アメリカの西海岸沿いにポッカリと浮かぶ一つの建物。
それはサーカスを行うテントを模して作られた奇怪な外見で、内部には広大なステージと大掛かりな舞台装置を備える異様な建築物だった。
全方を海に囲まれて陸と繋がるのはただ一つの橋のみであり、夕暮れに電装が灯れば夕闇に映る姿はまさに夢の国。
さながら俗世と乖離したとでも言わんばかりのこの場所こそ、サーカスとミュージカルそしてマジックの要素をも織り交ぜた至高のエンターテイメントを送る場所で。
その夢の国の名は――――カレイドステージという。
◆
カレイドステージの楽屋は今日も多くの人が溢れていた。
ステージは大人数での公演のために当然その控え室もそれなりの収容人数であり、中にはずらりと並んだ鏡台と色彩豊かな衣装舞台が大量に用意されている。
本来なら舞台の前にメイクを施すキャストが使用する場所だが、今日はカレイドステージの新人オーディションの日であり、楽屋は女性の更衣室として使用されていた。
憧れのカレイドステージの裏舞台。普段では立ち入ることの出来ない場所に詰め込まれた30人ばかりの乙女達は好奇心に目を光らせて、また自分もこの場所に席を作ることを夢見ながら遠慮しがちに鏡台を使用する。
カレイドステージのオーディションを受けに来るだけのことはあり、美人が多く、どの子の身体もスラリと細く引き締まった素晴らしい肉体だ。
皆競技用の色気の無い下着を着用しているのが残念といえば残念であるが、下着がオーディションの結果に関わるわけではないのでデザインより機能が重視されるのは当然だろう。しかし。中にはその肉体の仕上がりだけで実力を窺えるだけの者もいる。
「うわー。綺麗な身体。もしかしてサーカス学校とか行ってたんですか?」
「……? ええ、私はフェニックススクールを卒業してきましたわ」
一人少女の視線を奪ったのは、No23のゼッケンを付けた長い金色の髪をした子だった。歳は16、7才くらいか。キリリとした真面目そうな顔で表情はやや硬いが、各部品が整っているだけに非常に絵になり舞台栄えしそうな顔だ。
身長は高く、その分手足も長い。一見すればモデルにでも向いていそうな美しいプロポーションは、またアスリートとしての才能も秘めていて、周囲の子達と比べてもその身体つきは一線を成していた。
ピッチリとしたライムグリーンのレオタードに豊満な果実を詰め込むものだから今にも弾け飛びそうな胸元……も凄いが、肩から逆三角形についた見事な筋肉。腹に余計な脂肪はなくくっきりとクビレていて、太股も張りあるしなやかで美しいものだ。
カレイドステージの花形と言えばやはり空中ブランコだろう。だが、人間が宙を自在に跳ぶのはそう容易な事ではない。
バーを放さない握力から始まり、バーを振るために下半身を持ち上げる腹筋と振り子運動に耐える脚。なにより空中で姿勢を保つ体幹が必要になる。
そうなると必然的に彼女のような体系になり、逆を言えば彼女はすでに空中を制した肉体をしていた。
「フェニックススクール!! あのレイラさんの創ったサーカス学校の!」
「え……ええ。貴女はどちらから?」
鼻息の荒い少女に若干引きながらも、話かけられてはしょうがないという態で聞き返す金髪の少女。
女子三人集まればかしましいというが、こと今日に至っては30人集まろうと控え室は静かなものだった。
それはオーディションを前にした緊張からくるものだけではない。
ここに集まる少女達は明日になれば同期生として共に暮らしていくことになるだろう。しかしそれは今日のオーディションを勝ち抜いて残った者の話である。
オーディションである以上、確実に落ちる者はいる。故に少女達は審査員の前で誰よりも輝かなければいけないのだ。周りは敵であり、争わなければいけない。そんな漠然とした敵対意識から生まれたものこそ、この沈黙。
そしてそんな暗雲立ち込める沈黙を破り捨てるように、少女は明るく声を上げた。
「私は苗木野夢。日本から来たの」
◆
「ユメ……ナエギノ」
苗木野夢と名乗った日本人の少女を金髪の少女が興味深そうに流し見る。
装いはその黒い髪とは正反対の真っ白なレオタードだった。小柄な日本人の少女。身長は160cmに満たないだろうか。顔立ちも幼く、周囲と比べてしまうと本当に同世代なのかと疑いたくなるほどだ。
何より印象的なのは、その緩い表情。少なくともこれからオーディションを受けるという気概は感じられず、むしろ話し相手が出来たことに笑顔を浮かべるくらいには緩かった。
「私はエリー・クラプトンよ。よろしくユメ」
「うん。よろしくエリー!」
エリーと名乗る少女も、その笑顔が純粋なものだと悟ったのだろう。ふっと一瞬、表情を緩ませて、ユメに手を差し出し、ユメもまたその手を強く握り返すのだが。
「ねぇエリー。フェニックススクールってやっぱりレイラさんが直々に指導してくれたの?」
握り返して放さない。
そのまま上目遣い、なのは身長差的にしょうがないのかもしれないが、目をキラキラと輝かせてエリーに詰め寄っていた。
