Hellbound Echoes   作:ゲット虚無

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100歳越えのジジイが20代の子を慰めるって字面だけ見れば、まぁ業の深いこと.....


元カノ軍団との対決 後編

 

カモメの鳴き声が、どこか間の抜けた調子で空に吸い込まれていく。

青一色に広がる空の下、波はゆったりと寄せては返し、砂浜に白い泡を散らしていた。

楽園のようにのどかな光景。だがその片隅には、ひとり小さな嵐を抱えた少女がいた。

 

人間の姿のルーナはパラソルの影の下で腕を組み、膝を抱えて小さく丸まっている。

その背中は意地を張っているようで、同時にどこか心細げだった。

未開封の炭酸飲料の缶が二つ、砂の上に転がり、太陽を反射してきらりと光る。

 

彼女を見下ろすオスカーは、片手を腰に当て、困ったようにため息を吐いた。

普段なら軽口ひとつであしらえる相手だが、今回は事情が違う。

 

「なぁ……いい加減、パラソルから出て来いよ」

 

声をかけても、ルーナは顔を上げずに沈黙を貫く。

潮風が彼女の銀髪をかすかに揺らすだけだった。

 

オスカーは頭を掻きながら続けた。

 

「いや……その、お前が失恋したばかりなのは分かるけどよ……えっと……げ、元気だ、出そうぜ!」

 

ぎこちなく言葉を選んでいるのが丸わかりだった。

慰めるつもりで口を開いているが、どこか不器用で、空気に馴染まない。

それでもどこか放ってはおけなかった、本人もなぜそう思ったのか疑問ではあるが

 

「……………うるさい」

 

ルーナは小さく呟いた。

その声は、かすれていて、普段の彼女らしい棘が少し欠けていた。

 

「いや、でもな——」

 

「うっさい!!!!!」

 

堰を切ったように声を張り上げたルーナが、真っ赤な目で睨みつけてくる。

その目の縁がわずかに赤く染まっているのを見て、オスカーは思わず言葉を詰まらせた。

 

(……チッ、面倒くせぇことになったな)

 

 オスカーはため息を一つつき、砂にしゃがみ込んでルーナと同じ目線に合わせる。

 

「……お前さ、そもそも"フラれた"わけじゃないんだろ?」

 

「……うるさい」

 

「いや、聞けって。アイツ(ボルテックス)には彼女がいるって話だ。つまり、お前の気持ちは伝わる前に終わったってだけだろ」

 

「"終わった"って言うな……」

 

ルーナはふてくされたように顔を背け、再び膝を抱え込んだ。

 

オスカーは無言で転がっていたコーラの缶を拾い、軽く彼女の膝に置いた。

 

「……まぁ、なんだ。飲めよ」

 

「……いらない」

 

「いや、飲めって」

 

「……いらないって言ってんでしょ!!!」

 

ルーナは勢いよく払いのけ、缶は砂を転がってオスカーの足元で止まった。

彼はそれを拾い上げ、何も言わずにプシュッと開けて一口飲む。

 

「……は?」

 

「ったく、せっかく奢ってやったのに。無駄にするのもアレだし、俺が飲むよ」

 

「は!? なんでアンタが飲んでんのよ!!!」

 

「いや、お前がいらねぇって言ったんだろ」

 

「……チッ……」

 

 ルーナは唇を噛み、睨み返すことしかできなかった。

 

 砂浜に小さな沈黙が落ちる。

 やがてルーナは、吐き出すように呟いた。

 

「……別にさ……期待してなかったし……」

 

 その声は、かすかに震えていた。

 

「彼に彼女がいることくらい、そりゃ心のどこかでいると思ってたわよ。彼、素敵だし……でも……でもさぁ……」

 

「……でも?」

 

「やっぱ、ショックなんだよ……!」

 

彼女は悔しさを隠すように、足元の砂を蹴り飛ばした。  

 

オスカーはそんなルーナの姿を見つめながら、少しだけ考え込む。  

 

