「えーっと。これが契約書でしょ? 銀行口座と保険の加入書? 寮の申請用紙とー。とー?」
場所をミーティングルームへと移動した33名の合格者は、手元に細かい文字がびっしりと書き綴られた書類を配られていた。
周りは15、6歳の少年少女達。正式な文章の堅苦しく回りくどい言い回しに辟易とし、中には思考を完全に放棄して固まるクロエのようなものも少なくは無い。
特にユメはいかに英会話が上手かろうと日本人の少女だ。異国の言葉が並ぶ書類を前に頭上に?マークを飛ばしては首を傾げている。
「惰弱ね。結局のところ、書くことなんて名前と住所と連絡先くらいじゃない」
「いいかいお嬢。世の中にはね、小説の見出しでそっと本を閉じる人間だっているのさ。アタシのようにね」
クロエはもはや内容も読まずに、前のホワイトボードに書かれた通り書き写すだけの作業を行っていた。
ちなみにメインステージでは現在午後の部を開演しており、この場に居ない95名は特別席で観覧している。
それにともない監督のミアやキャストのアンナなどは出払っていて、手の空いている人間といえば少数だ。その中でも仮に寮長なども兼任しているならば、事務てきにも新人への説明役としては一見適任ではないだろうか。
例えばメイ・ウォン。その人物がいかに性格が悪くとも、15年という長いキャリアで何度も新人への対応はしてきているし、何だかんだと彼女は面倒見がいい。
などと、カレイドステージの代表であるユーリ・キリアンが判断したのだとしたら、それは大きな間違いだった。
「次行きマース。保険の用紙ね。ここに日付。ここに生年月日。名前に性別でしょ、住所、電話番号を書いて。カレイドステージはベンチャー企業だから株式の4に丸ね。職種は~」
面倒だから早く終わらせよう。そう感じる程度にメイの説明は雑だった。
なぜなら、ここに居るのは未成年が殆どだ。書類を通すには親のサインと印鑑が必要であり、この場で完成することがない書類だからだ。
本来ならば記入例の記されたプリントを同封し、期日以内に提出するように促がすのがこの場での彼女の役目だった。
しかしメイは出来る限りの記入を強要した。もちろん本人の自筆でないといけない部分もあるが、ほとんどは代筆が可能である。だが、それをメイは許さない。その甘えを彼女は許せない。
長たらしい文章は堅苦しく、執拗に求められるサインは面倒くさい。加えてお金、契約、保険。口にすれば子供達にとっては生々しく感じる言葉だろう。
生々しい。それもそのはずだ。これは現実であり、客はお金を払って舞台を見て、キャストは対価として舞台を提供するのだから。
ユメ達は今日からプロだ。キャストとして契約してギャラを貰う以上、彼女達には観客を満足させる義務が発生する。だからこそ、メイは自分の手でサインをさせた。
「時間ならかけていいわ。分からないなら聞きなさい。間違ったなら書き直しなさい。けど自分の力で書きなさい。これはたかが書類かもしれない。親が書いても一緒かもしれない。他のスタッフなら一ヶ月以内に記入して提出しろという程度の代物よ。だからって甘えないで。これは貴方達の契約書。これを親に書かせるということは、舞台でミスした時に親に謝らせるのと一緒だと思いなさい」
自分の目で読み、自分の頭で理解し、自分の意志で了承する。それこそが契約であり、そこに年齢など関係無い。それがメイ・ウォンの判断だ。
「も、もう一度さっきのところお願いします」
おずおずと今にも消え入りそうな声で手を挙げるユメ。キッと鋭いメイの視線に小さく悲鳴をあげるのは先ほど喰らったアックスボンバーがトラウマなのか。
「……いいわ。今行く。他にも分からない人がいたらしっかり手を挙げなさいね」
その対応は珍しく優しいものだった。メイとしても、ここでユメを無碍に扱うなら質問をするものがいなくなるということを理解しているのだろう。
「そうよ。そこは二番に丸をつけて。そこから下は保険会社が記入するところだから後は親に名前と印鑑をもらってきなさい」
ついでにといわんばかりにクロエとエリーの書類に目を走らせるメイ。エリーはサインに書き慣れているのか達筆な筆記体で署名をし終えていた。
メイは可愛くない奴だと表情を曇らせて、クロエの書類に目を移し、クロエはホワイトボードをそのまま書き写したものだから氏名の欄にカレイド・ステージと記入していてこれにはメイも頭を抱える。
「書き直し! まさかとは思うけど名前ごとそっくりホワイトボード写した馬鹿は他にいないでしょうね!?」
