塹壕帰りの迷宮潜り   作:バショウ科バショウ属

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迷宮の掘出物Ⅶ

 支給されたビスケットは石のように硬く、まるで歯が立たない。

 塩のスープでふやかして、ようやく食べられる。

 我々がシュトラール軍より恵まれているとすれば、ジャムという心強い味方がいることだろう。

 

 ――差出人不明『あゝ塹壕飯』より抜粋。

 

※

 

 焦げ臭さが残る洞穴の片隅で、ランタンの光を頼りに1本の針を走らせる。 

 戦場ではソーイングセットが欠かせない。

 丈夫な野戦服でも破れるし、ボタンは飛ぶし、小さなほ(・)つ(・)れ(・)など日常茶飯事だ。

 だから、自然と裁縫の技術が身についた。

 

「あうあ」

 

 何も聞こえないし、頭の上に置かれた脂肪の塊も気にしない。

 拾い集めたコートやシャツの切れ端を無心になって縫い合わせる。

 

 ひとまず探索は打ち切り――どうしようもない。

 

 資料の類は何も残っておらず、警告灯が力尽きた時点で切り上げるしかなかった。

 唯一の手掛かりと言える異形娘は、孵ったばかりの雛みたいに私から離れない。

 頭上に視線を寄越せば、私を覗き込む碧眼とかち合う。

 

「むふぅ?」

 

 アルフの耳を引き抜こうとしたり、相棒の放熱板に噛みついたり、心の赴くままに動く。

 そんな娘を生まれたままの姿で放置すれば、間違いなく怪我をする。

 何か着せないと私が落ち着かない。

 

「ぱぱっ」

 

 目が合うだけ嬉しそうに笑う異形娘。

 父親になった覚えも、処女受胎した覚えもない。

 おそらく刷り込みの一種だと思われる。

 

「アルフ」

「は、はい!」

 

 ぼさぼさの銀髪を片手で梳きつつ、少し離れた場所に座るアルフを呼ぶ。

 その傍らには血塗れのハバーサックが4つ。

 

「めぼしいものはあったか?」

 

 アルフにはレッドキャズムが残していった所持品を漁らせている。

 さすがに魔術技巧(ウィズテク)はないだろうが、使える物は使わせてもらう。

 

「えっと……食糧と弾薬は、これくらいありました」

「よし」

 

 タオルの上に置かれた缶詰と紙袋の量を見るに、もって2日か。

 塹壕も迷宮も知らない連中の所持品は、とにかく無駄が多い。

 軍靴工場で働いていたというアルフに仕分けを任せて正解だった。

 

「むぅ……」

 

 不満げな声が降ってくる。

 頭から重みが消え、かつりと硬質な音が響いた。

 

 ――それが足音だと思う者が何人いるだろう。

 

 視界の端から現れた異形娘の足先は外骨格で覆われ、鋭利な爪で地面を掴んでいた。

 獣人種にも毛深い者はいるが、ここまで人間を逸脱してない。

 

「あうぁ!」

「わぁっ!?」

 

 アルフの傍らへ飛び込み、雑多に積まれた所持品の小山を崩す。

 恥じらいの欠片もない体勢で、長い尻尾を揺らす異形娘。

 頭が痛くなってくる。

 

「ん、ん!」

 

 異形娘は小山の中から茶色い紙箱を掘り出し、目の前に突き出してくる。

 その味気ないパッケージには見覚えがあった。

 

「コンドームだな」

「こどうむ?」

 

 使ったことはないが、見たことはある。

 お盛んな連中の間で性病が蔓延し、いつの間にか軍の支給品に加えられていた。

 しかし、衛生概念が紙屑以下のストリートギャングが持っているとは珍しい。

 

「齧るな」

 

 紙箱に犬歯を突き立てる異形娘に、首を振って制止を促す。

 そんなもの食べても空しいだけだ。

 

「むぅ……」

 

 歯型のついた紙箱を放り捨て、恨めしそうな視線を返してくる異形娘。

 言葉が通じないと何を求めているか、さっぱり分からない。

 

 噛む、齧る――まさか空腹なのか?