こういう時、相手に何と言ってやればいいのだろう。  

 

そもそも、”現在のオスカー”は"恋愛"というものにあまり興味がない。

生前の自分に関しては分からないが、現在の彼は百歳を超える悪魔.......女性に言い寄られても、適当に流してきたし、誰かを本気で好きになった経験もほとんどない。

 

だからこそ、こういう"失恋"の痛みに対して、何を言えばいいのか分からなかった。

 

それでも——

 

オスカーはふっと息を吐き、ルーナの頭を無造作にポンと撫でた。

 

「お前は可愛いんだから、そのうち良い相手が見つかるだろ」

 

「——は?」

 

 ルーナの耳がピクリと動き、赤みを帯びた顔がこちらを向く。

 

「……え? いや……え?」

 

「ヘルハウンドの中でも悪くない顔してるし、そこそこスタイルもいいし、男受けも悪くないだろう?いつかは春が来るだろ、それを待ってな」

 

 ルーナの思考が一瞬、完全に止まった。

 

「……え? いや、ちょ、え?」

 

 壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す。

 

 そして——

 

「な、ななな、何言ってんのよ!!??」

 

 ルーナは真っ赤になり、オスカーの腕を全力で払いのけた。

 

「……ア、アンタ 今、変なこと言っただろ!?!?!?」

 

「はぁ.....変なこと? いや、事実を言っただけだろ?」

 

「バカか!!? そんなこと言うな!!!!!」

 

 ルーナはパラソルの下に後退りしながら、耳まで赤く染めて睨みつける。

 

「……っ、もういい! ほっといて!!!」

 

「はぁ~わーたっよ。ブリッツに俺が慰めに来たか聞かれたら、ちゃんとYESって言っててくれよ」

 

 オスカーは煙草を咥え、紫煙を吐きながらやれやれとその場を離れていく。

 

 ルーナは彼の背中が遠ざかるのを見つめ、しばらく唇を噛んでいたが、やがてポツリと呟いた。

 

「……バカ」

 

 その表情には、ほんの少しだけ柔らかさが戻っていた。

 失恋の痛みはまだ胸に残っている。

 けれど、心の奥がほんの少しだけ軽くなっていることに、彼女自身も気づいていた。

 

 それを素直に認めるのは癪だったが——

 

「……まぁ、いっか」

 

 ルーナは深呼吸をひとつして、パラソルの影からゆっくりと外へ歩き出した。

 陽射しが彼女の銀髪を照らし、砂浜の白さに反射して、眩しいほどに輝いていた。

 

▼▼▼▼

 

戻ってきたオスカーが見たモノ、それは.....

 

悲鳴、爆発音、砕ける波の轟音。

 

 そして、海の向こうには——"怪獣"。

 

「おい、なんだありゃ……」

 

オスカーはビーチに立ち尽くしながら、その異様な光景を見つめた。

水しぶきを上げながら、海の上にそびえ立つ巨大な影。

 

まるで"深海の悪夢"が具現化したような、恐るべき怪獣だった。

 

——青黒いウロコが鎧のように全身を覆い、巨大なヒレが波を切り裂く。

——目は鈍く光り、不気味に蠢く触手のようなヒゲをたなびかせている。

——鋭い牙が海水を滴らせ、人間を捕らえようと口を開いていた。

 

その姿は"魚"をベースにした巨大怪獣そのものであり、ビーチの人々を無差別に襲っている。

 

この時、オスカーの脳内にある"バカの顔"が浮かぶ。

 

「ブリッツ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

次の瞬間——本当に、そのバカがいた。

 

ビーチの反対側で、妙に慌ただしく走り回っているブリッツの姿を発見。

オスカーは迷うことなく駆け寄り、思い切り胸倉を掴んだ。

 

「今回は俺じゃねぇよ!!!!!!」

 

ブリッツは反射的に反論した。

 

「じゃあ、なんでビーチにあんなもんがいんだよ!!!!ここは日本か!?あの怪獣、どう見ても嫉妬の階層の住人と似てるぞ!!!! 」

 

オスカーはブリッツを睨みつける。

しかし、ブリッツは全力で首を横に振った。

 

「知らねぇよ!!! 俺も人間狩りやってたら、急に現れたんだっての!!あんなゴジラみてぇなもんに俺が関わってると思うか!?」

 

「てめぇ、それ本当だろうな!?

