本ステージには現在公演中の美女と野獣の舞台装置が組まれている。
城を模してつくられた凸の形をした大型トランポリンは野獣の躍動的な動きを表現するために用いられ、またトランポリンの名手として知られるカレイドスター、マリオン・ベニーニの技術を遺憾なく発揮するメインの装置だ。
カレイドステージのメインとして持ってこられるトランポリンが、ただのトランポリンのはずもなく、形状は至極複雑。
あらゆる角度に設置されたトランポリンはマリオンならばステージを縦横無尽に飛び回る翼とするが、知らないものが跳べば張り巡らされた罠に等しく、ピンボールの様に弾き返されてはトランポリンに遊ばれてしまう。
「演技の幅が減ったわね。ステージがまるで生かされてないわ」
エリーの言う通り、三組目にして演目の数が減っていた。現在行われている演目は、ブランコ、床に、ジャグリングと三種目のみ。これは演目が他と被らないようにしていた今までと比べてわかりやすい減少だ。
ステージが生かされていないという発言もしょうがない。一番スペースの大きいトランポリンがブランコやロープを使うための階段替わり程度に使用されていては、他の選手は手前の広場で密集して演技を行うしかないからだ。
「というかなんだろ。全体的に小さく纏まってきた?」
「うん。技の難易度を下げて代わりに技の数を増やしてきた。これも作戦だね」
そう。作戦だ。クロエに対抗して大技で点数を稼ごうとして失敗した二組目を見た彼等は減点を減らすという無難な作戦にでた。
大技のような見た目の派手さこそないものの、小さく繋げる確実な演技は演技者の基礎レベルの高さと技の豊富さをアピールする堅実なものだ。
カレイドステージの舞台に恥じない実力の高さがここに来てようやく発揮されるが、逆を言えばクロエの行った三次元ジャグリングがどれだけ周囲に衝撃と影響を与えたかも窺える。
「ペースを取り戻してきたのかな。技もだんだんキレが良くなってきた気がする」
「緊張して固まっているところにいきなり大技を持ってくるから悪かったのさ。大技っていうのはね、確実な技を決めていって調子がついた時。ここぞって時に使うもんさ」
ようやく調子の出てきたクロエは膝の上に居るユメの太ももに手を置いて、ユメは身体をビクンと硬直させた。
「その手も調子に乗ってきたところで大技を見せてくれるのかしら?」
「もちろんだとも。アタシの指捌きならきっと子猫ちゃんも大満足さ」
「クロエ元気みたいだし私そろそろ降りるね……」
身の危険を察したユメは、拘束がゆるくなった瞬間を見逃さずに自分の席へと戻る。
クロエがあっと小さく叫んだときにはすでにクロエの手元にユメはおらず、その様子を見ていたエリーはなぜか勝ち誇ったように微笑んだ。
「いい子ねユメ。さぁ一緒に舞台を見ましょう」
「うん。ねぇエリー。あのブランコの人、技は綺麗だけどなんで跳ばないのかな?」
ユメの指差す先の13番のゼッケンをつけた選手は確かに宙を跳ばない。空中ブランコで車輪を行い、前方開脚二回転などの鉄棒の技を行っていた。
「動きが慣れてる。たぶん体操選手よ。鉄棒がないから変わりにしてるのね。というか今回純粋にブランコをできる人はたぶんウチの学校生くらいよ。パートナーのキャッチャーがいないからバーからバーまでの手放し技がないといけないの」
「あ。そうかぁ。よく二人でやってるもんね。エリーは物知りだね~!」
察するにユメが知らなすぎるだけだと思うのだが、褒められるエリーも悪い気はしないらしい。だが、それが面白くないのはクロエだ。
「おかしい。言動といい行動といいなぜお嬢の評価がそんなに高いんだユメ」
「うーんと。エリーは好きだけどね、エリーの評価が上がったっていうよりはクロエの評価が下がったっていうか……」
「よし。アタシの膝の上に来いユメ。アタシがそこの保護者気取りよりよっぽど分かりやすく解説してやる」
「え!? クロエってジャグリングだけじゃなくてブランコも得意なの?」
そうクロエの顔を捉えたのはキラキラとした目でまるで尊敬する人を見つめるユメ。
下心に満ちていただけにクロエはばつが悪くなり、思わずその視線から目を背ける。
