗し、あの怪物が生き残った場合。私たちにはもう、対抗する手段が残されていません。その時は……お姉さんの『テレポート』で、私たちを逃がして、お願いできますか? カズマがこんな不抜けたことになっているので」

 

いざという時の退路の確保。

それは本来、カズマが一番に考えるべきことだが、今の機能不全のリーダーに代わり、めぐみんがしっかりとパーティーの命運を握っていた。

 

「……ええ。わかったわ」

 

ウォルバクは、頷いた。

その声は震えていたが、同時に、覚悟を決めたような響きがあった。

その時、前線からゆんゆんの悲鳴が上がった。

 

「――きゃあああああっ! もうダメ、魔力が……空っぽよぉぉっ!」

 

度重なる上級魔法の行使により、ついにゆんゆんの魔力が底を突いたのだ。

膝をつくゆんゆん。ダクネスの鎧も限界を迎え、アクアの回復魔法も追いつかなくなりつつある。

クーロンズヒュドラの八つの首が、獲物の弱りきった姿を見て、勝利を確信したように醜悪な咆哮を上げた。

 

「――今です!!」

 

だが、めぐみんにとっては、それこそが待ちわびた絶好のタイミングだった。

ゆんゆんがヒュドラの体力を極限まで削り、そしてヒュドラの注意が前衛に向けられたその瞬間。

 

めぐみんの眼帯が外れ、紅い瞳が煌々と輝きを放つ。

杖の先端に、これまで圧縮に圧縮を重ねてきた、途方もない量の魔力が渦を巻き始めた。

 

「光に覆われし漆黒よ。夜を纏いし爆炎よ。紅魔の名のもとに原初の崩壊を顕現す。終焉の王国の地に、力の根源を隠匿せし者。我が前に統べよ!」

 

大気が震え、湖畔の空気が異常な熱を帯びる。

カズマの傍らで、小さな魔法使いが、世界を焼き尽くすための言葉を紡ぎ出す。

 

「『エクスプロージョン』!!」

 

放たれたのは、圧倒的な力の奔流。

紅蓮の炎が渦を巻き、全てを飲み込む巨大な爆発となってクーロンズヒュドラの巨体を直撃した。

 

『ギャァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!』

 

閃光が視界を白く染め上げ、遅れて轟音が鼓膜を叩き割るように響き渡る。

爆風が吹き荒れ、湖の水が一瞬にして蒸発し、分厚い水蒸気の雲が立ち上った。

 

めぐみんが危惧していた通り、クーロンズヒュドラの異常な生存本能は、爆裂魔法の直撃を受けてなお、瞬時に千切れた肉を再生させようと蠢いた。

焼け焦げた傷口から、新たな細胞が異常な速度で増殖しようとする。

 

しかしめぐみんは、確証を得たのか、自信に満ちた笑みを浮かべた。

再生能力がどれほど高かろうと、それを上回る圧倒的な破壊のエネルギーが、ヒュドラの巨体を容赦なく蹂躙し続けた。

細胞が再生するよりも早く、傷口から骨までが黒焦げに焼き尽くされていく。

クーロンズヒュドラは、他の敵と比較して、ほんの数秒だけ長くその威力を耐え忍んだだけに過ぎなかった。

 

やがて光が収まり、土煙と水蒸気が晴れた後。

そこには、巨大なクレーターと窪地を埋めるように押し寄せる波。

ゆんゆんが切り離した一部の肉塊を除き、本体の骸は残っていなかった。

最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…

  • 第6章(現在の章)
  • 第7章
  • 第8章
  • リメイクしてテンポよく進める
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