 

「ルシファーに誓ってもいい!!! 本当だ!!」

 

 オスカーは苛立ちを隠せず、頭をガシガシと掻きむしる。

 

「あーーークソっ……地上でなんかで力を使うなんて無駄なことしたくなかったってのに!!!!」

 

彼は息を吐き、ゆっくりとサングラスを外すと共に姿を悪魔へと戻す。

 

オスカーは深く息を吐き、目を閉じる。

 

そして、その目を開いた瞬間——。

 

彼の背後に"無数の紅い剣"が生成された。

 

オスカーの周囲に、紅い剣が幾本も浮かび上がる。

 それらはまるで意思を持つかのように、怪獣を狙って宙を舞った。

 

次の瞬間、彼は指を鳴らす。

 

"魔剣の雨"が降り注いだ。

 

"無数の剣"が、怪獣の鱗を斬り裂く。

深紅の刃が、骨まで貫通し、海水が血で染まる。

 

 しかし——

 

「……タフな野郎だ」

 

傷口は瞬く間に塞がり、怪獣はオスカーに向かって咆哮を上げる。

 

「そら、次が来るぞ?」

 

オスカーは薄く笑い、さらに剣を増やし、地面からも刃を生やす。

逃げ場を奪い、怪獣を完全に包囲した。

 

——そして、次の手を打つ。

 

「そろそろ、決めてやるか」

 

オスカーは再び指を鳴らす。

 

空間が揺れ、数体の黒く禍々しい羊の頭蓋骨が出現する。

悪魔の骸のようなそれは、怪獣をロックオンし、次の瞬間——

 

"一斉射撃"が開始された。

 

紅い光線が、一斉に怪獣へと放たれる。

 焼ける海水、蒸発する水蒸気、爆発の衝撃波がビーチを揺るがす。

 

怪獣は断末魔のように叫びながら、のたうち回る。

しかし、それでもまだ生きていた。

 

オスカーは煙草を吐き捨て静かに告げる。

 

「……終幕だ、そのままくたばれ」

 

彼の周囲に、再び"紅い剣"が無数に浮かぶ。

 

その数は先ほどの物とは比べ物にもならない数である

 

それらが一斉に怪獣へと襲いかかる。

 

「さすがにこの数の”一斉放火”はお前でも堪えるんじゃないか?」

 

 

怪獣の周囲を四方八方埋め尽くす程の頭蓋骨......それは口を開き、その奥に宿る多くの紅い目は怪獣を凝視していた。

 

 巨大な——紅い閃光が爆発と共に怪獣を包み込んだ。

 

「……」

 

戦いの余韻はまだ砂浜に漂っていた。

つい先ほどまで荒れ狂っていた波はようやく落ち着きを取り戻し、打ち寄せる潮が白い泡を残して引いていく。

散らばる瓦礫と折れた建材の破片、魚臭さと潮の香りが混じり合い、現場はまだ混沌の爪痕を残していた。

 

それでも、周囲に集まっていた人間たちは興奮冷めやらぬ様子で、口々に何かを囁き合っている。

怪獣との激闘を目の当たりにした興奮と恐怖が、ざわめきとなって砂浜を覆っていた。

 

そんな喧噪の中で、ただ一人。

オスカーは深々と息を吐き、サングラスをゆっくりとかけ直す。

ポケットから煙草を取り出し、カチリとジッポを鳴らすと、小さな焔が揺れて彼の指先を赤く染めた。

煙をくゆらせながら、視線を遠くへ流す。

 

そこには、口を大きく開けてこちらを見ているブリッツの姿。

彼に向かってオスカーは無造作に吐き捨てるように言った。

 

