「私の名はウォルバク。めぐみんとは知り合い……みたいなものかしら」
「……ウォルバク、さん?」
俺は冷たいギルドの床に這いつくばり、鼻をつく安酒と埃の匂いを吸い込みながら、その名前を震える唇で反芻した。
目の前には、冬のアクセル……いや、この泥臭い辺境の街にはおよそ似つかわしくない、暖かな陽だまりのような微笑みを湛えた美女が一人。
黒いローブ越しでも容易に想像がつく、暴力的なまでの曲線美。
特にその、重力に抗うことを放棄したかのような「豊穣の女神」もかくやという胸元のボリュームが、俺の視界を暴力的に占拠していた。
「あの、そんなにまじまじと見つめられると照れるのだけど……」
ギルド内の喧騒は、彼女が放つ圧倒的な存在感によって、まるで時間が凍りついたかのように静止している。
さっきまで俺の襟首を、親の仇のごとく力任せに掴んでいたダストの手は嘘のように力なく離れていた。
俺は無意識に、ウォルバクさんの女神のような包容力に惹かれて歩き出していた。
「えっと……怪我は大丈夫かしら、カズマくん……で、よかった? 紅魔族の二人から話は聞いてる……んだけど、本当にあのベルディアを討伐したパーティーのリーダーなの?」
ウォルバクさんが、少し困ったように眉を下げ、俺に白く細い手を差し伸べてくる。
その瞬間、俺の脳内にある勝利のファンファーレが爆音で鳴り響いて、目から自然と涙があふれた。
「ど、どういう事なの!? きゅ、急に泣き出して……もしかして痛いのかしら!? ど、どうしようかしら、私、回復魔法は使えないんだけど……って、何で手を合わせて拝んでるのかしら!?」
「お姉さん、私たちの仲間が……その、脳に深刻なダメージを負っているようでして、申し訳ありません。本来はもっと、こう……狡賢くて、卑怯な作戦を思いつく人なのですが」
「めぐみん、今の説明だとカズマさんの良いところが一つもないわよ! カズマさんもしっかりして! ウォルバクさんの前でそんな恥ずかしいことしないでよ!」
「ウォルバクさん、めぐみん、ゆんゆん。これは男という生物に生まれついた以上、耐えられない性というやつなんだ。ほら、他の冒険者たちも跪き始めただろ? これは恥ずかしいことなんかじゃない。当たり前の常識なんだ」
「本当にどういうことなの!? ねえ、さっきからこの街はどうなってるの!? 大魔法が放たれても平然としてるし、王都の冒険者たちより血気盛んだし、そして今も――」
別にいやらしくない動きのはずなんだ。
ただ、慌てたウォルバクさんがあたふたしてるだけなのに……どうしてこうも幸せな気持ちで満たされるのだろう。
ウォルバクさんがあわあわすると同時に揺れ動く胸部を見ていると、何か心の不純物が浄化されて思わず昇天しそうだ。
極楽が現世に現れたかの如く。
俺はもう死んでしまったのだろうか……錯覚するに至るほど、目の前の光景は眼福だった。
「女神だ…………俺の前に誠の女神様が舞い降りた……」
「どうしてこんなにあっさり正体を見破るの!? しかも何故か本物の信仰心に似た何かを感じるんだけど……気のせいかしら……!?」
「ふっふっふ、お姉さんもわかってますね……。流石は邪王真眼を両目に宿せし者。私ですら片目だけで、気を抜くと飲み込まれてしまう邪神の力をいともたやすくその身に同化させし者!」
「邪王真眼って何!? というか貴女のその左目の眼帯……」
やっぱり駄女神とは違って本物だ……
半信半疑だったが、駄女神どころかダクネスですら相手にならない、人知を超越した並々ならぬ存在感から導き出された答えは正しかったのだと確信する。
苦節16年、日本という極東の島国でひっそりと引きこもり、不慮の事故で命を落とし、なんやかんやでこの異世界に放り出され――
碌でもない転生特典と仲間たちに毒づきながら、キャベツを追い回し、魔王軍の幹部と戦い、機動要塞と戦い、悪魔に胸を貫かれ、借金の山に埋もれたあの日々。
