「おめでとう挑戦者諸君。明日からは君達の憧れた、地獄の特訓生活の始まりだ。何せ監督は鬼で、指導者は悪魔だからね。きっと辛いぞ。きっと悲しい。きっと逃げたい。夢の舞台の裏側は皆いつだって傷だらけだ」
それはかつてカレイドスターを目指した少女が、今カレイドスターを目指す少女達に告げる宣告だった。
寮の中庭にて、饒舌な演説をするのは覇気溢れる快闊な女性。
小麦色の髪はウェーブがかかりふわふわで、襟の着いた袖なしのシャツとスラックスはどちらも黒。彼女は25歳という若さでありながら、すでにステージ歴15年のキャリアを持つ大ベテランだ。
才能に溢れ、社交性に富んだ性格とキャリアから誰もが認めるカレイドスターである。
しかし世間は、そんな彼女をアルバトロスと呼ぶ。
「君等はこれから多くの壁にぶつかることになる。そして何を隠そう、最後の最後でぶつかる壁こそ、この私。マリオン・ベニーニに他ならない!」
思い起こされるのは全力で駆け抜けたかの青春時代。
ソラに憧れた少女、ロゼッタと共に汗を流した少女。いつも周りに導かれていた彼女も、いつの間にか導く側になっていて。
優しく説くマリオンの声色は、話の内容とは裏腹にとても静かであり、表情も穏やかだ。
だからユメやエリー、クロエなど、その場に集う少女達も夢物語に耳を立てる赤子のように、その武勇伝に聞き入った。
「夢を追う事はそれだけ大変なんだ。そして観客を含めた誰かの期待に答えるのはもっと大変。でも、けして諦めないで欲しい。ここは君達の選んだ舞台だ。ここで闘わずにどこで闘うというのだろう? ここで逃げ出して、どこで闘えるというのだろう?」
信天翁は闘った。
6年の間カレイドスターの名前を守るために舞台に挑み続けた。
カレイドスターの称号はカレイドステージのトップスターであると同時に憧れの象徴でもある。
レイラからソラへ、ソラからロゼッタへ。受け継がれるたびに重さを増すその名前を背負い、彼女は今日まで飛び続けてきたのだ。
ゴールデンフェニックス、幻の大技、天使の技、語り出せばきりのない伝説と功績を残してきた天才達の後を、俊才の身で歩かなければならないその苦痛はいかなるものか。
何事も純度が高すぎれば毒となる。空気だろうと水だろうと少し不純物が含まれているくらいが住み良い環境だ。
夢もまた同じ。観客の高まる期待も、先達の託された思いも、子供達の無垢な憧れも。
その純度が高いほどに、マリオンに重く圧し掛かった。
「遠く親元を離れてきた勇気ある子達。大丈夫、ここは皆を裏切らない。傷ついたら隣をご覧。ここには同じ夢を持った子がいるよ。迷ったら前をご覧。ここには同じ道を通った先輩がいるよ。そしてもし、失敗をしたのなら。んなもん気にするな、私がなんとかしてやるよ!」
それでもアホウドリが飛べるのは、自分以上の愚か者を眼にしてきたから。
夢を追った少女はレイラの気高さを継ぎ、ソラの優しさを継ぎ、ロゼッタの純真さを継いでいて。たくさんの与えられた物を次なる世代に受け渡さんとする。
「ここにはサーカスには無いロマンチックな物語がある! ここにはミュージカルには無い大迫力の演出がある! ここにはマジックには無いアクロバットな演技がある! ここ。そう、カレイドステージ!!」
それは世界的に人気を誇るエンターテイメント。人々を魅了する夢のような舞台。
透き通ったマリオンの声は全員に響き渡り、新人も寮生も、その言葉に頷く。
火の時代、光の時代、風の時代。どれも眩しき栄光の日々であるが、過去に縋るものに未来はない。今は信天翁が翼を広げる海の時代。
挑戦者、冒険者、開拓者。願い様々に期待と想いと憧れを一緒くたに混ぜ込んで、アホウドリの群れは輝きで編みこまれた夢の翼をはためかす。
「おいで、一緒に飛ぼう。おいで、一緒に喝采を浴びよう。おいで、一緒に最高のステージを作ろう。だから挑戦者諸君。私のところまで上がっておいで?」
そしてスッと片手を天に上げ、握るジョッキには並々と注がれた琥珀色の液体。マリオンは神妙な顔から一点、邪悪な笑みを浮かべる。
