エンジン音が低く唸る車内は、油と鉄の匂いがこもり、長時間乗っているせいで空気も淀んでいた。オスカーは後部座席でモクシーとミリーの間に腰を下ろし、腕を組み、疲れ果てた表情で瞼を閉じている。
今日も仕事は散々だった。
ただでさえ厄介な依頼に加え、予定外のトラブルが山積み。精神も肉体もすり減らされ、骨の芯まで疲労が染み込んでいる。
「せめて……静かに帰りたい」
心の底からの願い。しかし、その祈りはあっけなく踏み潰された。
『猥褻な小悪魔はプラチナの金髪♪君の瞳を見て×××××を求める♪』
突如、車内に響き渡る耳障りな大音量。
音質の悪いスピーカーが割れたようなノイズを撒き散らし、下品極まりない歌詞が頭をガンガンと叩きつけてくる。
「……なぁ、これ以外にないのか?」
顔をしかめたオスカーが問いかけても、運転席のブリッツはご機嫌な様子でハンドルを叩き、アホみたいにノリノリで合いの手を入れていた。
「んー? なんだオスカー、ノリが悪いなぁ!? これ、地獄の最新ヒット曲だぞ??」
「これが流行ってるってんなら……地獄もそろそろ終わりだな」
助手席のルーナは耳障りな音に苛立ちを隠さず、窓に頭をもたれかけながら呻く。
「……耳が腐るわ……」
後部座席では、モクシーが耐え切れず両耳を押さえ、膝を抱え込みながら小さく震えていた。対照的にミリーは案外平気な顔で窓を開け、外気を取り込んでやり過ごしている。
そんな最悪な空気に包まれた車内——。
ようやく、I.M.P.ののビルが視界に入った。
(やっと……やっと終わる……)
オスカーは安堵の息をつき、窓の外へ視線を向けた。
だが次の瞬間——
「ッ……!? ブリッツ!!」
猛スピードで横から割り込む車影。
そのまま駐車スペースに突っ込んでいき、危うく衝突しかける。
「クソっ!! 何だよ!?」
——キィィィィィィッッッ!!
ブリッツが急ブレーキを踏み込み、タイヤが悲鳴を上げた。
激しい衝撃と共に車体が揺れ、全員の体が前に押し出される。
車内は一瞬で張り詰めた沈黙に包まれる。
モクシーは冷や汗を浮かべ、震える手で必死にシートを掴んでいた。
「い、今の……!」
「クソが! 何がイチモツだ!!」
怒号と共に、ブリッツがハンドルを叩きつける。
助手席のルーナは額を押さえ、苛立ちを滲ませてため息を吐いた。
「……マジで帰りたくなる……」
オスカーも奥歯を噛みしめ、静かに苛立ちを募らせる。
車のドアを開け、外へ降りると、視線の先にはさっきの“横入りした車”。
ピンク色の派手なカラーリング。
けばけばしいネオン装飾。
ド派手な数人乗りのオープンカー。
見ただけで“厄介ごとを呼び込む類の連中”だと分かる代物だった。
「……これ、面倒なことになるな」
オスカーが眉をひそめた次の瞬間——。
ブリッツが車内から“拡声器”を取り出す。
「お、おい……まさか……」
制止する暇もなく、ブリッツは車の天井に飛び乗り、拡声器を構えて絶叫した。
「聞けェェェェェェェェェ!!!!!」
駐車場全体を震わせるほどの爆音。
「うるせぇええええええ!!!!」
オスカーが思わず顔を覆うが、ブリッツの暴走は止まらない。
「おい!! そこのピンクのコンドーム被せたみてぇなダセェ車ァ!!!」
「三秒やる! その粗チンみてぇなもんを今すぐ俺の駐車スペースからどけやァ!!!」
怒号と侮辱が、地獄の駐車場に轟き渡った。
△▼△▼△▼
ブリッツの怒声が響き渡った駐車場に、一瞬の静寂が訪れた。
オスカーは顔を覆い、ため息をつく。
ルーナはスマホを取り出して無言で撮影し始める。
モクシーとミリーは驚愕の表情で、成り行きを見守っていた。
だが、オスカーの嫌な予感は的中する。
「おい、マジか? ヴェロシカ?」
そう呟いたブリッツの声に、オスカーは眉をひそめる。
視線を向けると、ピンク色の派手なオープンカーの運転席に、サングラスをかけた女性悪魔(サキュバス)の姿があった。
サングラスの奥から鋭い視線を向ける彼女は、ため息混じりに名を呼ぶ。
「はぁ……ブリッツオ」
その瞬間、オスカーの脳裏に閃くものがあった。
