21-1 動き出す…
悪魔マクスウェルが去った翌日。
王都ベルゼルグは、これまでに経験したことのない奇妙な静寂に包まれていた。
いつもなら夜明けとともに響き渡る行商人の呼び声も、城下町の喧騒もない。
朝霧が立ち込める大通りには、ただ昨夜の激闘の名残である焦げた匂いと、冷たい冬の空気が停滞している。
まるであの巨大な悪魔が、街の活気までも一緒に食らい尽くしてしまったかのようだった。
そんな沈黙の中、俺は一人、黒く焼け落ちた屋敷の前に立っていた。
「……アルダープさん、どこ行っちまったんだ」
目の前にあるのは、かつて権勢を誇った領主の館の成れの果て。
崩れ落ちかけていた屋敷には、今回の事件を究明するために派遣された調査団たちが探索していた。
徐々に撤去されているがれきを見ながらも、錯乱した様子で走って行ったアルダープさんの後ろ姿が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
「……カズマ、あまり自分を責めるな」
「でも……」
「…………あの状況でカズマは最善を尽くした」
背後から、重厚な鎧の音と共にダクネスが歩み寄ってきた。
その隣には、眼帯を深く指で押さえたためぐみんと、心配そうにこちらを伺うゆんゆんの姿もある。
「人間、抱え込める量には限りがあるのですよ。カズマのおかげで、あの悪魔を倒すことができたんです。誇ってもらわないと」
「そうですよ。カズマさんは、最後までアルダープさんを助けようとしてた。それは、ここにいたみんなが知ってます」
三人の言葉が、冷えた体に染みる。
……だが、俺の胸中にあったのは、英雄としての誇りよりも、もっと泥臭い後悔だった。
あの時、たとえ無理やりにでもアルダープさんの腕を掴んでいれば。
王都を救ったとかそんな名誉はどうでもいい……せめて恩人であるアルダープさんのことを――。
「……あぁ。分かってる。分かってるんだけどさ……」
俺は地面に視線を落とした。
できる限りのことはやった……それは事実だ。
だが、結末がこれでは、救いがないじゃないか。
そんな俺が落ち込んでいる中。
凛とした声が響き、我々の前に一人の女性が現れた。
「――サトウカズマ殿、ならびに御一行の皆様。アルダープ殿の捜索の状況を報告に参りました」
青い制服に身を包んだ調査団の一員、王国検察官のセナだ。
彼女の後ろには、数十名もの調査官や兵士たちが控えており、着々と瓦礫の撤去作業が進められていた。
「セナさん……。何か、見つかったんですか?」
「いえ……。屋敷の瓦礫をくまなく捜索しましたが、アルダープ殿の死体どころか、生活していた痕跡すら、驚くほどに見つからないのです。まるで、最初から誰も住んでいなかったかのように……唯一発見されたのは、地下室の隠し部屋にあった、この二つの魔道具だけです」
「そんなバカな! 昨夜、確かにアルダープ殿は――!」
ダクネスが声を荒らげるが、セナは静かに俺たちにとあるものを差し出す。
それを見るなり、ダクネスは絶句した。
「……っ! そ、それは!」
「もしかしてご存じでしたか」
「ああ、片方だけだが……このネックレス、悪魔との戦闘で私が身につけていたものだ。ずっと探していたのだが、それがどうして地下に……」
昨日の戦闘でいつの間にかなくしていたものだった。
戦闘中になくしたのかと思っていたが、まさか地下にあるなんて……
「ともかく、引き続き調査して参ります。この事件の主要人物であるアルダープ殿の捜索に進展があればいいのですが……希望は薄いでしょう。アクセルの領主である彼が錯乱していたという証言もありますし、自ら失踪したというよりは、モンスターに攫われてしまった、あるいは……」
セナの言葉が途切れる。
その先を誰も口に出せなかった。
「……本当に不可解な事件です。アルダープ殿に関しては黒い噂が絶えなかったのに、どうして今まで調査をしてこなかったのか」
「でもまさかセナさんが見逃すなんてことあるんなんてな」
「私も自分を疑うばかりです。ですが、いざ調査を開始してみれば、彼を告発する証拠はおろか、不審な金の流れすら一切見つからない。帳簿も記憶も、まるで洗いたてのシーツのように潔白なのでよかったですよ」
「……潔白?」
俺は耳を疑った。
だってアルダープさん、昨夜あんなに自分の悪事を叫んでたじゃないか。
ダクネスも、信じられないといった様子でセナの顔を覗き込む。
しかし――
「事実です。関係者に聞き取りを行っても『アルダープ様は慈悲深い領主だった』という証言ばかり。一切悪い噂が消えているのは不気味ですが、善良な方だったのであればこれ以上彼に関する追求は無意味かと」
セナの言葉に、俺の脳裏にある仮説が浮かんだ。
もしかして、あの悪魔――マクスウェルの力が関与しているのか?
