ところで読者……感想‶強請(オネダリ)‶、いいスか……?
ターラー人地区から少し離れた、表通りに面した小さなカフェ。そのテラス席に、ジェーンとChariotの姿があった。石畳に置かれた丸いアイアンテーブルには、ティーカップから立ち昇る湯気と、二人の影が柔らかく重なっている。
周囲を見渡せば、街の空気はどこか穏やかで、昨日はあれほど感じた緊張感が嘘のようだった。ここでは、誰もがただの日常を演じていた。けれど、それはほんの皮膜一枚分の静けさに過ぎない。それを示すように、時折遠方から警笛の音が風に乗って微かに運ばれてきた。
「……変な感じ」
「変?」
「うん……。昨日はバグパイプにああ言ったけど、こうして君と紅茶を飲んでいたら、何の問題も起こってないみたい」
ジェーンがカップを両手で包み込むようにして口に運び、ふうと小さく息を吐いた。カモミールの香りが、彼女の薄香色の髪を撫でていく。Chariotは砂糖をひとつだけ入れたコーヒーを無言でかき混ぜて、口を開いた。
「そう見えるのなら、
「えーと、どういう意味?」
「例えば、俺や君のようなヴィクトリアにいる人間は、サルゴン民族の縄張り争いの事情など分からないだろう。逆も然り、彼らは市民に課される税や、王室の政変について知る機会は無い筈だ。そして同じ事は、より小規模な形で此処でも起こっている。つまり」
この街が平穏であるというのも、実際にその平穏を享受している者からすれば事実なんだ。とChariotは結んだ。ジェーンは微かに俯き、陽射しが細い肩を透かしてティーカップの縁を照らす。視線を落とした彼女の睫毛が長く影を作り、微かな迷いを隠しているようだった。
「それが悪い事だとは思わない。仮にも俺達は、この事実を守る為に彼女に協力すると決めた筈だ」
『Chariotにはさっき言ったんだけど、ダミアン・バリーさんについて知りたいんだ。彼が普段どこに行っていたかとか……』
昨日の別れ際、バグパイプが切り出した台詞が脳内で鮮明に再生される。
「シアーシャに話を聞きに行くんだろう。俺も心当たりには当たってみるが、恐らく彼女の方がダミアンの事には詳しい筈だから、情報筋としては君の方が有力という事になるが」
「……」
「何か不安が?」
黙りこくって視線を彷徨わせたジェーンに、Chariotは決して急かすような言葉はぶつけなかった。ただ静かにコーヒーを啜り、高い上背を屈めていた。
「もし、もし私達が情報を集めて、彼女に伝えて、それで何かが分かったとして。それの所為で此処のターラー人の立場が、もっと悪くなったりしたら、……って。どうしても、考えちゃって」
Chariotはわずかに眉を動かしたが、あくまで沈黙を貫く。一拍置いてジェーンは続けた。
「昨日みたいな事が、今より増えるかもしれない。状況はもっと悪くなるかも。……あの子____バグパイプの事は信頼できると思ってる。でも、駐屯軍の兵士みんなが、彼女のようにいられる訳じゃないのも事実だから」
そう言って、ふうと小さく彼女が息を吐く。覚悟を固めた者のそれではなく、目の前の誰かに少しだけ弱音を吐き終えた人間の呼吸だと、Chariotはその気配を読み取っていた。その割に、口をついて出たのは月並みなアドバイスでしかなかったが。
「憂慮する点があるなら、行動を起こす前に良く考えておくべきだ」
発言してから、それが自分にとって口当たりが良いだけの言葉であったと気付く。慌て気味に二の句を継ごうとする。
「いや、違う。こんな事が言いたいんじゃない。つまり」
「お待たせしました、アップルパイお二つです」
「……有難うございます」
継ごうとしたが、言葉として吐き出す前にあえなく中断されてしまった。店員が淀みなく二人前のアップルパイを並べる様子を憮然と眺めているChariotを見て、ジェーンは微かに破顔していた。
「怒らなくてもいいじゃない、店員さんは悪くないよ」
「怒ってはいない。ただ……タイミングが悪かった」
「ふふ、じゃあ、続きを聞かせて?」
冗談めかして言ったその声音の奥に、Chariotは何か別のものを感じ取った。ほんの少しの期待か、それとも、自分の気持ちを言葉にするのを待ってくれているのか。だがそれを確かめる術もなく、彼はただ素直に頷く。ナイフとフォークを手に取ると、ジェーンはアップルパイの縁を丁寧に切り分け始めた。表面を薄く覆うカラメルが陽に照らされて黄金色に艶めいている。サク、と軽やかな音を立てて切り分けたひと口を運び、彼女は少し目を細めた。