「おい、マジでお前じゃないんだろうな?」

 

その一言に、ブリッツは即座に顔を引きつらせ、肩を怒らせて全力で反論する。

 

「俺じゃねぇって言ってんだろ!!!!! たっく……」

 

彼の声が海鳴りのように響いた、その時——。

 

「ブリッツォ」

 

冷ややかな声が背後から落ちてきた。

振り返ると、砂浜に立っていたのはヴェロシカ。

取り巻きたちを従え、余裕たっぷりの笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている。

彼女のピンク色の瞳が、獲物を狙う猫のようにブリッツを射抜いた。

 

「ナイスタイミングだ、淫乱娼婦だもんな?」

 

ブリッツは眉をしかめ、毒舌を投げつける。

だがヴェロシカはそれをさらりと受け流し、むしろ勝ち誇ったように肩をすくめた。

 

「結果は、火を見るよりも明らかでしょ?」

 

砂浜に冷たい笑みが響く。

 

——だが、場の空気を切り裂くように別の声が割り込んだ。

 

「ねぇ……これ、私たちの物じゃないんだけど?」

 

現れたのはミリーだった。

その手には金属製のスキットル。光沢のある表面には、見覚えのあるハート模様の意匠が刻まれている。

それをヴェロシカへ突きつけながら、怪訝そうに目を細めていた。

 

しかし、その背中には完全に出来上がったモクシーが担がれている。

オスカーはその光景に眉をひそめ、低く問う。

 

「ミリー、モクシー……それ、どうしたんだ?」

 

モクシーは普段、用心深く酒にも滅多に呑まれない。

その彼がぐでんぐでんになっているなど、滅多に見られない光景だった。

 

「まぁ……色々あってね」

 

ミリーは苦笑しながら肩をすくめる。

背中のモクシーは顔を真っ赤に染め、半開きの目でオスカーを睨んだ。

 

「んだぁ~~~~~よ? なに見てんだよオス~~~~カ~~~~~~~ うぇ~~ ヒック」

 

声は呂律が回らず、完全に酒に呑まれている。

潮風に混じって漂うのは、強烈なアルコールの匂いだった。

 

(……相当飲まされたな)

 

オスカーは目を細め、額に手をやった。

 

ミリーはスキットルを投げ渡し、鋭い声でヴェロシカを牽制する。

 

「不味いんじゃないの? あの魚のバケモノの原因がアンタ達だってバレたら?」

 

その瞬間、取り巻きたちの表情が凍りつく。

言葉を探すように視線が泳ぎ、焦燥の色が滲んだ。

 

「ひぇっひぇっ、サタンに大目玉を喰らうぞぉ~~~~~~?」

 

モクシーがふにゃりと笑いながら、子供のように楽しげな声を上げる。

その挑発に、ヴェロシカの顔から余裕が消えた。

 

「た、確かに……でもアンタらが変身してないのも問題でしょ?」

 

無理に話題を逸らそうとするが——。

 

「へっ、人間にはオポッサムって言われた~~~よ! オレはポッサムじゃ……ない」

 

そう呟いたかと思うと、モクシーは力尽きたようにバタリと倒れ、砂浜に突っ伏した。

 

ビーチには再び波音と、遠くのDJブースから響く雑音じみた音楽が混じり合う。

オスカーは静かに目を細め、そのカオスを見つめた。

 

(……さて、この惨状、どう収拾をつけるか)

 

思案する間もなく、ブリッツがドヤ顔で腕を組み、声を張り上げた。

 

「なぁ、このB級映画みたいな惨状のことは黙っててやるよ? 駐車場を譲ってくれればな?」

 

オスカーはこめかみを押さえ、深々とため息を吐く。

 

「お前、まだそれを言うか……」

 

「あーーー、クソ、分かったわよ」

 

渋々と眉をしかめ、ヴェロシカは譲歩の姿勢を見せる。

 

その瞬間——。

 

