銀の星々の夢がたり   作:Camille Hayami

2 / 61
煌めく六等星亭で観月会を

【煌めく六等星亭】で十五夜の観月会……そして敬老会を催して、おじいさまやおばあさまをねぎらおうと、わたしは手描きの風景画で作ったグリーティングカードを添えて、おばあさまが住まう保養施設へと向かいました。

お月さまが真珠のように煌めく……美しいお月見の季節に敬老の日のお茶菓子と紅茶缶のおもたせをギフトバッグに一緒に入れて……満天の夜空を見上げながら……わたしは仕事帰りにおばあさまの保養施設を訪問するのでした。

煌めく六等星亭……それはこの自由都市リーブルヴィルのモンマルトル通りにある、おばあさまの保養施設のお向かい側に店舗を構えるおばあさまのお友達のパティスリーです。

わたしは保養施設で面会の手続きを済ませると、おばあさまに敬老の日のおくりものとグリーティングカードを渡しました。

よくはわからないのですが、おばあさまはわたしが描いたグリーティングカードを眺めて、メッセージを読んでいたら、泣いてしまわれて……わたしはおばあさまが泣いてしまわれたので、びっくりしてしまい、思わずお訊ねしました。

おばあさまは嬉しくなり、感極まって、いわゆる感涙というご様子で、わたしは意外に思いましたが、おばあさまがそう思われるのでしたら、ここ四十年以上もわたしに尽くしてくださった証みたいなものだと思うのでした。

おばあさまもおじいさまも、わたしが幼き頃よりあちらこちらに遊びに連れて行ってくださって、わたしはそんなおばあさまにあまりかまってあげられず、いつしか仕事人間な大人になってしまったのを、ここ数年間……長男が生まれた時に周囲に諭されて参謀将校を辞めたことなどを話して、自閉症の長男は目が離せないので、ラインがよく面倒をみてくれています……などとおしゃべりしたりして、煌めく六等星亭でハイティーを楽しみつつ、しばし歓談に華を咲かせるのでした。

今朝は……いつになくいちごホイップカーネーションが久しぶりに綺麗に咲いて、おじいさまの窓辺でさまざまなお花が綺麗に花薫り、そよ風に乗って、モネの庭や、ゲルリナーデを彷彿とさせるフレグランス・ノートが夜間から早朝にかけて楽しめて……そんな窓辺から見える景色を描いたスケッチブックをおばあさまに見せるのでした。

おばあさまはそのスケッチブックをとても気に入り、わたしはそのスケッチブックをおばあさまに捧げるように差し上げると、おばあさまは施設に飾って楽しむからと、またこぼれるようなきらきらとした笑顔をお見せになられるのでした。

おばあさまのそんな笑顔はまるで星空のようにきらきらと輝いてみえて、とても素敵なおばあさまだなと思うのでした。

わたしはおばあさまへのお茶菓子にりんごのパウンドケーキに御抹茶入りの煎茶と真珠のお茶菓子とキャンディが綺麗にギフトボックスに詰められたご当地の季節の菓子折りギフトを渡したのですが、おばあさまはとても喜ばれたので、わたしとしても選び甲斐がありました。

りんごのパウンドケーキはシナモンなどのスパイスがきいている、ほんのり待降節のよそおいで、御抹茶入りの煎茶のフレーバード・ティーがお花やフルーツのブレンドが重なるオリエンタルな味わい……。

わたしはおじいさまの窓辺から見える景色をスケッチブックに日々、季節感が移ろいゆくように描き、それを続けて、おばあさまへのおくりものとして捧げるのです。

それは祖父母への感謝の気持ちをこめて、孫からのおくりもの……。

思い出の数だけ年輪を刻むリンデンバウムのように甘く、楽しく、そして美味しく描き続ける日常のおくりものを紡ぐのでした。

 

【千の花々は星空に煌めいて】

その日、カミーユがとても綺麗な大輪の花を咲かせて、夜風に薫るマイルームの窓辺をわたしは眺めておりました。

アルベールはハープシコードでゴルトベルク協奏曲を弾いてくれていて、千の花々は星空に煌めいて、秋の虫のコーラスがそれに連なり、わたしはとても心穏やかに、宵の夜風にあたるのでした。

テーブルにはアルベールが調理したパウンドケーキと横濱元町ルイボス・デュエットが置かれて、わたしはアルベールが調理したお茶菓子とお茶をいただいて、しばしアルベールの奏でるハープシコードの音色を楽しみました。

そう……これで良かったのです。わたしは平飼い有機卵がたっぷりのチーズケーキ風味のパウンドケーキをいただいて、夜なのでルイボス・デュエットといただいて、ノンカフェインのマリアージュでミッドナイト・ハイティーを楽しむと、プリンセスベッドに横になり、少しまだ睡眠が足りないからと、ゆめ微睡むのでした。

アルベールの奏でるハープシコードの音色を聴きながら、セドリクが眠りにつくと、ゴルトベルク協奏曲のバッハのハープシコードの楽譜を閉じて、アルベールは朝食の仕込みをキッチンではじめました。

***

朝陽がまばゆくはちみつ色に溶け込む美しい空模様になる頃、わたしは目を覚まして、窓辺で馥郁たる香りを朝の爽やかなそよ風に乗せて漂わせる……そして寺院から鐘の音が鳴って……朝ですねといった時間帯に、わたしはまず早朝の灌水作業を済ませて、アルベールが調理したジェノベーゼをマルコポーロといただいて、モーニングを楽しみました。

透き通るような青空にはちみつ色の朝陽が溶け込む美しい空模様で……その日の朝はとても綺麗で美しい色彩の夜明けの空でした。

わたし達はモーニングをいただいて、馥郁たるカミーユやいちごホイップカーネーションにジャスミン・サンバクの香りに加えて、マルコポーロのフレーバード・ティーですっきりとした目覚めの朝を実感すると、ああ、かくも美しい朝の目覚めとお仕事スイッチへの切り替わりがスムーズで、この植物のグリーンカーテンはとてもよく機能しているのですねとしみじみ思うのでした。

わたしはモーニングをいただいて、マルコポーロをいただきながら、しばし聖書を英語で読み、英文で書き出して、英語のお勉強を上手に取り入れて行うと、美術の朝活と併せて行えば、より効果的なのではないかと思いました。

ノートに綴る英文での聖書の分かち合いが、ディート神父との交流であり、昔ながらの従弟とのふれあいなのでした。

わたし達は朝の挨拶に来訪したディートとしばらく、そのようなやりとりをして、今日は敬老の日ですからと、ディートなりに忙しいのでしょう。

わたしは気を利かして、雑談もそこそこに話を切り上げると、ブリッジに向かい、ヘンリにお弁当を渡しに行きました。

それをヘンリは照れくさそうに受け取ると、わたしはブリッジを後にし、何かスケッチブックに今日の絵の題材になりそうなものを探して、散策しました。

結局、わたしは庭園で、その題材を見つけると、マイルームへ戻り、透き通るような青空にはちみつ色の朝陽が溶け込むような優しい世界でカミーユなどの花々が清らかに咲き誇る一枚の綺麗な窓辺からの景色を描いて、色を塗っていきました。

これはカラーインクの透明感が一番綺麗に塗れそうだと思いましたので、ドクターマーチンのカラーインクを希釈しながら、水で馴染ませたスケッチブックにサッと絵筆でなじませるように塗って、透明感が綺麗な一枚の絵が仕上がりました。

わたしははちみつ色の朝陽が透き通るような青空に溶け込み、その光に照らされて、真珠のように輝くカミーユなどを表現してゆき、カーネーションもカラーインクで塗ると、再現しやすい構図で、高低差のアクセントカラーの差し色をイメージしながら、それを描き出しました。

本当に描いていたわたし自身が一番穏やかで優しい気持ちになってゆく……そんな癒される朝活の美術で、仕上げに英文で健やかなるときも病めるときもという結婚式のお決まりのフレーズを書き添えると、一枚の趣のある絵が完成して、わたしはスケッチブックを本棚に戻して、絵の道具を洗ったりお手入れしたりして、後片付けを済ませるのでした。

そして今朝、アルベールと一緒に何箱分かのお弁当を調理して、一緒にお弁当箱に詰めて、みんなに渡した敬老のお弁当は、今日という日にふさわしい和のよそおいで、紅葉の形にカットした人参を添えたお惣菜にあさりの炊き込み御飯……それに彩り豊かな秋の様々なフルーツも一緒にお弁当箱に詰めて、空色の生地のいちご柄のお弁当包みで包んだこと……何だかお正月のおせちのようで、ちょっぴり華やいだ、敬老の日の特別御膳にラバンディン牛のお肉も入っていて、思いのほかボリューミー……。

アルベールが敬老の日のために買い出しをして、食材を全員分用意してくれていて、主に調理したのは、料理上手なアルベールですが、ちょっぴりお手伝いした感じが、子供の世界にほのかに通じるようで、何だかとても楽しかったです。

アルベールはいつも優しいし、怒ったところをみたことがないくらいの穏やかな幼なじみで……ずっとわたしの傍でいつもわたしを支えてくれていたような子だから……わたしも今日という日は、アルベールという幼なじみに心の底から感謝するのでした。

みんなはまあ……美味しいお弁当を食べて、全員ハピネスだねって感じにもなるでしょうし、持ちつ持たれつな感じもして……なんだかとても穏やかで優しい気持ちになるのでした。

窓辺の扉を開ければ、お隣の寺院からサンダルウッドやロータスやジャスミン、それにフランジパニなどのお香が複数マリアージュされたような素敵な薫りがそよ風に乗って漂い、それに窓辺のお花の香りが混ざり、えもいわれぬフレグランス・ノートとして感じ取れるのでした。

ふと通り雨が降り出して、それは雨の独特なあの薫りをまとい、お庭に薫るのです。

わたしはおじいさまの窓辺から、書類を書く手をとめて、ジャスミンティーをひとくちいただいて、ふっと窓辺からの景色を……レイニー・メロディーが聞こえるのを眺めておりました。

わたしの参謀将校としてのキャリアは二十三年目で長男が生まれて、長男に障害があり、辞めざるを得なかったのですが、こうして家族同然な友人たちに囲まれて、いつもこうして変わらずに過ごしています。

まあ、わたしは今までアルベール任せだった家庭を顧みない傾向を改めて、子供のことをもう少し考えていけたら良いなと思います。

わたしの母親としての至らなさであり、全部父親任せに甘えていたのだと、家庭という領域に踏み込むと、本当に仕事人間過ぎて、家庭をおろそかにしていたのだと、痛感する次第でした。

多くは父親任せで、甘えといっても差し支えなくて、いくら仕事ができようが、とてもほめられたものではありません。

そのくらいわたしという人間は仕事人間過ぎたのです。

時折、雨煙があがりそうなくらい強く降った雨はやがてまた明るいお日さまが射し込むようなやわらかな空模様となり、まるで感謝感激雨あられのような……敬老の日をよろこぶおじいさま、おばあさま方のうれし涙のように思うのでした。

気化熱で涼しいそよ風が晴れ間に吹いて、とても秋らしい……そんなイレブンジス・ティータイムをアルベールと一緒に楽しんで、軒下の鉢植えに灌水作業を済ませないといけないですね。

そんな感じで窓辺などの軒下の鉢植え植物にお昼の灌水作業を済ませて、わたしは自分自身を見つめ直す……そんな人生の岐路に居るのではないかと改めて思い、そんな事を日記に書き留めたり、参謀将校としてのキャリアを終えた後は執筆活動でもしようと優しい世界観の作品をこうして日々描きためて、おはなしのプロットを毎日組む……そんな幼い長男や成人して長女には幼い娘が二人生まれていて、次女はマイペースなおっとり天然娘なので、あまり結婚とかは考えていないのかもしれないけれど、そんな子供や孫世代に優しい語り口で読み聞かせるような穏やかな作風で、何か絵本なり、挿し絵も自分で描いた小説なり作れたら良いなと思いまして、こうしてあれこれ物語を考えたり、描きだしている所です。

おばあさま方は本当にそういったわたしの側面の方がお好きなのですね。十五日に敬老の日の贈り物を渡した時に泣いてしまわれるということは……やはりわたしは作家なり芸術家なりを目指した方が良かったのかもしれません。

そんな事を考えながら、プロットを書きだしていると、アルベールがランチを運んできて、今日みたいな七夕みたいな感じの夏らしいお昼はお素麺茹でて、ヴィクトリア調やエリザベス調の昔の超高級食材のキュウリのスライスをたっぷりそれにトッピングしたんだとか、アルベールなりにガーデニングという歴史の深みを感じるキュウリという食材について熱っぽく語り出したので、そんな話を楽しく交わしながらいただくお素麺は確かに七夕とカミーユの今年の贈り物を考えると、清らかに日傘をさす女のように咲き誇るカミーユのそよ風に花が揺れて馥郁たる香りを窓辺に漂わせる景色を眺めながらのお素麺とキュウリというトッピングは格別にガーデニングという歴史を感じさせる伝統的な食材を選んだのだと、わたしもアルベールがひまわりのような笑顔で話す様を聞いていると、とても楽しくて優しい気持ちになるのでした。

そしてそれをいただいて、アルベールが片付けのためにキッチンに戻る前に、きちんと休んで体調治さないとダメだよと言うので、わたしはしばらくアルベールが言うようにシエスタをとるようにして、身体を少しベッドに預けている間、おはなしの続きをどうするかとか、プロットのことをあれこれ考えながら、その過程もまた楽しくて実り多いものだと収穫の秋を感じる敬老の日の昼下がりでした。

キュウリといえばやはりおじいさまと家庭菜園で夏に育てたことがとてもとても懐かしくて、楽しくて、おばけキュウリも面白かったなぁ……などと、幼き頃の夏休みのおじいさまを思い出して……ああ……本当に敬老の日のランチにふさわしい食材ですね。

わたしは童心に還るようにそれがたまらなく嬉しくて……おじいさまのことを思い出すのでした。

おじいさまと一緒に楽しんだガーデニングという趣味は本当にかけがえのない子供時代の楽しい思い出であり、敬老の日を最高に盛り上げてくれます。

またアルベールが偶然なのでしょうか?

