亜人どもに比べれば、俺たちは文明人だ。
それは間違いないが、先駆者とも限らない。
底無迷宮は遥か昔から俺たちの足元にあったんだ。
そうでなきゃ、あんなものあるはずがない。
――ウェストベルク迷宮3番坑道にて回収された手記より抜粋。
※
ガラス化した壁面がランタン光を反射する。
ブーツの下からは、ぱきぱきと小気味いい音が響く。
「一体何でしょう、あれ…?」
不安と好奇心の入り混じったアルフの声。
後ろを流し見れば、狼みたいな耳が忙しなく揺れている。
まだ冒険心の一端を持てるとは、大物なのか、感覚が麻痺しているのか。
正直、私は気が乗らない。
「さてな」
死体から拝借したランタンを掲げ、人工物の表面を照らす。
強烈な熱線を浴びたはずだが、コンクリートを思わせる白には煤が微かに付着しているだけ。
私が屈んで通れるか、という貫通孔だけが唯一の損傷だった。
「魔術技巧の兵器とか……ですかね?」
ランタンを腰に下げ、銃剣の切先で純白を軽く撫でる。
戦車の装甲でも筋が入るというのに、擦過痕すら残らない。
「地上の代物じゃないのは確かだな」
一歩下がって貫通孔を覗き込めば、奥で瞬く緑の光。
脳裏を過る前世の記憶――まるで非常口の誘導灯みたいだ。
本来、安心感を想起させる光だが、この場においては異様に映る。
私たちが見つけるまで迷宮に埋まっていた代物が、なぜ機能している?
下手をすればドレッドノートより危険かもしれない。
「どうしますか、アメリアさん?」
内部の状態は不明、
これ以上のリスクを負うべきじゃない。
帰還を優先すべき――視界の端に
ただの煤汚れと思っていた黒い模様。
ガラス化した壁面に映り込んで、初めて文字と認識できた。
『廠工東極』
その質実剛健なロゴマークは、
「……あり得ない」
「え?」
思わず口から零れた本心。
この世界にも極東はあるが、使用言語は全くの別物だった。
植民地から連れて来られた東洋人労働者と話したことがあるから分かる。
これは右読みの日本語――私しか知らないはずの言語だ。
なぜ、そんな代物が埋まっている?
日本語のように見えるだけの別言語か?
胸中で膨れ上がる疑念、そして違和感。
「アルフ、ここに残れ」
背負っていたハバーサックを足元へ落とし、相棒の動作を確かめる。
ウェストベルクに突如現れた底無迷宮は、何もかもが未知で未解明。
それで問題なかった。
明日生きていく上で、足元の真実など何の役にも立たない。
だが、
「僕も一緒に」
「だめだ」
アルフの提案は却下。
私は妄想の産物としか思えない前世との関連性を探るため、足を踏み入れようとしている。
そんなものに付き合って死んだら、悔やんでも悔やみきれないぞ。
「30分経っても戻らなかったら、それを持って地上を目指せ」
「そんな…」
ハバーサックを指し示すと、アルフは苦々しい表情を浮かべた。
現在地が分からない中、1人で地上を目指すのは困難だ。
分かってる。
だが、私はアルフの保護者じゃない。
「妹が待ってるんだろう?」
その一言で反論を封じ、ゆっくりと背を向ける。
自分勝手な言い分に、漏れかけた溜息を噛み殺す。
「無理はしない。心配するな」
「アメリアさん…!」
罪悪感を捨て切れず、気休めの言葉を吐く。
苛立ちを蹴飛ばすように貫通孔へ足を掛け、身体を滑り込ませた。
貫通孔の長さは1メートルもない――出口付近を銃剣で叩く。
闇に広がった音が跳ね返ってくる。
そこまで広い空間じゃないが、それ以外は一切分からない。
「出たとこ勝負か」
危険なのは百も承知。
出口付近まで慎重に進み、周囲と足場を確認。
足は床面まで届きそうだが、溶断された配管が転がっている。
構わず降下――静寂の中を足音が反響する。
内部の第一印象は、船内通路だった。
天井や壁を走る配管群、通路の突き当りには装甲板のような水密扉。
ブリタニアから大陸へ渡る際に乗った輸送船を思い出す。
「魔弾恐るべし、だな」
貫通孔の反対側にある側壁は溶融し、ぽっかりと口を開けていた。
穴の奥では、緑の光が一定の間隔で点滅する。
「…よし」
相棒を構え、慎重に歩みを進める。
ランタン光の中を埃の粒子が漂い、きらきらと瞬く。
垂れ下がった配管を潜れば――温度が変わる。
静寂に包まれた室内には、円筒の構造物が横一列に連なっていた。
まるでウイスキーの蒸留所みたいな風景だ。
「貯蔵庫…か?」
円筒は水槽の類と目星を付けるが、中身が何かは見当もつかない。
銃剣の切先を引っ掛けないよう銃口は天井へ。
すぐ目の前に鎮座する円筒へ近づき、基部のプレートにランタン光を当てる。
『廠工東極』
ご丁寧に同じロゴマークが刻まれていた。
おそらく企業名なのだろう。
プレートに積もった埃を親指で拭い、現れた単語に目を走らせる。
『画計造創類人新応適境環限極』
無機質な単語の意味を理解するのに、たっぷり1分ほど使った。
底無迷宮の産出物は、既存の科学を凌駕する代物ばかりだ。
だから、大抵のことでは驚かないつもりだった。
「新人類…?」
なぜ、そんな荒唐無稽な計画に行き着いたのか。
魔法と区別がつかない魔術技巧を生み出した連中なら、その程度は造作もないだろう。
だが、その目的は一体?