(……ん? ヴェロシカ? どこかで聞いたことがある……いや、待て)
オスカーは数秒間考え、目を見開いた。
「おい待てヴェロシカ・メーデーだぁ!? あの地獄の歌姫の!?」
驚愕に満ちた声が駐車場に響く。
ヴェロシカ・メーデー——地獄でも最も有名なポップスターの一人。彼女の音楽は広く知れ渡っており、どんな悪魔でも彼女の楽曲を耳にしたことがあるほどの存在。
オスカー自身、地獄(ここ)での音楽にそこまで詳しいわけではないが、地獄のクラブやバーでは彼女の曲が頻繁に流れていることを知っている。
横にいるモクシーとミリーは、驚きのあまり口を開けたまま硬直していた。
「マジ?……」
ミリーが小声で呟く。
モクシーは目を丸くしながらオスカーを見上げるが、彼もまた戸惑いを隠せていない。
一方、ルーナはそのまま、ブリッツと口論するヴェロシカの姿を撮影。
そして、すぐさまシンスタに投稿する。
(『もしかしてあの人???? 何が起きてんの????』)
この投稿がバズるのは時間の問題だった。
「あいつの人脈どうなってやがんだ……」
オスカーは呆れたように呟くが、隣のミリーがすぐに訂正を入れた。
「いや、あれは人脈じゃないわね……」
「……だな」
彼らの会話をよそに、ブリッツとヴェロシカの言い合いは続く。
「あら怒ってるの? ブリッツォ? また逃げるわけ? 誰かさんにホテル代払わせて、誰かさんの車盗んで」
「「三階層に逃げ込んだ挙句、私のクレカ使いきって乗馬レッスン受けたのに!!」」
オスカーはそのやり取りを聞きながら、静かに考える。
話をまとめると、ブリッツは昔、彼女とのホテル代を踏み倒し、ヴェロシカの車を盗み、三つの階層を逃げ回り、挙げ句の果てに彼女のカードで乗馬レッスンを受けたということになる。
しかもあの言い方的に彼女は恐らくあのバカの元カノである。
(とはいえ本当にひでぇな、こいつ……)
クズだのカスだのと思ったことはこれまで何度もあったが、今回ばかりはそれを超越している。もう何を言っても無駄だろうとオスカーは静観した。
「クソ娼婦、しつこいな!まだ根に持ってんのかよ!!」
ブリッツの挑発に、ヴェロシカの目が細められる。
(……あんのバカ、これ以上ヒートアップする前に止めるか……)
オスカーはゆっくりと車から降りた。
ヴェロシカがどれほどの実力者なのかは知らないが、"地獄のスター"という時点で、それなりの影響力と力はあるのだろう。
(最悪の場合、戦闘になる可能性もあるな...いやそれは流石に勘弁してほしい)
この日は仕事で散々な目にあったというのに、ようやく帰ってきたオフィスの駐車場で、またもや厄介事が始まりそうな気配が漂っていた。
しかも、よりによってブリッツの元カノである地獄のトップスター、ヴェロシカ・メーデーとの揉め事だ。
オスカーは大きくため息をつきながら、慎重に周囲を見渡した。
駐車場にいる悪魔たちも、明らかにこの騒動を面白がって見物している。
「おい待て!!このヤリ〇ンワゴンを今すぐどかさないと……」
「……どうするって?」
突然、鋭い声が響いた。
オスカーが視線を向けると、ブリッツの背後に、いつの間にか巨大な影が立っていた。
ヘルハウンド——それも普通のヤツではない。
黒と灰色の毛並み、獣のような鋭い目つき、長身でガッチリとした筋肉質な体躯。
唸るような低い声と共に、鋭い牙を剥き出しにしていた。
(……ああ、面倒なことになりそうだ)
オスカーは眉をひそめ、反射的に戦闘態勢へと入ろうとするが........
ブリッツはまったく動じる様子もなく、むしろ気楽そうな顔でそのヘルハウンドを見上げていた。
むしろ——
「あー人事に連絡させてもらう」
「「「「HAHAHAHAHAHAHAHA」」」」
あまりにもブリッツらしいジョークに、一瞬の沈黙を経て、駐車場のあちこちから笑いが漏れた。
「ンン!...とにかく……彼はヘルハウンドのボルテックス。アンタと違って優秀よ」
ヴェロシカがブリッツを睨みつけながら言う。
その傍らで、ヘルハウンド、ボルテックスが腕を組み、ブリッツを見下ろしていた。
(ボルテックス……ん!?テックス!?)