わたしはアルベールがキュウリについて色々興味深い……古くは高級食材であった話などを聞いていると、不思議と昔の英国文化の時代へ旅をしている気持ちになるのです。

キュウリと英国とは切り離せない文化なのかもしれません。

それらは一種のベルエポックであり、嗜みであり、教養という高い文化へと繋がりますが、それでいて親しみやすい家庭菜園の夏休みのおじいさまとの記憶が重なり、まるでとなりのトトロのあのシーンのようですが、同時にほたるの墓のあのシーンも思い出して、三十五年前をふっと思い出すのでした。

そういった子供時代のプロットをいくつか考えたり、書きだしていると、あれよあれよと夕方になり、夕方の灌水作業をなどを済ませて、敬老の日のディナーはアルベールの手料理で、鶏のハツをおなすやモロヘイヤと玉子とじにしたお肉料理に白米、それにあげにすりおろしだいこんとモロヘイヤを添えて、りんごにサツマイモのういろうに御抹茶入りの煎茶といただいて、少し仮眠をとると、深夜……わたしは秋の虫のフルコーラスが見事な歌声を歌い上げて、窓辺で夜風にカミーユの花が何輪もたわわに揺れて花薫る……そんな夢まどろむような夢のような世界の……どこかうっとりとする乙女の薫りを漂わせているなか仮眠から目を覚まして、しばしクリスマスランタンの灯りを頼りにロマンティックな世界の優しくて穏やかな物語を考えるのでした。

わたしは退役したとはいえ、軍人だった関係からノンフィクションは書いてはいけないので、フィクションの子供向けや、やや女性向けの……親御さんも楽しめそうな優しくて穏やかな語り口のおはなしを組もうとあれこれプロットをいくつか考えたり、挿し絵やイメージボードになりそうな絵をいくつも描いたりしてイメージを考えたりして、日々を割と穏やかに過ごしています。

退役した後の人生は自分自身、驚くほど穏やかで優しい……子供時代の童心に還るような……そんな世界線のアーリーリタイア生活が送れているので、これは何か著作でも執筆して、第二の人生の伴侶にしようと思うのでした。

時代も帝政が終わり、共和国となり、ディートが共和国第一代大統領をきちんと務めてくれている……そんな安定した時代に世の中は入っていて……戦乱が終わった平和な時代に向けた……優しい世界観の次の平和な時代を生きる子供や親御さん……それに敬老の日に考えるのには適した……おじいさまやおばあさま方への思いと感謝の気持ちをこめた……そんななんだか心温まるおはなしが良いかなと思う敬老の日の夜更けでした。

わたしは今、とてもしあわせで、穏やかな私生活と家庭があり、ただ二十三年という参謀将校としての生活が思っていたよりも身体がぼろぼろになってしまい、身体だけがなぜかまるで言うことを聞いてくれないので、療養生活だと物書きでも身体の調子をみながら描いていくと良いのかもしれません。

おそらく出版物やゲームなどは地下出版が望ましいのでしょう。またわたしの参謀将校としてのキャリアが、そうすべきだと思うからです。

地下出版業界では、地下出版なりに子供のセーフティーネットが三十年前同様正常に機能しており、わたしはその地下出版……同人と呼ばれる趣味の世界で手弁当で……どちらかというと採算度外視で何か作れたら良いなと思いますので、こうして、この場で……わたしは何らかの創作活動をするのでした。

この愛にあふれて、ながらく親しんだ、子供時代の青春時代の思い出を共に共有した優しくてとてもきれいで美しい世界でです。

また同人というものは国籍も関係なく楽しめる……そんな純粋な趣味の世界であり、多くは穏やかで慈しみ深い……平和な時代だからこそ……こうして戦いという名の古傷を癒すのにとても良い作用をもたらしてくれて、次世代を担う、新たなる世代や……それ以前の世代の人々が、同じ趣味の世界で楽しみを分かち合い、思い出を美しく紡ぎ、共有し、育む……やはり趣味の純粋な領域が一番穏やかな同人ライフを楽しめるのでしょうから……わたしはそうすることを望んだのです。

それは三十年変わらずにわたしたちをあたたかくつつみこんではぐくみ続けてくれた……そんな家族のような……優しい趣味の世界なのですから……。

同人という純粋な趣味のコミュニティについてこの三十年と少しの間、実際に感じたのは、ドイツリートのような、歌の翼に愛しい君をのせてというハイネの詩、それにセレナーデや鳩の便りなどの白鳥の歌にみられるような穏やかな海のような……そんな情景が、梛ちゃんというセントヨゼフ女子学園に通っていた親しい当時の同人友達の大学の漫研の学園祭の同人誌即売会にその地域の多くの漫研が集まり、育んだ……思い返してみてもとても純粋で穏やかな優しい慈しみの世界です。

わたしはたまたまセントヨゼフ女子学園に通っていた漫研部員の梛ちゃんというお友達ととても親しくなり、今も家庭を持って真っ当に生きているような三十年来の同人友達とともにこのBttfのような趣の古きよきハリウッド映画によくみられたあのあたたかで、子供の健やかな成長を見守る様々な世代の友情を、この同人という趣味のコミュニティで実際にそう感じながら、過ごしていたからです。

わたしはE.T.のようにホワイトクリスマスの似合う……そんな心境で、この作品を考えて、組み立てて、真珠婚と言う名の自分の思い出の作品に向けて、こう記すのです。

三十年来の友情を、真珠婚と呼ばれるだけの物語を三十年以上実際に作り出して、継続して描き続けた慈しみの世界観でそう思い、感謝の気持ちを込めて次世代の子供たちにもこの場を借りて語り継ぎ、伝えてゆきたいと思うのです。

同人とはそれほどまでにあたたかで美しく、同人友達と欠けがえのないない珠玉の青春時代を紡ぎ、それを共有して、三十年と少しの間が経過しても変わらない友愛をこうして実際に紡げているのですから。

それはおそらく生涯をかけて育み続ける友愛の物語なのでしょう。それらは親や祖父母に好意的に三十年と少しの間変わらない印象で受け止められて、支持された、子供の趣味のコミュニティなのですから……。

実際に親世代になって、そう強く思うのです。ああ、マーティやドクのあの世代を越えた友情や思い出に一番近い思い出にたどり着くからなのです。

美しいものとは、やはり思い出の中の友情です。年を重ねるほど、その美しい思い出は更にその輝きを増します。楽しい記憶のまま友人関係も続いて、時には嫌だなと思ったり喧嘩もするけれど、子供のように次の日にはもう仲良く一緒に遊んでいる子供の世界なのです。

シルバーウィークに銀の星が輝くエーデルワイスのわたぼうしが舞う、この麗しの園で……わたしは三十年来のエーデルワイスの栽培について、ガーデニングにのめり込んだ一目惚れの高山植物に想いを馳せながら、そんな風に物語を紡ぎ、語りかけるのです。

優しく、穏やかに……愛をこめて。

秋の虫のフルコーラスが満天の星空のようにきらきらと輝いているような……そこで香り豊かに花薫るカミーユが夜風に花が揺れて、窓辺をとてもしあわせな香りで満たしてくれる……そんな天使カマエルが守るカミーユと今年の仲秋の名月と言う名のカマエルの記念日とりんごの花言葉の誕生花が十五夜を彩り、わたしにそう語りかけてくれるからです。

このとても穏やかな美しい世界観と思い出は煌めく十五夜と星空……そうして祖父母に向けた敬老の日と言う名の感謝を捧げる日に寄せて紡いで、育み続ける……それはいつの世も変わらないのではないでしょうか。

シルバーウィークという銀の星が輝くエーデルワイスのわたぼうしが舞う季節に、わたしは祖父母に対するありがたみや優しさ……それに多くの愛情をこうして再確認すると、やはりそういう物語が一番自分には向いているのだと思うのです。

それらは純粋な思いやりや優しさ、友情や愛情に満ちていて、とても穏やかで慈しみ深い……健やかなる時も、病めるときも変わらぬ愛で育まれるからです。

そしてそんな事をぼんやりと考えながら、馥郁たる香りの夜風にあたりながらいただく自家製ブルーベリーとクリームチーズのトーストにシナモンキャンディスをひとさじ加えたヨーロピアン風カフェオレにサラダはまた格別たる美味しさがあります。

わたしたちはそんなミッドナイト・ハイティーを楽しみながら、安らぎに満ちた平和な時代で暮らして、長い軍務で疲弊し、色々ガタガタになっていた身体をしっかりと休めるのが、今一番必要なことなのだと改めて思うのでした。

そして家庭菜園で収穫したブルーベリーのヤドキンとブライトウェルでブルーベリージャムを調理して、粗熱をとり、冷凍庫に保存すると、備蓄食糧をこうして精製してゆくのです。わたしは蓄えを貯蔵すると、モーニングのトーストに塗るブルーベリージャムにクリームチーズにホイップバタークリームなどを冷凍庫に備蓄していくのでした。

わたしの日頃の備えというものはこうして醸成されて、日々アップデートしてゆく……そんな更新プログラムのようであり、たくわえであり、資産なのです。

今年の敬老の日の贈り物のお手紙の中にしのばせたのは、煌めく六等星亭のお茶会用のお茶券であり、ささやかながらおじいさまやおばあさま方への心尽くしです。

日頃の良い気分転換になれば、孫としてもこれ以上のよろこびもあまりないような……そんな風におじいさまやおばあさま方への日頃の感謝の気持ちをこめて、お手紙を書いて、イラストをグリーティングカード用に書き下ろし、菓子折に添える……。

敬老の日らしいシルバーウィークエンドを楽しめたので、とても実りの多い敬老の日でしたね。

おばあさまなんかは泣いて喜ばれたという予期せぬサプライズでしたから……わたしも仕事人間すぎて、本当におばあさまにあまり構ってさしあげられず、ずいぶんさみしい思いをさせたのかもしれません。

二十三年という軍務の長さが、あっという間でしたが、おばあさまからみたら長く感じたのかもしれないのです。

わたしは良い機会だからと、しばし家族サービスに努めて、家庭を顧みなかった生活が長かったのだと、自省の念で振り返り、それを改めるのでした。

本当に参謀将校としての半生を振り返ると、ヤングケアラーなどの見落としされがちな子供の方がよほど孝行娘なのではないかと思うのです。しばしば教育の機会さえ与えられぬ子供の方がよほど家族思いで、社会の財産なのではないでしょうか。

彼、彼女らの事を考えてもみると、経歴こそ立派に見えるが、実際の所は、しばしば貧しかったりするヤングケアラーに、わたしは貧しさのうちに神さまはいるというキリスト教の教えを思い出すのでした。

それは社会福祉の根底部分を支え、誰一人取り残されないファーザークリスマスやムーミンパパのような存在をふと思い浮かべて、わたしはしばらく休養を重ねるうちに、様々な出来事を思い出してゆき、本質的な子供時代の楽しい時代と思い出に辿り着き、敬老の日の思い出として、このシルバーウィークのようなウィークエンドも珍しいかもしれないと思い至るのでした。

人生は驚きと慈しみ深いことがとても多く、恵み多いしあわせに満ちた安らぎがあり、だからこそこうして生きて、暮らせるのだと改めて思うと、その割にはあまりにも家庭をおざなりにしていたと痛感するばかりで、なんとも恥ずかしい限りです。

わたしはそんな人生の折り返し地点にいるのですね。

今日のモーニングはクリームチーズと家庭菜園のブルーベリージャムをたっぷり塗り込んだメープルナッツベーグルとラトナピュラにシナモンキャンディスをひとさじ加えて、ティー・ウィズ・ミルクで、アルベールとモーニングティータイムを楽しんで、聖書を英文で読み、英文で書き出して、英語のお勉強を楽しんで、仕上げは聖書のみことばを一筆書き添えたモーニングティータイムの絵日記をスケッチブックに描いて、カラーインクで、そよ風に乗って香るカミーユやいちごホイップカーネーションにジャスミン・サンバクがやわらかな香りを運ぶような……そんな穏やかな朝のひとときを過ごしたという印象の絵画をスケッチブックにカラーインクがブルーベリージャムの透明感を一番再現しやすいかなと思いましたので、ドクターマーチンのカラーインクで、スケッチブックの用紙を水で馴染ませて、希釈したカラーインクでサッと絵筆で馴染ませて、鮮やかなブルーベリージャムの色合いを再現してゆくのでした。

わたしはガーデニングの産物であるこれらのモーニングを楽しむと、しばし安らぎと心の平穏を感じて、執筆作業を進めるのでした。

きっと素敵な作品が作れるのではないか……そんな穏やかでしあわせなモーニングでした。

またこのようなしあわせな世界を作り出してくれる、アルベールという幼なじみに感謝して、わたしは神さまにお祈りをして、聖母子像とビスク陶器のミュゲのキャンドルを眺めて……灯りを灯して、静かなる祈りの場を生み出すのでした。

戦いという不穏な時代は過ぎ去り、とても穏やかで安らぎに満ちた復興してゆく新たなる時代へと世の中は移り変わり、平和という名の幸福を共に敵味方同じに分かち合い、喜びという希望の種を蒔いて……共に育み、育ててゆく……かつての敵だった国々の人々と共に歩く世界は、新たなる平和という名の幸福を分かち合い、共に手を取り合って育てるという、次世代への幕開けを象徴するかのように……ミュゲの灯りが、花明かりのように聖母子像を優しく素敵な香りを伴い照らして、聖母子像が優しく微笑む……そんな雰囲気を感じる……とても恵み多き美術と英語の朝活でした。

わたしたちは祈りはぐくむのです。安らぎに満ちた、誰一人取り残されないファーザークリスマスのような優しい世界で包まれた穏やかな海のような未来を……。

そうして収穫したブルーベリーのヤドキンとブライトウェルでジャムなどを調理して、みんなで分かち合う、サンクス・ギヴィングとウィリアム・ペンのようなあの世界観を共有し、ピースメイカーと共に喜びを分かち合う……それこそが感謝祭のもつ本来の意味なのではないでしょうか。

