俺の手の中に握られた、少し硬くて平らな布。
ただの眼帯だ。
そんな布切れ一つを奪っただけだというのに、俺の目の前に立つ紅魔族はアイデンティティそのものも奪われてしまった、別の誰かに見えた。
「めぐみん、その目……」
自分の声が震えているのを誤魔化すことができなかった。
本来眼帯に覆われている瞳の色は黄金色のはずなのに、あるのは左右同じ真紅の色。
初めて出会ったときに邪王真眼と称していた魔眼は、面影の一つもなく消え失せていた。
「まさか、昔のゆんゆんみたいにカラコンで隠すなんて、お前はしないだろ――」
「ええ、まあ……そうですね」
「そうですねって……。つまり……」
何故だか言葉が続かない。
そこにいるのはめぐみんなのに、いたって健康な状態の彼女なのに……前髪の隙間から覗く虚ろな瞳を伏せたまま、ピクリとも動かなかった。
ひどく寂しく、悲しげで、見てるだけで弱々しい腫れ物を触るような感覚に襲われる。
俺だけじゃない。
他のやつらもそれ以上話すことを躊躇って動けないでいた。
だが、次の瞬間、ゆんゆんがおそるおそるめぐみんの肩に手をのばそうとして。
「……ふ、ふふふ……ふはははははははははっ!!」
「め、めぐみん……?」
めぐみんの肩が小さく震え、自分の顔を覆うように手を当てると、屋敷中に響き渡るような、高らかな笑い声を上げた。
そのまま顔を覆っていた手をバッと離し、仰々しくポーズを決めた。
「フハハハハ! 驚くのも無理はありませんね! そう、我が身に宿りし深淵の呪い……私を長年苦しめてきた邪王真眼は、ついにこの私、紅魔族随一の天才にして最強の魔法使いであるこの私の手によって、完全に掌握されたのです!」
「………………はい?」
俺は間抜けな声を出した。
理解が追いつかない……が、あの邪眼を制御できるようになったってこと、か……?
めぐみんはマントを翻し、ふんぞり返りながらドヤ顔で語り続ける。
「ようやく我が手中に邪神の力を置くことができたのです。つまり、どういうことかわかりますか? これまで暴走寸前だった膨大な魔力を、この私は完全に制御できるようになったというわけです! 故に、体内に魔力が蓄積して暴発する危険もなくなり、毎日無理に爆裂魔法を撃たずともよくなりましたよ!」
「なっ! そ、それって本当なの!?」
ゆんゆんが、パッと顔を輝かせて身を乗り出した。
めぐみんは顔を伏せつつも、安堵したかのようにふぅと息をつき、大げさに額の汗を拭うような仕草をした。
「ええ、本当ですよ。もはや私にとって、爆裂魔法はガス抜きの手段ではありません。撃ちたい時に撃ち、撃ちたくない時には撃たない。くっくっく、長きにわたる邪神との命を賭した戦いがようやく終焉し、真の魔法使いへと至ったのですよ!」
「……ま、マジか! つまり爆裂散歩を最近行ってなかったのも……!」
「ええ、そういうことです」
つまり、もう毎日爆裂魔法を撃って倒れなくて済むし、毎日おんぶして帰る負担もないということだ。
それだけじゃない。
ゆんゆんが身を乗り出して、震える手でめぐみんの肩を掴む。
「じゃあ、もうめぐみんが爆裂魔法撃たなくても死んじゃったりしないってこと……? 毎日爆裂魔法を撃ちにいかなくてもいいってこと、よね……?」
「そう、ですね」
「そう……よかった……本当によかったわね、めぐみん!」
「すみません、いつかはと思ってたのですが、なんだか言いづらく……お騒がせしてしまっ――ちょ、抱きつかないでください! 鬱陶しいですよゆんゆん、服が濡れるじゃないですか!!」
「だって、だってぇ……! そういうことなら早く言ってよ、心配したじゃない!」
「……まったく、ゆんゆんは泣き虫ですね。紅魔族の族長になるのなら、これしきのことで情けない姿を晒さないでください」
今までの心配と緊張から解放された反動か、床にへたりと崩れ落ちるゆんゆんは涙をためながらめぐみんを包み込むように腕に力を入れる。
古くからの付き合いである二人には、俺たちと出会う以前に並々ならぬ苦労があったのだろう。
文句を言いながらもゆんゆんの背中をポンポンと叩くめぐみんを尻目に、俺たちは静かに部屋を出た。
「……しかし己の身を蝕む呪いの力を完全にねじ伏せるとは。流石はめぐみんだと言いたいところだが、驚いたな」
「ほんとよねぇ。私も目を凝らして視たけど、ほんとに綺麗さっぱり魔力が整ってて……ついこの間まで荒れ狂う濁流を無理矢理押さえ込んでるみたいな状態だったのに、いつの間に制御できるようになったのかしら」
「まあ、なんだかんだいって、無事で本当に何よりだ。祝いにシュワシュワでも買うか!」
「かっずまさんってば引きニートのくせにわかってるじゃない! さあ、今日は夜が明けるまで飲むわよ!」
引きニートのくせにってのが癪に障るが、今日くらいは見逃してやろう。
なんせめぐみんが頭のおかしい方の紅魔族だなんて不名誉な名を返上する祝いの日なんだからな。
これで少しはパーティーとしての力や評判も上がったってもんだ……
……上がったよな?