「と。固いことはこのくらいにして~! とりあえず今日は食え! 飲め! 騒げ! 乾杯だ~!!」
「「かんぱーい!! ぱーい!! ぱ~っい!!」」
お酒を飲めないユメとソラは紙コップに注いだジュ-スを天高く持ち上げて。
「乾杯」
「乾杯」
レイラはワイングラスを。エリーはオレンジジュースの入ったグラスを傾ける。
「かんぱ……え?や、メイさんちょっとなにしてウァァァアア」
「うっさいわね。これがうちの乾杯なのよ。ホラホラホラどんどん行くわよー!」
BBQにユメが遅れて、エリーがレイラと話していた間にすっかり周囲と打ち解けたのはさすがクロエとでもいうべきか。
しかし立ち位置はやはり不運。寮長であるメイが突如ビールのビンを振り出して新人にビールかけを始めて、クロエはその被害者第一号としてビールのシャワーを浴びせられていた。
「あははは。メイなら絶対やると思った。ようこそカレイドステージに。これで君達も家族だ。まぁ私寮生じゃないけどー」
アンナとミアがなんとかメイを止める中、マリオンはその光景を楽しそうに見て笑い、宙に杯を一度傾けると一息にビールを飲み干す。
きっとその杯は、未来のカレイドスターへと向けられて。
◆
「ソラ」
短く囁かれるその名前。高く澄んだ声色は雑踏の中であろうと良く通り、彼女の元に届く。紙皿を両手に料理を配るソラはやおらに声のする方を向き、そして親愛を込めて返答をした。
「レイラさん?」
なんとも柔らかい音でソラはその名前を口ずさむ。
ずっと憧れだったスターはいまや舞台を降りた。今のソラにとって、レイラは共に上がった舞台を一緒に語らうことのできる親友だ。
憧れだった。目標だった。好敵手だった。相棒だった。時移り、様々な立場と関係であったが、しかし一貫して大好きだった。
共に舞台という場から降りてしまえば、残るのは役者ではない裸の苗木野そらとレイラ・ハミルトンであり、そして思い出と友情のみが二人に残る。
だからレイラもそんなソラには弱さを溢すことができて、同時に夢を話すことが出来るようになっていた。
「ソラ。アナタに紹介したい子がいるのよ。この子はエリー。エリー・クラプトン。うちの卒業生よ」
レイラが肩を支えながら金髪の少女を前に出す。
キリリとした真面目そうな表情の、端整な顔立ちをした少女。青眼と黄金の髪を携えた不死鳥の火を継ぐもの。
「エリーです。お久しぶりですソラさん。特別講義の時にお会いしているのですが、覚えてくれていますか?」
「覚えてるよ。一番前の席で熱心に質問してくれたもんね。カレイドに来てくれたんだ」
そう言い、ふわふわしたエリーの髪を手で梳くように撫でるソラ。エリーは子供扱いされるのに慣れていないのか、頬を紅く染めてくすぐったそうにする。
「そうなのよ。ハイスクールに進学する子が多かったけど、主席のこの子がカレイドステージに来てくれて嬉しいわ。この子が、この子達が私の今の夢。そして彼女はその先頭に立ってくれている」
「おめでとうございますレイラさん。本当に、おめでとうございます。あれから三年。とうとう子供達が羽ばたいていくんですね」
ソラは感慨深くエリーを見る。総合体育芸術学校フェニックススクール。レイラがアスリートの最後として後身を育てる場所の第一期入学生であり、同時に第一期卒業生である子を。
肉体は美しかった。鍛えられた筋肉としなやかな四肢。華やかでありながら強靭な肉体はまさしく人体芸術を志すものの身体。肌の張りや筋肉のつき方だけを見ても良きトレーナーがいることは明白で、エリーはそのトレーニングと栄養管理を実践しているのが窺える。
なにより技術が凄まじかった。オーディションで魅せたあの輝き。かつてのレイラ・ハミルトンを彷彿させる精緻なる熱演は、もはや新人のレベルを大きく超えていて。そんな娘がこれから舞台に放たれることを考えればレイラでなくとも心が躍る。
