「いやー参った参った。ステージってのは何があるかわからないね、ほんと」
観客席に戻ってきたクロエは、既に普段のひょうきんなクロエだった。
頭をポリポリと掻きながらおどける様は、先ほどステージの上で大技を披露した人物とはとても思えない程だ。
「クロエ、すごいよ! ただの変態じゃなかったんだね。すごい変態だったんだね! 私感動しちゃった!」
「うわどうしよう。どんなにジョークのセンスを磨いても天然には勝てる気がしない」
「お疲れ様クロエ。最後は残念だったけど素晴らしい演技だったわ」
あのエリーの素直な賞賛に照れを隠すように、にっこりと笑顔を作るクロエ。
しかし、エリーは微かに震えるクロエの脚を見逃さない。舞台を降りた後の緊張が一気にきたのだろう。
飄々と振る舞うクロエがステージの上でいかな重圧と戦ってきたのか今はまだエリーには分からないのだろうが、それが過酷な戦いだったことは瞭然だ。
エリーの性格から言えばクロエから少しでも情報を引き出したいだろうが、そのような無粋な真似をするエリーではなく、百の言葉を飲み込んでクロエの労をねぎらった。
その雰囲気をユメも察したのだろう。
震えるクロエの膝にそっと手を置いて、無言で次のステージが始まるのを待った。だが、そんな気遣いをされて困るのがクロエだ。
「ああ、もう。なぁ聞いてくれよユメ。憧れのステージでさ、最高の演技が出来たんだよ。三次元ジャグリングの成功率は六割しかなくて、オーディションでやるつもりは無かった。それなのに身体が勝手に動くんだ。全力を出さないときっと落ちた時に後悔するって。はは、今になって膝が笑いやがる。どうしよう。あれが最高のアタシだよ。あれで認められなかったらアタシ……どうしよう」
渾身の演技だったからこそクロエを襲う恐怖。最後の三十秒でみせたミス。
舞台上の五人の中で誰よりも輝いたことは自他共に認めるものの、それでも誰も合格したとは言ってくれない。実力が足りたのか足りなかったのか。それは結果を聞くまで分かりはしないのだ。
「クロエ。失敗を恐れない勇気のあるクロエは凄い。全力を出して、出し切れたなら後はもう自分を信じるだけしかできないよ?」
「ええ。それに本当に可哀想なのは貴女の後に演技をする人達よ。見なさい、あの自信なさげな顔を」
エリーの言う通り、新たに舞台に上がった五人はあからさまに自信を喪失している。
ボールが生き生きと動き出すという演技の構成から大技を決めたクロエの高得点は、ミスをいれようとも確実だ。一回目の演技はどうしても基準になってしまう。
クロエ以上の得点を出すなら、クロエ以上の大技を出すしかないからだ。
レベルが高いカレイドステージの新人オーディションでも稀に見る大技を見せられては受験生達のやる気が削がれるのもいたしかたないだろう。
「分かってる。分かってるけどさ、怖いものは怖いんだよぅ。お前らも早く演ってくればいいんだ」
クロエは自身の膝の上にユメを抱え上げると、その後頭部に額をあてがい顔を隠した。
「惜しいなぁ。そこで髪の匂いを嗅がれなかったら私も逃げようとは思わなかったんだけどなぁ」
「もうちょっと。ね? お願い、もうちょっとだから」
「…………うん」
鼻をスンスンと動かす仕草がクロエの嗚咽だということに気がついたユメは、両手をクロエの後頭部に回して、クロエが顔を上げるまでの数分間優しく抱きしめる。
だが、まだ新人オーディションは始まったばかりであり、受けるものの緊張と終えたものの恐怖、様々な感情を交えながら次の幕が開く。
◆
「うわ。うわ。見て8番の人、今度はブランコをやるみたいだよ」
そう声を上げるユメは、まだクロエの膝の上にいた。先ほどから何度か脱出を試みてはいるのだが、二点式のシートベルトの様に腰を固定する腕がほどけないらしい。
「ええ、そうね。ブランコねぇ。ところでクロエ、先ほどから思っていたのだけど貴女もしかして変な趣味でもあるの?」
「変な趣味なんてないさ」
「……そうよね、ごめんなさい。でも同性だからといって少しくっつきすぎじゃないかしら?」
二組目の演技が始まったもののエリーとクロエは白けきっていた。
原因はあまりに目立つミスの多さだろう。やはり初回でのクロエの大技が印象に残っているらしく、審査員にアピールしようと難易度の高い技に挑戦しては失敗を繰り返している。すでにまともな演技構成すら成り立っていなかった。