それからの数日間。
魔力を制御できるようになったというめぐみんの言葉に安心し、俺たちは彼女を無理に外へ連れ出そうとすることはなくなった。
しかし何故だか俺の心は浮き足だって仕方がない。
最初の頃は嬉しさや喜びが心を満たしていたが、数日も過ぎると徐々に別の感情に置き換わっていく。
焦燥感というか、違和感というか、不安感というか。
なんともいえないモヤモヤが心の中を渦巻いくのだ。
その不快感が元で苛立ちが募るが、当たる先がない。
今日の午後も、俺は苛立ちを息に乗せて吐き出した。
「なあ、ちょっくらストレス発散しにクエスト受けるか何かして街の外行かないか?」
「あ、あり得ない……カズマがそんなことをいうなんて、これから槍でも振るの!?」
「わ、私、街の人に天変地異の前ぶれがあったから避難するように伝えてきます!!」
「確かにカズマからそんなこと言うのは珍しいどころか天と地がひっくり返っても、だ」
アクア、ゆんゆん、ダクネスが俺のことを口々に言ってくれる。
なんで俺が外に行こうとしただけで恐れ戦かれないとならないんだ!?
自覚はあるけども……自覚はあるけども!
だとしても流石にひどすぎやしないだろうか。
「たまには俺だって外に行きたいんだよ! なんだか最近イライラしやすいし、外に出てリフレッシュしたいんだ!」
「何ですか、カズマらしくないですね。普段なら外に一歩も出たくないどころか、家の中の方が生き生きしてるじゃないですか」
「そうだけど……そうなんだけども! 本当に何でかわからないけどイライラすんだよ! 何というか、いつものルーティンが崩されたみたいな感覚っていうか!」
「……本当に天災の前触れなんじゃないですか?」
「めぐみん、お前まで言うか!」
本当に何で家の中でこんなに落ち着きがないのか。
俺はいつも通り生活をしてるのに、どんどん蓄積されていく不快感。
「とにかく、家で落ち着いてられないんだよ! ギルド行ってくる!」
「じゃ、じゃあ私も! 最近運動してなかったし、久しぶりにレベル上げしたいし……それに、ひ弱なカズマさんを一人で行かせるなんてできないわ!」
「な、なあゆんゆん。俺だってレベル上げして結構ステータス伸びたんだぞ? 確かに最近伸び悩んではいるけど、一般人に引け劣るほどひ弱ってわけじゃないんだからな?」
しかしゆんゆんがついてきてくれるって言うならありがたい。
正直、俺一人だけだと雑魚モンスター相手に善戦する程度で、ゆんゆんが言うとおり一人で出歩くのは多少不安がある。
そう思っていると今度はダクネスが。
「待て、私も行こう。前衛は必要だろう。最近冒険に行かないせいで腕が鈍っているしな、クエストを受けるのなら私を前に……」
「いらない。それに、お前に限っては鈍る腕なんかあってないようなもんだろ」
「くっ……! な、何てことを言う! 私だって結構気にしているんだぞ!」
「じゃあ両手剣スキルを……」
「それは断る。私の修練不足を恥じるばかりだが、スキルに頼っているようでは騎士として大成しない。スキルがなくとも太刀打ちできるよう、私は基礎ステータス上昇の方にスキルポイントを振り分け――お、おい、どうして知らんぷりしていくのだ? おい……あの、カズマ? 悪かったから、嘘ついて悪かったから私のことを無視しないでくれ!」
正直、ダクネスはついてこなくていい……ゆんゆんと違ってモンスター相手に突っ込んでいくし。
まあ、前衛がいないのは確かだし、特に何も言いはしないが。
そうしていると、勝手についてきたダクネスが、ソファーに寝転がっているアクアに。
「ほら、アクアも。毎日ごろごろしていると怠け癖がつく。なあカズマ」
「ええー、いやよ。私、家でお留守番してるから。いてらー」
「じゃ、行ってくる」
「えっ、あ、おい! カ、カズマ! アクアは連れて行かないのか!?」
俺はトラブルメーカーを連れて行く趣味はない。
大人しく家でいい子にしてる分には可愛げのあるペット枠である駄女神をおいて、さあ行こう!