「ん、美味しい」
その素朴な反応に、Chariotの口元が自然と緩んだ。小さな笑みが浮かびそうになるのを、彼は咳払いで誤魔化して続けた。
「俺が言うまでもなく、君は自分の意思と行動をよく考慮するだろう。子供ではないのだから」
「まあ、そうだね」
「ただ、何処まで考えを巡らせようが結果を操作する事は出来ない。君の言う通り、今後状況は悪化するのかも知れない。そうなった時は……周囲を頼れ、オリバーとか、シュレッダー辺り、Outcastでもいい、彼女は普段こそ剽軽だが、頼りになる人だ」
ジェーンは口元を紙ナプキンでそっと押さえながら、紅茶の香りをもう一度確かめるように目を閉じた。
「Chariotは……そういう時、誰を頼るの?」
ふと、テーブルの向こうから投げかけられた問いに、彼はフォークを掴み上げた手を止めた。
「俺か?」
「うん。君が困った時、誰かに頼ることって、ある?」
問いの意図は明白だった。それはただの言葉遊びではなく、自分を頼ってもいいと思っているのかという確認である。慎重に、けれどどこか脈打つような真摯さを纏った眼差しを受けて、Chariotはしばし視線を逸らした。
「あまり無かった。誰かを頼る事自体が、自分の弱みを晒すだけの行為だと思っていて……、端的に言えば、恐れていたんだ」
正直すぎるほどに吐き出したその言葉は、彼にしては珍しく、自分の内側を晒すものだった。ジェーンは目を見開き、少し驚いたように彼を見つめる。
「なら、今は違う?」
「ああ……少しだけ、違ってきている」
彼の言葉には、どこか微かな変化の兆しを示していた。それは彼の僚友の叱責であり、彼をオペレーターとして育て上げた先達たちの言葉でもある。それらが彼女と過ごした時間の数々、日常の中の静かな共有という経験により形を得て、彼の頑なだった感情の殻を、少しずつ、少しずつ内側から崩していた。
「……それなら、ちょっと嬉しいかも」
そう呟いたジェーンの声は、本当にかすかだったが、それでもChariotの耳にははっきりと届いた。彼女の視線は、目の前のパイではなく、彼の瞳をまっすぐに捉えていた。
「私はさ……君を頼ってるよ。きっと前から。別に理由があるわけじゃないけど、君や、事務所の皆がそこにいるってだけで、少し安心できるの」
「……」
沈黙が降りる。けれどそれは、重苦しいものではなかった。ただ、二人を風の音と街の喧騒から隔てながら、どこか甘く柔らかい気配となって流れていく。
「……それなら、これからも、頼ってくれて構わない。俺も、そうありたいと思ってる」
静かにChariotはそう答えた。ほんのわずかに、視線を落として。感情を露わにするには不器用すぎる男が、言葉を選びながらそれでも誠実に応じた返答だった。ジェーンの頬が僅かに紅を差したように見えたのは、陽が天頂に差し掛かっていたからかもしれない。彼女はうつむきがちに笑いながら、すぐに話題を変えた。
「……それで、君はこの後どうするの?巡回?」
「いや、今日は一日非番だ。この後は事務所に戻って……、夜に十七区の方に向かおうと思っている」
ジェーンがふと思い出したように頷き、続けて尋ねる。
「聞き込みに行くの?」
「ああ。業務と混同させる訳にもいかないから、今日以外だとしばらく機会が無さそうだ」
その言い回しはあくまで中立を装っていたが、Chariot自身、その言葉が自分の為に取り繕った言い訳に過ぎない事を理解していた。
——本当は、君の言葉が引っかかっている。
バグパイプを信じたいという想いと、相反する懸念。善意の行動が誰かの不幸を招くかもしれないという、彼女の静かな不安。それはChariotの心にも同じように根を張っていた。ローナンの誘いに応じる気になったのは、それを確かめたくなったからだった。
だが、それを言葉にするには早すぎた。だから彼はただ静かに、コーヒーを飲み干すことで言葉を締め括る。
「……なら、気をつけて。君は大丈夫だと思うけど」
「行ってみなければ分からない」
苦笑を浮かべたその顔には、ほんの少しだけ、迷いが差していた。
「それと、ジェーン」
「うん?」
「君の言葉を、俺はちゃんと覚えておく。……ありがとう」
そのひと言に、ジェーンの目が驚いたように揺れた。けれど、すぐに緩やかな笑みを浮かべて、小さく頷いた。
「うん。……どういたしまして」
