疎遠になってた元ガキ大将のムチムチポニテ幼馴染との青春を高校生活から書き直す 作:サニキ リオ
当てもなく駆け出した俺だったが、心当たりがないわけではなかった。
伊代は、港区の寺に住んでいる。
写真や場所も見せてもらった記憶がある。
本堂の前で撮った写真だった。
伊代が笑っている横に、両親らしき人影が映っていた。
それを頼りに、俺は御成門駅で降りて駆け出した。
改札を抜け、階段を駆け上がる。地上に出てから周りを見渡すと、向こうに港区役所の建物が見える。あの先だ。
走っていたせいか、人とぶつかりそうになる。
謝る暇もなく、また走る。歩道を抜けて、横断歩道を渡る。信号が変わりそうになる。走って渡り切る。
港区役所を通り抜け、曲がり角を右に曲がる。住宅街に入る。道が狭くなる。古い家が並んでいる。
記憶を辿る。確か、この辺りだったはずだ。
伊代が見せてくれた写真。古い木造の本堂。境内に並んだ墓石。山門の奥に見える緑。
あの寺があるはずだ。
もう一度角を曲がり、細い路地を抜けるが――そこには、寺がなかった。
雑草が生えている空き地にフェンスが立っている。
誰もいない。何もない。
ただの、空き地だった。
「そん、な」
声が震える。足が動かない。
伊代がこの世界に根ざした存在であるという証明の消失。
彼女の家族も、家も、全てが消えていた。
最初からなかったことになっている。
写真で見た景色は、どこにもない。
あまりの事態に呆然とする。
頭が真っ白になる。言葉が出てこない。息を吸っても、肺に空気が入っていかない気がする。
胸の奥が冷たくなる。
そんなとき、背後から声をかけられた。
「先輩、やっぱり私はこの世界の人間じゃないみたいです」
振り返る。
伊代が立っていた。
制服姿で鞄を持っている。
いつもと変わらない出で立ちだというのに、その顔は泣きそうだった。目が赤い。泣いたあとなのかもしれない。
「伊代」
「さっきまであったんです。お寺も、お父さんもお母さんも。でも、気づいたら消えてました」
伊代の声が震えている。言葉が途切れ途切れになる。
「朝、普通に起きて、朝ごはん食べて、学校に行こうとしたら。玄関を出た瞬間、全部消えました」
伊代が空き地を見る。その視線の先には、何もない。
「振り返ったら、何もなかったんです」
その目に涙が溜まっている。瞬きをすると、一粒が頬を伝って落ちた。
「家族の記憶はあります。お父さんの顔も、お母さんの声も、全部覚えてます。でも、もう会えません」
伊代の声が小さくなる。
「電話番号も消えてます。写真も消えてます。スマホの中の写真、全部真っ白になってました」
伊代が俯く。肩が震えている。
「突然、今まで存在していた家族と家を失いました」
声が途切れる。
伊代が顔を上げる。
泣きそうな顔で笑っていた。
無理に作った笑顔だった。口元は笑っているのに、目が笑っていない。
「でも、先輩のせいじゃないです。私が最初から、この世界の人間じゃなかっただけです」
その笑顔が、痛々しかった。
俺は何も言えなかった。
言葉が見つからない。
謝ればいいのか。慰めればいいのか。
どちらも違う気がする。
ただ、伊代の前に立っているだけだった。
空き地に風が吹く。雑草が揺れる。フェンスが軋む音がする。
誰もいない場所で、二人だけが立っていた。
伊代が目尻を拭う。涙を拭って、また無理に笑う。
「先輩。私はもう大丈夫です」
その言葉は、強がり以外の何物でもなかった。
声が震えている。目が泣いている。
大丈夫なわけがない。
「何が……何が大丈夫だっていうんだよ!」
声が大きくなる。感情が溢れる。
伊代が少しだけ驚いたような顔をする。
「だって、ここまで来ちゃったらもうどうしようもないじゃないですか」
伊代の声は静かだった。諦めたような、受け入れたような声だった。
「私の家も家族も消えました。クラスメイトも私のこと覚えてないです。ケイコ先輩とトト先輩も、もうすぐ忘れちゃうと思います」
伊代は目尻を拭うと、軽く息を吸ってから告げた。
「私はもう消えかけです。それならこれ以上、先輩の人間関係が拗れる前に戻ったほうが賢明じゃないですか」
その言葉が、胸に刺さる。
この一周目で、人間関係が拗れたのは、俺が原因だ。
「賢明って、お前」
「先輩は二周目に戻るべきです。そこに先輩の居場所があります。ヨシノリさんも、喜屋武さんも、みんないます」
伊代の声が淡々としている。感情を抑えている。
「先輩は、二周目の先輩として生きるべきです。私のことは、忘れてください」