塹壕帰りの迷宮潜り   作:バショウ科バショウ属

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迷宮の掘出物Ⅱ

 この街は臭くてたまらない。

 軍服に染みついた血と硝煙の臭い、浮浪者どもの饐えた臭い、娼婦の甘ったるい香水の臭い。

 だが、一番我慢ならないのは虫除けの臭いだ。

 迷宮から湧き出たアリを追い払うそれは、俺の鼻をも打ちのめす。

 穴底だけが俺たちの居場所さ。

 

 ――ジム・フィンチ著作『探索者ジム』より抜粋。

 

※

 

 夜明け前に一雨来たらしい。

 路地を囲むレンガの壁面が軽く湿っているし、にちゃりとした泥の感触が靴底から伝わってくる。

 新興迷宮都市は足元が迷宮という特性から舗装できない。

 おかげで、この有様だ。

 

「…今日も仕事か?」

 

 路地の端に寝転がっていた男が、もぞもぞと芋虫みたいに起き上がった。

 シラミだらけの毛布を纏い、汚物の臭いを漂わせている。

 掃いて捨てるほど見てきた兵士の、失業者の末路だ。

 

「ああ」

「物好きだねぇ」

 

 特に取り合うこともなく脇を通り抜け、表通りを目指す。

 構うだけ時間の無駄だ。

 

 薄暗くても行先は見える路地――迷宮より多少はマシ。

 

 新興迷宮都市の始まりは連合軍のバラック街だ。

 どの国も復興で手が回らず、杜撰な都市計画が罷り通った。

 その結果、利便性の欠片もない街が出来上がる。

 

「そんなに死にてぇなら、俺が――」

 

 死に損ないの濁声が届く前に、表通りの喧騒へ身を投じる。

 まったく、どうでもいい雑音だ。

 舌打ちする価値もない。

 相棒の銃口を下に、とめどなく流れる人の波を縫うように進む。

 

「今朝、8番通りで死体が出たんだってな」

「レッドキャズムの連中だろ、それ?」

「ガリアの色男!? 玉葱野郎のタマを見たらがっかりするぞ!」

「迷宮でボンベを見つけたら触るな。いいか、忘れるなよ!」

「マーケットは西ぃ! マーケットは西で開催中ぅ!」

 

 人、人、人。

 表通りを行き来するウェストベルクの住人は年齢や性別、人種や宗教、すべてが雑多。

 ろくに整備されていない街だが、迷宮の産出物目当ての人間が集まってくる。

 道の先が見えないほどだ。

 

 泥を踏み散らしながら、軍服の隙間を潜り――かつんとヘルメットが揺れる。

 

 そこそこの衝撃が頭頂部から首まで走った。

 この硬さ、間違いなくライフルの銃床だ。

 

「なんだぁ、このガキ」

 

 頭上から降ってくる剣呑な声。

 声の主は、担いでいたライフルをわ(・)ざ(・)と(・)横に張り出してくれた元ブリタニア兵だ。

 行手を阻むように立ち、私を見下ろす目には嘲笑の色が浮かぶ。

 

「人様から物を盗ろうなんて、痛い目に遭いてぇらしいな?」

 

 強請りの類か。

 見慣れたカーキ色の軍服は新品同然だが、ライフルは年季が入った払い下げ品。

 この頭が空っぽな暴力性を見るに、こいつは新参者だろう。

 暖かくなると湧く虫みたいなものだ。

 

「言いたいことはそれだけか」

「あぁ?」

 

 図体だけのバカが凄んでも小鳥の囀りにしか聞こえない。

 とはいえ、嘗められると仕事にならないから丁重にも(・)て(・)な(・)す(・)。

 命が廉価販売されてるウェストベルクで、交渉の最適解は一つ。

 相棒(トレンチガン)のハンドグリップに手を添え――

 

「やめろ、デリック」

 

 バカの連れと思しき男が間に割って入る。

 装備の具合は似たり寄ったりだが、眼鏡のおかげで多少知的。

 引金に指は置いたまま、2人の動向を窺う。

 

「止めんなよ、このガキを」

「よく見ろっ」

 

 切羽詰まった声が響き渡り、通行人の視線が集まる。

 私を見てから薄ら笑いを浮かべる者がちらほら。

 見世物じゃないぞ、ろくでなしども。

 

「こいつ、鮮血のアメリアだ」

 

 震える唇が紡いだ単語は、ひどく不快な響きをしていた。

 

「は?」

 

 デリックとやらは鳩が豆鉄砲を食ったみたいな間抜け面を晒す。

 その視線がトレンチガンへ向き、徐々に表情が歪んでいく。

 銃口を前にしたシュトラール兵そっくりだ。

 

「自治領兵(ANZAC)の次は本国兵か」

 

 そう吐き捨て、ちょっと口角を上げてやれば威圧は十分。

 ほら、2人組の足が後退を始めてる。

 相棒で脅かすまでもない。

 

「く、くそっ…冗談じゃねぇ!」

「おい、待てよっ」

 

 陳腐な捨て台詞を残し、元ブリタニア兵2人組は慌てて立ち去っていく。

 そのまま故郷に帰って職でも探せばいいものを。

 往来の中心で溜息を吐けば、湿った泥の臭いが鼻を撫でる。

 惨めな気分にしてくれる臭いだ。

 

「とんだ腰抜け野郎ね」

「そう言ってやるな。ありゃ相手が悪い」

「ワーカー狙いで楽に稼いでるだけですよ、彼女」

「迷宮の奥を目指さない野良犬さ」

 

 周囲から聞こえる雑音は、どれも聞くに堪えない。

 2年前は英雄扱いしたくせに今やこ(・)れ(・)だ。

 塹壕を這い出たら、神も英雄もいなくなる。

 トレンチガンの引金から指を引き剥がし、ヘルメットを被り直す。

 

