『――王都最前線、陥落の危機。戦況を一変させた魔王軍幹部は、邪神ウォルバクとのこと――』
新聞の紙面には、黒々と不吉な文字が並んでいた。
王都の最前線にそびえ立つ防衛砦が、突如現れた魔王軍幹部によって壊滅的な打撃を受け、陥落寸前の窮地に陥っているという惨状が、生々しい文章で綴られている。
その元凶として名指しされているのが――『邪神ウォルバク』。
……ウォルバクさんが魔王軍の幹部であることも、彼女が王都の最前線へ向かったであろうことも、俺としては実は薄々感づいていたことだった。
だが、それをいざこうして公の記事という形で突きつけられると、胸の奥が不快な重みで沈み込んでいくのを感じる。
ゆんゆんたちは突然の事態に「そんな……」と口を押さえて絶句している。
俺は居心地の悪さに鼻の頭をかき、視線を明後日の方向へ逸らした。
「邪神ウォルバクって……あの、ウォルバクさんのことじゃない……よね?」
「きっと同姓同名の赤の他人か、悪質なドッペルゲンガーあたりが悪さしてるってことでしょ? あの子にとってはたまったもんじゃないわね。女神アクアの名の下に大事な場面でトイレに行きたくなる天罰でも下してあげようかしら」
静寂を破ったのは、ゆんゆんの震える声。
ゆんゆんの脳裏にも、ついこの間までこの屋敷で優しく微笑んで下らない日常に付き合ってくれていた、あの姿が焼き付いているのだろう。
ソファにいたアクアも、紅茶のカップをテーブルに置いて憤慨したように言い放っていると、ダクネスはハッとしたように拳を握りめぐみんの方を見る。
「そうか、つまりめぐみんは、ウォルバクさんを自称する偽物の魔王軍幹部を成敗するために、王都へ乗り込むんだな!」
「なるほど! そういうことね! おかしいと思ったのよ、あの優しいお姉さんが魔王軍幹部の幹部だなんて――」
安心したように胸をなで下ろすゆんゆんだったが、めぐみんは首を振る。
「三人とも、落ち着いてください。邪神ウォルバクとお姉さんは同一人物の可能性の方が高いと、私は思ってます」
「えっ……」
ゆんゆんが息を呑む。
めぐみんはテーブルの上に広げられた新聞を見つめたまま、静かに、しかし力強く首を横に振った。
「もちろん、ゆんゆんが言った通り、同じ名を持つ赤の他人の可能性も無きにしも非ず。あるいは、何者かがお姉さんの姿と名前を騙っている可能性だって……ゼロではありません。少なくとも、その邪神とやらが本物か偽物か、実際にこの目で確かめなければ」
その言葉に、部屋の中にいた全員の視線が交差する。
めぐみんの瞳は静かに赤く輝いており、決意めいていた。
ダクネスは口元を固く引き締め。
「……その通りだな。この記事の写真では、黒煙と爆炎で顔もよく見えない。自分たちの目で確かめもせずに決めつけるのは時期尚早かもしれない。確かめに行かないとな」
「そ、そうよね! でもウォルバクさんが魔王軍幹部のわけなんてないんじゃない? もし偽物だったら、私が友達として……ううん、紅魔族の一員として、その不埒な幹部に引導を渡してやるわ!」
ゆんゆんが胸を張り、力強く宣言する。
あの温厚なお姉さんと、人類の平和を脅かす恐怖の魔王軍幹部、その二つを結びつけるのは、確かに普通に考えれば難しい。
……だが、別人の可能性があると言いながらも、めぐみんの瞳には、最初からそれが「本物」であるという確信があった。
俺にはそれが痛いほど分かってしまう。
「……ゆんゆん。わかってると主ますが少なくとも、最悪の場合を考慮しておいてください」
「さ、最悪って……」
「邪神がお姉さん本人だった時です。少なくとも私は……お姉さんが本物の幹部であると覚悟を決めた上で臨みますから」
「な、何よめぐみんってば、大げさなんだから……」
尻すぼみに消えていくゆんゆんの威勢。
威勢よく「魔王軍幹部を倒す」と啖呵を切ってみせたものの、もしその相手が大切な友人であったなら。
いざ目の前にした時に、武器を握る手が躊躇うのは当然のことだ。
めぐみんは狼狽えるゆんゆんをじっと見つめると、ふっと肩をすくめた。
「らしくないですよゆんゆん。別に、お姉さんが本物の幹部だったら、それこそ都合が良いというものです」
「まさかめぐみん! 駄目よ! いくら戦闘民族の紅魔族に生まれたからって、そんなの冷酷! 無慈悲! 鬼悪魔!」
「何を言ってるのですか!? 私はただ、お姉さんに会って、訳を聞きたいのです……」
影を落としためぐみん。
そのいつもの調子を取り戻したやり取りを見て、ゆんゆんは「ほっ……」と胸を撫で下ろし、大きく一息をついた。
「……な、なんだ。そ、そうよね! 流石にめぐみんでも、知り合いだからって油断した相手に問答無用で爆裂魔法を叩き込むなんて、そんな非情なことしないわよね! よかった……めぐみんの通り名が『無慈悲なる者』とかにならなくて本当に良かったわ……」
「…………」
「め、めぐみん? 何でそこで急にちょっと考え込んでるの? もしかして心の中で『無慈悲なる者』とかカッコいい二つ名に惹かれてたりしてないわよね!?」
「……オモッテナイデス」
「目を逸らした!? めぐみんのバカぁー!」
わざと視線をそらせて場の空気を軽くしたのだろう……わざとだよな?
