「はぁ…なんでこんな仕事を…」
エリーは膝まで泥に浸かりながら、ため息をついた。彼女の目の前には、ガンツバーグ近郊の農場の排水溝。そして彼女の手には、長い棒と袋。
「魔物の糞の除去作業」
これが彼女に与えられた最初の「本物の依頼」だった。市場掃除という罰ゲームを無事終えた翌日、ようやくギルドから依頼を許可されたのだが…。
「転生チート主人公なのに、最初の仕事が魔物のウンコ集め?ふざけてるわ!」
近くの農家の主人が声をかけてきた。「お嬢ちゃん、文句言ってる暇があったら早く片付けておくれ。あの排水溝が詰まると、作物が全部ダメになっちまうんだ」
「わかってますよ…」エリーは不機嫌そうに答えた。
(なろう系の主人公なら、最初の依頼はゴブリン退治とか、せめて薬草採集とかなのに…)
排水溝には「ぐもぐも」という名前の小型魔物の糞が詰まっていた。鮮やかな緑色で粘り気があり、不快な匂いを放っている。
「うぅ…」彼女は顔をしかめながら、棒でそれを袋に押し込んでいく。
「いいからガンバレよ、お嬢ちゃん」農家の主人は笑いながら言った。「俺たちはこれを"新人いじめ特別依頼"って呼んでるんだ。みんな通る道さ」
「はぁ!?」エリーは声を上げた。
(みんなって…まさか私だけじゃなかったの?)
「そりゃそうだろ?冒険者なんて、みんな最初はこんな仕事からさ」
その言葉に、エリーは少し考え込んだ。
(そっか…私だけじゃないのね…)
***
「次は墓地の除草と清掃作業です」
午後になり、一つ目の依頼を終えたエリーは、すぐに次の依頼を受けていた。ギルドの受付嬢が言うには、「新人は実績を作るために、一日でなるべく多くの依頼をこなすべき」とのこと。
「墓地の雑草抜き?マジで?」エリーは呆れた顔で言った。「転生主人公なのに…」
「また変なこと言ってる」受付嬢は眉をひそめた。「とにかく、日が暮れる前に終わらせてきなさい」
ガンツバーグの墓地は町の北側にあり、小高い丘の上に位置していた。エリーは鎌と袋を持って、重い足取りで墓地に向かった。
「まったく…なろう系小説のはずなのに、ストーリー展開おかしくない?」
彼女は一人でブツブツ言いながら、墓石の間の雑草を抜き始めた。
「チート能力者が雑草抜きって…絶対ストーリー構成ミスってるわ…」
そんなことを言いながらも、彼女は黙々と作業を続けた。汗が額から流れ落ち、手には水ぶくれができ始めている。
「くっ…手が痛い…」
彼女は自分の手のひらを見た。柔らかな貴族の手は、すでに真っ赤になっていた。
「そりゃそうよ…エリシアの体は貴族令嬢で、こんな肉体労働したことないんだもの…」
しかし不思議なことに、作業を続けるうちに、彼女の心は徐々に落ち着いていった。単調な作業は、彼女の混乱した心を少しずつ整理させていくようだった。
(なろう系主人公になれなかったのは事実…でも、それならそれで、どう生きていくか考えないと…)
日が傾き始める頃、彼女は墓地の清掃を終えた。墓石の間は見違えるように綺麗になっていた。
「ふう…終わった…」
疲れ果てたエリーは、墓地の入り口に座り込んだ。不思議と、達成感のようなものを感じていた。
「私、何かやり遂げたわ…」
***
「はい、これが報酬です」
夕暮れ時、ギルドに戻ったエリーは二つの依頼の報酬として、銅貨15枚を受け取った。わずかな額だが、彼女にとっては初めての自分の稼ぎだった。
「たった15枚…」彼女は呟いた。
(フォンブルーム家にいた頃なら、こんな額は小遣いにもならなかったわ…)
しかし不思議と、その15枚の銅貨は、今までに見た中で最も価値のあるお金に思えた。
「あの…」彼女は受付嬢に声をかけた。「この近くに、安くてそこそこ飲める居酒屋とかありますか?」
受付嬢は少し驚いた顔をした。「あなた、お酒飲めるの?」
「もちろんですわ!」エリーは胸を張った。「フォン…じゃなくて、私の国では、十五歳から飲めるんです!」
これは嘘だった。前世の日本では二十歳からだし、クリスタリア王国でも十八歳からだ。しかし今の彼女は、どうしてもお酒が飲みたかった。
受付嬢は怪訝な顔をしたが、「『牙の酒場』なら安いわよ」と教えてくれた。
***
「牙の酒場」は、冒険者たちで賑わう小さな居酒屋だった。入り口には巨大な魔物の牙が飾られ、中は煙と笑い声で溢れていた。
エリーは恐る恐る中に入った。元・高貴な貴族令嬢である彼女にとって、こんな場所は初めてだった。
「あの…一人で…」
彼女の声は騒がしさに消されてしまう。しょうがなく、彼女は空いていた隅のテーブルに座った。
「お嬢ちゃん、何飲む?」太った店主が声をかけてきた。
「え、えっと…」彼女は迷った。「ビール…とか?」
「ビールね、了解」
すぐに大きなジョッキが運ばれてきた。泡立つ琥珀色の液体。エリーは恐る恐るそれに口をつけた。
「うぅ…苦い…」
しかし不思議と、二口目は少しマシに感じた。三口目にはもう慣れていた。
「不思議…」彼女は呟いた。「前世では、お酒はあまり…」
彼女はふと気づいた。もしかして、この体の前の持ち主、本物のエリシアは、こっそりお酒を飲んでいたのだろうか?
