ジェーン・ウィローに花束を   作:疾風怒号

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段落分けの都合上今回はやや短めとなっております、ご了承ください。






11:Bitter Talk/痛いの痛いの飛んでいけ!

 

 

 

 雨のロンディニウム。石畳に水たまりが広がり、人々の足音を鈍く吸い込む。ホルン____この時は『ホルン』ではなく、ただのリタ・スカマンドロスとして席に着いていたが____は、古びたカフェの窓際で、コーヒーを飲み干すレックスを静かに見つめていた。行方知らずの元級友との再会にも関わらず、偶然を喜ぶ気にはなれない。

 

「……本当に、辞めていたのね」

 

 リタが絞り出すように問うと、レックスは一瞬だけ真鍮色の瞳を伏せたが、それだけだった。いつもの無表情に変わりは無く、陰りも無く、ただ平坦な鉄面皮だけがある。

 

「ああ」

 

 千九十三年の雨季、彼が僅かな休暇から帰還した直後の事だった。ペニンシュラ群の南にある、ひっそりと息づくばかりの農村は物言わぬ残骸と化していたらしい。誰が生き残っているのか、誰が死んだのか、何もかも判然とはしない。唯一分かっている事は、下手人は『軍事委員会』なるサルカズの一団であるという事だけ。

 特段珍しい事ではない、レックスは悲しんだが、同時に理解していた、軍人であれば誰もが一度は飲み込まれる現実だということを。それを防ぎきるなど不可能だという事を知っていた。故に付近に留まっていたサルカズの野盗と傭兵から話を聞き出し、記録として持ち帰った。その時はまだ、そうする事で他の被害を防ぐことが出来、それこそが祖国に身を捧げた兵士としての務めだと信じられたから。

 

「君には申し訳ない事をした、と思っている」

 

 真に彼を絶望させたのは、彼が持ち帰った記録が何ひとつ扱われることなく、無かったことにされたその瞬間だった。そしてその目論見が成功裏に進行している事実は、その失望をより深いものにした。

 

「だが、判断を誤ったとは考えていない。……スタッフォード公爵の議会襲撃、キャヴェンディッシュの死、それに乗じて入り込んだ()()に、他の公爵たちは手を拱いてばかり。今や軍の大半は使い走りに過ぎない。違うか?」

 

 その言葉に応えるのに、リタは数秒を要した。彼女自身もロンディニウムに戻るのは久方ぶりの事だったが、かと言って政治的な情勢に疎い訳ではない。レックスの言う事は彼女の認識と相違ない。

 

「そうね、私にも失望した?」

「……いや」

 

 レックスはすぐには答えない。目の前の友人が未だ軍属であると知った上で、それを『使い走り』と揶揄した男は相変わらず自らの言葉が非難の色を帯びやすいという事を忘れやすいようで、不貞腐れたように眉を顰めたリタに困惑している様子だった。青い理想を忌憚無く語っていた学生時代と何ら変わらない小突くような発破に、今はもう憎まれ口で応えてやれない事がもどかしい。

 

「失望はしていないが、少し驚いた。俺の知っているリタ・スカマンドロスは」

「『私は違う』と言った筈だ、って?」

「ああ、そう記憶している」

 

 いや、と言葉を結んで、彼は自嘲するように唇を歪める。

 

「違う、俺が変わっていないだけだ。だからこそ、君が軍に残った理由が、俺には理解できない」

 

 彼の口から零れた最後の言葉は、窓を叩く雨音にかき消されかけたが、リタの耳にははっきりと届いた。それは、彼の失望が自分に向けられたものではないという安堵と、それ以上に、彼が軍に残った自分を理解できないという事実への、冷たい怒りの始まりだった。

 

 コーヒーの残り香が冷えかけた空気に滲み、窓硝子の向こうでしとどに降り続く雨の粒が、打ち捨てられた墓碑のように並ぶ石畳を染めていく。二人の間に横たわっているものは、理想と現実の摩擦に耐えられず逃げ出した事に対する、或いは理想と現実の摩擦から目を逸らす事を『努力』とした事に対する代償だった

 

 リタ・スカマンドロスは何も言わなかった。小さく息を吐き、椅子の背にもたれて視線を落とす。視線の先では、レックスの濡れた軍靴が、静かに水を吸い込んでいた。彼女が声を発する前に、レックスは席を立った。何も告げぬまま、ただ背を向ける。リタが呼び止めることはなかった。振り返ってほしいとも思わなかった。ただ、背中が扉の向こうに消えるまで、目を逸らさずに見送った。

 

 雨は、やまなかった。

 

 遠ざかる足音の余韻が窓の外に消えたとき、カップの底に残った冷めた液体が、静かに震えていた。そう、それはきっと、いまにも零れそうだった。どちらかの手が、もう少し手前に伸びていたなら。

 

 そして今、Chariotは再びその双眸を向けられたままに立ち尽くしている。だが、目の前にいるのはかつてのリタ・スカマンドロスではなく、怒りに燃える白狼の髪をなびかせ、国家を背負う軍人。彼女は軍靴を踏み鳴らすホルンという名の士官となり、命令を受けてこの場に現れた。

 

「何故この場にいるのか、何をしていたのか、教えて貰えるかしら」

 

 ホルンの声には、有無を言わせぬ軍人の厳しさがあった。Chariotは一瞬だけ目を伏せる。確かに、彼女の言う通り、かつての盟友の言葉には逆らえない道理がある。

 

「……リタ・スカマンドロス。君が此処にいるとは思わなかった」

「同感ね、私も貴方の顔を見る事になるとは考えもしなかった」

「……見逃してはくれまいか、俺にはまだするべき事がある」

「それは貴方の態度次第と言わざるを得ない、私はまだ、貴方を疑わなければならないから。貴方がこの街の混乱に、どこまで関わっているのか、確認させて貰う」

 

 そう簡潔に言い、ホルンは石畳を叩くように右手の盾を地に突いた。こうなれば簡単には通してくれないと言う事を、Chariotは身に沁みて理解していた。ここに軽やかに助け船を渡すもう一人の僚友がいない以上、最適解は『速やかに彼女の要求を満たす事』だ。

 

 

 

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