「HAHAHAHAHAHAHA!!! 大勝利だ!!! ざまぁみろビッッッッチ!!!! HAHAHAHA!!!!」

 

ブリッツの高笑いが夜の浜辺に轟いた。

その醜態に、オスカーは心底呆れたように天を仰いだ。

 

 砂浜に沈む夕日が、ブリッツの無駄なテンションを照らしていた。

 

一方、その頃——

 

ビーチの片隅。

陽射しの届かない岩陰に近い場所で、ルーナは砂の上に座り込み、膝を抱えていた。

周囲では笑い声や音楽がまだ響いているが、ここだけは切り取られたように静かだった。

 

彼女の正面には、屈んで優しく手を差し伸べるテックスの姿があった。

その仕草はどこか不器用ながらも真摯で、彼女の孤独を埋めようとしているようだった。

 

「その……俺は君とは付き合えないが、友達にはなれる……それじゃあダメかな?」

 

言葉は穏やかで、けれど誠実さが滲んでいた。

 

ルーナは驚いたように顔を上げる、彼女の赤い瞳がわずかに揺れ、迷いを見せながらも——やがて差し出された手へと視線を落とした。

 

ほんの一瞬、逡巡するようにその手を見つめ、それからゆっくりと指先を伸ばす。

 

「……あ、ううん。それで大丈夫よ。ありがとう……気遣ってくれて」

 

かすかに震える声でそう答え、ルーナはテックスの手をそっと握り返した。

口元には無理に形作られた、ぎこちない微笑み。

それでも、心の奥で少しずつ張り詰めていた糸が緩んでいくのを感じていた。

 

テックスはそんな彼女に安心したように笑いかける。

 

「ハハハ、大丈夫。君にもきっと、いい相手は見つかるさ」

 

 軽やかな言葉の裏には、真っ直ぐな励ましがあった。

 

そして、ふと何かを思い出したかのように指を鳴らす。

 

「そうだ、オスカーとかはどうだ? 確かにアイツは歳食ってるけど、女の子への対応は紳士のそれだぜ?」

 

唐突に出てきた名前に、ルーナの耳がピクリと跳ねる。

 

「ハッ……ハァ!? オスカー!? なんでアイツ!!? あんな年中、煙草と地上の小説の新刊がいつ出るかくらいしか考えてないジジイ!!!?」

 

思わず声を荒げるルーナ。

その反応があまりにも直情的で、テックスは腹を抱えて笑った。

 

「HAHAHAH!! 酷い言われようだなアイツ!! でもな、腹割って話してみなよ? 実を言うとな——アイツの普段の態度や喋り方って素じゃないんだぜ?」

 

「えっ……それってどういう——?」

 

ルーナの目が丸くなる。

彼女の胸の奥で、小さな疑問と興味が芽生えかけたその時——

 

『テックス、帰るわよ!!!!』

 

遠くからヴェロシカの鋭い声が響いた。

砂浜のざわめきに紛れながらも、彼女の命令口調は際立っている。

 

テックスは苦笑し、肩をすくめながら立ち上がる。

 

「おっと、ボスのお呼びだ。じゃあなルーナ、もしなんかあったら連絡してくれよ?」

 

彼の言葉に、ルーナは一瞬だけ迷うように口を開きかけ——

そして小さく頷き、か細い声で返した。

 

「……えっ、ええ……」

 

その返事は波の音に溶けるほど小さかったが、確かに届いていた。

 

テックスが去り、足音が遠ざかる。

残されたルーナの耳には、再び波の音とカモメの声だけが響く。

 

——ビーチに、再び静寂が戻った。

 

ルーナは砂浜に視線を落としながら、胸の奥に残る小さな違和感をそっと抱きしめる。

それはまだ形にならない感情。

だが彼女の心の中に、確かに芽生え始めていた。

 

▲▲▲▲▲

 

「手を上げろ!! この病気の異常者共!!!!」

 

突如、拡声器から鋭い声が響き渡った。

同時にサイレンの甲高い音が砂浜を切り裂き、夜の空気を震わせる。

 