そんなエリーを見てソラはなにを思うのか。過ぎるのは新たなスターの予感か、あるいは蘇る不死鳥の伝説か。
「ありがとうソラ。アナタにそう言ってもらえると嬉しいわ。でも全てはこの子達の努力の結果よ。子供は私が思っているよりずっと逞しくて、ずっと早く成長していた。本当に私の自慢の子達」
涙を溢さぬまでも表情を緩めて生徒の門出を誇るレイラ。その満ち足る表情や舞台で喝采を浴びた瞬間に見劣りせず、彼女がいかに充実しているかが窺えた。
「そうだ。今日は私もレイラさんに妹を会わせたくてですね!」
「ああユメね。懐かしいわ。前に会ったのはまだ小さい頃ですものね」
「ソラさんの妹……ふふ」
思わず悪戯な顔するエリー。さすがのレイラもソラもまさかエリーとユメが知り合っているとは露に思わず、その場でエリーだけが素知らぬ顔でほくそ笑んでいた。
「えっと、ユメ? ユメー? あれ、どこかな? レイラさんだよーすごいよー本物だよー?」
しゃがんで跳ねて、ユメを探して右往左往するソラ。歳を取り落ち着いたかと思いきや、どうしてレイラの前ではその例に倣わないようで。
ソラのもの凄い捜しっぷりはさすがに悪目立ちし、空中でブンブンと手を振るソラを見たユメは小さい歩幅でパタパタと走りつける。その姿はまるで子犬が尻尾を振りながら走っているかのようだ。
「おねぇ~ちゃん。呼んだっかな、かな、かな?」
ソラの元に辿り着いたユメはいかにも満足気な表情をしていた。それはそこにソラが居て、そしてソラが名前を呼んでくれるということだけで幸せとでも言いたそうに。
姉に憧れて海の外までやって来た少女は笑う。純粋に、無垢に、幸せそうに笑う。
時折口にする語尾を三回繰り返す口癖はソラがよく口にするものであるが、果たして少女が追ってきたのは、カレイドスターのソラ・ナエギノなのか姉である苗木野そらなのか。
同じようで違うその意味に、少女はまだ気づかずただ眩しさのみを追う。
「レイラさん。この子が妹のユメです。ユメもレイラさんの大ファンなんですよ?」
「こんばんわ。久しぶりね。小さい時にソラと舞台に来てくれて以来だけど、覚えていてくれてるかしら?」
レイラの慣れた仕草で伸びる握手の手に、しかし頭の処理が追いつかないユメ。
たっぷりと五秒ほど伸ばされた手を凝視しして、それが憧れのレイラのものだと認識するや両手でがっしりと掴む。
「レイラさんだ。レイラさんですね!? 私、苗木野夢です。……サイン! よろしければサインください!」
ムホーと今にも鼻血を拭きそうなくらいに顔を真っ赤に染めて、そのテンションの上がりぐあいと言えば姉と再会したときの比ではなかった。
やはりソラには憧れていても家族という感情も含まれているのか、あまりに差別的な反応の差に若干ソラは不貞腐れている。
「合格おめでとう。私でよければ喜んでさせて貰うわ。でもユメ、此処でアナタは何をしたのいのかしら。それだけ教えてちょうだい」
少しかがんでユメと同じ目線で話すレイラ。正しくは少し違うのか。ユメの瞳を真っ直ぐ見ることによってユメの心を見透かすように問うていた。
青い瞳は氷の様に冷たく鋭い視線を少女に送る。しかし、ユメ動じない。
まるで己の夢に一切恥じることは無いとでも言うように、レイラを前に断言した。
「最高のステージを目指します。観客はもちろんキャストもスタッフも、みんなが満足できる、そんなステージに上がりたいです」
その言葉に、今度はレイラが固まる番だった。
「アナタが目指すのは、ソラでもカレイドスターでもないのね?」
「いいえ。お姉ちゃんのステージはとっても素敵です。だから苗木野そらはカレイドスターだったんだと思っています」
カレイドスターが最高の舞台を作るのではく、最高の舞台を作るからカレイドスターなのだとユメは謳う。
愚かな少女はここに穢れのない想いをレイラに見せる。少女が求めるのは栄光に非ず。喝采に非ず。名誉に非ず。それはただ、ひたすらに良きステージを恋願っていた。
「……そうね。私もそう思うわ。良い目標じゃない。頑張りなさい、ユメ」