お互いを思いやり、優しさにあふれた……ムーミンパパのようなファーザークリスマス村のイメージが漠然とイメージされて、わたしのこころをあたたかく包み込んでくれる……そのようなクリスマスへと紡ぐ物語が、このメープルナッツベーグルとクリームチーズと家庭菜園のブルーベリージャムたっぷりのモーニングからインスピレーションというサン・ニコラやルルドの泉とモンマルトルのイメージと重なり合って、溶け込むような美しい空模様を……朝のやわらかな光から感じ取り、そのような優しい世界観の作品を紡ぐのでした。

夢見るような優しい現実へと、それらはマリアージュされて導かれてゆく……あたたかくも優しい穏やかな未来という航海へと旅するのでした。

世の中は決して夢物語で終わるものではなく、わたしは現実でそのような優しい世界で育てられて、こうして戦禍の過ぎ去った、新たなる世界で穏やかな生活を慎ましやかに、質素に暮らしているのです。

本当に思いやりとか、優しさや愛情……それに友愛に満ちた優しく微笑む聖母子像やみ仏などの穏やかな世界観であり、安らぎの原点だと思うのです。

わたしたちは信じて、思いやり、育み、育てるのです。誰一人取り残されないファーザークリスマスやムーミンパパのような優しい未来の世界を。

そんなインスピレーションを受けて、わたしは深町ムーミンパパの思い出と深町ムーミンパパ海に行くという豪華二本立ての同人誌のプロットをあれこれ考えながら、イメージを膨らませるのです。

うん……これが完成した暁には、ファーザークリスマス学園の漫画研究会主催の学園祭の同人誌即売会で配布しようと思います。

それはパブリック・ドメインで、遠い昔に著作権が切れた古文書から生み出した、学術的側面もある同人誌です。

いにしえの書物として、贈る、優しさにあふれたチャリティーのための慈善書と呼ばれたい……そんないにしえの書物です。

そう……わたしたちのご先祖さまは乗り越えたのです。著作権世界大戦をパブリック・ドメインの和議とよばれるファーザークリスマスの和平交渉を新機体で見事成し遂げたのです。

それはおニャース様専用【ホワイトユール】と呼ばれる湾岸都市ホワイトユール寺院遺跡に眠る2対の百式願仏から見事成し遂げたのです。

そしてすべての著作権はファーザークリスマスに捧げられパブリック・ドメインとなり、プロジェクト【グーテンベルク】として今も電子の海に漂うのです。

それらは古文書であり、いにしえの書物で、その研究の賜物が同人誌と呼ばれる書物なのです。

あるものはクワを手に、またあるものはシャベルを手に戦いました。

そして著作権世界大戦は和議とよばれるファーザークリスマス村で集結し、このような平和な世の中がやってきたのです。

そして泣く子も黙ると言われたトラクターで爆走する機械化師団は農夫となり、農業用トラクターを作り出し、今では主要な農作物の生産者です。

でも……それでわたしは幼き頃の兄弟を思い出すのです。

わたしたち兄弟は仲が良かったのですが、たまに喧嘩になり、喧嘩になるとおかあさまは必ずわたしたちにこう言いました。

喧嘩はいけません。喧嘩をすると戦争になりますと。

それはおかあさまの言うとおりだなと、大人になりしみじみと思いましたが、わたしたち兄弟はおかあさまがそう言うと、そこで決まって喧嘩をやめて仲直りするのでした。

母親というものはやはり偉大だなと思うたとえ話です。

トラクターだのクワだのスコップだのシャベルだの……そんなたとえ話を考えていると、ああ、メープルナッツベーグルにたっぷりクリームチーズと家庭菜園のブルーベリージャムを塗り込んでいただいたモーニングはとても美味でした。

それで食へのめぐみとお百姓さんにわたしたちは感謝するのです。

ブルーベリージャムはヤドキンとブライトウェルがたくさん収穫できて、これをクリームチーズと一緒にメープルナッツベーグルにたっぷり塗り込んで、ラトナピュラにシナモンキャンディスをひとさじ加えたティー・ウィズ・ミルクはやはり絶品です。

そしてまた……食べ物を作ることと、人を傷つけることは、同じ道具を使っていて……ああ、本質的にはルーツは同じで、戦争になると、それは人を傷つける存在にもなるけれど、平和な世の中では、同じ道具で美味しい農作物を栽培する食べ物を作れるのだと、すこしわたしは不思議な気持ちで、今朝のモーニングのことを思い出しながら、考え事をしていました。

本当に不思議な気持ちになるのですが、同じことなのですね……。同じ道具で食べ物を栽培することも、人を傷つけることもできてしまう。

その日の朝……何年間も栽培しているブライトウェルとヤドキンで調理したブルーベリージャムをクリームチーズと一緒にたっぷりとメープルナッツベーグルに塗り込んで、お茶と一緒にモーニングにいただいた。

そうしたことで、わたしというアニマがベーグルとクリームチーズというユダヤに関連した食材と結びつけられて……こういったことを漠然と気がついたら自然と考えて、物語を組み立てていました。

自分が栽培して、収穫したブルーベリーで……ふしぎな気持ちになる戦争という罪深い過去の出来事を、わたしというアニマに感じさせたのです。

ユダヤ人の記憶なのでしょう。この食べ方は彼らが好む食べ方で、なるほどそれはとても美味しいのです。

また同時に歌の翼に愛しい君を乗せてというハイネの詩とメンデルスゾーンが作ったドイツリートへの美しい調べへと移りゆくのを、わたしというアニマが彼らの霊魂から受け取ったのです。

それらの交流はとても自然なことです。

参謀将校や参謀総長なら真っ先にその答えへとたどり着くはずです。

本当に参謀将校ならば、そう思うのはとても自然で正しいことだからです。

ヴァルキューレという存在を介したその戦争という名前の作戦をまず第一に参謀将校なら誰しも思い出すからです。

だからこそ三十年前に参謀本部と参謀将校であることを望み、そうわたしは参謀将校という選択を当然選び、参謀将校らしい解答へと自然な考え方でそのように、正しい判断へと辿り着いて、そう帰結してゆくのでした。

そうしてまた……三十年前の自分自身がおそらく本能的にそう選ぶように手持ちのカードにその選択肢が存在したことと、わたし自身の判断は正しい参謀将校としての模範的な解答へと自然な形で辿り着いてゆき、その知識や教養が自然と身につき、幼き頃より学んだ教養……ピアノやバレエや絵画などが、本当に正しい判断を下すように、その道筋へ導かれて、こうして今という自分の教養として、備わっていけたのだろうと、しみじみとこの三十年を振り返り、そう思うのでした。

またなかなかこの選択肢に乗れる環境というものが、正しい意味でとても少なく、とてもたどり着きづらい考え方だろうと、この物語を実際に四十年組み立てて、そう思うのです。

この選択肢への道筋というものは、なかなかたどり着きづらいものなのかもしれないが、人として、また参謀本部と参謀将校を扱った物語として正しい選択肢だったのだと、意外な気持ちに思い至るのでした。

多分ですが、多くはこの選択肢を選べないか、その環境がないか、誤った判断と選択肢を選ぶ人間が、同じ国の物語でも……とても多いように思います。

そんな事を振り返りながら、一日は過ぎ去ろうとしていて、わたしはその晩、満天の夜空にエトワール・ダルジャンのように煌めく星々に月明かりのフルコーラスを艶やかな歌声で、ドルチェ・カンタービレといった調子で歌いあげるコオロギの美しい音色を聴き入りながら……マイルームでしばしゆめ微睡むように眠りました。

ジュークボックスから聞こえるきよしこの夜が……とても懐かしく心地よい……古い記憶と思い出の中の美しい世界で煌めく星空のようで……わたしは眠り、ゆめまどろみ、ティーにグリーン香やブルー・ダマスクの香調のカミーユが夜風に花を揺らして花薫る……そんな心地よい眠りへといざなわれ……とても傷ついた心を洗い流してくれるような……そんなとても癒される歌声でした。

もうじき金木犀が月明かりに咲いて薫る十五夜はりんごの花言葉の日で、天使カマエルの記念日で……。

ただ……とても傷ついた心身だけが、時間がたてば治るのかな……とぼんやり眠りゆくなかで感じて思い……ホフマンの舟歌のバルカロールが……窓をこうして開いているとコオロギの歌声がバルカロールなどのアリアのような感じもして、わたしの傷ついた心を優しく癒してくれるような……夜のこの時間帯だけのコンサートなのでした。

自然という名のふしぎなアリアです。

これも参謀将校というふしぎなめぐり合わせなのでしょうか?

彼らと同じ所にいて……終戦を迎えた彼らや参謀総長の遠い記憶が……こうしてわたしのアニマに語りかけるようにささやくのです。

歌の翼に愛しい君を乗せてというハイネの詩とメンデルスゾーンのドイツ・リートのような……遠いユダヤ人の記憶と交わるように……同じ場所で終戦を迎えた彼らの記憶に接しているような……コオロギのアリアが、月に咲くカミーユの馥郁たる夢の香りに溶け込むように馴染むのです。

それはわたしのルーツであり、先祖の遠い記憶なのか……ただの偶然だとしたならば……このめぐり合わせはとても不思議で穏やかで愛と安らぎに満ちたドイツ・リートのようなセレナーデのように、月明かりの窓辺の元でわたしに向けて歌いあげてくれている……そんな心境になるのです。

わたしは眠りゆく中でぼんやりと二人の同人友達を思い浮かべ、片方は野茂選手の親戚にあたる同人友達で、もう片方はメリノールに通うロシア人の優しいお母様を母親に持つ同人友達で、桑田選手の写真をもらって……今もそれを宝物にしていることなど……あれから三十年の月日が流れ、共通するロシア人の優しい世界に触れた……同人という世界のルーツであり、彼らのコミュニティーで守られ育まれたのだと、終戦時は彼らがアウシュビッツなどを解放したのだと……そんなロシア人とわたしという不思議な友情と優しくてあたたかな彼らのコミュニティーに迎えられて……こうして美しい同人という思い出が三十年以上も続いて、年を増すごとに美しい星空のようにきらきらと思い出は輝きを増すのです。

わたしにロシア人という敵対する国の人たちと共に手を取り合い、友情や楽しみを分かち合った記憶そのものが、平和という意味であり、礎であり、またわたしというアニマが、強くわたしの心に訴えかける……平和という名前の尊い愛という穏やかな安らぎに満ちた聖母子やみ仏のような赦しの世界へとわたしを導き、希望という泉が湧き出てくるルルドの泉のようなあたたかな次世代への福音なのだと……このメンデルスゾーンのドイツ・リートはそこへわたしをいざない、バルカロールは愛の象徴としてあの戦争を赦して……共に手を取り合って平和を築く……そんなユーゴーやトルストイの世界へとわたしというアニマを導いてゆくのでした。

本質的に彼らはとてもあたたかで優しい。

あのロシア系の同人友達のように……わたしはそんな友達を侮辱するような今の地球の方の現実世界は嫌いだよ。

この物語は地球の話じゃないから無風ですけれどね。

ただ、エーデルワイスというわたしという存在は永世中立国であることを求められ、どちらかに肩入れすることもないけれど、平和な世の中ならば、共に手を取り合って一緒に楽しみや喜びを分かち合い、歩いていける……そんな世界線にわたしというアニマは存在し続けるのです。

慈愛という名のいつくしみの世界で……。

それは他ならぬ戦争というパンドラの箱に入っていた希望の種であり、それは平和への種なのです。

ロシア系の同人友達と共に三十年前、楽しい青春時代を過ごして、思い出を共有した……あの美しい世界線の平和という時代の物語からわたしが現実世界で感じて思い……紡いだ物語……その世界線がこの物語であり、かつての敵国同士の子どもたちであったわたしたちが現実世界で楽しい青春時代を共有し、分かち合い、共に育んだ平和という希望の種から育ったおはなしだからです。

おそらくはファーザークリスマスなどが本質的にわたしたちに語りかけるように導いてくれたのでしょう。

海運の守護聖人である彼らのルーツであるサン・ニコラにわたしたちは共に守られ育まれたのだと思うからです。

それは夢物語のようで少し違う、現実世界での物語です。それはただの夢物語では終わらず、現実世界で生き続ける平和という名の礎であり、またわたしたちの子供時代の珠玉の思い出であり、友愛なのです。

サン・ニコラがわたしたちをめぐり合わせて守り、育んでくれたのでしょうね。

とても美しい世界線が見える穏やかな海を守護するように……。

それがクリスマスであり、紅茶の日であり、ロシアという隣人と育む友愛であり、サン・ニコラが守りたいものなのではないでしょうか?

クリスマスという名の特別な安らぎの世界線で……誰一人として取り残されることのない未来へと向けて、わたしたちは考えていかなくてはならないと……この三十年を振り返りながら、三十年後の未来でそう強く望み、祈るのです。

敵国同士の子供たちが手を取り合って一緒に平和という名の祝福された愛の種を蒔いて育てる世界を……。

それが同人という世界であり、わたしたちがこの三十年で実際に体験し、喜びを分かち合い、素敵な思い出として昇華されていった……本当に美しくて安らぎと愛情にあふれたあたたかな世界が同人にはあるからです。

わたしたちは同人から多くのものを学び、共に分かち合い、育んできました。

それらは本質的に本当に美しくて神様に祝福された世界だと思います。

またそれがファーザークリスマスであり、海運の守護聖人たるサン・ニコラであり、クリスマスなのです。

またエーデルワイスという花を三十年ほど栽培して、今年もエーデルワイスのわたぼうしが舞うこの季節に思うのです。

エーデルワイスという永世中立国の物語と歴史を……そうしてわたしはこの物語を三十年前に組み立てて、完結させて、続編を作り続けています。

この物語は色々なものに育まれ、守られながら生まれた物語だと、自分自身そう思います。

エーデルワイスらしくあろうとする自身のアニマがそうしなさいとささやくのです。

それこそが永世中立国たるエーデルワイスであり、バチカンの衛兵の物語であり、わたし自身の物語を組み立ててきたルーツそのものだからです。

わたしはカトリック教会から本当に多くのことを学び、施していただいて、英語という言語を学びました。

それは神父さんとの子供時代の思い出であり、教会での楽しい思い出であり、わたし自身の財産です。

わたしは多くのことを分かち合い、学び、育まれてきました。それは一方通行ではありません。相互に行き来する愛という名の尊い行いです。

クリスマスが近づくと、わたしは毎年それを思い出すのです。

それらはとても美しい愛情に満ちた安らぎの空間で、様々な人々と分かち合った世界です。

クリスマスという安らぎの世界は特別で……子供時代を思い出す……いつくしみの世界です。

わたし自身は自身で考えて、書き出して、整理し、それらをまとめて明文化してゆくのですが、その物語なり、考えなり、アイデアはプロットのように共有できる、ある種の財産であるような気がします。

それもまたファーザークリスマスであり、海運の守護聖人たるサン・ニコラやバチカンの衛兵たるエーデルワイスのふるさとであり、平和や愛という安らぎに満ちた穏やかな世界だと思うからです。

ただの夢物語のようで少し違う、それは現実世界に根ざした夢物語から生まれた希望の礎であり、平和という存在がそこに確かに存在するからです。

わたしが三十年ほど感じた子供の情景であり、三十年後も続いている友愛に満ちた物語であり、現実だからです。

敵国同士の子供たちであったわたしたちが三十年前実際に育んで、おそらくはサン・ニコラやファーザークリスマスあたりに守られながら、とても美しい世界を旅して、共有した青春時代のかけがえのない現実の出来事です。

それは奇跡的なことなのでしょうか?

