塹壕帰りの迷宮潜り   作:バショウ科バショウ属

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迷宮の掘出物Ⅷ

 アメリア・クロウリーは孤児だった。

 父親も母親も知らず、ノーフォークにある小さな孤児院が世界の中心。

 そこで温和な神父に育てられた彼女は、諍いとは無縁の心優しい少女だった。

 年長者となってからは年下の面倒を見る良き姉に。

 読み書きを覚え、いつか孤児院に勤めることを夢見た。

 決して裕福とは言えずとも幸せで、平穏な日々を過ごしていた。

 あの忌々しい世界大戦が勃発するまでは。

 総力戦という戦争形態と女性の社会進出が合致した結果、女性も銃を取る時代が訪れた。

 

 声高に叫ばれる正義に流され、アメリアも郷土連隊に志願――そして、死んだ。

 

 1メートルを進む間に100人の命が消し飛ぶ戦場は、彼女の心を壊した。

 前世が東洋人なんて記憶が生えるくらい致命的に。

 もう二度と戻ることはない。

 今、底無迷宮を彷徨う私(ろくでなし)は、アメリア・クロウリーの亡霊だ。

 

※

 

 ドレッドノートの巣を出発してから1時間が経過。

 洞穴の闇に反響する足音は、私たちのものだけ。

 コボルトの意味不明な異言語も、クリッパーの打音も聞こえない。

 不気味な静寂が底無迷宮を支配していた。

 

「静かですね」

「ああ」

 

 戦闘を回避しているのではない。

 そもそも接(・)敵(・)し(・)な(・)い(・)のだ。

 ランタン光が届く範囲に見えるのは、壁面から飛び出た有刺鉄線に絡むブロブだけ。

 

 脚のある連中は移動した――どこへ?

 

 頂点捕食者であるドレッドノートが消えた今、溢れ返りそうなものだが、死骸すら見つからない。

 曲がり角近くを埋める土嚢に張り付き、闇に耳を澄ます。

 やはり気配はない。

 

「行くぞ」

「ん…!」

 

 身を翻して相棒(トレンチガン)を、銃剣の切先を闇へ向ける。

 気配は感じなくとも警戒を怠らずに進む。

 怠ったヤツから死ぬのは、塹壕も迷宮も変わらない。

 鉛を詰められたように重い身体を動かし、進み続ける。

 それ以外に地上へ帰還する方法はない。

 

「……アメリアさん」

 

 背後から聞こえるアルフの控えめな声。

 疲労は滲んでいるが、声色からして緊急性は低い。

 

「どうした?」

 

 進行方向に死角がないことを確認。

 それから改めて背後に視線を送れば、不安に揺れる琥珀色の瞳とかち合う。

 

「どうして出口の方向が分かるんですか…?」

 

 地図も無しに迷宮を進めているのが不思議らしい。

 たしかに現在地は不明だが、地図や魔術技巧(ウィズテク)に頼らずとも帰還の道筋は立てられる。

 

「風だ」

「風?」

 

 進行方向を指差せば、冷たい風が頬を撫でる。

 時が止まっているような錯覚を抱く洞穴の中で、絶えず流動するもの。

 その対流は底無迷宮の息遣いと言い換えてもいい。

 

「今日は雨の影響で地上の気温が低い」

「むふぅ?」

 

 そう言って天井を指差せば、視界の端で揺れ動く触角。

 指先を追う碧い瞳からランタンの照らす突き当たりへ視線を移す。

 風の出所は、行手を遮る木板の隙間だ。

 

「迷宮との温度差で外気が流れ込む。つまり、向かい風が吹く」

 

 洞穴の奥まで対流が生じることは少ないというが、ここは底無迷宮。

 世界大戦の残り滓を取り込む貪欲な怪物は呼(・)吸(・)す(・)る(・)。

 だから、迷宮の奥まで潜っても風は必ず吹く。

 

「必ずしも正解とは限らないが――」

 

 泥塗れの木板にブーツの靴底を叩き込めば、小気味いい音が鳴る。

 二つに割れた板1枚が抜け、無数の靴跡が残る道が覗く。

 鼻先を撫でる風の臭いが変わった。

 

「今日は当たりだな」

 

 忘れたくても忘れられない。

 この雨と泥の入り混じった塹壕そっくりの臭いは、地上が近いことを示す。

 

 ――まさか、本当に当たりを引くとはな。

 

 こんなに早く復帰できるとは思っていなかった。

 一度も接敵していないが、それでも2人を連れて進める距離は知れている。

 運が良かった?

