塹壕帰りの迷宮潜り   作:バショウ科バショウ属

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迷宮の掘出物Ⅱ

 この街は臭くてたまらない。

 軍服に染みついた血と硝煙の臭い、浮浪者どもの饐えた臭い、娼婦の甘ったるい香水の臭い。

 だが、一番我慢ならないのは虫除けの臭いだ。

 迷宮から湧き出たアリを追い払うそれは、俺の鼻をも打ちのめす。

 穴底だけが俺たちの居場所さ。

 

 ――ジム・フィンチ著作『探索者ジム』より抜粋。

 

 

 夜明け前に一雨来たらしい。

 路地を囲むレンガの壁面が軽く湿っているし、にちゃりとした泥の感触が靴底から伝わってくる。

 新興迷宮都市は足元が迷宮という特性から舗装できない。

 おかげで、この有様だ。

 

「…今日も仕事か?」

 

 路地の端に寝転がっていた男が、もぞもぞと芋虫みたいに起き上がった。

 シラミだらけの毛布を纏い、汚物の臭いを漂わせている。

 掃いて捨てるほど見てきた兵士の、失業者の末路だ。

 

「ああ」

「物好きだねぇ」

 

 特に取り合うこともなく脇を通り抜け、表通りを目指す。

 構うだけ時間の無駄だ。

 

 薄暗くても行先は見える路地――迷宮より多少はマシ。

 

 新興迷宮都市の始まりは連合軍のバラック街だ。

 どの国も復興で手が回らず、杜撰な都市計画が罷り通った。

 その結果、利便性の欠片もない街が出来上がる。

 

「そんなに死にてぇなら、俺が――」

 

 死に損ないの濁声が届く前に、表通りの喧騒へ身を投じる。

 まったく、どうでもいい雑音だ。

 舌打ちする価値もない。

 相棒の銃口を下に、とめどなく流れる人の波を縫うように進む。

 

「今朝、8番通りで死体が出たんだってな」

「レッドキャズムの連中だろ、それ?」

「ガリアの色男!? 玉葱野郎のタマを見たらがっかりするぞ!」

「迷宮でボンベを見つけたら触るな。いいか、忘れるなよ!」

「マーケットは西ぃ! マーケットは西で開催中ぅ!」

 

 人、人、人。

 表通りを行き来するウェストベルクの住人は年齢や性別、人種や宗教、すべてが雑多。

 ろくに整備されていない街だが、迷宮の産出物目当ての人間が集まってくる。

 道の先が見えないほどだ。

 

 泥を踏み散らしながら、軍服の隙間を潜り――かつんとヘルメットが揺れる。

 

 そこそこの衝撃が頭頂部から首まで走った。

 この硬さ、間違いなくライフルの銃床だ。

 

「なんだぁ、このガキ」

 

 頭上から降ってくる剣呑な声。

 声の主は、担いでいたライフルを()()()横に張り出してくれた元ブリタニア兵だ。

 行手を阻むように立ち、私を見下ろす目には嘲笑の色が浮かぶ。

 

「人様から物を盗ろうなんて、痛い目に遭いてぇらしいな?」

 

 強請りの類か。

 見慣れたカーキ色の軍服は新品同然だが、ライフルは年季が入った払い下げ品。

 この頭が空っぽな暴力性を見るに、こいつは新参者だろう。

 暖かくなると湧く虫みたいなものだ。

 

「言いたいことはそれだけか」

「あぁ?」

 

 図体だけのバカが凄んでも小鳥の囀りにしか聞こえない。

 とはいえ、嘗められると仕事にならないから丁重に()()()()

 命が廉価販売されてるウェストベルクで、交渉の最適解は一つ。

 相棒(トレンチガン)のハンドグリップに手を添え――

 

「やめろ、デリック」

 

 バカの連れと思しき男が間に割って入る。

 装備の具合は似たり寄ったりだが、眼鏡のおかげで多少知的。

 引金に指は置いたまま、2人の動向を窺う。

 

「止めんなよ、このガキを」

「よく見ろっ」

 

 切羽詰まった声が響き渡り、通行人の視線が集まる。

 私を見てから薄ら笑いを浮かべる者がちらほら。

 見世物じゃないぞ、ろくでなしども。

 

「こいつ、鮮血のアメリアだ」

 

 震える唇が紡いだ単語は、ひどく不快な響きをしていた。

 

「は?」

 

 デリックとやらは鳩が豆鉄砲を食ったみたいな間抜け面を晒す。

 その視線がトレンチガンへ向き、徐々に表情が歪んでいく。

 銃口を前にしたシュトラール兵そっくりだ。

 

自治領兵(ANZAC)の次は本国兵か」

 

 そう吐き捨て、ちょっと口角を上げてやれば威圧は十分。

 ほら、2人組の足が後退を始めてる。

 相棒で脅かすまでもない。

 

「く、くそっ…冗談じゃねぇ!」

「おい、待てよっ」

 

 陳腐な捨て台詞を残し、元ブリタニア兵2人組は慌てて立ち去っていく。

 そのまま故郷に帰って職でも探せばいいものを。

 往来の中心で溜息を吐けば、湿った泥の臭いが鼻を撫でる。

 惨めな気分にしてくれる臭いだ。

 

「とんだ腰抜け野郎ね」

「そう言ってやるな。ありゃ相手が悪い」

「ワーカー狙いで楽に稼いでるだけですよ、彼女」

「迷宮の奥を目指さない野良犬さ」

 

 周囲から聞こえる雑音は、どれも聞くに堪えない。

 2年前は英雄扱いしたくせに今や()()だ。

 塹壕を這い出たら、神も英雄もいなくなる。

 トレンチガンの引金から指を引き剥がし、ヘルメットを被り直す。

 