わたしはそれだけではないと思います。

ああ、敵国同士の子供たちですら、こんなに素敵な世界で共に楽しく遊んで、かけがえのない青春時代を共有できる。

愛という名の御業ではないでしょうか。

それらは特別なことではありません。

ただ真心から出た優しい世界であり、母親の世界のような気がするのです。

わたしはそこで紅茶の日という友好の礎を思い浮かべ、お茶を愛します。

お茶文化というものも、わたしはカトリック教会で神父さんとの英語のお勉強で好きになったからです。

それらはやはりサン・ニコラと結びつけられて、子供たちを守るのではないでしょうか。

またサン・ニコラは海運の守護聖人ですから、紅茶の日のおはなしを思い浮かべ、それを愛おしく感じるのです。

人はそれほどまでに優しくもなれるからです。そう……敵国同士の子供たちですら、そうなのですから。

ただ……同人という存在がわたしたちをめぐり合わせて育んでくれたのです。

それほどまでに同人というものの存在は大きく、優しく、ファーザークリスマスのような世界のように子供心に感じました。

わたしはクリスマスに本を作り贈り、それを三十年続けて育んできた友愛であり、同人というポテンシャルだから、なおさらそう思うのです。

そこまでわたしはテキストとして書き出して、ああやはり同人誌をファーザークリスマス学園の文化祭で漫画研究会が主催する同人誌即売会で配布しようと思い、同人誌を執筆するためにあれこれ思案をはじめるのでした。

それこそがおばあさまが一番喜んだ、あの三十年前の世界だからです。

またそうすべきだとわたしのアニマがささやくのです。おばあさまのために、何か作品を作り、贈ろう。

それこそが、今わたしにできる最大の孝行だと思うのでした。

それに……敬老の日にお手紙の便箋を描きおろして、それに日頃の感謝の気持ちを綴ったお手紙で……おばあさまはあんなに喜んで、泣いてしまわれるくらい嬉しいということは、やはりわたしには同人誌なり便箋なり絵を描いていてほしかったみたいですね。

それと共におばあさまにはずいぶんさみしい思いをさせてしまっていたようです。二十三年という時間は若いわたしにはあっという間に過ぎ去りましたが、やはりおばあさまにはとても長く感じたのかもしれませんね。

そして、残りの人生はおばあさまが喜ぶような、穏やかで優しい世界観の作品や同人誌を作った方が好ましいような気がして……わたしはファーザークリスマス学園の学園祭の漫画研究会の同人誌即売会にまた参加して……第二の人生のライフワークにしようと思い至るのでした。

三十年前のあの美しい世界へ戻ろうと思うのです。

そして明くる朝の早朝の灌水作業などを済ませて、家庭菜園のブライトウェルとヤドキンで調理したブルーベリージャムトーストと目玉焼きにサラダと御抹茶入りの煎茶を調理したり、煎れたりして、モーニングをアルベールと一緒に楽しむと、わたしはルプレヒトが処方してくれたおくすりと塗り薬を飲んだり塗ったりして、心身ともにぼろぼろになっていた自分の身体をいたわるように、みんながいうように今はしっかり療養に励むのでした。

お昼はアルベールがお蕎麦とティラミスとバナナを調理したシルバートレイを運んできたので、マイルームで一緒にいただいて、お昼の灌水作業などを済ませて、今日はちょっと涼しくて秋のお彼岸が近い……そんな過ごしやすいアフタヌーンティーを一緒に楽しんで、慎ましやかで、なんだかとても穏やかな一日です。

そしてまた、わたしはムーミンハウスダストメモリーズという新刊のプロットを考えながら、ムーミンママが散らかったムーミンのお部屋を掃除している絵面が脳裏に浮かんだのです。

人生はネタまみれ!ふたを開けてみるまでわからない!

そんなムーミンママのセリフもまた同時に脳裏に浮かんだのです。

わたしは今日、人生はネタまみれ!ふたを開けてみるまでわからない!というムーミンハウスダストメモリーズという実に家庭的でほんわかとしてゆるふわな願仏×ムーミン一家な新刊のネタを考えながら、プロットを育み、そして青写真を描いた一日でした。なんということでしょう!驚きの白さ!

本日のムーミンママが調理したおゆうごはんは豚ゴボウ丼にトマトにほこりおよ?あげにすりおろしだいこんを添えて、千萬の令といただいて、おくすりを飲んで、今宵しもぐっすりおヤースミンしたいところ。

……などというプロットを考えつつ一日がおわり日が暮れた……とてもほのぼのとした午後でした。

しかし……一次創作の話なのにそこにパロディ本のネタを同時並行で一緒くたにあれこれ考えていると……結局一次創作とはなんぞや?という本質的な現象にはなってまいりますね……。

そして秋分の日の朝一番で咲いた金木犀の素敵な花のかおりがそよ風に乗って、優しく、穏やかにお庭に漂う……そんなとても穏やかな明くる朝は暑さ寒さも彼岸までという趣の過ごしやすい朝で、わたしは冷やし鮭ジャスミン茶漬けと千萬の令をモーニングにいただいて、早朝の灌水作業などを済ませて、パステルではちみつ色の朝陽がニュアンスカラーの空に溶け合うような優しい世界観の絵画を一枚描いて、定着液を仕上げにスプレーして、トレーシングペーパーを重ねて、マスキング・テープで固定してスケッチブックを本棚にしまうと、聖書を英語で読み、英文で書き出して、英語のお勉強をしました。

思うのは痛みなくして聖枝の奇蹟なくというウィリアム・ペンの言葉を聖書を英語で読み書きしていると、わたしはそう感じるのです。アニマという深い領域でそう思うのです。

カミーユやいちごホイップカーネーションにジャスミン・サンバクなどに金木犀の花々のかおりにつつまれて、わたしは聖母子像の手前のビスク陶器のミュゲのキャンドルの明かりを灯して、しばし静かにお祈りの時間をとると、瞑想に似ているのかもしれませんね。

そんな佇まいの朝の上質な時間帯です。

お彼岸の秋分の朝一番に雨上がりに咲いて薫る金木犀のかおりは更にこの窓辺を優しくつつみこんでくれて、わたしは心穏やかに昇りゆく朝陽を眺めて……小鳥たちの朝の挨拶に耳を澄ますのでした。

わたしの穏やかな朝は……そんな感じにはじまり、安らぎの光景に満ちた小鳥たちのさえずりにはちみつ色の朝陽が秋の雲から顔を出し、昇りゆくさまは……とても見事な調和の世界で、わたしに語りかけ、上質な朝の時間をもたらす自然界からの贈り物なのでした。

わたしはジュークボックスから流れるきよしこの夜を聴きながら、マイルームでそんな朝を迎えると、執筆作業などに専念するのでした。

朝晩はとても肌寒いかなと思うくらい涼しくて、服装の方はマーティくらいの服装の方が良いのでは?といった秋らしい季節ですね。

わたしはお父さまのお誕生日にミスターサンドマンの世界を思い出して、ああ……要するにそういう事なのかと、ここ一ヶ月ほどの出来事を振り返るのでした。

それくらいミスターサンドマンが流れ、ナット・キング・コールの……あの世界線に居るような感覚になりました。

それは両親が生まれた頃の時代のおはなしです。またミスターサンドマンというお母さまが生まれた頃に流行った曲が、わたしの心模様をとても穏やかな世界へと誘ってくれるのです。

またそんなモーニングという素晴らしい食育の世界で栽培し、収穫し、いただいて癒やされる温かみがあり、安らぎといつくしみに満ちた世界はとても美しく朝陽がきらきらと窓辺に射し込む光景はとても心穏やかな祈りの世界へとわたしをいざない、わたしは聖書を英語で読み、聖母子像の手前のビスク陶器のミュゲのキャンドルに明かりを灯して、日々のみめぐみに感謝のおいのりをするのでした。

そしてそんなモーニングの世界を一枚のイラストに描いて、温かみがあり、色遣いは優しく、ふんわりと塗り込んでゆくのでした。

仕上がった一枚のイラストは、モーニングという素晴らしい文化に捧げる作品であり、またリスペクトであり、他ならぬわたし自身をここまで育んで導いてくれた生きる糧であり、原動力であるモーニングという雑誌に捧げる作品なのです。

金銀木犀やカミーユなどの花々が美しく朝陽に輝くように咲き誇り、小鳥たちはドルチェ・カンタービレで歓びを歌い、そよ風に揺れて花薫る光景は、自然界からの贈り物であり、先祖代々のご加護なのでしょう。

わたしはこの先祖代々の家で、おじいさまの窓辺からの景色を眺めて……スケッチブックに日々の季節の移ろいを描いて、おばあさまに捧げる……この安らぎの作品が織りなす温かみを形にして、残し、育んで、そして感謝の祈りへと神さまに捧げるのです。

今朝のモーニングはそれほどまでにとても素晴らしいものでした。

またそんな風景を物語性をもった一枚のイラストに仕上げて……家庭的な安らぎの光景をミスターサンドマンなどの世界で彩られた感じに描いて、塗り込んでゆくのでした。

ひとつ確実に言えることがあります。わたしを育んで導いてくれた作品というものが、やはりあるのです。だからこそ、こうして三十年前の段階でこういう作品をきっちり組めて自分自身で完結まで執筆したのです。

ここに残すのは、それらの派生系のみにはなりますが、三十年後に捧げる作品であり、マーティやドクのあの世界観なのです。

それはとても優しくて、美しい変わらぬ友愛です。

わたしをしみじみとそう考えて、こうして書き出すと、とても優しくて穏やかでいつくしみに満ちた世界へといざなわれました。

金銀木犀やカミーユなどの花々が美しく朝陽に輝くように咲き誇り、そよ風に揺れて花薫るしあわせな景色の中で……そう実感するのでした。

 

 

 

【十五夜】ムーンビューイングセレモニーと呼ばれる中秋の名月は、今年は天使カマエルの記念日で……誕生花はりんごの花の日です。

毎年、お月見の頃になると、金銀木犀が咲いて、そよ風に乗って、ふんわりと優しげにおじいさまの窓辺まで香ります。

わたしは天使カマエルゆかりの名前を冠したカミーユというシュラブ・ローズが秋晴れの青空に日傘をさす女の佇まいで……こぼれるような笑顔をふりまきながら……そんな趣の秋の薔薇のシーズンに咲いて花がそよ風に乗って揺れて……金銀木犀やいちごホイップカーネーションと溶け合うようなやわらかな花々の薫る窓辺からの景色を眺めておりました。

今日は本当によく晴れて……爽やかな秋の風が心地よく、さわさわと木々のゆらぎが、上空の航空機を見上げるように風にそよいで……とても素敵なグリーン・ノートをフレッシュに感じさせるのでした。

さて、カミーユの夫であるモネならどんな風にこの風景を絵画にするのだろうか?

わたしはふと、そんなイメージを考えて、新しい絵画の構図を考えておりました。

横濱元町ルイボス・デュエットとをぐら山春秋の百人一首のお茶菓子と一緒にシルバートレイに乗せて、ムーミンのティーポットとスライムのマグカップでそれを注いで、窓辺からの景色を眺めながら、構図を考える……。

とても朗らかで心地よいお日さまの陽射しがちょうど良い感じの木洩れ日を作り出して、素敵な薫りが広がる窓辺へとそれらを毎朝、運んでくれます。

その光景は日替わりで、毎朝変わる光景です。きっと一日一日、全部微妙に異なり、わたしに季節の移ろいゆく様を、こうして知らせてくれる……。

それはとても家庭的で、基本的なおうちの形なのでしょう。そう……おじいさま達がわたしたちを育んでくれたように……。

そしてわたしは家庭菜園のブライトウェルとヤドキンで調理した作りたての新鮮なブルーベリージャムとクリームチーズをたっぷりとトーストに塗って、スフレオムレツにサラダとブルーベリーを添えて……すこしこの季節ならではの実りの秋のブレックファストをいただくのでした。

それはとても美味しくて……日頃、手塩にかけて栽培している農作物をいただく……至福のひとときです。

おじいさまと一緒にガーデニングを楽しんで、色々食べれるお野菜やフルーツを育てた幼き頃の記憶へと重なり合い、わたしに祖父母たちのご加護を感じる……そんなすこし特別でしあわせな愛の形です。

それらはごくごく平凡にありふれた日常生活に散らばっており、ごくあたりまえの小さなしあわせで……でも多分、こういった小さなしあわせを見いだすことが、人生をより良く楽しむ秘訣なのだとは思います。

わたしはブレックファストをいただいて、食後に聖書を英語で読み、英文で書き出すと、そこにブレックファストの今朝のメニューで、背景に窓辺からの麗しい景色を描いて、温かな色彩で色やわらかにふんわりと塗り込んで、スケッチブックに一枚、それを描くと、万感の思いでそれを見つめながら、絵の具が乾くのを待ち、絵の道具をお手入れしたり、洗浄したりして、イレブンジス・ティータイムの世界を楽しみました。

食のありがたみという食育の世界はこうも美しく、驚きに満ちた優しい世界で育まれて……日々の食卓を飾るのです。

わたしはイレブンジス・ティーにをぐら山春秋と千萬の令を煎れて……百人一首を詠みました。

 

今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

 

わりと今の名月の季節の百人一首が出て参りました。

とても風情がありますね。

 

わたしは天津風 雲の通り路 吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむという……確か父親の百人一首はこちらでしたかね?

