疎遠になってた元ガキ大将のムチムチポニテ幼馴染との青春を高校生活から書き直す   作:サニキ リオ

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第380話 現実世界の住人

 その瞬間、笑い声の余韻が消え、部室に残ったのは空調の風だけだった。

 天井の送風口が低く唸り、机の上の空き袋がかすかに揺れる。

 ケイコ先輩の言葉は、軽い調子で放たれたはずなのに誰も触れようとしない。

 トト先の視線が伊代へ向かう。問い詰める色はない。

 

 ただ、事実を確かめる研究者の目だった。

 

 伊代はポテチをつまんだまま動かない。

 指先に付いた塩が、夕陽を受けて細かく光る。

 折れかけた一枚が、わずかな力で今にも崩れそうだった。

 

 俺は頭の中で言葉を転がす。

 

 神野塚伊代。

 

 二周目で、俺が与えた名前。

 神の使いという意味を込めた、半ば思いつきの産物。

 深い理由などなかった。それでも響きだけは妙にしっくりきて、当たり前のように呼び続けた。

 その名前が、今ここにいる伊代と一字一句同じ――偶然という言葉を当てはめるには、形が整いすぎている。

 

「どういうことだ」

 

 喉の奥から出た声は、思ったより乾いていた。

 伊代が顔を上げる。瞳の奥で光が揺れる。逃げ場を探しているわけではない。何かを測るような揺れ方だった。

 

「名前が被ること自体は珍しくないよ」

 

 ケイコ先輩がコップを指先で回す。

 氷が内側で転がり、小さな波紋のように音を立てる。

 

「ただ、順番が気になる」

 

 トト先が静かに言葉を重ねる。

 

「カナぴの名付け、二周目。そのあと戻った世界に、同じ名前が最初からある」

 

 机の上に並んだ菓子袋の文字が、夕陽に照らされて赤く滲む。

 

「……世界が安定しているなら、大きな干渉は起きないはずです」

 

 伊代の声は落ち着いている。

 まるで授業で発表するみたいに整った調子だ。

 

「安定は何を基準にしてる?」

 

 ケイコ先輩が問いを投げる。

 伊代はすぐには答えない。ポテチを静かに咀嚼し、両手を重ねる。

 その仕草がやけに丁寧だった。

 

「私、昔の記憶がところどころ薄いんです」

 

 言葉はゆっくりと置かれる。

 

「家族のことも、学校のことも覚えています。でも細かい場面になると、霧がかかったみたいに輪郭が曖昧で」

 

 空気が肌に貼りつく。

 夕陽の熱が、急に重く感じられた。

 

「先輩の話を聞くと、知らないはずの出来事に懐かしさを覚えることがあります」

 

 視線がこちらへ向く。

 

「夢で見る景色もあります。行ったことのない場所。けれど、そこに立った感覚だけは、身体が覚えている」

 

 トト先の指が机を軽く叩き、すぐに止まる。

 

「二周目で生まれた存在が、こちらに写り込んでいる可能性は?」

 

 淡々とした問い。

 

「否定はできません」

 

 伊代の返答は揺れない。

 俺の名付けが、世界のどこかに痕を残したのかもしれない。

 その痕が、現実の形を借りてここに立っている。

 理屈は粗い。それでも完全には払い落とせない。

 窓の外でグラウンドの歓声が遠く弾ける。

 

「先輩」

 

 伊代が息を整える。

 夕陽がその横顔を縁取る。

 影が長く伸び、床に細い線を引いた。

 

「私、自分がどこまでこの世界に属しているのか、時々分からなくなるんです」

 

 言葉は落ち着いているのに、指先がわずかに白くなる。

 

「もし、二周目で生まれた存在が条件付きでこちらに残っているだけだとしたら」

 

 呼吸がひとつ、部屋に重なる。

 

「私は――」

 

 視線がまっすぐ俺を射抜く。

 

「たぶん、現実世界の住人じゃないかもしれません」

 

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