疎遠になってた元ガキ大将のムチムチポニテ幼馴染との青春を高校生活から書き直す 作:サニキ リオ
ステージは順調に進んでいた。
いくつかの先輩バンドが登場し、それぞれ思い思いの演奏を披露する。
二年の軽音部員たちによるコピー曲は完成度が高く、観客の知っているJ-POPを巧みに織り交ぜることで、場を温める役割を果たしていた。
三年生のラストライブを掲げるバンドは、やや技術に粗があっても、感情をぶつけるような演奏で同級生たちを大いに沸かせていた。
観客の熱が十分に高まったところで、司会が声を張り上げた。
『続いて登場するバンドは〝発狂シンセサイザ〟!』
その瞬間、体育館横のステージに向かって集まっていた観客の一角から歓声が弾けた。
「多田野くーん!」
「昨日のミスターコン見たよー!」
「絶対かっこいいじゃん!」
やはり、昨日のミスターコンでの印象が強く残っているらしい。
ベースを抱えた多田野が姿を現すと、それだけで女子たちから黄色い声が上がる。
黒髪マッシュに黒いスーツというシンプルな出で立ちだが、それが逆に音楽に打ち込む本気感を醸し出している。
続いてギターの女子、ドラムの男子が登場する。
どちらも見た目に華はないが落ち着いた雰囲気で、ステージに立ち慣れているような余裕が見える。彼らが一礼をして配置につくと、会場には期待のざわめきが広がった。
そして、一曲目が始まる。
重厚なベースが鳴り響き、ドラムがタイトに刻む。
そこにギターの鋭いリフが乗り、空気を一気に変える。
曲調は洋楽ロックをベースにしたアレンジで、和製ポップスとは明らかに違う骨太さがあった。
素人の俺にすら上手いと思わせるだけの技術はあるが、その盛り上がりは、どうにも局所的だった。
最前列で腕を振り上げているのは、軽音部の同級生や、多田野たちを目当てに来た一部の女子ばかり。
後方の観客のように〝とりあえず来てみた〟側の人間は、いまいち盛り上がれきれていない。
俺は腕を組みながら、会場全体の空気を観察した。
確かに演奏は巧いが、それをどう活かすかを考えていない。
昨日のミスターコンであれだけ注目を集めたのに、その知名度をどう音楽に繋げるかを意識していない。
観客を広く巻き込むつもりなら、例えば全員をイケメン男子で揃えて、女性を中心的に引き込む布陣を組むとか、王道の邦楽カバーを一曲混ぜるとか、方法はいくらでもあったはずだ。
けれど、彼らはそうしなかった。
全員の顔ぶれは男女入り混じり。演奏する曲も、洋楽ベースのオリジナル曲。
わかる人にだけわかればいい、というスタンスなのだろう。
もちろん、理解者には刺さるだろう。軽音部員や音楽好きの一部には凄いと思わせるだけの力がある。
それはあくまで狭い範囲での評価だ。
文化祭のステージは、音楽に詳しくない人間も集まる場だ。
むしろ、大多数は〝よくわからないけど楽しいことを期待している〟観客。そこを無視してどうするんだという話である。
少なくとも文化祭でやる以上は、理解者だけに向けるんじゃなく、興味のない人間をどう振り向かせるかを考えるべきだ。
多田野のバンドには、それが欠けている。
多田野の態度には確かに自信がある。自分たちが本気でやってきたのだから、それを出せば客に伝わる――そう思っているのだろう。
それはただの傲慢だ。
いい曲を作り、いい演奏をすれば、勝手に客に伝わる。
そんな都合のいい話があるものか。
観客の心を掴むには、工夫と計算がいる。技術に裏打ちされた驕りを押しつけるだけでは、人は動かない。
一周目で死ぬ気の執筆期間に入る前の俺が、感想欄に対して「義務教育からやり直してこい!」とキレ散らかしていたのと同じだ。
小説も音楽も娯楽だ。勉強のできないバカにも伝わるように作らなくてどうするのだという話である。
俺は後ろで腕を組みながら、ステージ上で必死に演奏する多田野たちを眺め続けた。
音は素晴らしい。努力も感じる。
けれど、それを〝みんなに届けたい〟という意志が見えない。
俺たちはすごい。だから、評価されて当然。
多田野たちの演奏は傲慢と怠惰に満ちているように俺は感じた。
多田野のバンドが二曲目に入ると、最前列の盛り上がりはさらに加速した。だが後方では、既にスマホをいじり始めた生徒や、友人と話し込む女子の姿が目立つ。会場の熱が全体に広がらないのは明らかだった。
彼らは確かに巧い――でも、それだけだ。