ユメこそ必死に演技者の良いところを探そうとしているが、減点方式のエリーはもう対象への興味がなくなっており、クロエに至っては今だまともに観賞する余裕がない。
「同性だっていいだろ別に。ロリコンは世界一多い病気なんだこれくらい普通さ。むしろ幼女と合法的に戯れることの出来る自分を誇りたいね」
「ユメ。今すぐ降りなさい。そしてこっちに来なさい。その女は危険よ」
「もう。二人共もう少し真面目に見ようよ。頑張って演技している人達に失礼だよ」
ユメの言葉を受けてエリーは舞台を一瞥し、再びユメに視線を向ける。
「頑張っている。だからどうしたの? 人は出来ないから頑張るの。出来るなら頑張らなくてもいい。頑張った結果があの演技だというのなら努力の無駄だったようね」
エリーの言い分は事実だ。挑むだけなら誰でも出来る。だが勝ち抜くには実力が必要である。全ての努力は今日の、それもたった五分の時間の為にあり、体調が悪かった、緊張していた、実力が出せなかったと、いくら言い訳を並べようとも今結果を残せなければ意味はない。
「でも、だからと言って演技を蔑ろにする理由にはならないと思う。ちゃんと見届けようよ。あの人達は確かに失敗が多いけど、それでもまだ舞台の上にいるんだから」
「関係ないわ。萎えるのよ。せっかくクロエの技に心が躍っていたというのに何よあれ。跳べば着地に失敗する。回れば転ぶ。とても見れたものじゃないわ」
それでも、と。ユメはエリーの言い分に珍しく食いついて。
「それでも知っておかないと駄目なんだよ。みんなが笑顔になれないなら、せめて悔しい思いをした人がいるって知っておかないと、きっと駄目」
「私はたとえ恨まれようと憎まれようと輝く覚悟があるわ。敗者の言い分なんて知りたくもない」
「ううん違う。駄目だった人の分まで輝くために、必要なの」
瞳を一時も舞台から放さないユメ。その視線の先には五分という短い時間でありながら大量の汗を流している少女が。
行っている演目はタンブリング。床で行われる体操競技。
ロンダートからの後方三回転ジャンプを狙うも、高さが足りなかった技は回転しきる前に床に足が着いてしまい転倒する。すぐさま起き上がり、ポーズを決めてまた次の技へと挑戦するが、乱れた精神状態では、もはや簡単な技すら成立していない。
エリーの言葉を借りるならば不様だった。焦り、緊張、不安。その全てが彼女から自信を奪い、破滅へと導いていた。
さすがに彼女が合格することは無いだろう。それはユメにも分かるはずだ。だが、だからこそユメは、時間の限りステージで演技を続けた彼女の勇姿を目に焼付け、その背中に拍手を送った。
「ユメはさ、もしこのオーディションに落ちたら……どうする?」
それは後ろからのクロエの質問。オーディションを受ける前の人間に落ちる落ちないの話をするのは良くないことだと分かってはいるのだろう。ユメを抱きしめる腕に若干の力を込めて口を開いた。
「……きっと泣くよ。すごく泣く。そして泣き終わったら無理やりにでも笑顔を作って、受かった人に拍手をしたい」
「ん。それきっとアタシもだ。でもね、やっぱり落ちたくなんてなくってさ。みんなこのまま失敗しつづけろって思うのは間違ってるのかな」
外見とは裏腹に、意外と内面の弱いクロエはポツリと本音を漏らす。
きっとユメの言うことは正論なのだろう。人として正しく、そして美しい生き方だ。
だが、その理屈は現実とは合わない。努力と結果は必ずしも一致しなく、賞賛の裏には嫉妬が潜んでいる。
「きっと間違ってるよ。でもそれでいいとも思う。みんな受かりたいにきまってるもん。足を引っ張ってでも勝ちたいって気持ちも一つの強さだと思う。そう簡単に諦めたりなんてできないよ」
「そう思っててそれでも人を応援できるのか。すごいなユメは」
「違う違う。私そんなに格好良くないよ。ただの理想論なの。あのステージは私の夢でみんなの夢。だからステージに立っている人を無条件で応援したいってだけ」
きっと選ばれるってそういう事だからと後付けるユメ。
「つまり……貴女は目的は一緒だと言いたいの?」
次は選らばれると信じて疑わない少女エリーが問う。
「少なくとも最高のステージにしたいって気持ちは」
ユメは答える。
「カレイドスターになれるのは一人ね」
「うん」
「私はなるわよ」
「私も負けない」
「ただ、私がなったら貴女の分まで輝くわ」
「私も。みんなの分まで輝くよ」
開始のブザーと共に舞台では三組目が演技を始める。
ユメとエリーとクロエの三人は、それ以上何も言うことなくただステージを見守った。