「――相変わらず除け者だなぁ、アメリア」

 

 馴れ馴れしく私を呼ぶのは、小汚いジャケットを羽織った男。

 ロバ1頭を繋いだ荷車に背中を預け、呑気に葉巻を吹かしている。

 今日は、よく足止めされる日だ。

 

「ひっひっひっ……そんな不景気な面だと美人が台無しだぜぇ?」

 

 流れ始める人の波を抜け、道端の荷車まで歩み寄る。

 ハンチング帽から猫耳を覗かせる男は、ガキと間違えられる私よりも身長が低い。

 それが逆に独特の存在感を醸している。

 

「…不景気な面は元からだ、ジム」

「そうかい」

 

 ジムは丸眼鏡の奥で目を細め、葉巻の灰を車輪近くに落とす。

 

「今日は闇市(マーケット)じゃないのか」

 

 闇市には様々な商品――迷宮産出物や遺品、銃に弾、薬、エトセトラ――が並ぶ。

 その中でもジムは専ら銃を取り扱う商人だった。

 

「向こうは騒がしくなりそうでね……物騒でいけねぇや、ひっひっひっ」

 

 西の方角へ視線を投げ、愉快そうに肩を揺らす。

 まるで困った様子がない。

 布切れに隠された荷台の商品が捌けなければ赤字だろうに。

 

「どうだい、アメリア。何か買っていかないか?」

 

 私の視線を追って笑みを深めたジムは、荷車を軽く小突いてみせる。

 そんなことだろうと思ったよ。

 

「12ゲージのバックショット弾」

「当然、揃えてるぜ……だがよぉ、アメリア」

 

 ジムは溜息ごと紫煙を吐き出し、葉巻の先で相棒を指した。

 次に来る言葉は予想がつくから先んじて言っておく。

 

「こいつから変えるつもりはない」

「ひっひっひっ……そいつも気に入られたもんだ」

 

 相棒とは塹壕の中を這い回り、何人ものシュトラール兵を殺してきた。

 戦友であり共犯者。

 この世に代わりはいない。

 

「なら、新しい弾はどうだ?」

「コボルトを転がすのにバックショット弾以上は必要ない」

「まぁまぁ、そう言うなって」

 

 胡散臭い笑みを浮かべ、ジムは荷台へ向き直る。

 その際に葉巻の灰を軽く落としていく。

 

 すると、車輪に集っていた黒い塊――アリたちは一斉に退散する。

 

 ただのアリじゃない。

 大戦の忘れ物が迷宮に埋まっている理由であり、新興迷宮都市が舗装できない原因。

 小指の爪先くらいしかないアリは、地上の資源を食らう迷宮の食指だ。

 

「虫除け、相変わらず付けてないんだな」

「ありゃ臭くていけねぇ……鼻が曲がっちまう」

 

 ジムは妙なこだわりがある。

 ウェストベルクでは必需品とされる虫除けを付けようとしない。

 一晩放置すれば、自転車くらいの代物は迷宮に食われる。

 どうやって商品を守ってるのやら。

 

「あったあった」

 

 荷台から取り出した木箱を開き、手招きしてくるジム。

 買うつもりはないが、何かと世話になってる相手だ。

 これも付き合いと割り切る。

 

「こいつは魔術技巧(ウィズテク)製の弾丸……いわゆる魔弾ってやつらしいぜ」

 

 覗き込んだ木箱の中には、1発の弾丸が包まれていた。

 12ゲージのスラッグ弾のようだが、解読不能の文字が隙間なく書き連ねられている。

 

「これが?」

「竜も殺すって触れ込みよぉ」

 

 あからさまに怪しい。

 迷宮から稀に産出する魔術技巧は、既存の科学を凌駕する代物ばかりだと言われている。

 国が挙って買い取り、市場に出回ることは滅多にない。

 出回っているとすれば――

 

「バックショット弾、1箱付けるぜ」

 

 偽物と白状したも同然。

 不良在庫を捌くつもりで呼び止めたな、このドラ猫。

 半眼で見下ろせば、媚を売るような胡散臭い笑みが返ってくる。

 葉巻の先から灰が零れた。

 

「はぁ……安くしろよ」

 

 在庫処分に付き合うのは癪だが、12ゲージの弾は存外入手が難しい。

 残弾も心許ないところだった。

 安く手に入るなら、多少は目を瞑る。

 

「もちろん」

 

 ジムは待ってましたと言わんばかりに荷台から紙箱を取り出した。

 提示された値段は、バックショット弾1箱より若干割高。

 

 おまけが付くなら悪くない買い物――のはずだ。

 

 そう言い聞かせながら、ハバーサックに紙箱を突っ込む。

 魔弾とやらはポーチの下に捻じ込んでおく。

 

「アメリア、今日は買ってくれた礼に色をつけとくよ」

 

 上機嫌に語りかけてくるジムは私を見ていない。

 短くなった葉巻を足元へ放り、ロバの手綱を握る。

 

「レッドキャズムが迷宮の裏口をノックした」

 

 まるで世間話でもするように、商人は商(・)品(・)を売った。

 

「ばったり会わないよう気をつけろぉ……ひっひっひっ」

 

 回り出した車輪が泥も葉巻も踏み潰す。

 耳障りな笑い声だけ残し、ジムと荷車は行き交う人の波間へと消えた。

 

「裏口、か……」

 

 泥に刻まれた轍を見下ろし、商人の言葉を反芻する。

 レッドキャズムの目的が報復なら地上で仕掛けるはず。

 複数の坑道に分かれた迷宮は広く、怪物と遭遇すれば報復どころではない。

 なぜ、連中は潜った?

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