数台のパトカーが砂浜の入口を封鎖し、赤と青の回転灯が波打ち際を血の色に染め上げていた。

さらに上空からはヘリコプターのライトが白々しく照らしつけ、逃げ場などないと告げるように光の檻を作り出す。

 

砂浜に砂煙が舞い、十数人の武装警官たちが一斉に展開した。

黒いライフルの銃口が揃ってヴェロシカたちへと向けられ、その無機質な光景が緊張を一気に極限へと押し上げる。

 

ヴェロシカは深くため息を吐いた。

わずかに肩をすくめ、口元に皮肉げな笑みを浮かべる。

 

「ハァ……さぁ皆、警官共のアレをしゃぶるわよ?」

 

軽口とは裏腹に、その場にいた取り巻きたちの表情は引きつる。

冗談を言えるほどの余裕はなく、誰もがため息交じりに顔をしかめていた。

 

——これが人間界に来るリスク。

 

ヴェロシカは内心でそう呟いた。

地獄の住人が目立てば、必然的にこうした反応を引き起こす。

だからこそ、この展開は彼女にとって“想定内”でもあった。

 

だがその緊迫した空気を切り裂くように、不意にどこからともなく声が響いた。

 

「やぁやぁ、どうも警察の皆々様。お勤めご苦労様です。」

 

その場の全員が一瞬、動きを止める。

ヴェロシカが目を向けると——

すでに地獄へ帰還したと思っていたオスカーが、いつの間にか人間の姿で静かに歩み出ていた。

 

彼の足音は波音に混じって小さく、それでいて確かに場を支配する力を持っていた。

警官たちが一斉に銃口をそちらへと向ける。

 

「な、なんだね、チミは?」

 

指揮官らしき男が叫ぶ。

声の裏に混じるのは威圧ではなく、抑えきれない困惑。

 

だがオスカーは一歩も引かず、穏やかな笑みを浮かべていた。

その表情は、銃を向けられていることすら日常の一部に過ぎないかのように落ち着き払っている。

 

「いえですね、彼女たちも巻き込まれたわけなので、助太刀にきたんですよ。」

 

砂浜を渡る夜風が、彼のシャツの裾をふわりと揺らす。

軽く肩をすくめながら、オスカーは真っ直ぐに警官たちの目を射抜くように見つめ返した。

 

その眼差しには、言葉以上の圧力が秘められていた。

 

そして——

 

「……まぁともかく……"お前達、俺の目を見ろ"

 

オスカーの瞳が妖しく紅く染まった。

深紅の光がゆらりと揺らめき、まるで地獄の業火が彼の眼窩に宿ったかのように燃え上がる。

 

その視線を受けた警官たちは、息を呑む間もなく硬直した。

鮮烈な赤光が夜の闇を裂き、彼らの視界を覆い尽くす。

それは光というより、意識そのものに直接焼き付くような圧倒的な「存在感」だった。

 

次の瞬間——

 

警官たちは一斉に銃を下げた。

ライフルが砂浜に向かって力なく傾き、金属音を立てながらストラップに揺れる。

 

まるで糸が切れた操り人形のように、彼らの動きは緩慢になり、顔から生気が抜け落ちていく。

瞳は虚ろに濁り、ただ一心にオスカーを見つめていた。

 

波の音とヘリの羽音だけが響く中、オスカーは一歩前へと進み出る。

風に揺れる煙草の煙を吐き出しながら、静かに、しかし絶対的な支配者の声音で告げた。

 

ここでは何も起きなかった。だから帰れ、いいな?