 

 ふと、腕時計の泥を拭ってみれば、12時に差し掛かるところだった。

 道理で頭の巡りが鈍いはずだ。

 

「はぁ……分かった」

 

 糸を噛み切って結び、ひとまず仕上げたことにする。

 出来は粗いが、裸体を隠すくらいの仕事は果たせるだろう。

 

「飯にしよう」

「あう!」

 

 ソーイングセットを片付け、アルフが仕分けした携行食から昼餉を見繕う。

 マカノッチーは論外、この破滅的に不味いシチューを湯煎する機材も気力もない。

 チョコレートを持ってるとは生意気だな。

 他には――

 

「あの、アメリアさん、振り向いても大丈夫ですか!」

 

 明後日の方角へ向いたまま声を張り上げるアルフ。

 さっきから顔を背けてるとは思ったが、律儀に待っていたのか。

 

「少し待て」

 

 仕上げたばかりのポンチョを掴み、異形娘のところまで引き摺って行く。

 期待で輝く碧眼を隠すように頭から被せてやる。

 

「やっ」

「暴れるな」

「あうあ!」

 

 1分間に及ぶ格闘の末、首を通させることに成功。

 半身を隠せるポンチョを纏った異形娘は、ぺちぺちと触角で抗議してくる。

 でも、脱ごうとはしない。

 

「もういいぞ」

「すみません……」

 

 おずおずと振り返ったアルフの顔は仄かに赤い。

 異形娘が視界に入ると慌てて目を逸らす。

 娼館くらいでしか見ない刺激的な格好ではあるが、いちいち反応が初心だな。

 

「アルフ……お前、童貞(バージン)か?」

「うぇっ!?」

 

 分かりやすい。

 聞くまでもなかったな。

 

「わ、笑わないでくださいよ!」

 

 少年の微笑ましい抗議を聞き流し、ハバーサックにソーイングセットを仕舞う。

 地上へ帰還できるかも分からない状況で、なんとも緩い空気が漂っていた。

 底無迷宮にいるとは思えない。

 

 懐かしい感覚――昼下がりの塹壕で、暇潰しのカードゲームに興じた時と似ている。

 

 いつも張り詰めた空気に身を置いていたわけじゃない。

 ついぞ忘れていた。

 

「……それより飯の支度だ」

 

 缶切りとコンビーフ缶を取り出して、その重みを確かめる。

 私1人なら十二分、3人では少々物足りない。

 

「ビスケットとジャム缶を開けてくれ」

「これは開けないんですか?」

「マカノッチーは捨てていい」

 

 紙袋のビスケットも催涙ガスが染み込んでるかもしれないが、贅沢は言えない。

 甘ったるいジャムがあれば、まだ食えるはずだ。

 

「むむ……」

 

 コンビーフ缶に当てた缶切りを物珍しそうに見つめる碧い瞳。

 スチールの蓋を破る音に合わせて触角と尻尾が揺れ動く。

 獣人種に近しいが、あまりに形態が異なっている。

 

「お前、名前は?」

「んぅ?」

 

 問いかけても首を傾げるだけ。

 名前が分からないのか、名前という概念が分からないのか。

 

「私はアメリア」

「あえりあ!」

「あっちはアルフだ」

「あふる?」

 

 私が指差した対象の名前は判別できるらしい。

 せめてブリタニア語が話せれば、もう少し意思疎通が楽なのだが。

 そんなことを思いながら、スチールの蓋を切り離す。

 

「あうあ!」

「待て」

 

 手元を覗き込もうとする異形娘の頬を押さえ――口に親指が入った。

 

「ん……」

 

 途端に大人しくなった異形娘は、そのまま指を吸い始める。

 くっすぐったい。

 何をしているんだ、この娘は。

 

「あぅ」

 

 指を引き抜くと、ひどく名残惜しそうな顔をされた。

 上目遣いで催促しても咥えさせてやらないぞ?

 

「アルフ、ジャム缶は私が開ける」

「あ、はい!」

 

 コンビーフ缶を脇に置き、ジャム缶を渡すようアルフに手招きする。

 今、ナイフで開けようとしたな?