本気で思っているのかどうか怪しいところではあるが、俺とダクネスはやれやれと呆れ顔で見守っていた。
だが――。
「私は無理よ」
不意に、駄女神の一言がリビングに響き渡った。
この真剣で、どこか感動的ですらあった空気感の中で、よくもまああっさりと反対意見を叩き込めるものだと、俺は逆に感心する。
「ど、どうしてだアクア! まさかお前、王都まで行くのが面倒くさいだとか、最前線で危ない目に遭いたくないとか、そんな身勝手な理由で反対しているんじゃないだろうな!?」
ダクネスが身を乗り出し、信じられないものを見る目でアクアを糾弾する。
対するアクアは、胸の前で何かを愛おしそうに抱え込みながら、ぷいっと横を向いた。
「私を見くびらないで頂戴! これでも私は、天界からこの世界の人類の平和を深く切に願う、正真正銘の女神なんですからね! 普段はともかく、今はそんな保身や面倒くささなんて、ほんのちょっとしか思ってないわよ!」
ちょっとは思ってるのか。
というか普段は思いまくってるのか。
流石は駄女神。
「じゃあ何なんだよ! どんな重大な理由があって王都行きを拒否するって言うんだ!」
「ダクネス。これには、天よりも高く海よりも深いワケがあるのよ。……これを見なさい」
ソファに深々と腰掛けたアクアは、恭しさと神聖さをもって両手の中に大事に大事に抱え込んでいた「それ」をテーブルの上にそっと置いた。
そこに鎮座していたのは――。
「……卵?」
「……よね?」
「ですね」
「だな」
全員の視線が集中する。
どこからどう見ても、近所のスーパーの特売日に見かける、ごくごく普通のサイズ卵だった。
俺は一瞬で悟り、アクアに対して「可哀想な子」を見る温かい眼差しを向けた。
「いいかアクア。残念だが、お前がその辺の市場で買ってきたその卵はな、『無精卵』って言ってな、どれだけ温めてもひよこは孵ら――」
「ちっがうわよーっ!! いくら私でもそんな初歩的なことくらい知しってるわよ! それに、これは鶏の卵なんかじゃないわ!」
「…………じゃあ何の卵だって言うんだ?」
「これはね! 訪問販売のおじさんがね『貴方様のような素晴らしい冒険者にこそこのドラゴンの卵を託したいのです!』って言って、ほんとは億越えのところをお財布全部と交換してくれたの! 素晴らしい冒険者の持ち物はすごい価値になるんですって!」
「買ったのか!? ただの卵を買ったのか!」
俺は思わず立ち上がり、テーブルを叩いて叫んだ。
「だから鶏じゃなくてドラゴンの卵だって言ってるでしょう! ドラゴンっていうのはね、生まれた瞬間から母親の深い愛情と強大な魔力を注ぎ込んで育てることで、それはもう最強のドラゴンへと成長するの! 特に、女神であるこの私の神聖なる魔力を毎日毎日たっぷりと注ぎ込んでいるのよ!? 世界の平和を祈り、将来はこの世界を統べる伝説の竜王として君臨する、超由緒正しいドラゴンとして英才教育を施している最中なの! この子が成長すれば、魔王討伐だって全部この子に任せて私達は高見の見物ができるんだから……あっ! 今、この子が殻を蹴ったの!」
殻越しに蹴ったとか分かるのか……?
