くすんだネオンがぼんやりと灯る薄暗いバー。地獄の街に数多くある酒場の一つで、無秩序な喧騒と煙草の煙が渦巻く空間。
オスカーはバーカウンターの端に腰を下ろし、グラスを軽く揺らしていた。琥珀色の液体が静かに波打つ。
今日も仕事は大変だった
——いや、いつものことだが。
「……あぁ、全く」
思わず独り言が漏れる。職場のあのバカ(社長)が、今日もまたくだらないことに会社の金を突っ込んでいた。
「チッ……明日の帳簿、また修正しねぇとな……」
ウイスキーを一口流し込み、思考を遮断しようとする。苦い液体が喉を焼くが、それが心地よかった。
そんな時——
「よう、そこのアンタ、暗ぇ顔してんなぁ?」
突如、隣の席に座っていた悪魔が話しかけてきた。
目をやると、ピンク色のファーコートを羽織った長身の蜘蛛悪魔が、片肘をついてこちらを見ていた。
——エンジェルダスト。
地獄でも名の知れたポルノスター兼、売春も殺しも金を出せばヤッてくれる悪魔。
彼のことは聞いたことがある。だが、実際に会うのは今回が初めてだった。
「……俺に何か用か?」
「いやぁ、なんかさ、俺の隣でめっちゃ"社畜のオーラ"出してるヤツがいたからさぁ〜?」
エンジェルはニヤリと笑い、手元のカクテルをかき混ぜる。
「ま、どうせ仕事の愚痴だろ? ちょっと語ってみねぇ?そ・れ・と・も、払ってくれるんならそのストレス....オレが抜いてあげよっか♡」
オスカーは一瞬、面倒だと感じたが……
(……まぁ、どうせ暇だしな)
そう思い、グラスを傾けながら低く答えた。
「……ウチの上司がバカすぎる」
「おっ、いきなりパンチ効いてねぇ」
エンジェルはクスクスと笑いながら、興味深そうに身を乗り出す。
「何やらかした?」
「今日だけで会社の金を三回無駄遣いした。宣伝用のCMを作るとか言い出して、全部失敗してる。あのバカ、マーケティングの"マ"の字も知らないみたいでな」
「HAHAHA!! マジかよ!? そりゃヤバいな!」
「おかげで経理の俺が全部穴埋めだ……たっく……」
オスカーはグラスを空け、バーテンダーに無言でおかわりを頼む。
「へぇ〜〜、で? そいつの名前は?」
「ブリッツ。I.M.P.の社長だ」
「I.M.P.? あぁ、あの地上の人間限定っていう殺し屋の会社?」
「……そうだ」
「へぇ〜、アンタ、そんなとこで働いてんのか。てっきりもっとデカい組織の悪魔かと思ったぜ?」
「面倒事が嫌いなんでな」
「ふぅ〜ん、そっかぁ」
エンジェルはグラスの縁を指でなぞりながら、ふと小さくため息をつく。
「……まぁ、どこ行ってもバカな上司ってのはいるもんだよなぁ」
その声色には、微妙な疲れが滲んでいた。
「なんだ、お前もか?」
「言うまでもねぇよ」
エンジェルはわざとらしく肩をすくめ、グラスを煽る。
「俺のボス? ヴァレンティノってんだけどさぁ、そいつの機嫌取りがクッソ面倒なのよ。」
「……聞いたことはあるな。あのデカい蛾の悪魔か?」
「そ、でさぁ!! あのクソ野郎、"おいエンジェル、新しい撮影の準備しろ"とか言って、何の前触れもなく仕事押し付けてくるんだぜ!? しかも断ると……まぁ、痛ぇ目見るし、クソみてぇなヤツだよマジで……やってらんねぇっての!」
エンジェルは苛立ったようにカクテルのグラスの底をダン!!とテーブルに叩きつける。
「……そいつぁ...ご愁傷様だな....お前、なんでまだその仕事続けてる?」
「……さぁね。生きてくには金がいるし、まぁ……他にも理由はあるけど行くとこもねぇから?」
オスカーはそれを聞いて、ふと自分と重ね合わせた。
(俺も、結局あそこで働いてる理由なんて、そんなもんかもしれねぇな……)
ブリッツに振り回され、ルーナの不機嫌に付き合い、ミリーとモクシーの夫婦の惚気を眺めながら、赤字になった経費を穴埋めする。悪いやつらではないとは思うし、彼らを本気で嫌ったことは一度もない.....しかし、疲れはするのは本当でもあるのだ。
「……まぁ、お互いご苦労なこったな」
「ほんとにな」
二人は無言でグラスを掲げ、軽くカチンと音を立てる。
それぞれの仕事の苦労に、静かに乾杯をするように。
エンジェルが、ふとニヤリと笑った。
「ねぇ、アンタのとこ、求人とかない? 俺もそっちで働いた方がマシかもなぁ?」
「やめとけ。あのバカと四六時中一緒にいたら、精神が持たねぇ」
「ははは! そりゃ地獄だな!」
くだらない冗談を交わしながら、二人は酒を飲み干した。
今夜の仕事は終わり。
明日もまた、クソみたいな日々が始まるのだろうが——今はせめて、この時間だけは静かに過ごそう。
それが、地獄で生きる者たちの、ささやかな息抜きだった。
そしてオスカーには新たな友人が増えた。
多分、アラスターを知らなかったエンジェルはオスカーの事なんて知る由もないと思います。