「――相変わらず除け者だなぁ、アメリア」

 

 馴れ馴れしく私を呼ぶのは、小汚いジャケットを羽織った男。

 ロバ1頭を繋いだ荷車に背中を預け、呑気に葉巻を吹かしている。

 今日は、よく足止めされる日だ。

 

「ひっひっひっ……そんな不景気な面だと美人が台無しだぜぇ?」

 

 流れ始める人の波を抜け、道端の荷車まで歩み寄る。

 ハンチング帽から猫耳を覗かせる男は、ガキと間違えられる私よりも身長が低い。

 それが逆に独特の存在感を醸している。

 

「…不景気な面は元からだ、ジム」

「そうかい」

 

 ジムは丸眼鏡の奥で目を細め、葉巻の灰を車輪近くに落とす。

 

「今日は闇市(マーケット)じゃないのか」

 

 闇市には様々な商品――迷宮産出物や遺品、銃に弾、薬、エトセトラ――が並ぶ。

 その中でもジムは専ら銃を取り扱う商人だった。

 

「向こうは騒がしくなりそうでね……物騒でいけねぇや、ひっひっひっ」

 

 西の方角へ視線を投げ、愉快そうに肩を揺らす。

 まるで困った様子がない。

 布切れに隠された荷台の商品が捌けなければ赤字だろうに。

 

「どうだい、アメリア。何か買っていかないか?」

 

 私の視線を追って笑みを深めたジムは、荷車を軽く小突いてみせる。

 そんなことだろうと思ったよ。

 

「12ゲージのバックショット弾」

「当然、揃えてるぜ……だがよぉ、アメリア」

 

 ジムは溜息ごと紫煙を吐き出し、葉巻の先で相棒を指した。

 次に来る言葉は予想がつくから先んじて言っておく。

 

「こいつから変えるつもりはない」

「ひっひっひっ……そいつも気に入られたもんだ」

 

 相棒とは塹壕の中を這い回り、何人ものシュトラール兵を殺してきた。

 戦友であり共犯者。

 この世に代わりはいない。

 

「なら、新しい弾はどうだ?」

「コボルトを転がすのにバックショット弾以上は必要ない」

「まぁまぁ、そう言うなって」

 

 胡散臭い笑みを浮かべ、ジムは荷台へ向き直る。

 その際に葉巻の灰を軽く落としていく。

 

 すると、車輪に集っていた黒い塊――アリたちは一斉に退散する。

 

 ただのアリじゃない。

 大戦の忘れ物が迷宮に埋まっている理由であり、新興迷宮都市が舗装できない原因。

 小指の爪先くらいしかないアリは、地上の資源を食らう迷宮の食指だ。

 

「虫除け、相変わらず付けてないんだな」

「ありゃ臭くていけねぇ……鼻が曲がっちまう」

 

 ジムは妙なこだわりがある。

 ウェストベルクでは必需品とされる虫除けを付けようとしない。

 一晩放置すれば、自転車くらいの代物は迷宮に食われる。

 どうやって商品を守ってるのやら。

 

「あったあった」

 

 荷台から取り出した木箱を開き、手招きしてくるジム。

 買うつもりはないが、何かと世話になってる相手だ。

 これも付き合いと割り切る。

 

「こいつは魔術技巧(ウィズテク)製の弾丸……いわゆる魔弾ってやつらしいぜ」

 

 覗き込んだ木箱の中には、1発の弾丸が包まれていた。

 12ゲージのスラッグ弾のようだが、解読不能の文字が隙間なく書き連ねられている。

 

「これが?」

「竜も殺すって触れ込みよぉ」

 

 あからさまに怪しい。

 迷宮から稀に産出する魔術技巧は、既存の科学を凌駕する代物ばかりだと言われている。

 国が挙って買い取り、市場に出回ることは滅多にない。

 出回っているとすれば――

 

「バックショット弾、1箱付けるぜ」

 

 偽物と白状したも同然。

 不良在庫を捌くつもりで呼び止めたな、このドラ猫。

 半眼で見下ろせば、媚を売るような胡散臭い笑みが返ってくる。

 葉巻の先から灰が零れた。

 

「はぁ……安くしろよ」

 

 在庫処分に付き合うのは癪だが、12ゲージの弾は存外入手が難しい。

 残弾も心許ないところだった。

 安く手に入るなら、多少は目を瞑る。

 

「もちろん」

 

 ジムは待ってましたと言わんばかりに荷台から紙箱を取り出した。

 提示された値段は、バックショット弾1箱より若干割高。

 

 おまけが付くなら悪くない買い物――のはずだ。

 

 そう言い聞かせながら、ハバーサックに紙箱を突っ込む。

 魔弾とやらはポーチの下に捻じ込んでおく。

 

「アメリア、今日は買ってくれた礼に色をつけとくよ」

 

 上機嫌に語りかけてくるジムは私を見ていない。

 短くなった葉巻を足元へ放り、ロバの手綱を握る。

 

「レッドキャズムが迷宮の裏口をノックした」

 

 まるで世間話でもするように、商人は()()を売った。

 

「ばったり会わないよう気をつけろぉ……ひっひっひっ」

 

 回り出した車輪が泥も葉巻も踏み潰す。

 耳障りな笑い声だけ残し、ジムと荷車は行き交う人の波間へと消えた。

 

「裏口、か……」

 

 泥に刻まれた轍を見下ろし、商人の言葉を反芻する。

 レッドキャズムの目的が報復なら地上で仕掛けるはず。

 複数の坑道に分かれた迷宮は広く、怪物と遭遇すれば報復どころではない。

 なぜ、連中は潜った?

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