ガンツバーグの市場は活気に溢れていた。露店が並び、行商人や市民で賑わっている。その中を、エリーはボロボロの練習用杖を片手に、肩を落として歩いていた。
「もう三日目…でも依頼が全然来ない…」
彼女は深いため息をついた。冒険者ギルドでの鑑定結果が悲惨すぎて、誰も彼女を雇いたがらなかったのだ。
(こんなの異世界転生の主人公じゃないわ…脇役以下よ…)
彼女はふと立ち止まり、ポケットの中の冒険者カードを見つめた。「見習い(最下級)」の文字が彼女を嘲笑しているようだった。
「まったく…チート能力が使えないなんて…」
そんなことを考えていると、突然、周囲がざわめき始めた。
「皇太子様だ!」「バルモリア帝国の皇太子様がいらっしゃる!」
エリーの目が見開いた。
(皇太子!?)
人々が道の両側に下がり、中央に道ができる。やがて、豪華な馬車を先頭に、騎士たちの護衛隊が現れた。馬車の窓からは、金髪の美しい青年が顔をのぞかせていた。
(な、なんて美形…!)
エリーの頭の中で「ピーン!」と電球が灯った。
(そうだわ!なろう系小説では、主人公は高貴な人物に一目惚れされるのが定番よ!)
彼女は急に背筋を伸ばした。
(これぞ、主人公の運命の分岐点!転生悪役令嬢が帝国の皇太子に見初められる展開!)
妄想が彼女の頭の中で膨らみ始める。
(皇太子が私を見て一目惚れ…「君のような美しい瞳を持つ女性は見たことがない」と言って…その後、溺愛されて…最終的には皇后に…!)
エリーは頬を染め、うっとりとした表情になった。
(よし、ここで私のチャームポイントをアピールしなきゃ!)
人混みの中から飛び出し、皇太子の馬車に向かって進み出る。護衛の騎士が彼女に気づき、警戒の目を向けるが、エリーは構わず前に出た。
「あの、皇太子様!」彼女は可愛らしく声を出した。「ちょっとよろしいでしょうか?」
皇太子は彼女に視線を向けた。エリーの心臓が高鳴る。
(ああ、目が合った!これが運命の出会い…!)
彼女は最高の笑顔を作り、少し潤んだ瞳で皇太子を見上げた。原作ゲームでは、彼女も貴族として作法を身につけていたので、最高の礼儀正しい仕草ができる。彼女はゆっくりと優雅にカーテシーをした。
「初めまして、皇太子様。私はエリーと申します。どうかお見知りおきを」
(さあ、これで皇太子は私に…)
皇太子は彼女を一瞥すると、何も言わずに視線を前に戻した。馬車は通り過ぎていく。
「え?」
エリーは呆然と立ち尽くした。
(ちょ、ちょっと待って?無視?そんな…)
彼女は慌てて馬車を追いかけた。
「あの、皇太子様!私のことが気になりませんか?普通、こういう展開では…」
護衛の騎士が彼女の前に立ちはだかった。
「市民、下がれ。皇太子様の邪魔をするな」
「でも、なろう系の法則では…」
「何を言っている?不審な言動は控えろ」
エリーは焦って、チート能力を使おうとした。
(真実視!皇太子の心を見抜いてみせる!)
彼女は目に力を込めたが、何も起こらない。
(あれ?またダメ?)
騎士たちに押し戻され、エリーは道端に追いやられた。皇太子の馬車は遠ざかっていく。
***
「もう、なんなのよ!」
宿に戻ったエリーは、ベッドに倒れ込んだ。
「なろう系の法則はどこ行ったの?主人公は皇太子に見初められるはずでしょ!」
彼女は悔しそうに枕を叩いた。
「もしかして、まだ魅力が足りないのかしら…でも原作だと、エリシアは美人設定のはず…」
鏡に映った自分の顔を見て、彼女は唇を尖らせた。確かに悪くない顔立ちだ。短く切った髪も意外と似合っている。
「なろう系なら、こんな偶然の出会いが運命の始まりになるはずなのに…」
彼女は天井を見つめて溜息をついた。
そのとき、ノックの音がした。
「はい?」
宿の従業員が入ってきた。「エリーさんですか?冒険者ギルドからの伝言です」
「ギルドから?」彼女は飛び上がった。「やっと依頼?」
「はい、明日の朝、ギルドに来るようにとのことです。特別な依頼があるそうです」
「特別な依頼!?」
エリーの目が輝いた。
(これよ!皇太子様が私を指名してきたのね!やっぱり運命は動いていたのよ!)
彼女は従業員にチップを渡し、部屋で小躍りした。
「やっぱり主人公よね、私!皇太子様は最初から私に気づいていたのよ!でも人前では知らないふりをして、密かに調べさせて、それで個人的に呼び出したんだわ!」
彼女は頬を染めて妄想を膨らませた。
「『実は貴女の瞳の色に一目惚れしたのです』とか言われちゃったりして~!」
***
翌朝、エリーは念入りに身だしなみを整えた。背伸びして、自分の持っている中で一番マシな服を着て、髪も丁寧に整えた。
「よーし、皇太子様との再会の準備はバッチリね!」
彼女は自信満々にギルドに向かった。
ギルドに入ると、受付嬢が彼女を見つけて手招きした。
「エリー、来たわね。依頼の件だけど」
「はい!」エリーは期待に胸を膨らませた。「皇太子様からの依頼…ですよね?」
受付嬢は怪訝な顔をした。「皇太子?何言ってるの?依頼は市場の清掃よ」
「…え?」
「昨日、市場で変な騒ぎを起こしたって苦情が来てるわ。皇太子の馬車に近づいて騒いだとか」
エリーの表情が凍りついた。
「あなたの冒険者カードに傷がつく前に、埋め合わせとして市場の清掃をするってことで話をつけたから。感謝しなさいよ」
「市場の…清掃…?」
「そう。皇太子の護衛からクレームが来てたのよ。『不審な女性が皇太子に絡んできた』って」
エリーは膝から崩れ落ちそうになった。
「いや、これは誤解で…」
「とにかく、今日一日かけて市場を掃除すること。報酬は…まあ、これが報酬というより罰ゲームだから、ないわね」
エリーは天を仰いだ。
「なぜ…なぜなろう系の法則が私には当てはまらないの…」
受付嬢は首を傾げた。「何言ってるの?とにかく、ほうきとちりとりはそこにあるから」
***
その日、エリーは市場中の掃除をさせられた。汗だくになり、ホコリまみれになりながら、彼女は絶望的な気分で床を掃いていた。
(こんなの主人公じゃない…端役以下よ…)
掃除の最中、再び皇太子の馬車が通りかかった。エリーは思わず身を隠した。
馬車が通り過ぎる際、皇太子が窓から顔を出した。エリーはほんの一瞬、彼との目が合ったような気がした。
(もしかして…?)
しかし皇太子はすぐに顔をそむけ、側近に何か言った。側近がクスリと笑う。明らかに彼女のことを話題にしているようだった。
「まさか…笑われてる…?」
エリーはほうきにしがみついて、その場にへたり込んだ。