しかも絶対詐欺だろこんなの。
「おいアクア、ちょっとこっち渡せ。今から高級な目玉焼き作ってやるから」
「嫌よ! 邪悪でドス黒い目をしたカズマには、この子に指一本触れさせないんだから! もう私、この子にキングスフォード・ゼルトマンっていう立派で高貴な名前もつけたんだからね!」
ヒヨコに似合わない大層な名前だ……
「とにかく! 私には今、世界平和のためにこのキングスフォード・ゼルトマンの子育てという重大な使命があるの! そんな大事な時期にガタガタ揺れる馬車に揺られたら、大切な卵が割れちゃうかもしれないでしょう!? それ以上に、王都の最前線なんていう危険極まりない場所に、生まれて間もない子を、生まれてもない子を連れて行けるわけがないじゃない!」
腕の中で卵を必死にかばいながら主張するアクア。
俺はこめかみを指で押さえながらため息をつく。
「……そんな卵くらい、誰かに預けていけばいいだろ。ほら、ウィズのところとかに頼めば、喜んで預かってくれるんじゃないか?」
「だ、駄目よ! そんなの絶対ダメ! この子は私の神聖な聖なる魔力で育てているの! あんなアンデッドの店で孵化しそうになったら、この子の放つ聖なる波動でウィズがその場で浄化して灰になっちゃうじゃないの!」
「何言ってるんだお前は本当に」
俺がため息をつくと、めぐみんが静かに立ち上がった。
そして、アクアのすぐ目の前まで歩み寄ると、その小さな膝を折り、アクアの目線に合わせて床にしゃがみ込んだ。
「……アクア」
「な、なにによめぐみん。私を説得しようとしたって無駄だからね! 親の愛は山よりも強いんだから……!」
「お願いです、アクア。……私と一緒に、王都へ来てくれませんか」
「っ……! で、でもね? このゼルトマンのお世話もあるし、私はお母さんとしての責任が……!」
「お願いです……。アクアが必要なのです」
めぐみんは、キュッと唇を噛み締めながら、上目遣いにアクアの瞳をじっと見つめた。
「で、でも……あの子が本当に王都にいるかも分からないんでしょ……? それなら、そんなに急がなくたって、この卵がちゃんと孵化して、健やかに育ってからでも……」
「…………」
「……ま、まあ?」
アクアの声が、急にうわずった。
「な、何も言わずに屋敷を出て行ったあの子には、私としても一言文句を言ってやりたいと思ってたところだし? 女神である私を頼りにされたら、断るのも器が小さいと思われるのもアレだし……と、特別に行ってあげないこともないけれど……!」
「本当ですか!? ありがとうございます、アクア……!」
めぐみんの顔が、花が咲いたように輝いた。
その笑顔を見た瞬間アクアは「もーっ! 今回だけだからね! ゼルトマンはカゴに毛布を敷き詰めて大事に抱えていくから!」と叫んでいた。
事態が一歩前進したことに俺はほっと胸を撫で下ろしていると、ふいにめぐみんがこちらへと振り向いた。
その赤い瞳が、今度は俺を捉える。
「カズマも……一緒に来てくれますか?」
少しだけ不安そうに、けれど俺なら絶対に断らないと信じ切っているような……。
昨日、俺があいつの冒険者カードにすべてのスキルポイントを注ぎ込んだ、あの出来事が脳裏をよぎる。
……まったく。どいつもこいつも、人使いが荒すぎる。
王都の最前線なんて、考えるだけで胃が痛くなるような危険地帯だ。
平穏無事にダラダラと引きこもり生活を送りたいのになぁ。
俺は頭を掻き、盛大なため息を一つ吐き出した。
「……ほんとは面倒ごとは大嫌いだし、危ない目にも遭いたくないけど……しょうがねえなぁ」
「い、いいんですか? ……あんなに嫌そうだったのに?」
「言うな! いいか、話し合うだけだからな! 戦闘とか危ないことはほかの高レベルな冒険者たちに任せる! いいな!」
「ふっ、やっぱりカズマはカズマですね」
「なんだよそれ……もしかして馬鹿にしてんのか?」
「いいえ。やっぱりカズマはツンデレなのだと」
「やっぱり馬鹿にしてんだろ!」
俺が不機嫌そうに言うと、めぐみんはどこか嬉しそうに、誇らしげに口元を綻ばせた。
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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第6章(現在の章)
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第7章
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第8章
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リメイクしてテンポよく進める