Hellbound Echoes   作:ゲット虚無

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あと一か月とはいえハズビンのシーズン2が待ち遠しい......


井の中の蛙

 

地獄の夜は喧噪に満ちている。街灯の代わりに点る赤いネオンが路地を血のように染め、あちこちで殴り合いの声と嘲笑が混じり合っている。煙草の青い煙と新鮮な血の匂いが風に溶け、呼吸はいつしかその毒に慣れてしまう。叫び声、笑い声、断末魔の呻きが入り交じり、夜空へと溶けていった。

 

この世界では力がすべてだ。握る拳が正義を決め、握る牙が運命を刻む。力ある者が奪い、支配し、踏みにじる。逆らった者はすぐに地面へ這いつくばり、そこが新たな風景となるのだ。罪深く生まれ変わった者たちの運命は、容赦なくそう規定されていた。

 

薄汚れた路地の奥、無数のネオンが遠くでちらつくその影で、オスカーは静かに闇に佇んでいた。コートの裾に落ちた埃が風に舞い、彼の輪郭だけが濃く夜に浮かぶ。足元には、既にかたちを留めない者が転がっている。肉と骨と泥が混ざり合い、そこから染み出す真紅が石畳を膨張させていた。

 

呻き声がかすかに漏れる。"それ"は、今ではただの肉塊だ。腕は不自然に折れ、顔は原形を失い、口からは泡と血が混じった泡沫が溢れている。生気はほとんど抜け落ち、ただ細い意志だけが痙攣のように震えていた。

 

オスカーはそれを見下ろし、冷えた声で呟く。

 

「全く……俺に喧嘩を売ったのが間違いだったな」

 

簡潔な言葉に含まれるのは、諦観と怜悧さ。地獄には己の力を誇示する愚か者が多い。喧嘩を売る者は、往々にしてその末路を知らない。殺るか、殺られるか。結末はどちらにせよ残酷だ。

 

彼は懐から煙草を取り出し、指先で火を点ける。小さな炎が顔を赤く染め、紫煙がゆらりと夜に消えていく。煙を吐きながら、オスカーの瞳がふと赤く瞬いた。静かな観察者の目が、ほんの少しだけ刃のように尖る。

 

「……これで終わりか?」

 

血を吐きながら地面にもがく悪魔が、かすれた声でどうにか言葉を紡ごうとする。耳に残るのは哀願にも似た響きだが、オスカーの表情は動かない。彼の足が一歩踏み出され、無慈悲な判決を下すための時間がゆっくりと流れる。

 

「終わりに決まってんだろ」

 

言葉は冷たく、靴の裏が顔面を捉える。ミシッ——不快な軋みが路地に響き、周囲にいた数匹の下級悪魔が震え上がる。痛みと恐怖がその身体を弛ませ、動かす力を奪う。

 

「生憎、俺は“敵には”慈悲深くねぇんだよ」

 

オスカーは煙草の灰を落とし、呆然とした者を見下ろす。だが、いたぶるだけでは終わらない。彼の指が軽く鳴ると、暗闇の中から黒い骸骨が浮かび上がる。ゼノブラスターの黒い頭蓋骨群が、彼の周囲を冷たく取り囲んだ。

 

悪魔の目が恐怖で見開かれる。生き延びるという本能が、最後の抵抗を促すが、もはや時間は残されていない。オスカーは薄く笑みを浮かべ、試すように口を開く。

 

「ま、オレたち罪人ってのはしぶといもんだからな」

 

刃のように細い笑いが漏れる。続けて、彼は冷淡に言った。

「……だが、"本当に殺しきれるかどうか"、試してみるのも面白いだろ?」

 

その言葉が空気を切った瞬間、無慈悲な光線が黒い頭蓋骨の砲口から放たれる。冷たい閃光が暗がりを切り裂き、焼けた臭いと一緒に、悪魔の悲鳴が夜に溶けていった。

 

▼▼▼▼

 

さて、彼が格下の悪魔を相手にここまで徹底的に痛めつけた理由は、ただの気まぐれではなかった。明確に二つあった。

 

一つ目は——「忠告を無視した」こと。

二つ目は——「珍しく気分のいい日にケチをつけてきた」こと。

 

どちらも、この地獄で生き延びるには致命的な過ちである。忠告を無視するのは、己の命を投げ捨てるような行為だ。そして、わずかな安らぎを踏みにじるのは、オスカーにとって何よりの禁忌だった。

 

今週はブリッツたちが怒りの領域——憤怒の階層にて収穫祭へ出かけているため、I.M.Pは数日間の休業。普段なら絶え間なく巻き込まれる騒動もなく、事務所には珍しく静かな空気が流れていた。オスカーも祭りに誘われはしたが、迷うことなく断った。