ふと脳裏に浮かんだ僧正の百人一首を思い出すと、不思議な親子のシナジーを感じるイレブンジス・ティータイムです。

をぐら山春秋の青のりのお煎餅がこのお茶菓子を入れて保管していたギフトボックスを落としてしまった際に欠けてしまったのかもしれません。

それだけ割れていて……なんだかそんな光景もあるあるで微笑ましいですね。

わたしはそれをまずいただいて、御抹茶入りの千萬の令をいただくのですが、本当に香り高い磯のかおりが程よい感じで……たいへんおいしゅうございます。

次は木の葉の形の黒ごまのお煎餅を千萬の令という煎茶といただいて、香ばしくも香り高い黒ごまのお煎餅が御抹茶入りの煎茶の風味を引き立ててくれて、これもとても美味しくて……日本の秋というこの季節の到来を楽しむのでした。

わたしはそれをマクロスのお皿に並べて飾り付けていただいて、最後に海老塩味の桜の形のお煎餅をお茶といただいて、まったりとしていたら、グノーののばらが流れて……正午を伝えるのでした。

そしてわたしのイレブンジス・ティーも終わり、素敵な余韻を感じながら、窓辺のカミーユを眺めて……天使カマエルの記念日は今年は中秋の名月なのですね……などと思いを馳せるのでした。

今日は思いのほか、風は時折強く吹いて、カミーユの花鉢がロゼ・ド・メに寄りかかるように傾きかけたので……わたしはその二つの鉢植えを風で倒れてしまわないようにと、きちんと置き直して……お昼の灌水作業などを窓辺の鉢植えなどにも与えるのでした。

ちょうど水やりをするタイミングだと水分が少なくて倒れやすい軽さにカミーユはかなり大きく七夕の配達から育ちました。

わたしは今日も結構花粉が多いなと思いつつ、カミーユやホワイトクリスマスに五月の薔薇にジャスミン・サンバクにカーネーションとポリマーで水耕栽培して発根させたドラセナ、それに蓮にブルーベリーやサボテンなどに水やりをして……ランチまでの時間を楽しみました。

ちょうど家族がお散歩から帰ってきたので……これからお昼ご飯でも作られるのでしょう。

わたしはそんなことを考えつつ、しばし窓辺からの麗しい景色を眺めては、花々の薫る佇まいを鑑賞しておりました。

いや……だがしかし今日はやはり毎年、何らかの花粉が飛散する季節なだけはあり、毎年金銀木犀が咲く中秋の名月頃と桜のお花見シーズンは、わたしの花粉症がひどい季節にまた今年もこの季節がやってきたのだと、わたしの目はそう感じて……そこで、窓をしめて……ガラス越しに眺めて……薫りを楽しむのはほどほどにしておこうと思うのでした。

香りという贈り物はすぐには立ち去らない……などと窓辺からの景色をガラス越しに眺めていると、カミーユとロゼ・ド・メが強風で揃って傾いてしまった。

今日みたいな日は仕方がないかなと、わたしはそう思い、手すり越しに寄りかかるように横を向いたカミーユとロゼ・ド・メをそのままにして、強風がおさまるのをじっと待つのでした。

ああ、まるで百人一首の天津風のあの風のようではないかと思いながら……。

僧正の詠んだ乙女とは?

はて……。

そんなをぐら山春秋の如しアフタヌーン・ティータイムの時間帯です。

わたしは両親が朝、何やら五千円がなくなったとか何とかでもめていたのを思い出すと、お母さまは今、おうちに居たくないのですねとだいたい察してしまい、ランチは何か適当に自分で調理していただいた方が良いのかもと気を利かせて、キッチンへと向かうのでした。

そしてわたしはサツマイモの黒糖パンとサラダにハムを添えて、千萬の令とらんらんちをいただいて、お母さまは午後のお仕事にお出かけになられるのでした。

わたしはいい子にしていようと、午後の時間を執筆活動にまるっとあてると、ああ、天津風が吹いて、金銀木犀がよく見える景色も良いものだと、手すりに傾いてしまったカミーユと五月の薔薇を眺めるのでした。

このように日常とはそれだけで、物語性があり、少しばかりのエッセンスを加えれば、立派なストーリーが次から次へと生まれてゆくのです。

日常……それは何気ないいつもの日常生活で、ただそれらからはいくつもの幾通りもの物語が作れるのです。様々な物語を見たり、読んだり、それもまたそういう日頃の生活から生まれてゆくものなのだと思います。

日頃何気なく目にしたり、手に取る作品たちもそうやって組み立てられて、作られてゆく積み重ねだからです。

そのような作品が後世に残り、後の世でも楽しまれたりするのですから、図書館や古くは写本という修道院などの施設の重要性はよくわかります。

またこの作品のモチーフの土台の基礎部分は古い古典文学でがっつりかためられており、それらの写本が後の世で街の本屋さんに並び、取り寄せたり、買って、読んだものから、また新しい物語が生まれてゆくのです。

ですから、何事も著作権にすがるのは本末転倒で、その土台をひっくり返している状態とほぼ同義なはずです。

だからわたしは著作権の切れた古典文学などを好み、それらから作品を作り、派生系としては残しますが、パブリック・ドメインであることをわたし自身は好みます。

それこそがグーテンベルク計画であり、世界の共有財産なのです。

何事も節度というものがあるかな……そんな風に近年の著作権問題には半ば呆れてものがいえないかなぁ……。

また何をもってオリジナルと呼ぶのかは謎で、例えば神話がモチーフのものは厳密にはオリジナルではなく、二次創作に当てはまるという考え方は概ね同意できる考え方であり、またそういうものが著作権問題で悪目立ちしている……そんな風にも思います。

だからわたしはパブリック・ドメインであることをわたし自身は好みます。

中でもあまりにも愚かだと頭を抱えるのが、修道院などで教会の人々が写本という形で後の世にこうして残っている様々な古典文学の商業作品のルーツなのに教会を叩くある種の地獄絵図には流石に失笑を禁じ得ません。厚顔無恥なのにもなにぶん限度というものがあり、著作権問題のほぼ共通している根底にそれがあるなと強く感じているからです。

パブリック・ドメインなら争いは生まれず、共有財産と呼ばれるのに……愚かだ……と感じる原因はだいたいいつもこのパターンでしょうか。

今ならわたしは宣言できる。

これは独立国家パブリック・ドメインの国だと。

よしパブリック・ドメインにしよう。わたしはそう決めました。

そしてこの作品は多くの偉大な古典文学と同じパブリック・ドメインになるのでした。

それは共和制ローマ時代の政治家のように手弁当感覚で慈善活動とチャリティーにいそしみ、おそらく現代世界に欠けているもので、ただ大学の学園祭ならやはりそのあたりが大切かなと思い続けて執筆活動にいそしみ、三十年間思い続けて、実に同人らしくてよろしいともわたしは共和制ローマ時代の政治家のように手弁当でという元風景を思い続けて執筆しているのです。

あたたかな同人誌即売会のように元風景の子供時代の同人誌即売会や漫画研究会主催の学園祭から思うのはやはりこの慈善活動の側面を強く育んでくれたと自分自身がそう思うのです。

ファーザークリスマス学園……それは父親や幼なじみの母校の学園祭であり、それがわたしという一介の同人作家の目指すべきあるべきところだと思うのです。

それは純粋に善意で、様々なミッション校の漫画研究会や県内から漫画研究会が集まって楽しく遊んでいた子供時代の同人誌即売会だったからです。

今は本当にそういう要素が年々欠けてしまっていて、ただ、ピクシブなら出来るのではないだろうか?とふと思って、こうして機会をうかがっておりました。

実に同人誌らしくてよろしいともわたし自身はそう思うのです。

そして独立国家共同体となって新時代の同人誌を紡いでいけたら……それはとても素晴らしい同人の世界なのではないかと……そんな風にわたしも思います。

そう……人が他者を思いやり、いつくしむ……そのお互いがしあわせな未来を望んだとき、きっと本物の平和が世界に訪れて持続して、神さまに祝福された無償の愛そのもので、クリスマスというものが伝えたい本質的かつ普遍的なものなのでしょう。

わたしは世界史の雑炊みたいな作品を描いているうちにいつしか自然と無償配布という形にたどり着き、それはやはりアマゾンで自著をパブリック・ドメインにしているのはそういう理由により、そうしているのです。

これがわたし自身の選んだ道筋で、それは無償の愛そのものの世界線にあるのです。

わたしはこうして信じています。真の思いやりといつくしみ、誰一人として取り残されない優しい穏やかな未来を。

……などと熱くプロットを考えたり書き出していたら、もうおゆうごはんの時間になってしまいました。

お母さまが調理したのは豚丼にトマトとサラダにスダチ水に千萬の令をいただいて、おくすりを飲んで、安静にして、きちんと療養につとめるのでした。

しかし歯の詰め物がガリっと取れて歯が欠けてしまったのかなぁ……ひどく歯痛がするのですが、おくすりその歯痛止めを飲んだか、いまいち記憶が曖昧で、ただ歯痛止め二錠飲んじゃうのは流石にいただけないので、このまま眠らないと……しかし食後毎にひどく痛むのは、やはり歯の詰め物がガリっと……取れてしまったのは想定外の出来事でした。

来月は歯医者さんに行かないといけなくなったので、ぎりっぎりの計算で予定組んでいた……天使カマエルの記念日にコラボが来た場合は……流石に完走は無理筋になる計算式になるから、配布でおとなしく妥協するのが……まあ……それが正解までありますかね。

まあ……流石にこれは仕方ないのと想定外の出来事でした。潔くあきらめよう。

そしてインゴットをもりもり貯める方向に舵をきり、また次回の機会に向けて備えることにいたします。

何事も引き際と潔さはとても大切です。

わたしはそんなことを考えながら……しばらく睡眠時間をとり、そしてムーンビューイングセレモニー……銀の星々が煌めく月夜にりんごジャムとクリームチーズをたっぷり塗ったトーストにサラダにスフレオムレツにヨーロピアン風カフェオレにシナモンキャンディスをひとさじ加えていただいて、金銀木犀にカミーユなどの花々が夜風に花揺れて薫る月夜野で中秋の名月が近いお月見を楽しみました。

月明かりにそれはとても美しく、わたしはいくばくかのしあわせな世界にひたると、執筆活動に時間をまるっとあてるのでした。

しかしカミーユと五月の薔薇が天津風に吹かれて傾いて手すりにもたれ掛かったまま月夜に照らされるさまはなんとも……夜が明けたら早朝の灌水作業などの時間に直そうと思います。

中秋の名月……今年は天使カマエルの記念日で誕生花はりんごの花というわけで、りんごジャムとクリームチーズをトーストにたっぷりぬりぬりしていただく深煎りヨーロピアン風カフェオレはミルクとホイップクリームたっぷりで何とも味わい深いものです。

わたしはマリアージュを楽しみました。

早朝、夜明けの空を見上げながら……ハーベストムーンビューイングセレモニーへと移りゆく空模様の中、朝焼けがとても美しく、早朝の灌水作業などを済ませて、昨日、天津風が吹いて、手すりに寄りかかったように傾いてしまったカミーユと五月の薔薇の鉢植えを置き直して、とても美しく薔薇色に輝く朝焼けの空をおじいさまの窓辺から眺めて、小鳥たちのさえずりが歓び歌い、はちみつ色の朝陽が昇りゆく美しき景色を眺めました。それは息をのむほどに美しく薔薇色に輝いて、モーニングという芸術的な世界を描き出すのです。空という広大なキャンバスに。

それはハーベストムーンビューイングセレモニーへと移りゆく空模様らしく、収穫祭への季節の世界です。

わたしはその美しい空模様を描いて、金銀木犀やカミーユなどの花々がそよ風に揺れて花薫る芸術的な絵画を一枚きっちり描き、そしてやわらかな色彩でふんわりと塗ってゆき、穏やかなモーニングという世界観を描いてゆきました。

そして聖書を英語で読み、英語で書き出して、朝活の美術と英語の時間を楽しむと、スケッチブックを本棚に戻して、聖母子像の手前のビスク陶器のミュゲのキャンドルの明かりを灯し、しばらく穏やかな祈りのための時間を作りました。

祈り……そのやすらぎの音色の祈り文句は古くより受け継がれて、讃美歌と呼ばれ、美しい音色で彩られます。

やがて寺院の朝を告げる鐘の音に鳩の鳴き声がザイドルの鳩の便りを彷彿とさせ、オーディンの白い二羽のカラスのようにカラスがひょうきんな鳴き声が重なり、ミュラーや冬の旅の世界へと、わたしを詩的な世界にいざない、オータムハニーのようにきらきらとした朝陽が、マルタ島のお土産のはちみつのような輝きをともない、光り輝くモーニングという朝の文化に華を添えて、コーヒーや紅茶などの彩りを豊かに醸し出してくれます。

わたしは横濱元町ルイボス・デュエットにオータムハニーをひとさじ加えていただいて、美しい朝の景色を見つめるのでした。

カミーユや金銀木犀の花々の薫る窓辺からの景色は息をのむほどに美しく、透き通った青空にオータムハニーのようにきらきらと輝く朝陽は本当に美しい空模様で、自然の贈り物です。

わたしはそこで自然とマルタ島の物語を考えていて、マルタ騎士団やマルタ共和国の街並み……そしてオータムハニーのお土産などをふっとわたしに語りかけるように、それらは今朝の朝陽が昇りゆく光景から思い出されました。

わたしの心模様はとても穏やかでいつくしみ、愛情に満ちた優しい世界で紡がれて、そして導かれてゆくような情景へと変わり、とても物語性を感じさせるイメージがふっと脳裏に浮かんだのです。

