塹壕帰りの迷宮潜り   作:バショウ科バショウ属

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迷宮の掘出物Ⅷ

 アメリア・クロウリーは孤児だった。

 父親も母親も知らず、ノーフォークにある小さな孤児院が世界の中心。

 そこで温和な神父に育てられた彼女は、諍いとは無縁の心優しい少女だった。

 年長者となってからは年下の面倒を見る良き姉に。

 読み書きを覚え、いつか孤児院に勤めることを夢見た。

 決して裕福とは言えずとも幸せで、平穏な日々を過ごしていた。

 あの忌々しい世界大戦が勃発するまでは。

 総力戦という戦争形態と女性の社会進出が合致した結果、女性も銃を取る時代が訪れた。

 

 声高に叫ばれる正義に流され、アメリアも郷土連隊に志願――そして、死んだ。

 

 1メートルを進む間に100人の命が消し飛ぶ戦場は、彼女の心を壊した。

 前世が東洋人なんて記憶が生えるくらい致命的に。

 もう二度と戻ることはない。

 今、底無迷宮を彷徨う(ろくでなし)は、アメリア・クロウリーの亡霊だ。

 

 

 ドレッドノートの巣を出発してから1時間が経過。

 洞穴の闇に反響する足音は、私たちのものだけ。

 コボルトの意味不明な異言語も、クリッパーの打音も聞こえない。

 不気味な静寂が底無迷宮を支配していた。

 

「静かですね」

「ああ」

 

 戦闘を回避しているのではない。

 そもそも()()()()()のだ。

 ランタン光が届く範囲に見えるのは、壁面から飛び出た有刺鉄線に絡むブロブだけ。

 

 脚のある連中は移動した――どこへ?

 

 頂点捕食者であるドレッドノートが消えた今、溢れ返りそうなものだが、死骸すら見つからない。

 曲がり角近くを埋める土嚢に張り付き、闇に耳を澄ます。

 やはり気配はない。

 

「行くぞ」

「ん…!」

 

 身を翻して相棒(トレンチガン)を、銃剣の切先を闇へ向ける。

 気配は感じなくとも警戒を怠らずに進む。

 怠ったヤツから死ぬのは、塹壕も迷宮も変わらない。

 鉛を詰められたように重い身体を動かし、進み続ける。

 それ以外に地上へ帰還する方法はない。

 

「……アメリアさん」

 

 背後から聞こえるアルフの控えめな声。

 疲労は滲んでいるが、声色からして緊急性は低い。

 

「どうした?」

 

 進行方向に死角がないことを確認。

 それから改めて背後に視線を送れば、不安に揺れる琥珀色の瞳とかち合う。

 

「どうして出口の方向が分かるんですか…?」

 

 地図も無しに迷宮を進めているのが不思議らしい。

 たしかに現在地は不明だが、地図や魔術技巧(ウィズテク)に頼らずとも帰還の道筋は立てられる。

 

「風だ」

「風?」

 

 進行方向を指差せば、冷たい風が頬を撫でる。

 時が止まっているような錯覚を抱く洞穴の中で、絶えず流動するもの。

 その対流は底無迷宮の息遣いと言い換えてもいい。

 

「今日は雨の影響で地上の気温が低い」

「むふぅ?」

 

 そう言って天井を指差せば、視界の端で揺れ動く触角。

 指先を追う碧い瞳からランタンの照らす突き当たりへ視線を移す。

 風の出所は、行手を遮る木板の隙間だ。

 

「迷宮との温度差で外気が流れ込む。つまり、向かい風が吹く」

 

 洞穴の奥まで対流が生じることは少ないというが、ここは底無迷宮。

 世界大戦の残り滓を取り込む貪欲な怪物は()()()()

 だから、迷宮の奥まで潜っても風は必ず吹く。

 

「必ずしも正解とは限らないが――」

 

 泥塗れの木板にブーツの靴底を叩き込めば、小気味いい音が鳴る。

 二つに割れた板1枚が抜け、無数の靴跡が残る道が覗く。

 鼻先を撫でる風の臭いが変わった。

 

「今日は当たりだな」

 

 忘れたくても忘れられない。

 この雨と泥の入り混じった塹壕そっくりの臭いは、地上が近いことを示す。

 

 ――まさか、本当に当たりを引くとはな。

 

 こんなに早く復帰できるとは思っていなかった。

 一度も接敵していないが、それでも2人を連れて進める距離は知れている。

 運が良かった?