オスカーはその名前を聞いて、驚く
その瞬間、ボルテックスの目がオスカーを捉えた。
「おい、テックス!! 久しぶりじゃないか!!」
オスカーの声に、ボルテックスの目が驚きに見開かれ——
「....うおおお!? オスカー!! お前かよ!! なんだこの野郎!!久しぶりだな!!!」
野太い声と共に、ボルテックスが大きく手を広げ、オスカーに近寄ってくる。
彼はオスカーの肩をがっしりと掴み、無駄に力強く揺さぶる。
「いやぁ、マジで久しぶりじゃねぇか!? お前、何やってんだよ!!」
「……あーここの経理」
即答するオスカー。
ボルテックスは一瞬、固まり、そして豪快に笑った。
「....経理!? お前が!? マジかよ!? そっちの方が驚きだわ!!ハハハハハ!!!」
ヴェロシカとブリッツは彼らのやり取りを見て、驚きヴェロシカはボルテックスに尋ねる。
「なに? テックス? 知り合い……って貴方オスカーね!!」
ドンとブリッツを邪魔だと言わんばかりに押し、ヴェロシカはオスカーに詰め寄った。
「えっ、ああ……俺のこと知ってるのか?」
「知ってるも何も、貴方、昔から有名人じゃない!!! 最近のちまたじゃ"イケメンの上級悪魔(オーバーロード)"って評判よ!!!」
「いや、そうか……そうなのか?」
オスカーは若干困惑しながら、ヴェロシカとボルテックスを交互に見た。
そんな彼の反応を見て、ヴェロシカは呆れたように首を振る。
そして——
「嘘、噂には聞いてたけどオーバーロードなのにこいつ(ブリッツ)の下で働いてるの?」
「……まぁな」
オスカーは肩をすくめながら答えた。
それを聞いたヴェロシカは、何か思いついたように微笑み、ゆっくりとオスカーに歩み寄る。
「ねぇ、良かったらウチで働かない?」
そして、彼の首に両腕を巻きつけ、軽く抱き寄せるような仕草をする。
「もちろん待遇は良くするし、そのクズと違って絶対後悔はさせないわよ?」
甘い声と誘惑的な微笑み。
その光景を見たブリッツが即座にブチ切れる。
「おいコラ売女!!! ウチの経理係に色目を使うな!! さっさと失せやがれ!!!」
「チッ………うるさいわね」
ヴェロシカは舌打ちしながらも、余裕の笑みを崩さない。
そして、オスカーの頬を軽く指でなぞりながら、ウィンクを飛ばす。
「じゃあ、またねオスカー♡ 返事はいつでも待ってるから♡」
最後にもう一度ウィンクし、軽やかにビルの中へと消えていくヴェロシカとボルテックス。
駐車場には、呆然とするモクシーとミリー、スマホを弄るルーナ、そして怒り狂うブリッツだけが残された。
「……おい、マジで何なんだよ今日……」
オスカーは心底疲れた顔をして、ゆっくりと額を押さえた。
今日一日で何度目のため息だろうか。
「ヴェロシカ・メーデー!?」
その名が口にされた瞬間、バンのドアが勢いよく開いた。
真っ先に飛び出してきたのはルーナだった。彼女は目を見開き、驚きと半信半疑が入り混じった表情で、駐車場での出来事に驚愕している。
ルーナがその事に釘付けになっていると、続いてミリーとモクシーも車から飛び出し、同じく目を丸くする。
「は!? あ、ああ……そうだよ、付き合ってた」
ブリッツは腕を組み、むすっとした表情で言った。
彼のそっけない態度とは裏腹に、I.M.P.のメンバーは明らかに衝撃を受けている。
「スターになる前? それとも後?」
ミリーがすかさず質問する。
「スターと交際を!?」
モクシーも信じられないというように声を上げた。
「はぁ~~~なんで驚く?」
ブリッツは眉をひそめ、まるで「なんでそんな大騒ぎしてんだ?」と言わんばかりの表情で手を組みながら肩をすくめた。
「だってヴェロシカ・メーデーが......」
ルーナが困惑しながらブリッツを見る。
「ボスと?」
ミリーも同じく。
「その........彼女は盲目? 脳に何か障害でも?」
モクシーが控えめながら鋭いツッコミを入れる。
「分かった、お前、催眠術かなんかで彼女を洗脳してたんだろ?」
オスカーは腕を組みながら、半ば本気でそう疑った。