ざわつく室内。おいおい誰だよそんなマヌケ野郎はと、自分の紙を見直して自分がマヌケだったと気づいた者が三人ほど見つかる。
「……ケン。アンタ毎年こんな事してたのね」
遠い目で同僚の苦労をねぎらうメイ。しかしマニュアル通りに動かなかった自業自得でもある。この後、全員が記入しおえたのは1時間後であった。
◆
空を仰げば日は赤く、紫がかった大気が紺碧の海と溶け合うアメリカの西海岸。
大量の書類と格闘すること一時間。スケジュールの説明を受けること一時間。施設を見学することにさらに一時間。合格発表から都合三時間以上拘束されて、ユメ達がカレイドステージから出たときにはもう薄っすらと日が落ちかけていた。
「いやーこの開放感! やっぱアタシ椅子に座って話しを聞くのって性にあわないわ」
ん~! と背筋を伸ばすのはクロエ。ボールやらディアボロやらを詰め込んだリュックを片手に真っ先に空の下に駆け出して。
後ろに続くのはピンクのキャリーバックを引き摺るユメと、手提げの鞄を持つエリーだ。
「ほんと気持ち良いねー。でも三人そろって寮生か。クロエもエリーもずっと一緒だね」
「まぁ頼りなさいよ。私ならきっと家事だろうと完璧にこなせるはずだから」
「きっととか、はずって言いながらその自信はどこから……」
三人揃う帰り道。行きは一人で歩いたその道も、帰りは行き先同じ仲間を見つけてワイワイと。向かう先は無論カレイドステージの女子寮である。
カレイドステージと正式に雇用契約を結び、晴れてここに新人キャスト苗木野夢が誕生した。同時に新人として名前を並べるのはエリーとクロエも同じだ。
「つかエリーも寮なんだな。アタシはてっきり毎朝リムジンで颯爽と現れるのかと」
「別荘が近くにあるからそれでもよかったのだけどね。むしろ父にはそうしろと言われたのだけど、一人暮らしをしたい年頃なのよ」
「私は家族と離れるのちょっと寂しいなぁ。お姉ちゃんも、いつまでもこっちにいないだろうし」
「そっかソラ・ナエギノといえばフリーダムライツで有名だもんな」
フリーダムライツ。苗木野そらが率いるカレイドステージの別働隊だった。
世界各地を旅して回るフリーダムライツは、収益のほとんどを公益へと当てている。
国境なく飛び回る天使は舞台を通して笑顔を作り、ささやかな贈り物を置いてまた羽ばたいていくのだ。
争いの無いステージを目指す彼女は今もその夢に向かって直向きに進み、そこで獲た一つの答えであった。
そんなチャリティー活動も、カレイドステージにしては損ではない。
夢の国としてのイメージアップはもちろん、世界で公演を行うのだからソラの活動はCMよりもよほど効果のある宣伝としてカレイドステージを賑わせていた。
「けど同じカレイドステージなのだし、ユメもフリーダムライツに入れるかもしれないじゃない」
「あ、ううん。チャリティーはいいことだと思うけど、お姉ちゃんの後を付いていきたいわけでもないから。私はカレイドステージで最高のステージをまずは目指したいな」
「良くってよ。まずはカレイドステージで頂点を。そこで何を成すかが私達の真価だものね」
夢を追いかけて順調に一歩を踏み出したユメ達。その目指す先に居るのは自分達の理想像、苗木野そらにレイラ・ハミルトン。道を阻むであろう障害も、先達は乗り越えたと知っているから彼女達の胸には勇気が灯る。
壁は越えられるのだ。いつかその背中に追いつくまでは全てが通った道であり、彼女達はただの挑戦者。追いつき、自分の道を模索しだして冒険者となり、その道を切り開いて初めて開拓者となる。
いずれも困難ではある。しかし、今はまだ標がある限り、挑戦者達は止まらない。
「ユメちゃん」
しかし、それも歩めるものだけの話。
溶けるような夕日を背にユメ達の前に現れたのは一人の少女だった。
カレイドステージの公演が終わり既に三十分。ぽつんと一人桟橋で海を眺めていたのは偶然ではないのだろう。
亜麻色のショートヘアをした少女。ゼッケンナンバー96番、アメリア・ヘクソン。
ユメと共に舞台に上がり共同演技をした一人だった。
「……エリー、クロエ。ごめん先に行ってて?」
「そうするよ」
重い空気は苦手なんだ、と。クロエはエリーの背中を押してその場を立ち去る。
「ご、ごめんね。なんか気をつかわせちゃって」
アメリアは相変わらずのおどおどとした口調で話すが、その表情はどこかさっぱりしたものがあった。その理由は一目瞭然だ。腫れた下瞼に、流れた化粧の後を見ればユメ
にも察しがついただろう。
彼女はきっと泣いていた。泣いて、泣き明かし、心の整理をつけたのだ。
