吐き飛ばせソシャゲ世界   作:鰹節の丸煮

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【幕間 #1】地上では

 

 黒い怪獣の現れる前、呉秀が空へ──UFOへと連れ去られた、そのとき。

 

 地上にて。

 

 栄倉ミヤビは、彼の靴の裏を見上げていた。

 くたびれたスニーカーが、白い光の中でもがいていた。その向こうで学ランの裾がひるがえり、呉秀の顔が、みるみる遠くなっていった。

 

「呉秀さん──っ!」

 

 声を張り上げた。彼がこちらを向いたかどうか、もう分からなかった。

 

 隣で、京屋が何か言っていた。

 

「あ……! なにあれは、ゆ、ユーフォー……。なんで、呉秀くんだけ……」

 

 栄倉は、その手を掴んだ。

 京屋は動かなかった。顔を空へ向けたまま、手だけを栄倉に引かれていた。

 

 頭上で、怪獣の首が動いた。

 呉秀を引き上げている光を、二つの頭が追っていた。栄倉たちの方を見ていなかった。

 

「京屋さん、走って!」

 

 栄倉はもう一度、強く引いた。

 

  京屋の足が、ようやく動いた。

 最初の一歩はつまずきかけた。栄倉はその手を放さず、二人分の体を引っ張るつもりで、隠し通路の暗がりへと駆け込んだ。

 

 頭上の光が消えた。

 

 栄倉は振り返らなかった。

 光が消えたのを、足元に戻った暗さで知った。呉秀がどうなったのか、それを確かめるために振り返れば、足が止まってしまうと思った。

 

 狭い入り口へと、背後から人々が押し寄せてきた。

 靴音が重なった。誰かの肩が栄倉の背中へとぶつかり、京屋が壁に手をついた。前へ進もうにも、人がいた。地下聖堂へ戻ったところで、あそこには巨大な腕が落ちている。それでも、その方へ行くしかなかった。

 

 入り口の外で、悲鳴がした。

 

 一つの声が、途中で途切れた。

 次に響いたのは、硬いものが砕ける音だった。栄倉は京屋の手を握り直した。握り直した指が、汗で滑った。

 

 通路の天井から、土が降ってきた。

 

「伏せて!」

 

 誰が叫んだのか分からなかった。

 栄倉は京屋の腕を引き、自分も膝を折った。その頭上で岩が割れた。

 

 星が見えた。

 

 さっきまで天井のあったところに、夜空が広がっていた。

 遅れて風が押し寄せた。土と小石が顔へと叩きつけられ、栄倉は目をつぶった。体が横へと転がり、京屋の手が、指先だけになった。

 

 放してはいけない。

 

 彼女は両手で、その手を掴み直した。

 誰かが栄倉の背を乗り越えた。すぐ近くで大きなものが落ち、地面が跳ねた。京屋が声を上げた。栄倉の頬にも、石の角が掠った。

 

 耳の奥が、きいん、と鳴っていた。

 

 栄倉は目を開けた。

 通路が、なくなっていた。

 

 いや、床も壁も残っていた。その上だけが、山肌ごと剥ぎ取られていた。地下へと続くはずの暗がりは、星空の下にさらされた細長い溝になっていた。

 その溝に、人が倒れていた。動いている人もいた。動いていたところへと、岩が落ちた人もいた。

 

 栄倉たちは入り口のすぐ脇まで押し戻されていた。

 背後には広場があった。草木と、崩れかけた祭壇。その先には、逃げ込めそうな木々があった。

 

 そのすべてへと、影が差した。

 

 怪獣の頭が、降りてきた。

 

 ワニのような長い口だった。

 地面へと近づくにつれ、その歯の一本一本が、栄倉の体ほどもあるのが分かった。口の端から糸を引く赤黒いものが垂れ、熱い息が、土埃を地面へと押しつけた。

 

 もう一つの頭も、少し離れたところから近づいていた。

 

 栄倉は立ち上がった。

 京屋の手を放した。

 

「待って……」

 

 自分でも、誰へと言ったのか分からなかった。

 動物たちが、話を聞いてくれることがあった。こちらを怖がっているものも、傷ついて噛みつこうとするものも、何を嫌がっているのか、何を欲しがっているのか、それが伝わってくることがあった。

 

 この怪獣にも、それがあるはずだった。

 

 栄倉は、迫る目を見つめた。

 

 青い光が、彼女の体へと滲んだ。

 

 その瞬間、腹が減った。

 

 栄倉は息を止めた。

 自分の腹ではなかった。どこまでも大きな、満たされようのない空っぽが、彼女の内側へと流れ込んできた。

 怒っていた。

 何かを求めていた。それが何なのか、栄倉には分からなかった。ただ、目の前にあるものでは足りない。食べても、食べても、まだ足りない。

 

 青いものが欲しかった。

 この小さな、目の前で光っているものも。

 

 栄倉の視界が、ぐりんと回った。

 右と左が別々になった。夜空と地面が同時にひっくり返り、膝が抜けた。

 

 背後から、腕が回ってきた。

 

「栄倉さん……! ちょっと、なに、なにしてるの……!」

 

 京屋の声だった。

 栄倉は返事をしようとした。口が開いた。舌が、何を言えばよいのか分からないまま動いた。

 