確かに、あの大物ポップスターとブリッツが付き合っていたというのは、誰が聞いても信じがたい話だった。
「OK、たっく....大げさに考え過ぎだ、俺の私生活を詮索するな」
ブリッツは苛立ったように手を振りながら言うが——
「「「「アンタ(お前)が言うな(わないで)!!!」」」」
ルーナ、ミリー、モクシー、オスカーの四人が一斉にツッコミを入れた。
ブリッツほど他人のプライベートを詮索し、イジるのが好きな悪魔はいないというのに、まさかの本人が「詮索するな」と言い出すとは。
「セックスはどんな?」
突如としてミリーが口を開いた。
「ミリー!?」
モクシーが思わず妻を制止するが、ミリーはまったく動じる様子もなく、ニヤリと笑う。
「何よ? ポップスターよ? 大物歌手のセックスに興味は?」
そう言いながら、モクシーを見上げる。
モクシーは顔を引きつらせながらも、一瞬、目をそらして黙り込んだ。
「それは.....!! ......確かに」
結局、好奇心には勝てなかったらしい。
ブリッツは呆れたようにため息をつき、頭を抱えた。
「この話は終わりだ。ミリー、駐車場所を探せ、三人はついてこい」
そう言いながら、ポケットから車のキーを取り出し、ミリーに投げ渡す。
「了解!」
ミリーはキャッチしながら、早速駐車場へと走り出す。
一方、ルーナ、オスカー、モクシーの三人は、ブリッツの後を追いながら駐車場を歩く。
その背中を見つめながら、オスカーはふと考えた。
(.........ブリッツとヴェロシカが付き合ってたってことは、コイツにもちゃんと"まともな恋愛"をしていた時期があったんだよな)
普段のブリッツは、下品で、自分本位で、欲望に忠実な"馬鹿"だ。
だが、ヴェロシカのような"スター"と付き合っていたという事実は、彼の意外な一面を示している。
(まぁ、どうせロクな別れ方してねぇんだろうが)
そう思いながらも、オスカーはブリッツをちらりと見た。
やたらと苛立った様子の彼の背中は、どこかほんの少し、"気まずそう"にも見えた。
(......まぁ、聞かないでおくか)
結局のところ、ブリッツの過去に興味がないわけではないが、彼が"話したくないこと"を無理に聞くつもりもなかった。
それよりも、今日はもう十分に騒がしい一日だったのだ。
オスカーは肩をすくめ、ポケットに手を突っ込みながら、駐車場を歩いていくのだった。
△▼△▼△▼△
エレベーターの扉が静かに開いた。
その瞬間、ルーナはそわそわと落ち着かない様子で、手鏡を取り出し、自分の顔を確認する。
「どうしよ……見られたかな? 今日は化粧が悪いのに……」
彼女は不安そうに呟きながら、指先で髪を整え、眉間に皺を寄せた。
ルーナのこういう仕草は珍しい。普段はぶっきらぼうで、あまり自分の見た目を気にするタイプには見えない。だが、今日は少し違った。
「んも〜〜いつも通り綺麗だぞ、ルーニー♡」
ブリッツが彼女を猫撫で声で励ます。
彼の口調は妙に甘ったるく、過保護な親そのものだった。
「うぜぇ……」
ルーナは即座に顔をしかめ、鬱陶しそうにブリッツの手を振り払う。
彼女はため息をつきながら、靴先で床をトントンと鳴らし、そっぽを向いた。
いつものやり取りだった。
ルーナが不機嫌そうにして、ブリッツが調子よくフォローしようとするが、結局鬱陶しがられる。
それを見ながら、オスカーはポケットに手を突っ込み、軽く肩をすくめる。
「まぁ、大丈夫だろ。そこらの悪魔よりかはお前、可愛いし」
軽い調子で言った一言だった。
本当に深い意味はなかった。
だが——その瞬間、空気が変わった。
ピタッ。
三人が、まるで時間が止まったかのように固まった。
ルーナの動きが止まり、ゆっくりとオスカーの方を振り向く。
目をわずかに見開き、驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべている。
ブリッツは口を半開きにしたまま、ぽかんとしていた。
モクシーも「えっ?」といった顔をしており、何が起きたのか脳が処理しきれていない様子だった。