 

その言葉は夜の空気に溶け込みながら、直接警官たちの脳裏へと刻み込まれていった。

 

「「「「「「……はい、仰る通りです……」」」」」」

 

警官たちは声を揃えて答えると、夢遊病者のように無表情のままパトカーへと乗り込んでいった。

ライフルを持つ手は力なく垂れ下がり、その姿には先ほどまでの緊張感も使命感も存在しない。

ただ操られた人形のように、淡々と撤退の動作を繰り返すだけだった。

 

上空で唸りを上げていたヘリコプターも、同じく緩やかに旋回を始める。

サーチライトの光は砂浜から外れ、やがて夜空に吸い込まれていった。

 

——そして浜辺には、再び波の音だけが残った。

 

オスカーは無言でポケットから煙草を取り出す。

唇にくわえ、ジッポを鳴らすと、小さな炎が一瞬、夜の闇を照らした。

紫煙をゆっくりと吐き出しながら、彼は何事もなかったかのように振り返る。

 

「ふぅ~~~~助かったぜ、オスカー。危うくやりたくもねぇ仕事をするハメだった……」

 

テックスが両肩を大きく落とし、深く息を吐いた。

その顔には、緊張の糸がぷつりと切れた者だけが見せる安堵が浮かんでいた。

 

一方でヴェロシカは違った。

彼女は腕を組み、じっとオスカーを見つめる。

その眼差しには、驚きと興味、そして計りかねる思惑が滲んでいた。

 

「オスカー、なんで貴方、私たちを助けてくれたの?」

 

問いかける声は柔らかいが、瞳の奥は決して油断していない。

 

オスカーは煙を吐きながら答えた。

 

「まぁ、友人のテックスが君らの職場にいたからってのと……」

 

視線をちらりとヴェロシカへ投げ、口元に苦笑を浮かべる。

 

「その……君に関してはブリッツ関係で気が合いそうというか、苦労した感じあって、同族意識感じたっていうか。」

 

ヴェロシカは細めた瞳で彼を見据え、ふっと鼻を鳴らした。

 

「ハァ……貴方、本当にアイツの下で苦労してるのね? ねぇ、本当にウチに来なくて大丈夫?」

 

彼女の声は冗談めいていたが、その奥底には真剣さが滲んでいた。

 

オスカーは苦笑を深め、肩をすくめる。

 

「あーうん、大丈夫だ。アイツとはもう腐れ縁だし……」

 

「そう……」

 

ヴェロシカは小さく頷く。

その言葉の裏にあるもの——ブリッツへの執着、あるいは絆の深さに気づき、彼女は心中でため息をついた。

 

——この男は、簡単には“己の居場所”を変えない。

 

それを理解した瞬間、彼女は逆に確信する。

だからこそ欲しい、と。

だからこそ、この場で引き抜かなければ、と。

 

しかしオスカーの次の言葉は、彼女の予想を外した。

 

「それと……駐車場の件なんだが……俺の根回しで場所作ったから、そこ使ってくれ。」

 

「えっ!? いいの!?」

 

ヴェロシカは目を見開き、思わず身を乗り出す。

 

オスカーは紫煙を吐き出しながら、肩をすくめる。

 

「ああ、だって別の場所また探すの大変だろ? 君らも元々契約してたわけだし、あのバカには俺から伝えておくからさ?」

 

その軽い調子に、ヴェロシカは一瞬、言葉を失った。

 

この男は——

何も見返りを求めず、ただ純粋に手を差し伸べてくる。

それがどれほど“珍しいこと”なのか、彼女は痛いほど理解していた。

 

だからこそ——

 

「ねぇ、オスカー!!!!」

 

ヴェロシカは衝動のままに、彼の肩を両手で掴む。

 

「ウチに来て!!! 貴方みたいな人が、あんな会社で腐っちゃダメよ!!!!」

 

声は震えていた。

彼女の言葉は、心からの本気だった。

 

だが——

 

オスカーはただ、困ったように笑うだけだった。

 

「あー、ハハハ……」

 

その笑みの奥に、言葉では切り捨てられない感情が沈んでいた。

 

彼等の間にある腐れ縁は、そう簡単には断ち切れるものではないのだから。





ブリッツ「はぁ!?駐車場の場所をアイツらに新しく貸した!?お前!!なに余計なこと」

オスカー「だぁーてろ!!!!バカが!!!」
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