ダクネスが何か言いたげな視線をよこしてくるが、俺はそれを無視して意気揚々と家を出ようとしたのだが……
「…………あの、やっぱり何だかそうすんなり置いていかれるのも寂しいんですけど」
そう言ってアクアは徐に起き上がり、怠さを隠そうともせずにあくびをした。
めんどくせぇな、コイツ……
何だかんだ一人は寂しいと、俺たちについてくるアクアだが、正直本当にお前はいらない。
犬も歩けば棒に当たるがごとく、駄女神が歩けばトラブルに巻き込まれる。
……だけどまあ、たまにパーティーで冒険に行くのも悪くはない。
「ここまで来たら全員でいくか」
「ですね。ほら、めぐみんも最近爆裂散歩しないからずっと家に引きこもりっぱなしじゃない。たまには外に出ないと」
「……そう言えばここ最近爆裂魔法の音を聞いていなかった。普段のカズマとアクアが酷すぎてめぐみんのことは気にも止めなかったな」
「めぐみーん。みんながクエスト行くってー。めぐみんも一緒に行きましょー」
皆がめぐみんのことを呼ぶ。
最近のめぐみんは家から出ることがなく、引きこもり生活を続けていた。
今も暇を持て余して絨毯の上をごろごろしてる最中だが、めぐみんに限って冒険に行きたくないという訳はないだろうと、俺たちは部屋から出てくるのを待っていたのだが……なかなか返事がない。
「おい、めぐみん? 今日は天気がいいぞ。絶好の爆裂日和だ。そろそろ体が鈍ってきてるんじゃないか? 久しぶりに撃ちに行こうぜ」
「……行きません」
「そうかそうか、じゃあ俺たちは玄関で待っ――今なんて?」
「今日は、そういう気分じゃないので……」
「……そっか。まあ、お前がそれで大丈夫ならそれでいいんだが」
「ええ、大丈夫ですとも。そういうわけなので、今日は屋敷でのんびりすることにします」
横になりながら、俺たちと視線を交わすこともなくいるめぐみん。
……今日『は』じゃなく、『も』だ。
そこで俺はふと、自分の心の内の違和感の正体に気づいた。
爆裂魔法がないのだ。
おやつを食べるとき、お昼の時報、日没を知らせるとき、アクセルの街は爆裂魔法の轟音と主に過ごしてきた。
今までの日常に紛れていた鳥のさえずりが消え去ったような、そんな喪失感というか――
……こわっ!?
えっ、もしかして、俺の日常を爆裂魔法に浸食されてた!?
俺は意図しない形で爆裂魔法が日常に不可欠な彩りだと認識してたのか!?
恐ろしすぎる常識改変をふるい落としながらめぐみんに背を向けようとした――
そのとき、ゆんゆんがめぐみんの方に一歩足を踏み出した。
「なんでよ……」
「何でとは何ですか」
「撃たなくてもよくなったけど、爆裂魔法を撃ちたいことに変わりはないでしょ……? ほら、杖も磨いてあるし、なのにどうして……」
「やめてください!! 今日は、そういう気分じゃないと言っているじゃないですか!!」
俺は思わず言葉を飲み込んだ。
そこには、怒りでも、呆れでもなく、ただひたすらな、痛切な拒絶の色が漂っていた。
「声を荒らげて、申し訳ありません……でも、私は行きませんので……」
「どうしたのよめぐみん……らしくないわ。何があったのよ」
「皆には関係のないことです。すみませんが、しばらくは一人にさせてください」
「めぐみん……」
めぐみんは絨毯から立ち上がると、俺の横をすり抜けていった。
その後ろ姿は、いつもの自信に満ちた足取りとは程遠く、どこか逃げるような、ひどく小さな背中だった。
バタンと、自室の扉が乱暴に閉まる音が、静まり返った屋敷に空しく響き渡る。
「……おかしいわ。めぐみんはぶっきらぼうなとこあるけど、私たちに関係のないとかいう子じゃないはずなのに……」
関係ない、か……
ゆんゆんは、リビングに取り残されたまま、テーブルの上にポツンと置かれた杖を見つめていた。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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