わたしはそれらをかきとめて、イメージをふくらませて、優しい物語を描く題材に選ぶと、ファーザークリスマス市国の物語を執筆するのでした。

優しく穏やかな海運の守護聖人に護られたやすらぎの物語を……。

物語を考えながらいただくお茶菓子は伊勢志摩の真珠のホワイトチョコレートクリームのシガールのような御茶請けで……オータムハニーをひとさじ加えた横濱元町ルイボス・デュエットの風味を一層豊かにしてくれます。

その海に関連したお土産が……海運の守護聖人の物語へとシンクロしてゆき、わたしのインスピレーションを確かなものにしてくれました。

そうして紡いだファーザークリスマス市国の待降節の美しい物語は一冊のクリスマスプレゼント向けの書籍になり、わたしの新刊となりました。

ファーザークリスマス市国には湾岸都市ホワイトユールという寺院遺跡で有名な街があり、ホワイトユール・パールが特産品です。

わたしは真珠婚という形ばかりの思い出の品として、銀木犀が花かおり咲く頃、初恋の実らなかったが……妹のために、ホワイトユール・パールの耳飾りをクリスマスプレゼントに選ぶと、赤いヴェルヴェットのジュエリーケースで綺麗にリボンラッピングしてもらい、リリアベル商店街の宝石屋さんを後にするのでした。

それは兄妹のためのおままごとのような三十年前のためのクリスマスプレゼントです。

わたしは愛する妹のためにクリスマスカードを書いて、それは素敵なグリーティングカードを選び、清書して、クリスマスプレゼントのエアメールの手続きをしないといけないな……などと旅先からお土産をおくるためにあれこれ考えながら、そのクリスマスプレゼントを綺麗なギフトボックスに入れて、クリスマスの小包として送れるように、今から色々準備していました。

わたし達が実の兄妹であったためにそれは実ることはなかったのですが、それは運命のいたずらで、知らずにお互いが初恋の相手として、そう認識していた。今となっては楽しいおままごとのような初恋の世界は、わたし達兄妹を童心へといざない、楽しい思い出を呼び覚ましてくれます。

わたしはホワイトユールのお土産で、特産品であるホワイトユール・パールのアクセサリーを妹のためにひとつ選んで、贈る手配を進めていると、ふっとわたしの心は三十年前のあの頃にタイムトラベルをしているような心模様になりました。

家族……ファミーユ……聖家族……そんな情景がわたしの心に響くように訴えかけて、わたしは三十年前のあの美しい世界で……小鳥たちが歓び歌い、上空を航空機が通過する透き通った青空にオータムハニーのように溶け合うような優しい世界で……家族というものについて、深く考えたのです。

妹のための誕生石である真珠は……六月の時の記念日に生まれた妹へのクリスマスプレゼントとして、わたしはホワイトユール・パールを選び、リリアベル商店街にある宝石屋さんで購入して、お土産を他にも近くでいくつか購入し、それらをいくつか一緒にクリスマスプレゼントボックスに同梱して、妹にも一箱送るのです。

それは待降節へ向けた、わたしからの贈り物です。聖家族のステンドグラスが……教室練で輝くような朝陽に照らされるように色彩を際立たせ、わたしを祈りの世界へといざないます。

ファミーユ……家族カミーユは……日傘をさす女の佇まいで美しく花開き薫る……わたしはそういった美しい景色を眺めながら、クリスマスカードを書いて……とても穏やかで優しい気持ちになってゆくのを実感しておりました。

それは三十年前の遠いわたし達兄妹の初恋の記憶……六月生まれの誕生石に真珠婚というものを加えるのであれば、きっとホワイトユール・パールが一番良いのでしょう。

わたしはそう思い、ファーザークリスマス市国を訪れ、お土産にホワイトユール・パールの耳飾りを選び……何とも穏やかな海の贈り物です。きっと海運の守護聖人に護られた世界の海の真珠なのでしょう。

これはわたしなりの妹に対する愛の形で、いつくしみなのです。

クリスマスカードのデザインは聖家族のステンドグラスのグリーティングカードを選び……それにクリスマスの手紙を書いて……何とも穏やかな気持ちになるのです。

そこには神様への感謝の気持ちであふれ、慈愛の聖家族が……そんなことを考えながら……わたしというアニマはどこか遠い……三十年前の子供時代へと帰って行くのでした。

遠い記憶……とても美しい……優しさと思いやり……いつくしみと愛情にあふれた子供時代の思い出です。

日々、移ろいゆく心景色は不思議なもので時折それはたいそう気まぐれで突拍子で優しい奇跡的な出来事が起きます。

このホワイトユール・パールの耳飾りなどは、まさしくその気まぐれで突拍子なくいきなりのお土産ですから。

ただそれが、今年は真珠婚で妹の誕生石である真珠で、たまたま良さげだったお洒落なお土産がイヤリングが中でも一際ショーウィンドウの中で輝いており、厳重に管理されているショーウィンドウからそれを眺めて選び……購入し、領収書を書いてもらい……おしゃれなヴェルヴェットの宝石箱にリボンラッピングで包んでもらった。

そんな出来事すべてが気まぐれで突拍子なくいきなり起きた優しい奇跡的なエピソードであり、そういった出来事がしばしばクリスマスの贈り物にふさわしい……わたしはそんな風に思うのです。

三十年前の天の元后聖母マリア様の大祝日の美しい出来事とそれらはマリアージュされて……子供時代へとタイムトラベルをしているような心模様になるのです。

まるで……あのミスターサンドマンの流れる世界のような気持ちになるのです。

それは本当に優しい世界で……わたしというアニマに三十年前の景色を鮮明によみがえらせるのでした。

銀木犀が花開き薫る頃に……美しい初恋の実らなかったが……とても楽しいおままごとのような世界を思い出して、わたしはふっと微笑むのでした。

わたしは上空を通過する航空機が爽やかな青空に真っ白いホワイトクリスマスのような飛行機雲が描かれてゆく不思議な光景を目にすると、窓辺で育つホワイトクリスマスの鉢植えにカミーユなどの花々が爽やかに花開き薫る……とてもホワイトクリスマスのような優しい世界観だなと思うのでした。

そしてさえずる小鳥たちの歌声が、木洩れ日の窓辺から眺められて……わたしの心景色を優しく穏やかでしあわせな光景へといざなってくれるのでした。

それは愛という名前の心景色です。それは聖家族であり、ファミーユと呼ばれる単語そのものがもつアニマなのでしょう。

それは古典的な言語で表現され、聖家族という古くより伝わる単語を構成する……やはりファミーユという単語なのでしょうね。

ミスターサンドマンという母の生まれた頃に流行った曲が……それを彩り、優しくわたしたちを包み込んで育んでくれたからです。

ファミーユというとても大切な存在感を改めて感じさせるだけの字面です。

それはクリスマスそのものに結びつく聖家族という単語を構成するのですから。

ランチはサツマイモの黒糖パンに黒糖ロールサンドを千萬の令といただいて、午後の窓辺の香りはウッディでシプレーで……カルバンクラインの香水などに例えるなら確かにそれはウッディでシプレーなかおりであり、わたしは最高に三十年前のミスターサンドマンと重なる世界のかおりが窓辺から広がってゆく景色を眺めて、上空を通過する航空機を見上げていたのでした。

それは爽やかな一陣の天津風のようで、綺麗な飛行機雲を描いてゆくのです。

わたしはお昼のガーデニングを天然記念物エリアで過ごすと、ああ、また天津風にカミーユが吹かれて不安定な状態の鉢植えに育って、鉢増ししないといけないかな……としばし思案するのでした。

窓辺で育てるなら、手入れをきちんとしないとシュラブ・ローズだけに手におえないくらい大きく育つ要素がやはり大きいのだなと、いかにもシュラブという趣に七夕からハーベストムーンビューイングセレモニーの頃には生育しているからです。

庭植えが定植なら、もしもわたしが体調不良でぶっ倒れて入院した場合などを考慮すると、やはり冬場に庭に定植を考えてはいるからです。

窓辺から眺められて……カミーユという薔薇は素晴らしいのですが、後々の事を考えるなら、枯れないように庭植えがこのカミーユという品種の事を考慮しても一番この子のためなのかなと……あれこれ考えながらアフタヌーン・ティーをいただきながら、窓辺からカミーユを眺めておりました。

流石に朝のハーバル・ライクなあのかおりの効果が消えたのか、花粉症で時折窓辺から吹く風で咳き込むので、そろそろ窓を閉めて……ガラス越しにした方が良さげですね。

やはりシエスタというものは、季節的に身体が求めていたのだと……秋のお彼岸を過ぎたらシエスタをあまり必要としない午後が多くなり、体調不良によるものでした。

温度的に身体がシエスタを求めていたのでしょう。今はあまり必要としない午後が増えてきております。

さて、窓辺のガラス越しに室内のふんわり漂うかおりは、やはりウッディでシプレーな木々のぬくもりにスパイスが程よくまじり、そしてそれが聖母子像の手前のビスク陶器のミュゲのキャンドルのかおりも重なり、月明かりのじゅうたんの森の中を歩いているような……ノルトラント州へと続くドイツスズランが自生しており、墓標がきれいに手入れされた……一族のお墓参りの秋のお彼岸……三十年前の八月と重なる季節の物語であり、そこを三十年前に表現した元風景とはフリティヨフ物語のお墓であり、わたしはドイツスズランが自生しているという月明かりのじゅうたんの森にそれを重ねて……一族のお墓としておりました。

遠い未来でもよく手入れされた帝政最後を飾る一族のお墓であり、三十年前と三十年後も、そのフリティヨフ物語のようなドイツスズランが自生している森の風景とかおり……そこにわたし自身がかおりの情景にたどり着くと、わたしは深呼吸して、しばし自身が三十年前に描いたドイツスズランの自生しているノルトラント州へと続く月明かりのじゅうたんの森と家族のお墓を思い出すのでした。

これこそおばあさまが愛するミュゲという花に対する敬意のあらわれそのものなのです。

おばあさまはミュゲをたいそうお好きで、たくさんお庭に植えたそうです。三十年ほど前、わたしがタキイ種苗さんで自分がイメージしたドイツスズランの花芽十株でしたね。水苔にくるまれたのを秋に植えて……春のイースターの頃に咲いたら、おばあさまはとても喜び、おばあさまのミュゲに対する情熱と想いを感じ取り、いつもドイツスズランを変わらず栽培しています。

わたしは自身でフリティヨフ物語からドイツスズランの話を描き、自分の作品で三十年前に一家のお墓としましたが、ふしぎなもので、おばあさまが愛されたミュゲという存在はおじいさまの部屋に聖母子像と共に安らかな眠りをと置いているものです。

このノルトラント州……ドイツ語的には正しくはノルウェーのことなのですが、ノルウェーへと続く月明かりのじゅうたんの森にドイツスズランが自生している話は……このウッディでシプレーなカリスマティックな木々のぬくもり、スパイスのかおりにミュゲというキャンドルが重なり、わたしをノルウェーへと続く月明かりの森を散策させてくれます。

それはおじいさまとおばあさまの物語でもあり、わたし自身が家族に重ねたお墓のイメージのかおりで、そのぬくもりのかおりが、とても優しい祖父母へと重なるのです。それらは三十年という月日を経ても元風景として一切ブレずに、わたし自身の中に生き続ける三十年前の天の元后聖母マリア様の大祝日に捧げるかおりと物語なのです。

この物語そのものが祖父母への敬意であり、愛情そのものであり、ぬくもりであるのは……自分自身が三十年前に描いたように……ノルトラント州へと続く月明かりの森に自生しているドイツスズランの物語なのです。

それは聖母マリア様に捧げる一番良いお花だと、わたしはおじいさまの事を考えて、そう思い、いつもこのビスク陶器のミュゲのキャンドルを聖母子像と一緒におじいさまのベッドの枕元に置いているからです。

わたしのおじいさまやおばあさまへの愛情そのものであり、三十年前に描いた自身の作品の物語なのです。

それはわたし自身がノーベル平和賞に抱く本質的な思いであり、おそらく三十年前も三十年後の今も最良の演出であったと思う自分自身の描いた作品で、このフリティヨフ物語のお墓にイメージした世界観であり、それがわたし自身がノーベル平和賞に込めた思いです。

シプレーでウッディで……窓を閉めたら更にミュゲのかおり……聖母マリア様に捧げられるこのかおりが、おじいさまやご先祖様の霊魂への供養であり、お墓にイメージを重ねる安らかな眠りと平和への祈りと願い……やはりわたし自身が三十年前に自分自身で描いたように……このかおりが……おじいさまへの供養のかおりなのだと午後の窓辺から漂い運んだかおりを分析すると、これであろう……という結論にわたし自身がたどり着くと、わたし自身が三十年前に描いたお墓のイメージとぴったり一致するのでした。

ノーベル平和賞やノーベル賞に対するイメージでもあるのでしょう。わたしはドイツスズランという植物から……このように解釈して、自分自身の作品で三十年前に描いた家族のお墓だからです。

それはおじいさまやおばあさまには一番適しているのかもしれませんね。またおばあさまがとても喜ばれる純粋なる子供時代へと続く物語なのですから……。

ミュゲの日とノーベル平和賞を重ねた時に……三十年前にわたし自身が描いたドイツスズランという植物から着想を得た物語……それがこの作品における家族への供養であり、愛情そのものであり、慈しみであり、聖母子が見守ってくださる聖母マリア様に捧げられたイースターの語源となる暁もしくは春の女神の花であるドイツスズランにこめたわたしの祈りなのです。

ふしぎなものでわたし自身、こうしておじいさまの事をこの午後の窓辺から漂い感じ取り分析したかおりを香水に例えると、やはりウッディでシプレーでミュゲのノルウェーへと続く月明かりの森に自生しているドイツスズランの咲くイースターの頃に戦争が終わり、平和になる……そのようなドイツスズランにふさわしい物語かなと……わたし自身が思い願い、感じたかおりの物語です。