マクスウェルは記憶や認識を弄るのが得意だった。
アルダープさんは実際に悪事を働いていたんじゃなくて、悪魔に操られて悪行をしたと思い込まされていた……
もしくは事実そのものを捏造されていたとか……
「何にせよ、アルダープさんを操って、冤罪で社会的に抹殺しようとしている者がいるのかもしれないな……」
「……カズマの言う通りであれば、全ての辻褄は合いますね。しかし、当の本人がいない以上、真実を証明する術はありません」
めぐみんとダクネスは、沈痛な面持ちで頭を抱えた。
俺もまた、深く、長く、溜まった毒を吐き出すように息を漏らした。
バニルという悪魔が、契約によって「全ての悪事の証拠を消し去った」ことなど、今の俺たちには知る由もない。
「……後のことは、私たちにお任せください。皆様は昨夜、命を賭して悪魔から王都を救いました。まずは心身を休めるべきです。……王城で、アイリス様がお待ちですよ」
セナの労いの言葉に促され、俺たちは重い足取りで王城へと向かった。
俺たちは王城の門をくぐった。
巨大な扉が開いた瞬間、静寂は歓喜の叫びへと変わる。
「――お兄様!」
金の髪をなびかせて駆け寄ってくる小さな影。
アイリスは、周囲の近衛兵たちが慌てて制止する暇も与えず、一直線に俺の胸元へと飛び込んできた。
「アイリス! 俺たちのことを出迎えに来てくれたのか!」
「はい! 皆様ご無事でよかったです……!」
俺の服をぎゅっと掴み、顔を埋めて震えるアイリス。
その細い肩を抱き寄せると、その瞳には薄らと涙が浮かんでいた。
……おいおい、反則だろ。
こんな可愛い妹に本気で心配されて、無事を喜ばれるなんて。
王都に来てからというもの、死刑判決を受けたり、悪魔と命がけで鬼ごっこをしたりと散々な目に遭ったが、この瞬間だけでお釣りが来るってもんだ。
「……つい先日、アルダープ様から代わりに使ってほしいと、この首飾りをいただいたばかりで……。あんなに優しかった方が行方不明になったと聞いてから、もう震えが止まらなくて……。今日、皆様の元気な姿が見られて、本当に安心しました」
「……来るのが遅くなって悪かったな。確かに厳しい戦いだった。悪魔とタイマンを張ったときには、そりゃあもう三途の川が見えるくらいの死闘だったが……」
俺は腕まくりをして、逞しさをアピールしてみせる。
こんなかわいい妹に悲しい顔させちゃ兄貴失格だからな。
「ほら、この通りピンピンしてるぜ」
「一回死んだのに何強がってるの? まあ、アイリスの前でかっこつけたい気持ちはわかるけれど……あ、アイリス、私のことも褒めていいのよ! カズマを生き返らせたのはこの私なんだから!」
「えっ、し、死ん……!? お兄様、死んでしまったのですか!?」
「ちょっとアクア、黙ってろ! お前は空気読まずにシュワシュワでも飲んでろ!」
台無しだ。
この駄女神は、どうしてこうも絶妙なタイミングで余計な真実を口にするのか。
「お、お兄様は……一度、命を落とされたのですか……?」
「馬鹿の言うことは気にするなよアイリス? それより俺の活躍、聞きたいだろ。俺が悪魔相手にみんなを率いて、華麗な戦略で追い詰めた話をさ」
「私とゆんゆんで、前衛を引き受けて引っ張っていったはずなのだが……カズマ、お前は行きたくないと叫んでいただけで……」
「しぃーですよ、ダクネスさん! 確かにカズマさんが『行きたくない! 怖い!』って駄々をこねるのを無理矢理引っ張り出したのは事実だけど、せっかくかっこつけようとしてるんだから、バラしたら可哀想だわ!」
ダクネスめ……お前はアクアと違って空気読める子だろ!
わざとか、わざとなのか!?
そしてゆんゆん、お前は擁護したいのか追撃したいのかどっちだ!?
二人とも後で説教部屋行きを決定しつつ、俺は引き攣った笑みでアイリスに向き直る。
「お兄様……。あ、あの、戦う前に駄々をこねていたのですか?」
「……そ、そんなことより、俺の的確な指示で悪魔を翻弄した話だ! ちょっとばかり能力を見破って悪魔を懲らしめてやるのに手間取ったが、全ては計算通りさ!」
「結局いつも通りでしたよ。私の爆裂魔法ですべてを灰燼に帰すだけで」
横から割り込んできためぐみんが、何でもないことのように鼻を鳴らす。
「めぐみん! お前はいつも通り遠くで待機して、最後に一発撃っただけだろ! 何でそんな『大したことなかったですね』みたいな雰囲気出してるんだよ! 一番現場で体を張ったのは俺だかんな!?」
「なにおう! その言い方だと、私がまるで何もしていないように聞こえるではありませんか! 訂正してもらいましょうか。私がいなければあの悪魔の意表を突き、トドメを刺すことは叶わなかったと!」
「ちょ、コラ! 唯一無傷のやつが暴力を振るうな! もっとケガ人を労りやがれ!」
俺は杖で突いてくる脳筋魔法使いにフリーズでもかましてやろうかと構え――
それを見ていたアイリスは、思わず吹き出したといった様子で笑い出した。
「ふふっ……あはは! 流石お兄様です。皆様、本当に……本当にご無事でよかったです」
……何か『流石』の意味がちょっと違ってくる気がするのは俺だけだろうか。
褒めるというかいつも通りだと呆れているような……
まあ、彼女が楽しそうなら兄貴冥利に尽きるってもんだ。
「ふふっ……! 流石お兄様です。皆さん、本当にご無事でよかったです」
満面の笑みを向けてくるアイリス。
背後ではクレアが「はしたないですよ、アイリス様!」と顔を真っ赤にして叫び、レインが安堵のため息を漏らしている。
俺はアイリスに、改めて――。
「……遅くなったけど。ただいま、アイリス」
「お帰りなさい、お兄様!」
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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第6章(現在の章)
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第7章
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第8章
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リメイクしてテンポよく進める