すべての問題が解決して、ようやく王都という俺のかわいい妹がいる理想郷に定住……できると思っていた。
アイリスと過ごした、あの温かな時間は俺の宝物だ。
本当の兄妹のように、あるいはそれ以上に心を通わせた彼女と、俺はずっと一緒にいたかった。
しかし数多くの妨害に遭い、俺は泣く泣く初心者の街へと強制送還されてしまった。
これは、そんな数々の屈辱と苦難に満ちた道なりを歩んできた俺への、これは神からの最高級の報酬に違いない。
俺という男には、やはりこういう「包容力溢れる年上のお姉さん」を引き寄せる、天性の『幸運値』が備わっているのだ。
後ろで会話も何もできないでいる冒険者たちとは一つ次元が違うのだ。
「すみませんウォルバクさん、俺の仲間がおかしなことを言い出して。いつもの中二病なんで気にしないでください」イケボ
「わ、わかったわ……そうよね、そんなわけないものね……彼女が紅魔族なだけよね」
内心では心臓がドラムの乱れ打ちのようにバクバクと鳴り響く。
屈んだことで見えるローブの中の谷間――現前に差し出された魅惑の空間。
童貞特有の緊張で喉がカラカラだ。
しかしそれでも努めて冷静を装った。
「駄目じゃないかめぐみん。ウォルバクさんを困らせちゃ」イケボ
「な、何ですかカズマ、そのしゃべり方、気持ち悪いです……」
「何を言ってるんだいめぐみん、俺はいつも通りじゃないか」イケボ
「あの、別にお姉さんを困らせようとしたわけじゃないのですが……お姉さんを困らせたことは謝るんで、そのしゃべり方やめてください! 気持ち悪いです!!」
俺はこれ見よがしに優雅な動作で立ち上がり、膝についた土を払った。
そんな俺を見て、他の冒険者たちも泥だらけの服を払い、周囲で呆然と立ち尽くす。
――いや、呆然とはしていない。
全員、ウォルバクさんと話すための機を伺っているのだ。
互いが互いを牽制し合い、動けないでいる。
そんな冒険者たちを見て、俺はにやけそうになるのを必死に堪える。
ああ、この中でウォルバクさんと話しているのは俺だけという優越感……!
俺は後ろの冒険者たちを横目で見ると、整然とした様子でウォルバクさんをエスコートする。
これが「勝ち組の余裕」というものだと見せつけるために。
「……行きましょうか、ウォルバクさん。ここには野蛮な人が多いですから。あまり長くいると、貴女の美しさまで汚染されてしまいそうだ」イケボ
俺がウォルバクさんの腰にそっと手を添え、ギルドの外へ案内する。
その瞬間、冒険者たちが悲鳴のような声を上げた。
「待て! 待ってくださいカズマ――いや、カズマ様!」
「カ、カズマ! さっきのはちょっとしたスキンシップっていうか、その、俺たちの愛の鞭的な! ほら、これは俺がさっき注文した最高級のランクに近いエールだ! ほら、飲んでください、喉乾いてるでしょう!?」
ダストたちはさっきまで俺を叩きのめそうとしていた拳を解き、ジョッキを捧げ持って擦り寄ってくる。
だが俺はウォルバクさんを守るボディーガード。
群がるパパラッチを払いのけるがごとく、俺はそれを受け取らない。
「なあ兄弟! 悪いようにはしないからさ、そのお姉さんを紹介してくれよ! ほら、アクセルの街を案内する役目なら、この俺が……!」
「何を言うキース! お前みたいなチャラ男に、こんな高貴なお姉様は任せられん! カズマ様、俺なら彼女にふさわしい最高級の宿や食事処を完璧にエスコートできます!」
「ダスト! こんな時ばっかりかっこ付けんじゃねえ! ってか、なんかかっこつけすぎて動きが貴族然としてるというか、似合わねえというよりキモい……」
「ンだとゴラァ!!」
手のひらをドリル以上の回転速度で返してくる冒険者たち。
だが、今の俺は王都で「本物の英雄」としての洗礼を受けてきた身だ。
こんな安いお世辞に、そう簡単に靡くわけない。
「……ふーん。なあ、お前ら。さっき俺のことをなんて呼んだ? 『クズマ』だの『ロリマ』だの、挙句の果てには『死刑に値する』とか言ってなかったか?」