ハーベストムーンビューイングセレモニーが過ぎれば、今年もノーベル平和賞などの話題がでる季節です。

わたしはわりと本気で、今のこの時期にふさわしいかおりを窓辺から漂い感じ取り分析した世界観はおじいさまへの供養であり、わたし自身が祖父母に重ねる愛情そのものであり、優しい穏やかな眠りのかおりなのではないかと思うのでした。

そんなことを考えて、物語やアイデアをふくらませていたら、あれよあれよと日はくれてゆき、おゆうごはんの海のお魚ちゃんに家庭菜園のミョウガや紫蘇におなすにモロヘイヤにあげにすりおろしだいこんを添えて、りんごにお月様に見立てたサツマイモの和菓子を千萬の令といただいて、改めて家族や先祖代々のご先祖様に、今日の窓辺から漂い運んだかおりの数々にご近所さまたちのありがたみを感じた……なんだか温かな安らぎの世界が黄昏時の窓辺からまたウッディでシプレーでスパイスがカリスマティックなアクセントを伴って漂い薫るのでした。

今宵はゆっくり休めそうだと心穏やかに眠りへとわたしをいざなうのでした。

ミスターサンドマンの世界のように……それはナット・キング・コールのクリスマスソングの暖炉の歌詞のくだりの表現に例えるようなウッディでスパイスがどことなく待降節のあのクリスマス特有の香りがカリスマティックなまでに窓辺からそよ風が運ぶように乗って薫るのですから……。

これはサンダルウッドのような薫りがベースで、寺院でやはり白檀か何かのお香を焚いているような……そんな安らかな眠りへといざなう霊魂への供養の薫りなのだと思うのでした。

夜はオータムハニーたっぷりのりんごにシナモンキャンディスを添えたジャムトーストにサラダに目玉焼きにヨーロピアン風の深煎りカフェオレにシナモンキャンディスをひとさじ加えていただいて、しろくまアイスクリームをデザートにチョイス。

銀の星々が煌めく月夜に、コオロギがドルチェ・カンタービレの雰囲気でしっとりと艶やかに歌いあげられ、カミーユなどの麗しき花々のかおりが夜風に乗って花薫りささやく光景はとても秋らしいセレナーデそのものであり、ミンネザンクのような雰囲気がとてもロマンティックなのです。

わたしはいくらかの幸福をそれらに見いだして、その秋の歌声に耳を傾け、月明かりに輝く銀の星々が永世中立の花のように誇り高く咲き誇り、煌めいては瞬く……そんな情景に心の平穏を感じて夜風にあたり、花々のかおりが爽やかに匂いたちます。

その幸せなおうちの風景が醸し出しているのは家庭的であたたかな祖父母への気持ちのあらわれで……どことなく牧歌的な心景色はそよ風のような爽やかさを伴って漂い花薫るのでした。

わたしはミッドナイト・ハイティーをいただきながら、プロットを考えて、コオロギのドルチェ・カンタービレの歌声を聴いていると、自然と頭の中がクリアに明瞭に……研ぎ澄まされてゆく感じになり、思考がよくまとまる……学生で受験生などであれば、学習がはかどりそうな……そんな感覚になってゆくのを感じました。

コオロギのドルチェ・カンタービレの歌声はいかにもブルグミュラーのあの練習曲にあるような譜面通りのイメージで再現されて、コオロギがドルチェ・カンタービレでブルグミュラー様式で歌って……わたしは童心にかえり、大好きなピアノの先生とブルグミュラーの練習曲を一緒に弾いている記憶がふっと呼び覚まされて……それは幼き頃のあたたかなワンシーンと共に自然とイメージが浮かび、わたしはそれを描きとめようと、一枚のあたたかみのあるイラストをサッと描きとめて……あたたかみのある水彩色鉛筆で塗っていきました。

仕上がったイメージはあたたかみのあるピアノの練習風景で……子供時代へとわたしのこころをあの時代へとタイムトラベルさせるのです。マーティやドクの……一番最初の一作目のあの時代へわたしをタイムトラベルさせてゆき……コオロギのドルチェ・カンタービレの歌声が……ウッディでシプレーでほのかにスパイスがまじる……窓辺にたゆたう心地よい庭のかおりが……ゲルリナーデそのものであり、窓辺のカミーユがモネの庭の雰囲気で夜風に花が揺れて薫るのですから……わたしのこころ景色は童心のあの時代へとタイムトラベルして、小学校に入学したての頃へと戻ってゆくのでした。

ガーデニングとはふしぎなものです。このような情景をわたしに体験させてくれる庭という存在は大きく、やはり偉大なアニマなのです。

かおり……かおりとはふしぎなものです。その心地よい夢見心地ですらあるその庭から漂い窓辺に運ばれる夜風に乗るかおりは……ほんのり水分を帯びたモスやオーク材の森のかおりが漂い、とても落ち着くかおりです。

またカミーユの花のかおりがそれに溶け込むように薫り……わたしをとても歓びに満ちた待降節のような気分に連れて行ってくれて、おじいさまたちの微笑む姿をわたしはそこでみたのです。

ああ、おじいさまは一種の夢枕にたつように、こうしてわたしを見守って、ほほえんでくださる。

そう感じて……今、わたしはおじいさまのアニマをおじいさまの窓辺で感じて……あたたかみのある水彩色鉛筆で描いた世界のようにふっとわたしのこころ景色にやってくるのでした。

わたしはとてもしあわせな気持ちになりました。ああ、あたたかなおじいさまたちのアニマが……こうしていつも見守ってくださるのだと。

そしてわたしのこころ景色にオー・ホーリーナイトとクリスマスのための讃美歌が歌われると、わたしは教会と神父さんの優しい笑顔を思い出して、カトリック教会での楽しい思い出が次から次へと思い出してゆくのを感じました。

わたしの英語は神父さんから学んだもので、そのカトリック教会での思い出がとても優しいいつくしみと愛、そして分かち合いの聖書の語らいにごミサにあずかり、しばしば結婚式を祝福したり……三十年間の教会での思い出がとても美しくよみがえり、わたしを待降節のクリスマスキャロルの世界へと誘うのです。

夜間飛行する航空機を窓辺から眺めていると、サン・テグジュペリのゲランの香水と帝国ホテルのゲランブティックでの思い出がふっとわたしのこころ景色に浮かび……夜間飛行への思いと愛情を呼び覚ますのでした。

かおり……かおりというのはとてもふしぎなものです。

とても優しい思い出の世界へと時折わたしをいざなうのでした。

そしてまたコオロギがブルグミュラーの練習曲のように、ドルチェ・カンタービレで歌って聴かせてくれて、わたしはその晩、とてもふしぎな体験をしたのです。

おじいさまのアニマはふっと、このウッディでシプレーでミュゲという聖母子像の元に、わたしの目にはっきりとうつりこみ、優しいほほえみの笑顔で、わたしの前にあらわれたからです。

かおり……このかおりによって、おじいさまは天国から訪れたのでしょうか?

わたしの9月27日(水)のふしぎな体験はとてもあたたかなおじいさまの記憶と重なるように、わたしを優しいほほえみの笑顔で和ませてくれるのでした。

おじいさまは今年の終戦記念日で十八回忌で、三途の川を渡り、あの世で修行すると、これほどまでに清らかで、仏のような綺麗な笑顔で微笑むようになれるのかなと……三十三回忌までの折り返し地点を過ぎるくらいの……うーん……天国からきたチャンピオンを思い出したり、ドリーム・アゲインだったかな?

ハンマープライスの人の水先案内人……イメージ的にはこちらがよくおじいさまの雰囲気と似ていてですね。

あんな感じでふっとわたしの目の前にあらわれ、優しいほほえみを浮かべて……ものすごく綺麗な澄みきった笑顔でほほえまれるものですから、わたしはそんなおじいさまの霊的体験をお母さまと話したりして、ふしぎな夜を過ごしております。

おじいさまのそのほほえみは邪念というものが一切感じられず、とても清らかなる笑顔で、ドイツ語で例えるとラインハルトという名前のもつ意味そのものであり、これを日本語で例えると清という名前に一番ニュアンスが近いので、そのような清らかなる笑顔がまぶしいおじいさまの微笑む姿に、わたしはおもわず仏壇に向かい、仏を拝みにいくのでした。

歌の翼に愛しい君をのせて……というハイネの詩とメンデルスゾーンの作ったあのドイツ・リートの世界のように清らかで美しい世界が、わたしのこころ景色に広がってゆくのでした。

そのかおりはウッディでシプレーでミュゲです……かおりというふしぎな窓辺から漂い、そのかおりを分析すると、このような表現が一番ニュアンスが近いのではないでしょうか。

わたしのふしぎな霊的体験は……おじいさまへの供養のかおりと澄みきった笑顔がまぶしいおじいさまの微笑む姿に心が洗われるようでした。

おじいさまの微笑む姿が心洗われるようなふしぎな霊的体験を経て、とても美しいサンライズを眺めながら、早朝の灌水作業を済ませて、メープルナッツベーグルにクリームチーズとブルーベリージャムをたっぷり塗って、千萬の令といただいて、至福のモーニングをいただきました。とてもおいしかったです。

しかし今日の誕生花はコスモスらしく、だからなのでしょうか?

昨夜のとてもふしぎな霊的体験と心洗われるようなふしぎな気持ちで朝を迎えるのは。

とても素晴らしい夜、優しい夜で、おじいさまの清らかなる笑顔が心洗われるようなふしぎな気持ちになるのです。

はぁ……ボカァ、家庭菜園のブルーベリージャムたっぷりぬりぬりジャムトーストにラーメンに千萬の令といただいて、最高にしあわせなモーニングティータイムなんだなァ……。

らんらんちは伊勢うどんに千萬の令といただいて、お昼の灌水作業などなどを済ませて、午後はまるっと執筆活動にあてようとおもいます。

はあ……しかししあわせだにゃあ(ポワァアアン)。

ブルーベリージャムたっぷりぬりぬりジャムトーストは至福の禁断のお味がしてやみつきになりますねぃ……。ああ……しあわせだ……感無量なりィ!

朝からこんなにたっぷりブルーベリージャムをぬりぬりしたジャムトーストは背徳感満載の禁断のお味でしたぁああああああ!(うるさい☆)

これね?全部ブルーベリー!こんなちっちゃな世界に全部入っちゃってんの!しゅびれちゃうねェ!

今日はブルーベリー・ハーベスト!

ボクはブルーベリー尽くしのモーニングを平らげると、しばしこの背徳感をマシマシするためにシエスタタイムを楽しむことにした。

甘いものをたらふく好きなだけブルーベリー・ハーベストでいただいたら……なんということでしょう!驚きの睡魔!

ムーミン谷では〆のブルーベリー・ハーベストでたらふくブルーベリー尽くしなパーリーを楽しむと一行はロイヤルルームでどんちゃん騒ぎをするのでした!

今日は年に一度のブルーベリー・ハーベスト!

おまつりです!

しかしこれだけクリームチーズとブルーベリージャムたっぷりぬりぬりしてモーニングをいただきながら、血糖値がドッカンと上がって、すさまじいスイマーがハンパないんだねェ……今日はもう寝て曜日かな……眠すぎる……ブルーベリージャム舐めてた(てへぺろ☆)。

ボクはロイヤルルームに向かうとベッドで空調のきいた室内でうたた寝をするのでした。

ヤバい背徳感マシマシぃいいい!

これがたわわに実ったブライトさんのふしぎなベリー!

ボクのハーベスト補正込みのステータスはもりもりあがり、二百五十五になりステータスがカンストした!

そしてファたそが運んできた家庭菜園のミョウガを添えた伊勢うどんと千萬の令で信仰心があがり、巫女巫女ナースのファたそが……おっと誰かきたようだ!

そして楽しいシエスタタイムをファたそと一緒に寝そべり族になる夢見心地で味わって……寝て曜日です!

今日は寝て曜日です!

重要なことなので二度!

そしておゆうごはんまでお勉強してから、あさりとマツタケの釜飯に鶏のソテーに梨になめこのお味噌汁に千萬の令といただいて、今宵しもぐっすりおヤースミンした。

9月28日(木)

【独立国家パブリック・ドメイン】銀の星々とハーベストムーンビューイングセレモニー編

 

明日はハーベストムーン……とても美しい月夜を眺めつつ、わたしはコモンズベリーの街のブルーベリー・ハーベストのおまつりを楽しみ、収穫祭を楽しんでいた。

近くにはファーザークリスマス村があるという……このコモンズベリーのある特別な護られた場所は聖域と古くより呼ばれていた。

これはわたしの記憶のかけら……。

コモンズベリー聖夜物語【アルザスのポワールパン】

 

The Commonsberry Tales【Alsacien Christmas manuscripts collection】

 

神聖コモンズベリー物語……それはアルザシオンの誕生花の日に実装されました。ファーザークリスマス村に程近いザンクト・シュタインに古くより伝わるクリスマスのための物語をここに記します。

 

 

9月28日(木)

【独立国家パブリック・ドメイン】銀の星々とハーベストムーンビューイングセレモニー編

 

明日はハーベストムーン……とても美しい月夜を眺めつつ、わたしはコモンズベリーの街のブルーベリー・ハーベストのおまつりを楽しみ、収穫祭を楽しんでいた。

近くにはファーザークリスマス村があるという……このコモンズベリーのある特別な護られた場所は聖域と古くより呼ばれていた。

しかし……身体がひどく重く感じ、なにやらひどく疲れていたようだ。

わたしはコモンズベリーの街にあるロイヤルルームで目を覚ますと、ベッドのサイドテーブルに置いたクリスマスツリーの置物の隣に並べておいている天使カマエルがくれたプレゼントを眺めた。クリスマスに開けるようにとハーベストムーンビューイングセレモニーが近い……コスモスの誕生花の日のブルーベリー・ハーベストのおまつりで、カマエルからもらったものだ。

わたしはコモンズベリーという街にあるロイヤルルームで日々を暮らしているが、この街のブルーベリー尽くしのブルーベリー・ハーベストのおまつりは有名で、ちょうど金銀木犀が咲いて花薫る十五夜の頃に毎年のハーベストのおまつりをするのでした。

しかしわたしの脳はひどく疲れていたようで、こうしてテキストを書き出してみても、思うように文章がまとまらないな……。

朝の四時半……日課をしたいのだが、脳も身体もひどく重く感じ、とてもじゃないが、日課をこなせる体調ではない。

わたしはとにかく体調を整えようと、ロイヤルルームで安静にしていた。

まあ……ロイヤルルームでクリスマスランタンの明かりを灯して、ちゃんぽん麺に千萬の令とジャスミンティーをいただいて、身体を温めてから、早朝の庭仕事を済ませて、今日はコモンズベリーの街の商店街は朝の五時台から結構人通りが多く、何か催し事でもあるのだろうか?