「ううん。そんなことないよ。それよりアメリア、話があるんでしょ?」
「……うん。ほ、本当はね、落ちた私と会ったらユメちゃん気まずい雰囲気にしちゃうかなって思ったんだけど。どうしても貴女には伝えたかったの」
アメリアはユメの小さな手を取る。小さいながらに、幾つものタコが出来た頑張りやな手を。
「最高のステージをありがとう」
「え?」
ユメにしてみれば、まるで冷や水を浴びたような言葉だった。悟ったかのような、満足したかのような言葉は、次を目指す者の台詞ではない。
「私、実は三回目なの。一回目は緊張で失敗ばかりで。二回目も頑張ったんだけど良いところ見せられなくて。三回目、これで駄目なら諦めるって親と約束したから」
「やだ。諦めるなんて言わないでよ」
三度の挑戦。果たしてそれは、三度も挑戦したのか。三度しか挑戦していないのか。
夢の輝きは不変であり、夢が終わることはない。
しかし、それでも届かないのは、いつしか伸ばす手を下ろしてしまうからだ。
「ごめん。ごめんね。でも私、満足しちゃったんだ。ユメちゃんのおかげでね今回は実力以上の演技ができたの。皆の力も借りられたし、笑顔で演技できたし、すごく楽しかったし。だから今年で駄目なら来年はもっと駄目だよ」
「だからって挑戦しないと受からないよ……」
皮肉にもユメによる共同演技はアメリアから言い訳の余地を奪った。
クロエやエリーのような実力者をみても所詮は他人事、すごい人が居るで終わる。
しかし、100%どころか120%の実力を発揮させたユメの指揮があって届かなくては、自分の力不足を認めざるをえないだろう。
「いいの。私のカレイドスターへの挑戦は今回で終わり」
まるで自分の言葉を受け止めるように胸に手をあてるアメリアだが、それでは納得できないのがユメだ。
「うそだよ。絶対うそうそ。目がそんなになるまで泣いちゃって何が満足なの? アメリア悔しいんじゃん。来年挑戦したいんじゃん。諦め、ついてないんじゃん」
ユメの強い口調に元から性格の強くないアメリアはビクリと肩を強張らせるが、それでも彼女は引かない。
「聞いてユメちゃん。正直キャストへの諦めはついてるんだ。けど今日がすごく楽しかったからね、ユメちゃんとまた舞台に上がれないのが辛いかな」
「上がろうよ、一緒に。来年でも再来年でもさ」
彼女の覚悟が固いことは半ばユメも気づいているのだろう。前向きな言葉をかけながらも逆にユメの表情は弱弱しくなるばかりだった。
「……カレイドステージのスタッフを目指そうと思うの。幸い試験は一週間後だし」
「それでいいの?わ、私なんかカレイドスターになっちゃうんだもんねー。アメリアがあの時スターを目指しとけばよかったなんて思っても遅いんだから」
半べそをかきながらも涙を堪えるのはユメの意地か。慣れない悪態をつきながら精一杯の挑発をする。
「むしろ私はユメちゃんに成って欲しい。だって私、ユメちゃんのファン第一号だよ?」
「本当にステージ諦めちゃうんだ……」
「違うよ! 私カレイドステージが大好き。大好きだから。キャストじゃなくても、裏方でも、ステージになんとか参加したい!」
アメリアの吐露は、それもステージへの愛だった。
実力の不足と才能の無さを認めた上でそれでもステージに参加する。カレイドステージはキャストが全てではない。脚本があり、舞台装置があり、衣装に照明に広報。ありとあらゆる人材が一つの舞台を作り上げていて。
「私もユメちゃんと最高のステージを作りたい!」
言葉尻は強く。その目は真っ直ぐとユメを射抜く。
アメリアの顔は敗者の顔ではなかった。夢を諦めたものの顔でもなかった。それはユメと同じ挑戦者の、愚直に前を向くものの顔だった。
「……待ってるよ。アメリアも、待ってて。いつか最高の喝采を聞かせてみせるから」
ユメは舞台は一人で作るものではない事を知っている。自分の参加したオーディションでキャストを諦める者が出るのはユメにとって辛かったかも知れないが、アメリアがなおステージを目指す以上、彼女を止める術をユメは知らない。
夕闇の中で溶ける影法師は互いに影を伸ばしあい、差し伸ばした手合わさって。
「「カレイドステージで、また会おう」」
キャストとスタッフ。舞台の表と裏。しかし良いステージにするというその志は変わらない。キャリーケースを引っ張るオーバーオールの少女は友の新たな夢を励ますために、失った夢に涙を流すこともできず、ただ空を仰いだ。
ガラガラと車輪の音が向かうのは仲間が待っている女子寮へ。
少女の顔にいつもの緩い笑顔はまだ浮かばない。