 京屋が彼女を抱え、後ずさった。

 靴の踵が何かに引っかかった。二人の体が傾き、栄倉の片膝が地面を擦った。それでも京屋は放さなかった。

 もう何にも掠わせないと言わんばかりに、栄倉の体へと腕を巻きつけていた。

 

 その肩越しに、菩薩が見えた。

 

 蔦の絡んだ、一対の石像だった。

 隠し通路の口を挟み、外へと向いて立っていた。片方が輪を掲げ、もう片方も、その手に丸いものを捧げ持っていた。

 

 京屋が、そちらへと足を引きずった。

 

 怪獣の口が開いた。

 その歯に、派手な色の布が引っかかっていた。

 アロハシャツだった。

 

「あ、ああ……」

 

 京屋の喉から声が漏れた。

 栄倉を抱える腕が、いっそう強くなった。

 

「助かるわ」

 

 京屋が言った。

 

 石像の足元へと倒れ込み、栄倉も、その腕の中から膝をついた。京屋は石の台座へと手を伸ばした。指先が蔦を掴み、葉を何枚もむしり取った。

 

「栄倉、もう助かるわ、助かるわよ、栄倉、私、たすかるわ、菩薩さま、守護者さま、助けてくれるわ、しなない、しなないの、わたしたちしなないの!!!」

 

 アハアハアハアハアハアハアハアハ……。

 

 栄倉は、その笑い声を聞いたことがあった。

 地下聖堂で、神父様の腕が落ちてきたあとにも、京屋はそう笑っていた。

 

 今、その顔は何も笑っていなかった。

 目を見開き、頬を冷えきらせ、口だけを大きく開いていた。地面に座り込んだまま、栄倉の袖を、片手でいつまでも握っていた。

 

 栄倉は這い寄った。

 その頭を引き寄せ、自分の膝へとのせた。京屋は逆らわなかった。笑い声だけが、まだ、喉から出ていた。

 

 頭上で、怪獣の息が止まった。

 

 栄倉は顔を上げた。

 長い口が、そこにあった。だが、それ以上、近づいてこなかった。

 

 空腹は、まだ伝わってきていた。

 怒りも、まだあった。その大きさに触れないよう、栄倉は必死に自分の意識を引き戻していた。

 それでも分かった。

 その怒りが、何かに触れるたび、鈍く揺らいでいた。

 

 怪獣の目が、菩薩を見ていた。

 

 月を掲げる、その石像を。

 月輪は、青と空の色をしていた。

 もう一体が持つ日輪には、青と火の色があった。

 

 栄倉は思い出した。

 

 神父様が言っていた。

 薬師如来には守人がいる。だから祈るときには、その守人の真言も唱えるのだと。

 

 京屋の頭を抱いたまま、栄倉は唇を動かした。

 

「オン・センダラ・ハラバヤ・ソワカ」

 

 声が掠れた。

 京屋の笑い声に埋もれそうになった。それでも、続きを唱えた。

 

「オン・ソリヤ・ハラバヤ・ソワカ」

 

 月輪が、青く光った。

 

 栄倉は、その光が自分の指へと差すのを見た。京屋の黒髪が、青く照らされていた。

 反対側から、赤い光が重なった。

 

 月光菩薩は目から青い光を涙のように流し、日光菩薩はその顔を無念そうに真っ赤にさせて、涙をのんだ。彼らのもつ日輪と月輪が、赤く青く輝いているのだ。

怪獣と、対峙していた。

 

 怪獣の頭が跳ね上がった。

 

 二つの首が、互いにもつれるほど激しくうねった。怒りが、空腹が、栄倉の中から遠ざかった。代わりに、一瞬だけ、ひどく静かなものが触れた。

 怪獣はそれを振り払うように、吠えた。

 

 翼が広がった。

 

 栄倉は京屋を抱き込み、石像の足元へと体を縮めた。

 風が広場を剥いでいった。草がちぎれ、石が転がり、祭壇の上に積もっていた土が、夜空へと巻き上がった。

 

 その風の向こうへ、キセノンが飛び去った。

 

 まだ明かりの残る都市へ。

 学園のある方へ。

 

 栄倉は、すぐには顔を上げられなかった。

 

 腕の中で、京屋が息を吸った。

 笑い声が途切れた。もう一度、吸った。今度は喉がひくつき、鼻から、潰れたような音が出た。

 

「……栄倉」

 

 栄倉は、彼女の背へと手を当てた。

 

「ええ」

 

「栄倉……」

 

「ここにいます」

 

 京屋が、栄倉の胸元へと顔を押しつけた。

 両手が背中へと回り、服を握った。さっきまで笑っていた口から、子供がぐずるような、言葉にならない声が漏れ始めた。

 

 栄倉はその背を抱き留めながら、ようやく、都市の方を見た。

 

 キセノンが地上へと降りていた。

 崩れた街の向こう、まだ壊れていない建物たちの前へと、その巨体を下ろしていた。

 

 その行く手に、黒いものが立っていた。

 

 さっきまでは、なかった。

 

 栄倉は瞬きをした。

 それでも、そこにいた。

 

 キセノンの二つの首が持ち上がり、その黒いものへと吠えかかった。

 栄倉の腕の中で、京屋の肩がびくりと跳ねた。

 

 栄倉は、彼女を抱く腕に力を込めた。

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