「ごめん。お嬢には勝てないと思う」
「むしろなぜ貴女はユメへの好感度がそんなに高いのよ?」
呆れた様子で聞くエリーだが、返ってきた言葉は、ピエロは王様にだろうと頭を下げないが無邪気な子供の笑顔には無条件で片膝を着くのさ。
などと難しい言い回しをしたロリコン宣言だった。
「あ……あのブランコの人、跳びそう」
気づけば、タイマーの時間は残り一分を切っていた。
最後に一つ見せ場を作ろうというのだろう。ブランコにぶら下がった男は下半身を大きく揺らして、だんだんと振り子を大きくしている。
広場での選手達も時計を見ながらフィニッシュの体制に入っていた。使用されるのはおそらく大技ではなく得意技。自身にとっての決め技だ。
ここはオーディション。出来るならば小さいミスの一つもしたくない場所。
リスクは敵だ。出来る技を出来る範囲で余力を残して行う。それが賢いものの選択で。
「クロエ、貴女はあの大技をオーディションで披露することに躊躇しなかったの?」
「成功率6割って言ったろ。あの時はここでやらなきゃ何時やるって感じだったんだ」
「あの男は無理ね」
非情なエリーの宣言。
無茶と無謀を履き違えるものは愚か者だろう。あの男もまた自分の力量を超えての技に挑もうとしている。だが、練習で成功したことのある技ならば、成功率が低かろうと無茶であれ無謀ではない。
幾ばくかの確率に文字通りの全力を掛けて成功を引こうとしている。
振り子の下死点を過ぎ放された両手。手を放すタイミングが早かった男は身体に勢いが付き過ぎて体勢を維持できずに空中での失速と共に低くなる放物線。
対面のブランコとの距離は100.90.80と距離を縮めてはいるが、身体は重力に従い落下を始めており、無念にもその指先がブランコとすれ違ったときの距離はわずか3センチだった。
「がんばれ」
ユメの小さな呟き。無論、ステージにいる彼にその言葉は届かないだろうが、男は動く。
左肩を下げて、その分右肩を伸ばす。空中にいる彼にできるせめてもの抵抗はそれだけであったが、バーに触れる指先。そして掴み。不恰好ではあるが、確かに伸身三回転宙を決め手見せた。
「決まったじゃないか」
「……。ええ。やはりやってみないとわからないものね」
そう言いエリーは席を立つ。エリーの番号は23番。次の舞台は16番から20番までであり、次の25番までは舞台の袖で待機だ。
「エリー。もしかして何かやるつもりかい?」
「受かろうね。三人で」
エリーは返答せず、掲げられたユメとクロエの手をすれ違い様に叩いていく。
金の髪を揺らすその背中には怯えの姿はない。
あるのは恐らく、いかに美しく合格するか。それだけなのだろう
◇
「クラプトン。おい聞こえているのかエリー・クラプトン!」
ユメとクロエの二人と分かれた私は、舞台の袖で柔軟体操をしていた。
後ろでがなる声が私の名前を呼んでいるのだと気づいたのは何度か呼ばれた後であり、煩わしいので無視をしようかとも思ったのだけれど、あまりにしつこいので仕方なく私は後ろを振り向く。
後ろに立っていたのは背の高いブロンドの髪をした男だった。
はて。どこかで見た覚えのある顔に記憶を探るが、それもそのはず。ほんの数週間前まで同じ学校で競っていた同士の姿だ。
「あら。ギム・ウォーカーじゃない。貴方もカレイドステージを受けに来たのね」
「僕の名前はジム・ウォーカーだ!大体受け付けに並んでいる時に気づけよ!」
ギム……ジムは胸元のゼッケンを指差す。
25番。どうやら本当にすぐ私の後ろに並んでいたらしい。こちらとしては、だからどうしたという程度の事だけど、彼にはとても重要な事のようで。落ち度を指摘してくるその態度が正直煩わしかった。
「失礼。貴方の存在が薄いから気づかなかった見たい。いっそカレイドステージではなくNINJAになってみたらどうかしら。きっと才能があるわ」
「っく。相変わらずだねエリー。スクールでナンバー2だったこの僕の事をそこまでコケにするのは君だけだよ」
驚いた。まさかあのフェニックススクールでこんな男がナンバー2だったなんて。
見れば確かに良く鍛えられた身体付きをしている。タイツの上からでも隆起のわかる筋肉は、キノコの様な髪型をした優男には不釣合いなほどに逞しい。