わたしはルプレヒトからおくすりを処方してもらい……おくすりを飲んで、日課をこなして、サンライズが昇る頃には大分、調子は上向きになったので、風邪でもひいたのでしょうとルプレヒトに言われた。

朝晩の寒暖差が大きく、そろそろ衣替えの時期ではありますから。でも今日は日中は真夏並に暑いみたいなので、これでは寒暖差で風邪もひきやすいですよとのこと。

ルプレヒトはお医者さんで、ロイヤルルームにいつもいる。フランツ・リストのような端正な顔立ちをしており、この甘いマスクならさぞかしモテもするだろう。

そして夜が明けて、朝になり、ゆうべはおたのしみでしたねといわれて……あれ?と思ったが、それ以上の記憶はなぜか思い出せず、ロイヤルルームで風邪を治すために、安静になり、食卓にはあさりとマツタケの釜飯と千萬の令の備蓄用食糧が一食分置かれていた。

備蓄用食糧でも豪華な備蓄用食糧で、ロイヤルルームなだけはあるのかもしれない。

そして窓を開けると小鳥たちがさえずり、カミーユというラベルがついたシュラブ・ローズが咲いていて、とてもよい香りが窓辺に薫ってきた。

まあ……風邪をひいたみたいなので、おくすりを飲んで、安静にしていよう。わたしはロイヤルルームのベッドに横になり、しばしゆっくりと療養するのでした。

ダルメインのクリスマスマーマレード……コモンズベリーのブルーベリー・ハーベスト・ジャムと交換したのですよとディート神父がロイヤルルームを訪れて、わたしにもひとつマーマレードジャムをくれたので、トーストに塗って食べたらおいしいだろうなと思った。

お昼の灌水作業などを済ませて、らんらんちはお素麺に海藻とスダチを添えて、千萬の令といただいて、おくすりを飲んで、安静にして、療養につとめました。とにかく風邪なのかものすごいスイマーが……。

ボクはファたそが調理したランチをいただいて、おくすりを飲んで、歯磨きをして、もう今日はこのまま眠って療養した方がいいまであるかもしれないので、ロイヤルルームのベッドで休んだ。

ロイヤルルームは二人用で、向かい側の客室はファたそが使っていて、同じようにベッドがある。

今日はもうこのままシエスタからおゆうごはんまでしっかり休んで、風邪を治して、はやくよくなるといいかな……などと思いつつ就寝した。

シオンが誕生花のおゆうごはんは麻婆茄子カボチャ丼にりんごにスダチ水に千萬の令といただいて、今宵しもぐっすりおヤースミンした。

夜食は冷やし鮭ジャスミン茶漬けとサラダと納豆といただいて、まったりと。

 

9月29日(金)

ダルメインのクリスマスマーマレードジャムとコモンズベリーのブルーベリー・ハーベスト・ジャム……どちらもクリスマスタウンのおみやげとして、これからの季節の定番商品だ。

わたしはディートとルプレヒトからそれらをそれぞれから受け取ると、クリスマスツリーの隣に飾りつけて、待降節を楽しみにするのでした。

モーニングはアルベールがジパング料理を調理してくれて、あさりの釜飯とサラダと納豆に千萬の令といただいて、ああ……これがジパング料理なのですねと舌鼓をうち、午前の灌水作業を済ませて、ガーデニングを楽しむのでした。

今年は全体的にツクツクボウシが多い夏でした。まだ蝉時雨が聞こえる十五夜イブです。

しかし今日はものすごく眠くて、起床直後から睡眠中にいったい何が起きたの?状態のスイマーなんだよねぇ……。ボクは何か原因不明の体調不良なのかもと思い、ロイヤルルームの自分の部屋のベッドで就寝した。向かい側の部屋にはファたそが使っていて、同じ作りになっているから、万一の時も安心だから、ゆっくりと休んで、はやくよくなるといいかな……などと思いつつ就寝した。

そして体調不良が落ち着くまで、安静にして、小腹が空いてきたかな。

イレブンジス・ティーはマーマレードトーストに玉子焼きに御抹茶入りの煎茶にマーマレードジャムを添えて、ロシアン・ティーでさっぱりとした夏の陽気めいた日のイレブンジス・ティータイムを楽しんだ。

今日は日課は意外とあっさりと消化できたし、まあまあ良かったかな。ただパケ死がちょっと……という感じで、いつも通りとはいかないのはパケ死関連の不便さはあるけれど、携帯電話に依存しないで過ごせるのも、まあこれはこれで良いかなとも思うので、一長一短でメリットも結構大きいですね。

そしてお昼の灌水作業などを済ませて、らんらんちはきしめんに海藻や家庭菜園のミョウガなどを添えて、千萬の令といただいて、おやじぃのご学友の農園のシャインマスカットをやまとさんから受け取り、クリスマスプレゼントに霜降りのお肉とプレゼント交換する季節が今年もやってきたのです。

そして夕方の灌水作業などを済ませて、おゆうごはんは羽根つき餃子にキャベツの温野菜にトマトにオクラにキュウリの御漬け物に外郎に十穀ごはんにおなすとあげのお味噌汁にブルーベリー黒酢ソーダに千萬の令といただいて、歯磨きをして、おくすりを飲んで、今宵しもぐっすりおヤースミンしたいかなぁ……。

 

 

9月30日(土)

 

いし……意識が朦朧とする……。ダメだ……いったい何がどうなって、どうなっちゃっているんだろう……。

ボクはこのままじゃダメだと思い、ディートとルプレヒトにもらったジャムのうちクリスマス・マーマレードジャムを開封して、トーストにたっぷりぬりぬりしてクリームチーズとスフレオムレツとサラダと一緒に千萬の令といただいて、モーニングに選んで調理した。すると頭のなかがクリアに冴え渡ってゆき、すこし頭のなかのもやもやが楽になった。

また御抹茶入りの煎茶にマーマレードジャムを加えていただくロシアン・ティーは格別に爽やかでとても美味しく、頭がとてもしゃっきりとして、気分をリフレッシュさせてくれた。

そしてロイヤルルームからロビーに向かうとカマエルたちと会話したりして、和やかな朝のモーニングの時間帯を楽しむことにした。

サン・ニコラのお宿での朝のルーチンを一通りこなすと、わたしはベラベッカ・アルザシオンをカマエルと一緒に調理して、出来上がったベラベッカをレザー調のギフトボックスにひとつひとつ詰めてゆき、みんなに配る準備をした。

そうするうちにわたしの頭の中でタスク管理の妨げとなっている頭の中のもやみたいなものは、幾分かやわらいでゆき、わたしは順調に今日やることリストをこなしていくことができました。

わたしとアルベールはカマエルとベラベッカ・アルザシオンの調理と梱包を済ませて、綺麗にギフトラッピングをすると、おしゃれな手提げ袋にそれらを入れて、ロイヤルルームに持ち帰った。いくつかは冷凍庫で長期保存して備蓄用食糧にまわすことに決めて、冷凍庫にしまう。

とても透き通った青空で、上空を航空機が通過してゆき、わたしは窓辺からそれを見上げるように眺めると、ふっと傍らで朗らかに薫るカミーユの花を愛でて、水をやり、お手入れをしました。

ツクツクボウシの蝉時雨が聞こえてきて、さんさんとお日さまが夏のなごりの薔薇のような詩的な世界を醸し出し、わたしの心模様を幾分か和ませてくれて、わたしはアルベールとマイルームで今日やることリストをいくつかこなすと、ジュークボックスから聞こえるきよしこの夜を聴いて、わたし達をあの頃の時代にタイムトラベルさせてゆくような……そんなあたたかな世界を垣間見て……童心へと帰すのでした。

アーリーモーニングティーは十穀ごはんにジャスミンティーと千萬の令とライチティーとかアイスワインティーにルイボス麦茶などをシャインマスカットとチョコレートとグレープグミやボイルド・スウィートなどなどをいただきながら、ハーベストムーン・ビューイングセレモニーを楽しみました。

中秋の名月は朧月夜で、和紙を重ねたような風合いの和の佇まいで、とても風情があり、優しげな輝きが和紙を重ねたようなやわらかな、とても綺麗なお月さまで印象的なハーベスト・ムーンでした。

早朝の灌水作業などを済ませて、寺院から朝を告げる鐘の音が、夜明けの空に爽やかに響くのです。

朝晩の寒暖差が、シャインマスカットなどを美味しく仕上げてくれる実りの秋です。

わたしは中秋節の贈り物のシャインマスカットを横濱元町ルイボス・デュエットとチョコレートと一緒にいただいて、モーニングティーを楽しむと、朝のゆったりとした……小鳥たちが歓び歌う世界で……その上質な時間をとても愛おしくウィークエンドの一日のはじまりとしては上出来なのではないでしょうか。

わたしはひとかどのしあわせを満喫すると、週末の休日をゆったりとした中秋節を楽しむのでした。

あひるのたまごの月餅をライチ紅茶やジャスミンティー、それに凍頂烏龍茶などといただいて、中秋節の朝の飲茶を楽しむと、わたしは執筆作業の良い気分転換になり、再び執筆作業に戻るのです。

その心豊かなしあわせなハーベストの楽しみは、素敵なインスピレーションの洪水です。まるでルルドの泉のように、人々を癒やして、あるべき道しるべを示してくれます。

わたしはしばらく祈りの時間を設けると、また執筆作業に戻るのですが、毎日のルーチンというものは、積み重ねであり、心の鍛錬であり、生きる糧ともなります。

ハーベストのような実りが、わたしの心模様であり、またしあわせな日々なのだと、改めて気づかされます。

何気ない日常がたまらなくしあわせで……心の砦なのだと改めて気づくからです。

そして日々の感謝の気持ちが人生をより豊かに楽しむ秘訣なのだと、そうしみじみと思い描くと、わたしの心の情景はドビュッシーのように軽やかにまたしっとりとしたメロディーラインを奏でてゆくのでした。

朝、朝のモーニングの時間がたまらなくしあわせな……ごく平凡でありふれた小さなしあわせであり、守るべきものであると、つくづく思う……そんなハーベスト・ムーンビューイングセレモニーのモーニングの時間は……とてもゆるやかに……また心穏やかに流れてゆきます。

三十五年前に漫画で描いた世界がアルベールとわたしの思い出であり、スタート地点であり、またすべてなのだと……そんな心の情景にふっとアルベールという子の姿がうつりこむと、わたし達の心模様を三十五年前のあの頃へとタイムトラベルさせてくれるのです。

それはマーティやドクのような……あの時代の世界線でいつも変わらずにあり続けました。

一種の心のふるさとなのだと思います。

ハーベスト・ムーンの季節にもなると、クリスマスの準備を本格的にはじめる時期になります。クリスマスケーキやクリスマスプレゼント……クリスマスコフレなども、毎年変わらずにこの時期から予約したり、手配したり、集めたり、またクリスマスカードなどのお手紙なども書き始めたり、日々を豊かにしてくれるそのエッセンスは、友人たちとの三十五年来変わらずに交流が続き、またそれらは生涯はぐくみ続けてゆくことでしょう。

わたし達の心豊かな収穫祭のめぐみは……クリスマスの予定をいろいろ考える素敵なホリデーシーズンへの入り口です。

毎年変わらない、その待降節のはじまりの準備が何よりもしあわせなことだと、改めてそう感じるのです。

ありふれたしあわせというものが、何よりも大切なことなのだと、わたしに日々告げるのです。それは小鳥たちの朝の挨拶のように、サンライズが昇る頃、穏やかな静かな祈りの場として、それは確かに機能し、日々の糧となるのでした。

***

そしてお昼の灌水作業なども済ませて、らんらんちは蓬莱の豚まんにタンメンに千萬の令といただいて、ちょっと眼精疲労が酷いので、シエスタタイムをしっかりとって、きちんと休養しないといけないかもなぁ……。

だいたいわたしは仕事人間すぎるんだよ。年中無休でぶっ通しで原稿の事ばかり考えてる生活が何十年も続いちゃってるくらいだし……。

オンオフどころか年中無休でオンなんだよなぁ……原稿執筆常時お仕事モードだし……。

だからあんな仕事人間の参謀将校の話に自然にああいう作りになっていった気はするかな……長男が目を離せない障害持ちでもなければ仕事辞めないというのはストーリー組んでた上で自然な辞め時はこれしかないのもあるけれども……。

まあ、そんなこんなで、ファたそが調理した肉バルセットにメンチカツにサラダにだいこんと鶏のなんこつの煮物に白米に昆布の佃煮に千萬の令といただいて、おくすりを飲んで、しばしゆっくりと就寝した方が良いかなとつくづく思ったお仕事モードな週末でした。

なんだ結局、週末も原稿執筆で日が暮れてしまった……。

*おまけの本日のタスク管理*

モーニングティーはクリスマスマーマレードトーストにサラダにシャインマスカットに目玉焼きを千萬の令といただいて、早朝の灌水作業などを済ませて、週末のガーデニングを楽しむのでした。

イレブンジス・ティーはシャインマスカットにチョコレートとグレープグミと横濱元町ルイボス・デュエットといただいて、落ち着いた日曜日のブランチタイムを過ごして、日々はゆるやかに穏やかに過ぎてゆき、ジュークボックスから聞こえるきよしこの夜が、あの頃のとても楽しかった時間へとわたし達をタイムトラベルさせてくれるのです。

これはわたし達の記憶のかけら。エクラと呼ばれるアニマの記憶……。

***

……ハッ!?

もしやこれは姫様からの恋文?!

わたくしめも今すぐに参ります!

そうして騎士は早馬を飛ばし、コモンズベリーの街のサン・ニコラのお宿までひとっ走りしたそうです。

***

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。