「くすくす…」彼女は笑いがこみ上げるのを抑えられなかった。「貴族令嬢のくせに、隠れて飲んでたのね」
ビールを飲み進むうちに、彼女の頬は赤くなり、心が軽くなっていくのを感じた。厳しい一日の疲れが、アルコールとともに溶けていく。
「はぁ〜」彼女は大きなため息をついた。「なろう系チートなんて、くそくらえ!」
思わず漏れた言葉に、彼女は自分でも驚いた。しかし、言葉にした途端、心が晴れやかになった気がした。
「そうよ!チートなんていらない!私は私!」
声が大きくなっていることにも気づかず、彼女は続けた。
「転生だの、チート能力だの、皇太子だの…全部忘れてやる!今日から本気の冒険者!」
近くのテーブルからは笑い声が聞こえてきた。
「おい、新人!何か面白いこと言ってるぞ!」
「初日から酔っぱらって、元気だな!」
エリーは恥ずかしさも忘れ、隣のテーブルの冒険者たちに向かって叫んだ。
「そうよ!私は今日から本物の冒険者!魔物のウンコも墓地の雑草も、全部やってやるわ!」
彼女は勢いよくビールを一気飲みした。
「おおー!」冒険者たちから拍手が起こる。
「もう一杯!」彼女はジョッキを叩きつけた。
***
それから二時間後。
「ひっく…私がね、元は貴族だったんだからね…ひっく…」
エリーはすっかり出来上がっていた。彼女のテーブルには、何人かの冒険者が集まり、彼女の戯言に付き合っていた。
「貴族様が冒険者になるってのも珍しいな」若い男性冒険者が笑った。
「追放されたのよ…ひっく…不当にもね!」彼女は酔った勢いで話を続けた。「私のチート能力が暴走して…ひっく…王子の髪を吹き飛ばしたの!」
冒険者たちは爆笑した。もちろん、彼女の話を本気にしている者はいない。
「チート能力?冗談が上手いな!」
「そうよ!」エリーは真剣な顔で言った。「でもね、全然使えないの!ほら、見て!」
彼女は目に力を込めた。「真実視!」
もちろん、何も起こらない。
「ほらー!使えないでしょ?」彼女は自分で大笑いした。
周りの冒険者たちも笑いながら、「新人、面白いやつだな」と言い合っていた。
***
夜も更けた頃、エリーは酔いつぶれ、店主の手配した若い冒険者の肩を借りて宿に戻った。
「ありがとね…ひっく…君、いい人だね…」
彼女は酔った目で若い冒険者を見た。
「いいって。新人は互いに助け合わないとな」
宿の前で彼は彼女を降ろした。
「明日も頑張れよ、魔物のウンコ拾い冒険者さん」
「うるさいわね!明日はもっとマシな依頼を…ひっく…」
エリーは宿の中に入り、なんとか自分の部屋までたどり着いた。ベッドに倒れ込むと、天井を見つめながら呟いた。
「でも…なんか…今日は…楽しかったわ…」
酔いと疲れでまぶたが重くなる。
「なろう系主人公になれなくても…これはこれで…悪くない…かも…」
そう呟いて、彼女は深い眠りに落ちた。異世界転生者エリーの本当の冒険は、ようやく始まったばかりだった。