 

「すごいです、アメリアさん!」

 

 アルフは魔法でも見たように瞳を輝かせる。

 この程度の知識は、底無迷宮に潜る上で常識だ。

 

「戻って来れたんですね…!」

 

 だが、この未熟な少年は学ぶ機会を与えられなかった。

 そもそも必要がない世界で生きていた。

 レッドキャズムにさえ捕まらなければ、地上で真っ当な仕事をしていたはずだ。

 

「……まだ気を抜くなよ」

「はい!」

 

 良い返事だよ、まったく。

 苛立ちを蹴飛ばすように残る木板へ一撃を入れると、しっかりした感触が返ってくる。

 腐っていたのは1枚だけか。

 ブリーチ(突破)に必要なバックショット弾の数を数えつつ、ゆっくりと後退。

 

「あえりあ」

 

 ひょっこりと隣から顔を出す銀髪碧眼の娘。

 所作こそ可愛らしいが、その左手には剣呑な輝きがあった。

 

 硬い土を穿つ刃先、持ちやすい長柄――シャベルだ。

 

 捲れ上がったポンチョの裾からは武骨な斧頭と()()()()が覗く。

 どれも塹壕の白兵戦で見飽きるほど見てきた。

 

「いつの間に拾って……」

 

 硬質な足音が洞穴を反響し、木板の前に異形娘が立つ。

 ポンチョを押し上げ、翅のように広がる4本の腕。

 ランタン光を帯びた刃が赤く瞬いた。

 

「むん!」

 

 掛け声に見合わぬ重い風切り音。

 3本の剣筋が闇を切り裂き、洞穴の地肌を削り飛ばす。

 

 刹那、四散する木片と泥――それは爆発に近かった。

 

 切断というより粉砕、あまりに大雑把で力任せ。

 それは木板どころか支柱の丸太まで引き裂き、新人類の威力を刻み込んでいた。

 人間ならミンチになってる。

 

「むふぅ…!」

 

 戦慄を覚える私を他所に、異形娘は得意げな顔で鼻を鳴らす。

 まるで飼い主に褒められたい犬みたいだ。

 恐れや呆れを通り越して、笑うしかなかった。

 まったく笑い事じゃないが。

 

「ん!」

 

 私より二回りも大きい娘が頭を押しつけ、何かを催促してくる。

 既視感があった。

 似たような光景を見たことがある。

 脳裏の片隅に追いやっていた孤児院の景色がちらつく。

 

 求めるものが分かってしまう――だから、どうした?

 

 目覚めた時、そこに居合わせただけの私に心を許している。

 愚かとしか言いようがない。

 地上に帰還したら、ブリタニア軍に引き渡そうと思ってる女だぞ?

 

「ん!」

 

 目を逸らしても碧い瞳から期待の輝きは消えない。

 

「はぁ……」

 

 気が付いた時には、本日何度目かの溜息が漏れ出していた。

 

「よくやった」

「あう」

 

 ぼさぼさの銀髪に指を通し、絡まった木片を払ってやる。

 ひどく乱雑な撫で方だが、異形娘は心地良さそうに目を細めたまま動かない。

 ますます犬みたいだ。

 

「すごいですね……腕より太い丸太が真っ二つになってますよ」

「ああ」

 

 緊張感のない声に適当な相槌を打ち、口を開けた洞穴の奥を見遣る。

 おそらく私たちがいるのは脇道だ。

 何番坑道に繋がったのか、それは分からない。

 

 だが、帰還の目途は立った――泥の跳ねる音が聞こえた。

 

 反射的に唸ろうとした異形娘に沈黙のジェスチャー。

 それからランタンの光を徐々に絞っていく。

 

「アメリアさん?」

 

 軽くなった口を閉じるよう口元に指を当てる。

 深まる闇の中、なおも近づいてくるのは()()だ。

 この脇道に遮蔽はない。

 2人に壁へ寄るよう示してから、左手を相棒のハンドグリップに添える。

 

 黒い地肌を照らす光――オイルを燃焼させたランタンの灯だ。

 

 相手は同業者か、それともレッドキャズムの()()()か。

 不意に足音が途絶え、痛いほどの静寂が訪れる。

 派手に音を立てた以上、こっちの位置は露呈している。

 奇襲は通じないだろう。

 

「女王陛下が飼ってる犬の名は!」

 

 塹壕で何度も交わしてきた合言葉が、底無迷宮に響き渡る。

 聞き覚えのある優男の声で。

 

「スーザン」

 

 間違えるはずがない。

 私の応答を聞いた瞬間、張り詰めた空気が霧散する。

 ほぼ同時に、私たちは気怠げな溜息を吐く。

 

「驚かすなよ、アメリア」

 

 見慣れたブリタニア軍の野戦服が視界に入る。

 同業者の中でも擦り切れてない、兵士を続けてる男。

 昨夜、ありがたい忠告をくれたチェスター・ロックハートだ。

 

「そんなつもりはなかった」

 

 トレンチガンの引金から指を離し、ランタンのカバーを外す。

 今日は怖いくらい()()が強い。

 

「今日は一段と酷い格好だな。グーラ(食人鬼)なんて目じゃないぜ」

「そうかい」

 

 一見朗らかに笑っているが、チェスターの目は笑っていない。

 常に単独行(ソロ)で潜ってた私が見慣れぬ同行者を連れていれば、警戒して当然だ。

 班員の命を預かる優男には説明が必要だろう。

 

「…連れがいるなんて珍しいな?」

「色々あったのさ」

 

 本当に。

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