 

久方ぶりに訪れた「平穏」を、手放す理由などどこにもない。

そもそも彼は上級悪魔であろうと、根は「罪人」である。表立った理由もなく階層を移動することなど、簡単に許されるはずがない。

 

実際のところ、以前に強欲の階層——ルールーワールドへ足を踏み入れられたのも、ストラスらの護衛という「正当な名目」があったからに過ぎなかった。

もしその理由がなければ、今ごろはサタンの気まぐれの餌食となっていただろう。

 

地獄の支配をルシファーに代わって取り仕切るその存在は、機嫌一つで街を崩壊させ、気まぐれ一つで忠臣すら処刑にかける。オスカーのような“罪人上がり”が不用意に顔を出せば、見せしめの一つとして処分されても不思議ではない。

 

そんな危うい綱渡りを経て帰還した直後、さらに追い打ちをかけるように行われた会議では、あの鬱陶しい連中から執拗な追及を浴びせられた。

 

――羽ばたくだけで埃臭さを撒き散らす蛾。

――終始スクリーン越しに薄ら笑いを浮かべる顔面テレビ野郎。

 

彼らのネチネチとした言葉は、拷問よりもよほど苛立たしい。

挙げ句の果てに、その場を収めたのがよりによってアラスターだったのだから、オスカーの不快感は頂点に達していた。

 

「……また同じことが起きるなら、二度と階層の移動なんぞするか」

 

そう結論づけるのは当然の流れだった。

 

だからこそ、せっかく訪れた休暇の最中に因縁を吹っかけてきた小悪魔が、オスカーの怒りを買ったのは必然だった。

平穏を踏みにじる者は、例外なく報いを受ける。

 

――格下が格上に逆らうという行為の愚かさを、骨の髄まで叩き込むために。

 

▼▼▼▼

 

「……なんだ、まぁ……大変だったなモックス、お前」

 

ルーナから送られてきた動画の画面には、モクシーが地獄特有の猪に振り回され、泥と血にまみれながら転がり回る姿が映し出されていた。極めつけには、収穫祭で行われた「ペインゲーム」で選手たちに寄ってたかって袋叩きにされている様子まで映っていた。しかも目の前にいる彼にはストラスを狙って潜んでいたインプとの小競り合いの末に負った怪我まで確認でき、オスカーは思わず眉をひそめた。

 

「……しかし、カミラのとこの武装を持ってる相手となると、ちっとは警戒したほうがいいだろうな」

 

スマホをパタンと閉じ、机に積み重なった資料に手を伸ばすオスカー。その動作は無駄がなく、再び仕事へと没入する意思を示していた。だが、その様子の彼に向かって、モクシーはどこかためらうように声をかける。

 

「その……やっぱりオスカーでも……」

 

「死ぬぞ」

 

短く切り捨てるような言葉に、モクシーは目を瞬かせた。オスカーは顔を上げず、淡々と続ける。

 

「祝福が施された武器なんて、どの悪魔にとっても……七つの大罪の連中の命にも届きうる代物だ。まぁ、不意打ちで使うならともかく、真正面から振りかざすようなバカなら持ってても意味はないだろうがな」

 

その口調は冷徹でありながら、どこか経験に裏打ちされた重みを伴っていた。

 

昔、彼は何度かエクスターミネーションにおいて天使たちと刃を交えたことがある。降臨してくる大半の天使は、オスカーにとってはただの雑兵にすぎなかった。無数に殺した記憶もある。だが彼らが携えていた神の祝福を宿す武装は別だった。肌に少しかすっただけの傷が一年経っても癒えず、未だに治癒しきれていないものもある。あれは悪魔にとって、この世で最も忌まわしい代物のひとつだ。

 

「生きて戻ってこれて良かったな……自分の知らないところで友人が死なずに済んでよかったよ」

 

ぽつりと零されたその言葉に、モクシーは一瞬耳を疑った。

 

「えっ、オスカー……僕のことを、友人って……」

 

「......なんだよ?」

 

鋭い眼光を向けられ、モクシーは慌てて首を横に振る。

 

「い、いえ!!なんでも!!!」

 

オスカーは小さく鼻を鳴らし、また書類へと視線を落とす。ペン先が紙を走る音だけが静かな空間に満ちた。

 

その横顔を盗み見ながら、モクシーはほんのりと頬を緩める。

彼の無骨な言葉の裏に、確かな温もりがあることを知っていたからこそ。

 




はい完全に書き直しました。
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