 

「すごいです、アメリアさん!」

 

 アルフは魔法でも見たように瞳を輝かせる。

 この程度の知識は、底無迷宮に潜る上で常識だ。

 

「戻って来れたんですね…!」

 

 だが、この未熟な少年は学ぶ機会を与えられなかった。

 そもそも必要がない世界で生きていた。

 レッドキャズムにさえ捕まらなければ、地上で真っ当な仕事をしていたはずだ。

 

「……まだ気を抜くなよ」

「はい!」

 

 良い返事だよ、まったく。

 苛立ちを蹴飛ばすように残る木板へ一撃を入れると、しっかりした感触が返ってくる。

 腐っていたのは1枚だけか。

 ブリーチ(突破)に必要なバックショット弾の数を数えつつ、ゆっくりと後退。

 

「あえりあ」

 

 ひょっこりと隣から顔を出す銀髪碧眼の娘。

 所作こそ可愛らしいが、その左手には剣呑な輝きがあった。

 

 硬い土を穿つ刃先、持ちやすい長柄――シャベルだ。

 

 捲れ上がったポンチョの裾からは武骨な斧頭とつ(・)る(・)は(・)し(・)が覗く。

 どれも塹壕の白兵戦で見飽きるほど見てきた。

 

「いつの間に拾って……」

 

 硬質な足音が洞穴を反響し、木板の前に異形娘が立つ。

 ポンチョを押し上げ、翅のように広がる4本の腕。

 ランタン光を帯びた刃が赤く瞬いた。

 

「むん!」

 

 掛け声に見合わぬ重い風切り音。

 3本の剣筋が闇を切り裂き、洞穴の地肌を削り飛ばす。

 

 刹那、四散する木片と泥――それは爆発に近かった。

 

 切断というより粉砕、あまりに大雑把で力任せ。

 それは木板どころか支柱の丸太まで引き裂き、新人類の威力を刻み込んでいた。

 人間ならミンチになってる。

 

「むふぅ…!」

 

 戦慄を覚える私を他所に、異形娘は得意げな顔で鼻を鳴らす。

 まるで飼い主に褒められたい犬みたいだ。

 恐れや呆れを通り越して、笑うしかなかった。

 まったく笑い事じゃないが。

 

「ん!」

 

 私より二回りも大きい娘が頭を押しつけ、何かを催促してくる。

 既視感があった。

 似たような光景を見たことがある。

 脳裏の片隅に追いやっていた孤児院の景色がちらつく。

 

 求めるものが分かってしまう――だから、どうした?

 

 目覚めた時、そこに居合わせただけの私に心を許している。

 愚かとしか言いようがない。

 地上に帰還したら、ブリタニア軍に引き渡そうと思ってる女だぞ?

 

「ん!」

 

 目を逸らしても碧い瞳から期待の輝きは消えない。

 

「はぁ……」

 

 気が付いた時には、本日何度目かの溜息が漏れ出していた。

 

「よくやった」

「あう」

 

 ぼさぼさの銀髪に指を通し、絡まった木片を払ってやる。

 ひどく乱雑な撫で方だが、異形娘は心地良さそうに目を細めたまま動かない。

 ますます犬みたいだ。

 

「すごいですね……腕より太い丸太が真っ二つになってますよ」

「ああ」

 

 緊張感のない声に適当な相槌を打ち、口を開けた洞穴の奥を見遣る。

 おそらく私たちがいるのは脇道だ。

 何番坑道に繋がったのか、それは分からない。

 

 だが、帰還の目途は立った――泥の跳ねる音が聞こえた。

 

 反射的に唸ろうとした異形娘に沈黙のジェスチャー。

 それからランタンの光を徐々に絞っていく。

 

「アメリアさん?」

 

 軽くなった口を閉じるよう口元に指を当てる。

 深まる闇の中、なおも近づいてくるのは足(・)音(・)だ。

 この脇道に遮蔽はない。

 2人に壁へ寄るよう示してから、左手を相棒のハンドグリップに添える。

 

 黒い地肌を照らす光――オイルを燃焼させたランタンの灯だ。

 

 相手は同業者か、それともレッドキャズムのお(・)友(・)達(・)か。

 不意に足音が途絶え、痛いほどの静寂が訪れる。

 派手に音を立てた以上、こっちの位置は露呈している。

 奇襲は通じないだろう。

 

「女王陛下が飼ってる犬の名は!」

 

 塹壕で何度も交わしてきた合言葉が、底無迷宮に響き渡る。

 聞き覚えのある優男の声で。

 

「スーザン」

 

 間違えるはずがない。

 私の応答を聞いた瞬間、張り詰めた空気が霧散する。

 ほぼ同時に、私たちは気怠げな溜息を吐く。

 

「驚かすなよ、アメリア」

 

 見慣れたブリタニア軍の野戦服が視界に入る。

 同業者の中でも擦り切れてない、兵士を続けてる男。

 昨夜、ありがたい忠告をくれたチェスター・ロックハートだ。

 

「そんなつもりはなかった」

 

 トレンチガンの引金から指を離し、ランタンのカバーを外す。

 今日は怖いくらい引(・)き(・)が強い。

 

「今日は一段と酷い格好だな。グーラ(食人鬼)なんて目じゃないぜ」

「そうかい」

 

 一見朗らかに笑っているが、チェスターの目は笑っていない。

 常に単独行(ソロ)で潜ってた私が見慣れぬ同行者を連れていれば、警戒して当然だ。

 班員の命を預かる優男には説明が必要だろう。

 

「…連れがいるなんて珍しいな?」

「色々あったのさ」

 

 本当に。

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