大戦の忘れ物Ⅰ
蟻の巣のように塹壕が張り巡らされたウェストベルク高地を激震が襲った。
忌々しいシュトラール軍陣地を破壊するため、500トンの爆薬に起爆したのだ。
大地がパウンドケーキのように盛り上がって弾け、その轟音は塹壕の隅々にまで届いていた。
これでシュトラール兵も降伏するだろう、と誰もが無邪気に喜んだ。
しかし、この時の私たちは知らなかった。
世界の底が抜けたことを。
――アーネスト・フリードマン著作『底無迷宮』より抜粋。
※
ごうっと迷宮の息遣いが聞こえた。
500トンの爆薬が揺り起こした迷宮は文字通り生きている。
世界大戦の残り滓を取り込んで、未だ全貌の見えぬ図体を肥え太らせているのだ。
かつて塹壕に使われていた丸太に背を預け、思考を切り替える。
いつものように。
「Сюда?」
意味不明な異言語に、無秩序な足音が聞こえてくる。
銃剣の切先が見えないよう
「Другой!」
壁際に置かれたランタンが照らすのは、見窄らしい格好の
薄汚れた灰色の毛皮、異様に発達した前歯――その姿を喩えるなら、二足歩行するデバネズミ。
コボルトと呼ばれる連中は迷宮に棲む怪物の一種で、歩く宝箱だ。
ほら、後ろの2匹が怪しげな木箱を運んでる。
「Вонтам!」
ランタンの光など気にもせず、大柄のコボルトが喧しく喚き立てる。
迷宮に棲む連中は基本的に光への反応が鈍い。
心臓の鼓動を聞き流し、頭の中で順序を組む。
シャベルを担いでる大柄な奴を第一に、木箱を運んでる2匹は後回し。
「Торопиться!」
トレンチガンの放熱板を撫で、殺意を銃剣よりも鋭く研ぐ。
奇襲、相棒の必殺距離、勝機は十二分。
今日も今日とて殺すのだ。
いつものように。
「Дурак――」
コボルトの意識が迷宮の奥へ向いた瞬間、地を蹴る。
通路に飛び出して射線を確保。
銃口を突き付けるように、薄汚れた灰色の影を狙う。
引金を絞る――洞穴から闇が消え、星が瞬く。
濁った血飛沫がランタンの光を吸い込んで赤々と燃える。
死体とシャベル、排莢した空薬莢が地面に突っ込む。
鼻を突く硝煙の臭い。
「Человек!?」
リーダーを失った2匹のコボルトは木箱を取り落とす。
反応が遅い。
奥の奴にバックショット弾を叩き込み、首から上を蜂の巣にする。
排莢と同時に地を蹴って、最後の1匹へ。
低く、素早く、影のように。
歯を剥き出しにして迫るコボルト――その腹下から相棒を捻じ込む。
ずん、と重い手応え。
私の体重は軽いが、突っ込んできたバカのおかげで
首の裏から銃剣を生やし、コボルトは口から血の泡を吹く。
「死んでくれ」
銃身の放熱板を握り、捻りを加えてから銃剣を引き抜いてやる。
あとは血で溺れて死ぬ様を見届けるだけ。
じわじわと広がっていく血溜まりに私の顔が映る。
ヘルメットから覗く赤毛、目の下には隈、引き結ばれた口――不景気な面のガキだ。
どうでもいい。
ハンドグリップをスライドさせ、相棒から空薬莢を吐き出させる。
3匹のコボルトを物言わぬ死体に変えた今、残すは戦果確認だ。
折畳式のランタンを拾い上げ、木箱を一息に蹴り開ける。
「外れか……」
ちかりと瞬く銀を見て、思わず溜息が漏れた。
木箱の中、制服の切れ端に包まれていたのは、腕時計2本、指輪3個、認識票12枚。
貴金属を好むコボルトは、こういった
「まぁ、いい」
迷宮の産出物より価値は下がるが、これはこれで需要がある。
背負っていたハバーサックを下ろし、コンビーフ缶の隣に本日の戦果を突っ込む。
上手く捌けば、晩飯にベーコンと卵を追加できるかもしれない。
とにもかくにも飯だ。
「よし」
少しばかり幸せ太りしたハバーサックを背負い、帰路に就く。
余力を残して引き上げるのが賢い生き方だ。
ここは戦場じゃない。
迷宮の宝を持ち帰って換金する――それが今の仕事。
2年前、世界大戦は終結した。
ウェストベルク高地に現れた迷宮の対応に追われ、各国は戦争どころではなくなった。
お払い箱になった大量の兵士は国に帰って失業者になるか、残って迷宮に潜るかの二択を迫られる。
この曲がりくねった洞穴みたいにお先真っ暗な話――
「……6人」
こっちに近づいてくる足音、数は6人。
腰から下げたランタンの光を絞れば、洞穴の闇が一気に深まる。
同業だからといって
遮蔽になりそうな土嚢の山に身を寄せ、相棒のハンドグリップに手を添える。
そして、ランタンを持った人影が――ブリタニア軍の野戦服が視界に入る。
互いに姿を見ても銃口は上げない。
まずは確認、それから決断だ。
「なんだ、アメリアじゃないか」
私を捉えた青い目に、親しみの色が浮かぶ。
見知った顔だった。
同業者の中でも擦り切れてない、兵士を続けてる男だ。
「相変わらず不景気な面だな……グーラかと思ったぞ」
そう言って朗らかに笑い、失礼な挨拶を投げてくる優男。
トレンチガンの引金から指を離し、一呼吸置いてから口を開く。
「うるさいよ、チェスター」
「おっと、淑女に失礼だったね」
不景気な面には同意するが、誰が
私と同じく故郷に帰らなかった
「引き上げるところか?」
「……運良く宝箱を転がせてね」
質問に対してハバーサックを軽く叩いてみせ、ランタンのカバーを外す。
解き放たれた光が照らすチェスター班は、相変わらずブリタニア軍の装備で統一されていた。
装備といい、面構えといい、やっぱり兵士だ。
「ほぉ、そりゃいい……アメリア、デイジー亭に本物のウィスキーが入ったって聞いたんだが――」
「奢らないぞ」
私は飲まないし、飲めない。
そもそも他人に奢れるほどの稼ぎはない。
「そいつは残念」
悪戯小僧みたいな笑みを浮かべるチェスター自身、それは分かってる。
「コンビーフより美味いなら考えるよ」
「おいおい、相変わらず食い意地が張ってるな」
これは一種の儀式。
取るに足らない会話が、非日常に身を置く私たちを人間たらしめる。
塹壕の中で嫌というほど知った。
「さて、俺たちも宝探しに行くか」
青い目が洞穴の奥、迷宮の闇を見据える。
お互い、時間は有限だ。
「今日こそは
「コボルトの宝庫が見つかるといいのですが」
「それよりアメリアみたいにワーカーを狙わないか?」
これからの展望を語り合う男たちは楽観的に見える。
だが、チェスターと古参のライフルマンたちは、これまで一人も欠けずに帰還してきた。
その実力は折り紙つきだ。
「健闘を祈ってる」
「ああ、そうしてくれ」
すれ違うチェスターたちの横顔には、活力が満ちていた。
それはそうだろう。
砲撃と機関銃、雨と泥、そしてネズミ――私たちの死は遠くへ行った。
あの地獄に比べればピクニックみたいなものだ。
底無迷宮の探索なんて。
作者は「第一次世界大戦×ダンジョンってよくない?」などと供述しており……