オスカーはその異様な反応を見て、眉をひそめる。
「あ?……いや、なんだよこの空気。なんかまずいこと言ったか?」
彼は何の気なしに言っただけのつもりだったが——
ブリッツはニヤリとした笑みを浮かべ、肘でオスカーの脇腹を小突く。
「へぇ〜〜〜〜? なんだお前もお世辞くらいは言えるんだな?」
「ウゼェな....お世辞って何だよ」
オスカーは若干うんざりした顔でブリッツを睨む。
一方、ルーナは口を開きかけたが、何か言おうとしてやめた。
頬がわずかに赤くなっている。
「……フン」
短くそう返し、バツが悪そうにそっぽを向く。
オスカーは、ますますこの空気が理解できなかった。
モクシーがオスカーに向かって小声で囁く。
「……オスカー、貴方もうちょっと自分の発言の影響とか考えた方がいいですよ?」
「なんの影響だよ」
彼は頭をかきながら、心底めんどくさそうにため息をついた。
(ただの事実を言っただけだろうに……)
それでも、ルーナの耳が微かに赤いままだったのを、オスカーは見逃さなかった。
そうこうしている内にオフィスの近くまで来ると
そこには、一際大柄な影——筋骨隆々のヘルハウンド、ボルテックスが立っていた。
相変わらずガタイのいい男だ。
肩幅が異様に広く、上腕の太さも尋常ではない。体格だけ見れば、もはや猛獣そのもの。
ヘルハウンドの中でも、特に強靭な部類に入る彼の姿は、ただそこに立っているだけで威圧感があった。
オスカーは軽く手を上げながら声をかける。
「よう、テックス」
ボルテックスはオスカーに気づくと、微かに口角を上げ、手を振った。
「よう、オスカー……あー、彼女、大丈夫か?」
彼の視線の先——オスカーの後ろには、ルーナがいた。
ただし、彼女の様子が"いつもと違う"。
顔を微かに赤らめ、尻尾を左右に揺らしている。
視線を落とし、どこか落ち着かない様子で耳をピクリと動かす。
オスカーはルーナをチラリと見てから、すぐに視線を戻し、肩をすくめた。
「あー、多分な」
(こいつ、こういうのがタイプなのか……?)
オスカーは内心で首を傾げつつも、それ以上は突っ込まなかった。
すると——そのやり取りを見ていたブリッツが、明らかに血相を変えてボルテックスに詰め寄った。
「おい、大男!! クソ雇い主はどこだ?」
「……は?」
「ヴェロシカだよ!! ヴェロシカ!! あのビッチどこにいやがる!!?」
ボルテックスは呆れたようにため息をつきながら、適当に肩を回す。
「オフィスだよ。二階は部屋が空いてないから、ここを借りたんだ。安いしな」
その言葉を聞いた瞬間——
オスカーの表情が、ピクリと硬直した。
「……待て、それってつまり……」
ルーナも「え?」と顔を上げ、モクシーは静かに口を開けたまま固まる。
そして、ブリッツがその事実を完全に理解し——
「おいおい、勘弁してくれ!!!!!」
つまり、となりの部屋にヴェロシカ達はこれから1週間来ると言うことだ
ヴェロシカたちが "隣人" になり、駐車場所まで占領された。
それは、ブリッツにとって悪夢以外の何物でもない事実であり我慢ならないことであった。
「……ふざけんなよ、ビッチ(クソが……)」
呆れと苛立ちが入り混じった声で、ブリッツが毒づいた。
その目は血走り、まるで今にも掴みかかる勢いだ。
「まぁ別にいいんじゃないか? 俺は別に、騒がしくなるわけでも仕事の邪魔にもならないなら、どうでも……」
「お前、本気でそれ言ってんのか!!!」
怒声と共に、ブリッツは勢いよくオスカーの胸倉を掴み、乱暴に揺さぶった。
オスカーの身体が揺れるたび、背中でコートの裾がばさばさと舞う。
「いいか!? お前は今!! あのビッチのデカパイと色香で頭がおかしくなってるんだ!!! 違うかぁ!!?」
「落ち着けっての……彼女が綺麗な女性なのは認めるが、俺にサキュバスの色香なんて効くわけねぇだろ。……聞けって話をよ」
必死に肩を怒らせて喚くブリッツの姿を前に、オスカーは呆れたようにため息を吐いた。
その冷めた眼差しは、逆にブリッツの怒りを煽るばかりだった。