プレートから指を離した瞬間――緑が赤に切り替わる。
視界の端に捉えていた警告灯だ。
「…っ!」
同時に、室内の奥側から響き渡る排水音。
押し流されてきた埃がブーツに引っ掛かり、足の甲ほどで水位が止まる。
排水音が収まり――ばしゃり、と一際大きな水音。
足元を波紋が抜けていき、闇の奥で何かが
間違いなく人型だ。
警告灯の赤が降り注ぐ中、人影に照準を合わせる。
「うぁ……?」
ランタン光を反射する大きな目は、私と同じ碧眼。
見たことがない銀色の髪から水滴が滴り落ち、豊かな胸の上で弾ける。
異邦人、いや――そもそも人間じゃない。
その人型には腕が
そして、何より
「ふぁぁぁ……」
呑気に欠伸を披露する異形は、娼館でも滅多に見ない美しい女体だった。
だからこそ、4本の腕と外骨格を有した尻尾が異様に映る。
敵か味方か。
「ん……んんぅ?」
頭上の長い触角を揺らし、ぴすぴすと鼻を小刻みに動かす異形。
万が一に備え、引金に指を添える。
切れ長の碧い瞳に
「ぱぱ?」
空気が硬直する。
「は?」
いつから私は父親になった。
予想外の事態に思考が追いつかない。
輝く瞳からは微塵の敵意も感じないが、まったく意味が分からない。
「ぱぱっ!」
「いや、待っ――」
4本の腕を広げ、飛び込んでくる異形娘。
咄嗟に相棒を脇へ投げた瞬間、為す術もなく床へ押し倒される。
水飛沫が舞い、背筋を伝う生温い水の感触。
泥と埃と甘ったるい乳臭さが鼻を突く。
「…むふぅ」
異形娘は嬉しそうに頬を擦りつけてくる。
今の私は全身泥塗れだが、お構いなし。
白い肌が泥で黒く汚れようと満足げに笑う横顔は、ずいぶんと幼く見えた。
「放してくれ」
「やっ!」
起き上がろうとすれば、すかさず4本の腕に拘束される。
私より二回りも大きい娘は、かなり重い。
付け加えるなら、砲弾みたいな乳房に空き腹を圧迫されて辛い。
「……そうか」
シュトラール兵の追跡から逃れるため、死体の下に隠れた時よりはマシ。
そう考えることにした。
野戦服越しに伝わる鼓動の音を聴きながら、空いた左手を異形娘の頭に置く。
私は何をしているのだろう。
「アメリアさん!」
頭上から響く少年の声に、機嫌よく揺れていた触角が止まる。
そして、私を抱く腕の筋肉が強張る気配。
強めに頭を撫でることで意識を逸らさせる。
よし、若干力が緩んだ。
「大丈夫……ですか?」
床から見上げたアルフは困惑の表情を浮かべ、視線を彷徨わせる。
私が戻らなかったら地上に戻れと言ったろうが。
まったく、言いつけくらい守れよ。
「ん!」
ぐりぐりと左手に頭を押しつけてくる異形娘。
乱雑に撫で返してやると、外骨格に覆われた尻尾を揺らし出す。
お前は犬か。
「これは一体…?」
「私が聞きたい」
何もかもが予想外で、お手上げだった。
誰か説明してくれ。
属性は盛るだけ盛れって偉い人が…!(責任転嫁)