「そこまでは言ってないよ! せいぜい『無期懲役』か『国外追放』止まりだよ!」
「言ってたじゃねえか!!」
「なあ頼むよカズマ! 俺はほかの野蛮な奴らとは違うから……な?」
ダストが必死に食い下がる。
しかし、俺は冷酷に、あえてゆっくりと言い放った。
「紹介? するわけないだろ。お前らみたいな、仲間の凱旋を暴力で祝うような野蛮人に、このお淑やかで美しいウォルバクさんに近づく権利はない! お前らは俺の隣で幸せそうに微笑むウォルバクさんを、遠くから指をくわえて眺められるだけでもありがたいと思うんだな。……さあ、ウォルバクさん、こんな掃き溜めみたいな場所はさっさと出ましょう。俺の屋敷なら、もっと高級な茶葉がありますから」
俺が胸を張り、ウォルバクさんの隣を指定席と言わんばかりに陣取ると、ギルド内の空気が一変した。
ギルド内の気温が、物理的に数度下がった。
目の前の男たちの瞳から光が消え、どす黒い「殺意」と「怨嗟」が混ざり合った、魔王軍の幹部でも出さないような禍々しいオーラが噴き出す。
「…………おい、今、こいつ何て言った?」
「……カズマ。お前、自分が何をしたか分かってるのか? 全アクセル人男性の、なけなしの希望を粉砕したんだぞ……」
「袋叩きだ!! もう、こいつを生かしておいちゃいけねえ……!!」
負け犬の遠吠えが聞こえるぜ。
そう思っているとウォルバクさんが、引き気味に俺の袖を引いた。
「あ、あの、カズマくん? 今のは流石に煽りすぎじゃないかしら。ほら、あっちの人たちの目が……さっきより、その、猛獣の檻に生肉を放り込んだ直後みたいなことに――」
「シー」
俺はそっとウォルバクさんの口元に指を当て、不敵な笑みを浮かべた。
「安心してください、ウォルバクさん。貴女は怪我をしないように、一度外に出ていてください。……ここは、俺がなんとかします」
俺は彼女を出口の方へと促し、背中で守るように戦闘態勢をとった。
そして、呆然としていた仲間たちに叫ぶ。
「おい、出番だぞお前ら! めぐみん、ゆんゆん、ダクネス! こいつらに目にモノ見せてやれ! 俺はこのお姉さんを守りながら後方から魔法で援護……」
「……行きましょう、お姉さん。ここには、救いようのないアホと、それ以上に救いようのない自業自得なバカしかいないようです。クズマがなんとかしてくれるそうなので、今のうちに安全な場所へ避難しましょう」
俺が言葉を言い切る前にギルドの重厚な扉が非情な音を立てて閉ざされた。
仲間3人の背中は既に見えない。
「………………え? あ、ちょ、おま、待てよ! 置いてくなよ! せめてダクネスだけでも置いてけよ! めぐみんとゆんゆんは魔法使いだからいいとしても、流石にダクネスがいないと死ぬって! おい!?」
ドアが開く気配はない。
俺が愕然として立ち尽くしていると、背後からガシリと、鋼のような力で両肩を掴まれた。
冷や汗を流しながら、スローモーションのように後ろを向く。
そこには、暗い影を落とした顔で、静かな笑みを湛えた冒険者たちが、ぎっしりと並んでいた。
「……あ、あのー。今ならウォルバクさんの、その、好きそうな食べ物の情報とか、あるいは俺の全財産の半分を差し出すという条件で、停戦を……」
「「「するかぁあーーーーーっ!!!」」」
最近忙しいので投稿頻度が減りそうです。原作小説1巻分を1章として、どこまで書こうかという…
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第6章(現在の章)
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第7章
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第8章
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リメイクしてテンポよく進める