疎遠になってた元ガキ大将のムチムチポニテ幼馴染との青春を高校生活から書き直す 作:サニキ リオ
海鮮を扱っている、こじんまりとした店に入る。
木の引き戸を開けた瞬間、磯の香りがふわりと鼻をくすぐった。
入口のすぐ横には、生け簀が設えられている。
透明な水の中で、魚がゆっくりと尾を振り、甲殻類が底を這っていた。
生け簀があるというだけで、店の信頼度は一段階上がる。
ここは、一周目の大学生だった頃に訪れた店だ。
一人旅で熱川に来て、勇気を出して入った。
そして、人生で初めて伊勢エビを食べた場所でもある。
正直、味の細かい違いを語れるほど舌が肥えていたわけじゃない。
それでも、あのとき感じた衝撃だけは、今でもはっきり覚えている。
値段、見た目、食べた瞬間の食感。
全部込みで、これは特別な食べ物なんだと思った。
だから、この店なら、ヨシノリにとっても、ちゃんと記憶に残る体験になるとわかっていた。
「なんか、雰囲気あるとこね」
ヨシノリが、きょろきょろと店内を見回しながら言う。
派手な内装ではないが、年季の入った木のカウンターと、壁に貼られた短冊メニューがいい味を出している。
「生け簀がいい味出してるよな」
「ね。いかにも新鮮です、って感じ」
そう言いながらも、ヨシノリの視線は生け簀の中を泳ぐ伊勢エビに釘付けだった。
長い触角がゆらりと揺れるたび、わずかに身を引く。
店に入ると、奥から店主のおじさんが顔を出した。
「いらっしゃい。二人かい?」
「はい。伊勢エビ食べたくて来たんですけど、ありますか?」
俺がそう聞くと、店主は一瞬きょとんとしたあと、にっと笑った。
「伊勢エビかい! あるよ、いいやつが!」
そう言ってから、少しだけ表情を曇らせる。
「あー、ただね。値段は時価でさ。君たち、大丈夫かい?」
その一言で、ヨシノリの肩がぴくっと跳ねた。
「……時価?」
聞き慣れない単語に、警戒心が滲む。海鮮系あるあるの、地雷ワードだ。
「支払いなら大丈夫です。こう見えて作家やってて、印税収入もあるので」
さらっと言うと、店主は目を丸くした。
「ほぉ! そりゃすごい!」
すぐに破顔し、手を叩く。
「そんじゃ、いいやつ取ってくるから、ちょっと待っててよ」
そう言って、生け簀のほうへと軽快な足取りで向かっていった。
その背中を見送った瞬間。
「ちょ、ちょっとカナタ!」
ヨシノリが、声を潜めて袖を引っ張ってくる。
「時価って、時価って! それ、いくらになるかわからないやつでしょ!?」
「大丈夫だって」
「どこが!?」
「値段感は把握してる。余裕で予算内だ」
俺が落ち着いてそう言うと、ヨシノリは信じられないものを見る目でこちらを見る。
「その自信、どっから来るのよ」
「俺だぞ? 何も調べないで来ると思うか?」
ヨシノリは少しだけ納得したような、しないような顔をした。
時価とは、文字通りその時の値段だ。
漁獲量、季節、サイズ、状態。いろんな要素で上下する。
ちゃんとした店ほど、値段に見合ったものを出すのだ。
「……ねえ」
「ん?」
「もし、とんでもない値段だったらどうするの?」
「そのときは――」
一拍置いて、俺は答える。
「それも含めて、思い出だな」
「思い出の作り方が強引すぎる!」
ヨシノリはそう言って呆れたように笑ったが、その目は、生け簀から離れなかった。
店主が、網を手に戻ってくる。
その網の中で、伊勢エビが大きく尾を打った。
「さあさあ、今日の主役だ」
ヨシノリが、小さく息を呑む音が聞こえた。