「ハイ!」
かつてのレイラ・ハミルトンならば、未熟を許しはしなかった。新人は憧れを持ってやってくるものであり、夢だけを語っていても舞台が良くなるわけではないからだ。
語るならば、背中で十分。誰よりも前を走るその背中こそが雄弁に夢を語るのだと信じていて、事実彼女は誰よりも舞台と真摯に向かい合っていた。
だからこそ驚いただろう。こんなにもか弱い少女が自分と同じ事を夢見ていたことに。
苗木野そらを追う。しかし苗木そらを目指していない。カレイドスターに憧れる。しかしカレイドスターが目標ではない。
苗木野夢の瞳に映るのは、過去に見た色褪せる事のない最高の幻想であり、憧れの場所を目指して一直線に進もうとしている。
ならばこそレイラにはユメを批判する事が出来ない。ユメの目指すその幻想こそ、かつて自分が未熟な彼女に願った、約束の場所なのだから。
「グレイト。良い顔よユメ。何かあったのね目が生き生きとしているわ」
「キャー、エリーだ。うん。あのね、姉チャージしたから元気100%、勇気200%でやる気無限大なのです。です。です。でっす!」
自らの心意気を表す様にグッっと親指を立てるユメ。言葉尻からも覇気溢るほどに生気滾らせて、浮かべる笑みは普段通りの緩い笑みだが、黄金にも負けない輝きを放つ。
「あら素敵。けど私もレイラさんから激励を貰ったわ。ユメ風に言うならゴールデンチャージよ」
「えっとそれは具体的に何を溜めるの? お金?」
「炎よ。そう。胸に灯るこの熱は消えない朽ちない滅びない。そんな燃える想いを貰ってきたわ」
「うん。どうりでエリーも良い顔だね!」
ニッと笑うユメに、エリーも釣られて笑みを浮かべる。ともあれレイラから何かを受け取ってきたのは確かなようで。
表情穏やかながら瞳の中に稲妻を灯すエリー。
高ぶることなく荒ぶることなく粛々としている今のエリーには、周囲を威圧する鋭い視線も実力を誇示するかのような傲慢な振る舞いも無い。背伸びをしないその姿は地に足付けて、揺ぎ無い自信となって現れていた。
「あれ、二人共友達ー? なんでー? どうしてー?」
楽屋での偶然の出会いも今や必然の出会いに。しかし偶然のもたらした時間はオーディションという試練を共有し、そして乗り越えた彼女達は強い絆でむすばれていた。
「楽屋でね、一人すっごく輝いてたから話かけたら友達になっちゃった」
楽屋でのエリーを思い出しているのか、照れ照れと身体を捩じらせるユメをよそに、レイラが少し間の抜けた顔でエリーに話しかける。
「驚いた。貴女そんなに愛想のいいこともできるのね。てっきり自分以外には興味がないのだと思っていたわ」
「ええ、自分でも驚いてます。けどユメってなんか危なっかしいから放って置けなくて。後、私ここは泣いてもいいところでしょうか」
知人というだけありエリーとレイラは近しい関係にあるようだが、さらりと晒されるエリーの暗部。恐らくはスクールでも傲岸不遜なキャラクターで通っていたのだろうと安に想像がつく一言であった。
「まぁまぁまぁ。友達が増えたならハッピーですし、こうして知り合えたこともハッピー。なんにも問題ないですって」
ははは。とソラの乾いた笑いだけが響く。
「そういえばエリー、クロエはどうしたの? まだこっちで会ってないなぁ」
「さぁ? お肉に齧り付いてる所までは記憶してるけど、私もレイラさんと一緒にいたから」
「はぁ。もしかしてクロエちゃんっていうのはこの子のことかな?」
「知ってるのソラ?」
ええまぁと、ソラが取り出したのはスマートフォン。マリオンからのEメールを開いてソラは添付されている画像を皆に見せる。
イケ面女子のクロエナウ。ふざけた文面とともにびしょ濡れになったクロエがメイにコブラツイストをされている画像だった。
「…………」
皆なにも言えなかった。なにがどうなっているのかすら見当がつかなかった。
ただ、レイラがため息と共に溢した失望したわと言う言葉だけが、恐らくは真実なのだろう。