 その開け方は中身に鉄臭さが混じって不味くなるぞ。

 

「……あの、アメリアさん」

 

 アルフはプラムのジャム缶を手渡し、ちらりと私の隣を見る。

 その視線の先には、不満げに頬を膨らませた異形娘。

 次に来る言葉は見当がつく。

 

「その人は、どうなるんですか?」

 

 どうする(行動)ではなくどうなる(結果)か。

 私が置き去りにするとは微塵も思っていないらしい。

 ここまでやって置き去りにはしないが、ずいぶんと高く買われたものだ。

 

「迷宮人と遭遇した、なんて話は今まで聞いたことがない」

 

 スチールの蓋に突き立てた缶切りを回しながら、散らかっていた思考も回す。

 

「まず間違いなく、連合軍の管理下に置かれるだろうな」

 

 ブリタニア、ガリア、シュトラールの三国を主体とする連合軍は、底無迷宮の底を明かしたい。

 その上で未知の情報源は是が非でも確保したいはず。

 

「あるいはブリタニア軍か」

 

 ぺこりとジャム缶の蓋が開く。

 連合軍とは底無迷宮を封鎖する蓋であり、ウェストベルクを巡る第二の戦争を防ぐための枷だ。

 しかし、いずれの参加国も出し抜く機会を窺っている。

 あれだけの戦死者を積み上げても学習がないのだ。

 

「なら、安心ですね」

 

 アルフは不安そうな表情から一転、安堵の表情を浮かべる。

 軍の管理と聞いただけで安心できるらしい。

 夥しい量の血を塹壕へ吸わせ続けた連中を、どうして信用できる?

 

「どうだかな」

「あうあ?」

 

 泥臭さの中に混じる甘い香りに惹かれて、私の肩から手元を覗き込む異形娘。

 プラムの赤を見下ろす目には好奇心の光だけが宿っている。

 この娘から何かしらの情報を得ることは難しいだろう。

 あまりに知性が幼い。

 

 情報源にならない時、軍が何を始めるか――不愉快だな。

 

 だからといって何ができるわけでもないが。

 私は元ブリタニア兵であって、今は底無迷宮を這い回るろ(・)く(・)で(・)な(・)し(・)だ。

 苛立ったところで仕方ない。

 

「そっちは開いたか?」

「開きましたけど……食べられるんですか、これ?」

 

 手にした茶色の正方形を睨み、眉を顰めるアルフ。

 そんな少年の前で、ビスケットを1枚抜き取ってジャム缶の縁を叩いてみせる。

 鳴り響く音は硬い。

 

「うわぁ……」

「おがくずパンよりは食える」

「はむっ!」

 

 目にも留まらぬ速さで、視界から消えるビスケット。

 

「むぐむぐ……」

 

 ごりごり、と異形娘の口から漏れ聞こえる音は、坑道の掘削音に似ていた。

 普通はスープか紅茶でふやかしてから食う代物だぞ。

 

「大した顎だな」

「……ですね」

 

 石のような硬さを物ともせず、ビスケットの咀嚼を終える異形娘。

 恐るべし迷宮人、いや新人類か。

 私は大人しくハバーサックからマグカップとスプーンを取り出した。

 

「腹ごしらえを済ませたら出発するぞ」

「はいっ」

「あう!」

 

 地上に辿り着くまでは面倒を見るが、それ以降は私の知ったことじゃない。

 これまでと同じ、何も変わらない。

 まるで言い訳のように言い聞かせ、スプーンの切先をコンビーフに沈み込ませる。

 

※

 

 ウェストベルクの空は分厚い鉛色の雲に覆われ、今にも泣き出しそうだった。

 夜明け前の一雨を浴びた土嚢は、まだ黒ずんだまま。

 直径200メートルという大穴の縁に佇む歩哨は、憂鬱な眼差しを天から奈落へ注ぐ。

 

「ブロブ以外と遭遇しない?」

「はい」

 

 その光景を監視哨から眺めていたブリタニア軍の士官は、形の良い眉を顰めた。

 ウェールズ出身の獣人種に多く見られる狐の耳が微かに揺れる。

 

 ノーフォーク連隊でも古参の士官――ライオネル・ファーロウ少尉。

 

 ナイフのように鋭い眼光を背後へ向け、報告を続けるよう促す。

 

「迷宮からコボルトやクリッパーが姿を消している、と」

「ふむ」

 

 直立不動のラッセル軍曹は、微かに緊張した面持ちで告げる。

 現在、ウェストベルク迷宮では異変が発生していた。

 迷宮を跋扈する怪物たちが突如として姿を消したのだ。

 