そんな中——モクシーが、意を決したように一歩前へ出る。
「ボス、僕が提案しますよ。僕はポップ系音楽は好みじゃありませんし、彼女の名前しか——」
延々と話を続けるモクシーに、ブリッツのこめかみがピクピクと引きつった。
露骨に苛立ちを浮かべ、鋭い声を叩きつける。
「モクシー、黙れ! 行くならとっとと行ってこい!!」
「……あー、了解しました」
不承不承といった様子でモクシーは肩を落とし、ヴェロシカの部屋へと向かっていった。
その小さな背中を見送りながら、オスカーは軽く鼻を鳴らす。
(まぁ、モクシーなら……なんとかするだろ)
楽観とも諦観ともつかぬ思考を抱えながら、ふと視線を横に流す。
久しぶりに顔を合わせたボルテックスの巨体が、そこにあった。
「あのちんちくりんが……随分デカくなったもんだなぁ」
オスカーは肩をすくめつつ、見上げるようにして言った。
自分だって背は高い。つい先日測ったばかりで198センチはある。
だが、ボルテックスはそれを優に超える2メートル越えの巨体。
ヘルハウンドとしても規格外の存在感で、ただそこに立つだけで圧力を感じさせる。
「何言ってんだ。お前が小さくなったんだよ、オスカー」
ボルテックスは朗らかに笑い、胸を張ってガハハと豪快に笑った。
その声音は空気を揺るがすほどで、周囲にいる者を思わず振り向かせるほどだ。
「いや、俺だってそこそこデカい方だろ……。お前がデカすぎるんだよ」
呆れ混じりのため息を吐きながら、オスカーは肩の力を抜いた。
脳筋に見えて話の通じる男——それが、幼い頃から彼を知るオスカーの評価だった。
「相変わらず元気そうだな。まさか彼女のボディーガードやってるとは思わなかったが」
「まぁな。給料は悪くないし、彼女はああ見えて優しいんだ。それなりに気も使ってくれるしな」
「……へぇ、意外だな」
オスカーの眉が僅かに動く。
ヴェロシカ・メーデーといえば気まぐれで苛烈な女王様タイプを思い浮かべるが、彼の言葉が本当ならイメージは少し修正が必要だ。
「お前はどうなんだ? あのインプの下で働いてるって聞いた時は驚いたぜ。契約にでも引っかかったのか?」
「……まぁ、なんだかんだ流れでな」
オスカーはコートの襟を整え、ぼんやりと遠くへ視線を逸らした。
曖昧な答えに、ボルテックスは目を細める。
「なんだよ、もっとマシな理由があるのかと思ったら……」
「大した理由じゃねぇ。ただ、仕事を手伝ってやってたら、いつの間にか居ついてただけだ」
「.........それで、”
ニヤリと笑いながらからかう声。オスカーはため息をつき、低く呟く。
「そういう言い方やめろ」
「HAHAHAHA でもまぁ、ここじゃお前もある意味、有名”になってるらしいじゃないか?」
「……そうなのか?」
「お前、ホントに自覚ないんだな。最近じゃファンクラブまで出来たらしいぞ?」
「……は?」
一瞬、理解が追いつかず、オスカーはぽかんとボルテックスを見た。
「マジかよ……」
「マジだ。ヘルターにもシンスタにも、お前のファンがそこそこいるみたいだぞ?」
「……嘘だろ?」
思わず頭を抱え、オスカーは重く呻いた。
(マジか……そんなの知らねぇ……)
「お前、一般人(罪人)には怖がられてるが、女性人気は結構あるらしいじゃねぇか」
「なんの需要があるんだよ……」
ボルテックスは大笑いしながら、オスカーの肩を軽く叩いた。
「まぁ、オーバーロード(上級悪魔)って時点で箔があるし、見た目も悪くねぇ。そういう連中が憧れるのも、まぁ……わかるっちゃわかる」
「……全然ありがたくねぇよ」
オスカーは心底うんざりとした声を漏らした。
——そんな会話を交わしていると。
「おい、お前ら! 何のんびり話してんだ!!」
遠くから、ブリッツが拡声器を片手に暴れている声が響いてきた。
「まぁ……モクシーが行ったんならどうにかするだろ」
「……あのチビ助がヴェロシカや他の連中を説得できると思うのか?」
「……無理かも」
オスカーとボルテックスは顔を見合わせ、同時に「だろうな」と呟いた。
ヴェロシカ....いいよね.....