店先のベルが揺れ、客の出入りを告げる音が微かに響く。 二人の静かな時間はやがて終わりを迎えた。それでも、カップの底に残った芳香のように、今のやり取りはそれぞれの心に確かに余韻を残していた。
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事務所に戻ると、中天の眩しい光が窓辺から差し込んでいた。資料室の奥、淹れたての紅茶と胡椒の香りが仄かに漂う。Outcastがひとり卓上のティーセットに手を伸ばしていた、その傍らにはブレッドとハムエッグが並んでいる。老天使は湯気に目を細めて、こちらに声をかけた。
「おかえり坊や。いい風に当たってきたようだね」
「俺にはいささか強く感じた」
Chariotは扉を閉め、何も言わずにコートを脱ぎかけて立ち止まった。Outcastは二つ目のカップに紅茶を注ぎながら、片眉を上げて見せる。
「遠慮せず座るといい、君の分も淹れてしまった」
カップを手に取り、彼は静かに椅子を引いて腰を下ろす。紅茶から立ち上る香気が、喫茶店のカモミールと重なる錯覚を呼んだ。
「さっきブランチをとって来た所だが」
「なら猶更、喉を潤しておくといい」
カップを掲げ、Outcastが微笑を乗せて唇を湿らせる。彼女は柔らかく首を傾けた。
「それで、どうだった? 一緒にいたのはジェーンだろう?」
Chariotは答えを返す代わりに、軽くカップを傾けた。Outcastは特に追及する様子も見せず、けれど僅かに口元を緩めて続ける。
「……君の顔を見ていると、やはりケルシーを思い出すよ。彼女も、何を考えているのか分からないようで、ちゃんと伝わってきてしまう」
「先生と俺は、かなり違う。あの人は感情と理性をよく飼い馴らしているだけだ」
「そうかい?私は、似たもの同士だと思うけれどね。孤独に慣れている風なところも、誰にも弱さを見せまいとするところも。でも、誰かに手を伸ばされたら、きっと嬉しいと思ってる。……君だってそうだろう?」
Chariotは息をついて目を伏せた。鱗獣めいて硬質に光を反射する瞳には、内心の乱れを映すように薄赤い炎が渦巻いている。
「……貴女には敵わないな」
「単なる経験則さ。君のようなタイプは昔から幾らか見てきた。真面目で、不器用で、自分の感情の在り処に戸惑う人間はね」
Outcastは椅子の背にもたれながら、もう一口だけ紅茶を味わった。
「ジェーンの事は悪く思ってないんだろう?」
「……ああ」
「だったら、素直になればいいじゃないか。何も、急ぐ必要はないけどね。その方がAceも喜ぶだろう」
Chariotはそれには答えず、Outcastに倣って紅茶を一口含んだ。乱れた水面に今は亡き師の面影が映った気がしたが、半秒足らずの間にそれは搔き消える。彼も喜ぶと老天使は言う、事実その通りだろう、彼らはただ決意を履行するだけの機械のようだった自分をいたく気にかけてくれていた。
だが、それだけだろうか?自分が覚えている師の声を、自らの迷いを肯定する為に都合良く曲解してはいないだろうか。
「これから、十七区の方に向かう」
「ローナンだったかい? 例の青年」
「……昨晩言った通りだ、状況が想定よりも切迫している可能性がある」
「君が判断したならそれでいい。だがひとつ、私からも言っておこう」
Outcastは目を細めて、彼の視線の奥を静かに見据えた。
「君はいつでも合理的だ、常に最大公約数の利益を追求している。だが、時には自分の為に行動する事が、同じくらい大切なこともある。守るべきものがあるなら、遠回りしてもいいんだ。君がそれを選ぶなら、私は肯定するだろうし____」
Chariotの肩がわずかに揺れた。それは気づかない程の小さな反応だったが、Outcastの目はそれを見逃さなかった。
「____君はその判断を過つほど、もう青くないと信じているよ。
「……了解した」
それだけ言い残し、Chariotは立ち上がった。振り返らず、ただ少しだけ歩みを遅らせて扉のノブに手をかける。
「善処する」
彼女の言葉がまだ胸の奥に残るまま、Chariotは風の向こうへと歩を進めた。今度は惑いながらでも、自分の意志で。
【Chariot】
素質1:前線のウォールスタンス
敵から狙われやすい。スキルを発動した時ブロックしている敵全員をかなりの力で突き飛ばし、4秒間バインドする。
素質2:慈悲なき炎剣
自身がブロックしていない敵に対して、15%の確定ダメージを与える。