「ま、まさか。基本は組まれたレッスンプログラムを行ってたわ。けど、レイラさんの講義を受ける機会があるだけでも学校に通うだけの価値はあったと思ってる」
捕獲されたエリーは表情に面倒くさい奴に関わったという内情が漏れているが、それでも真面目に答えるのは彼女の性格なのだろう。
「だよね! いいな。すごいな。羨ましいな! 私、レイラさんがブロードウェイに居る時のステージを見て以来大ファンなのー! レイラさんの舞台は完成度が違うよね。演技に隙がないというか、視線とか間とか全部計算されてて、もうしぐさの一つ一つに魅せられちゃう感じ」
「そうなの! レイラさんの演技はもうパーフェクトですわ! 確かな実力に裏づけされた繊細でありながら迫力のある演技。それでいながら常に改良を加える向上心。同じ演目でも一回目より二回目は確実に進化していて、何度も通いたくなるほど魅力に溢れてますの!」
ユメのレイラ談義に火がついて、いつのまにかエリーにまで飛び火する。
カレイドステージのオーディションはレベルが高い。
それでも、今日彼女達は挑む。そこには、躊躇があったかも知れない。葛藤が、恐怖があったかも知れない。
だが、ここにオーディションを受けに来た者はすべからず挑む事を選択した。
カレイドスター。このステージでもっとも眩しい存在だ。サーカスフィスティバルという世界レベルの大会で常に上位の成績をとるカレイドステージのトップスター達。
カレイドステージでトップに立つということは世界でトップに立つといっても過言ではないほどであり。その輝きは幼き日の少女たちに夢と感動、そして強い憧れを植えつけたのだ。
「レイラ・ハミルトンなんてアンタ等渋いね。私達の世代ならロゼッタ・パッセルとかマリオンさんとかのファンが多いよね」
しれっとユメとエリーの間に割り込んだのは長身の娘。
その娘は中性的な顔つきとハスキーな声もあり、一瞬美男子と見間違うばかりの美貌だった。
「ああゴメン。皆ピリピリしてるのにここだけ楽しそうだったからさ。あたし、クロエ・カートリッジ。二人はなんて呼んだらいい?」
「エリーで結構よ」
「私はユメ。よろしくねクロエ」
突然の割り込みに両者の反応はそれぞれだった。ユメはクロエの顔に見惚れながら照れた様子で握手を交わすが、エリーは違う。
まるでクロエを値踏みするかのようにつま先から頭まで視線を往復させていた。
クロエはエリーよりも身長が高く175に届くだろうか。エリーの女性らしい身体つきを残した筋肉とは違い、細くしなやかな猫科を思わせる機能美に溢れた身体だ。
「貴女、バレリーナか何か?」
「惜しいねエリー。あたしが得意なのは道化芸さ」
「あ、じゃあこのバッグに入ってるのがそう?」
クロエの足元に置いてあるリュックサックを興味津々そうに突くユメをクロエはリュックごと持ち上げて抱きしめる。
「そうだよ子猫ちゃん。君と遊ぶ良いものが一杯入ってるんだ。つか軽いな君」
「わっわ。降ろして降ろして。後どさくさに胸を触らないで」
「そういえばユメは何をやるのかしら?」
見立てでは恐らく空中曲芸だろうと察しは付く。バレーなどの美しさを見せる演目ではクロエの様に背が高く長い手足が好ましいが、空中の競技では逆にユメの様な体重が軽く、限られた滞空時間のなかでより空間を多く使える、背の低い選手が活躍するからだ。
「この子はどうみても空中向きじゃないか」
クロエの呟きにエリーも頷き勝手に納得するが、肝心のユメはクロエの抱きしめから
逃れられずに意気消沈していた。
「そういうお嬢さんは何をやるんだい。盗み聞きだけとはお行儀が悪いね」
クロエの挑発にふっと金色の髪を揺らし失笑するエリー。一人楽屋に響く笑い声は周囲からの視線を集めるが、その中でも堂々と胸を張り宣言する。
「何をやるかですって? 愚問ね。むしろ私にカレイドスター意外の何をやれというの?」
言った。まだオーディションに合格すらしていない少女が言い放った。
夢を語るのは素晴らしい事だが、場所が余りに悪い。この場でその名前を出すということはすなわち脇役は引っ込んでろと言っているのと同じなのだ。
さしものクロエも、得意分野が被らなければいいなぁくらいの探りだっただけに頭を抱える。
悩むのはここで私関係ありませんというポーズをとるかどうか、だろうか。
それだけでオーディションに受かろうとも落ちようとも過ごしやすくなるはずだ。
「じゃあ私は真のカレイドスター目指すもんねー!」
しかし時間切れだった。クロエの抱えていた子猫はどうやら時限爆弾だったようで、カレイドスターの名前に反応して大爆発する。
大きくため息をついたクロエはユメを抱えたままエリーの隣に立ち。
「じゃあじゃあ、アタシはクラウンリーダーを狙うしかないなぁ!」
宣言と共に燃えるユメとエリーをよそにクロエは静かに涙を流した。恐らくは陰険な人間関係になるであろう寮生活を思って。