「それで、ジム。私に何か用かしら? 出来れば集中したいのだけど」
「ハハハ。やめとけよ。僕達が本気を出したら周りの奴等が可哀想だ。君の目指すカレイドステージ。どの程度のレベルかと思ったら話しにもならないな。唯一合格をくれてやっていいのは一番目のデカイ女だけだ」
一番。クロエ・カートリッジか。確かにクロエの演技にはつい魅入ってしまった。
卓越した指捌きによって行われる繊細なコンタクトジャグリングと大胆でありながら美しい変則バウンスジャグリング。あのレベルの演技はプロの公演でもなかなかお目にかかれるものではない。
そしてそれ以降の演技といえば、小さく縮こまった難度の低い演技ばかりだ。レイラ・ハミルトンの元で技術を磨いた私達からすれば稚拙そのもの。
そう思っていたのだけれど……。頭を離れないのは日本から来た少女の発した言葉。
悔しい思いをした人がいるって知っておかないと、きっと駄目。
ううん違う。駄目だった人の分まで輝くために、必要なの。
あのステージは私の夢でみんなの夢。
少なくとも最高のステージにしたいって気持ちは一緒。
「二番目の連中を見たかい? あれは酷いね。あの程度の腕でよく人前で演技できたもんだと思うよ。見るに堪えない。きっとレベルの低い大会に出て夢見ちゃったんだろうね。けどその夢もここで終わりさ。オーディションっていうのは君や僕の様に選ばれた人間しか受からないものだよ」
「貴方も暇なら柔軟くらいしときなさいな。怪我が減って口数も減るお互い良いことだらけだわ」
「……っ!!ふっフン。僕に本気を出させること後悔するからな」
そう言い残し壁際でストレッチを始めるジムを見て清々する。
けど、何かが、胸に引っかかっていた。ジムの言っていたことは先ほど私が思っていた事とまったく同じ。
ジムを哀れむなら私も一緒に恥じるべきだろう。だが、考えは今も変わらない。
世界は結果。現実は非情で、力なきものは置いていくしかない。
「駄目ね。集中できてない」
身体は温まり、思考もクリア。ほど良い緊張が背中に筋をいれ、胸の中には荒れ狂うマグマが沸沸と湧いている。きっと今ならば最高に輝ける演技が出来るだろうと信じて疑わないほどのコンディションだ。
「それなのに。何かしらね、この気持ちは」
溶けない胸の不純物。今、無性に無茶がしたい。全身の筋肉を酷使して、血管を最大限に押し広げ、大量の汗を欠いて、力尽きるまで躍動したい。
「四組目の終了まであと一分です。こちらに番号の若い順から整列してください」
だがそれもどうやら時間切れ。スタッフの指示に従って入り口に並び、公演の終わった組と入れ替えで私は舞台に出た。
「……っ」
スポットライトの下は思わず目を覆いたくなるほどの眩しさで、同時に焼けるように熱い。一瞬景色が白み、そして現れる舞台装置。
「ここがカレイドステージの本舞台っ!」
言葉にできない圧巻の視界。観客席のどの位置からでも見えるということは、舞台からも観客席の全てが見渡せるというわけで。会場の一番低い位置にいる私は、上下左右に並ぶ幾千もの観客席に圧倒された。
いまだからこそ席に座る人は少ないけれど、これが満員だったらと考えるだけで全身の毛穴が開いて背筋が凍る。たまらない。これはたまらない。気を抜けば震えそうな脚と、釣り上がりそうな頬を必死に我慢する。
ここに響きわたる雷のような喝采を想像しただけで最高の気分だ。緊張で身体が固まりながらも、不思議と心の温度が上がるのを感じた。
自分は笑っていないだろうか? 堂々と胸を張れているだろうか?
そう考え始めると途端に視線が気になりだして、思わず知り合いの顔を捜してしまう。観客席にクロエを見つけた。その隣にはユメ。そして何気なく視線を移して。
「……レイラさん」
ゲスト席にその姿を見つけてしまった。
引き締まる筋肉と冷める血液。身体は一気にその密度を上げて、その変わりに沸騰する心。
「ああ、溶けた。やっとわかった」
我ながらなんて単純なんだろう。恩師をみつけた瞬間分かってしまう。ユメの言葉に何を感じたのか。私が一体何をしたいのかを。
そしてブザーは鳴り演目の開始を告げる。