「何かしらの異変が生じていると見るべきだな」

 

 ライオネルは銃眼を覗き、迷宮の出入口に集まったカーキ色の人影を見遣る。

 彼らは糧を求めて迷宮へ潜るろ(・)く(・)で(・)な(・)し(・)たち。

 今は下らない雑談を交え、タバコとカードゲームで時間を潰している。

 

「やはり、音響偵察チームが捉えた爆発音と関係が?」

「どうかな」

 

 緊張感の違いは、ひとえに情報量の差だった。

 砲兵の位置を割り出す音響偵察チームが、迷宮の異変を観測していたのだ。

 

「ともかく報告しなければなるまい」

 

 そう告げるライオネルの表情は、いつになく険しい。

 ウェストベルクに迷宮が出現してから2年、奈落の底で前例のない事態が進行している。

 しかし、ブリタニア軍ウェールズ師団に下されている命令は、政(・)治(・)的(・)な(・)問(・)題(・)から現状維持だ。

 

「ご苦労だった、ラッセル軍曹――」

 

 新任軍曹に労いの言葉をかけた瞬間、ウェストベルクの大気が震える。

 腹の底にまで響く重低音は、まるで獣の唸り声のよう。

 それは誰もが耳にしたことのある警報。

 

「空襲警報?」

 

 久しく聞いていなかった警報に、人々は思わず天を仰いだ。

 鉛色の空に憎たらしい硬式飛行船の姿は見えず、幾人かは誤報を疑った。

 

「対空戦闘用意!」

 

 いち早く思考を切り替えたのは、歴戦のブリタニア軍士官だった。

 たった一声で弛緩した空気を吹き飛ばす。

 ブリタニア兵たちは持ち場へ全速力で駆けていき、水冷式の機関銃が次々と曇天を睨む。

 

「エグバード軍曹は降り口を封鎖。探索者をうろつかせるな」

「了解っ」

 

 ライオネルは強面の先任軍曹を降り口に向かわせ、狭い監視哨から野外へ出る。

 

「少尉、危険ですっ」

「今は空の様子が知りたい」

 

 それを新任軍曹が慌てて追う。

 幾度と空襲を経験しているライオネルは臆することなく、視界の開けた機関銃陣地に立つ。

 

「……降ってきたか」

 

 手にした双眼鏡から水滴が流れ落ち、足元の敷板で弾けた。

 陰鬱な雨の到来に、機関銃の射手が舌打ちを漏らす。

 すぐさま雨のヴェールが世界を覆い、色と熱を奪い去っていく。

 

「V大隊が撃ち始めたようです」

「ああ」

 

 灰色に染まった景色の中、重々しい砲声が響き渡る。

 ウェストベルク郊外に展開する高射砲が射撃を開始したのだ。

 

 懐かしき砲兵の音色、湿った泥の臭い――ウェストベルクに戦場が帰ってきた。

 

 西の空を睨むブリタニア兵たちは、ただ黙して待つ。

 

「…竜でしょうか?」

「それ以外いるまいさ」

 

 双眼鏡を覗くライオネルは、ラッセルの問いを肯定する。

 大戦が終結した今、硬式飛行船や爆撃機が飛来することはない。

 人類が直面している空の脅威といえば、ウェストベルク迷宮が吐き出した飛行生物だった。

 

「あの様子なら近寄って来れないでしょう」

 

 灰色の空を彩る黒い水玉模様。

 打ち上げられた砲弾が次々と炸裂し、乾いた音を地上に降らせる。

 

「ラッセル軍曹、竜を見たことは?」

 

 ライオネルは双眼鏡を覗いたまま、淡々とした口調で新任軍曹に問う。

 その間にも8門の高射砲は砲火を放ち続ける。

 それに負けじと強まる雨足。

 

「写真だけですが、一応は」

「そうか」

 

 サーチライトの光線が灰色を切り裂くも敵影見ず。

 確認を終えた上官が沈黙し、質問の意図が読めぬラッセルは困惑する。

 この時世、竜を知らぬ者などいないだろうに――

 

「……まさか生きていたとはな」

 

 その呟きは誰の耳にも届くことはなく、降り注ぐ雨の音に溶けていった。




 お前もパパにしてやるってんだよ!(CV:大塚芳忠)
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