たった1発の爆弾がアルフ・ガーラントの人生を一変させた。
家は焼け落ち、母親は瓦礫の下に、残されたものは妹だけ。
明日の配給も分からぬ日々、ガーラント兄妹に手を差し伸べる者はいなかった。
それでも戦時下は働き口があり、辛うじて飢えを凌ぐことができた。
しかし、休戦によって職を失った日、アルフは決断を迫られる――
「くそったれがっ」
口汚い罵声。
暗転した世界に星が飛ぶ。
一瞬遠のいていた意識が戻り、全身が鈍い痛みを訴えてくる。
床に突っ伏するアルフは腫れ上がった瞼を微かに開く。
「戻って来たのはガキ1匹、まったく冗談じゃねぇ」
泥に汚れた靴底が視界を覆い、鉄臭さが口の中に広がる。
「うぐっ……」
頭を踏みつけられ、乾いた喉から呻き声を漏らす。
理不尽な暴力に抵抗する術はない。
それは強者の理論だとアルフは心の中で反論する。
元軍人を易々と殺せてしまう彼女に理解できるはずがない。
弱者は何も選べないのだ。
「これからどうする、サディアス」
「ああ?」
サディアスと呼ばれた醜男はアルフを踏みつけたまま、部下へ鋭い眼光を返す。
銃器に薬物、人身売買まで扱うストリートギャング――レッドキャズムのボス。
そして、アルフの飼い主でもある男だ。
妹を商品にされないため、自ら首輪を付けた少年は埃臭い床で息を殺す。
「ジョーがいない今、ここにもカモッラが来るぞ」
「昨日は6人やられた……潮時だぜ、サディアス」
赤いバンダナで口元を隠す男たちが次々と不安を口にする。
雇っていた腕利きの元軍人を殺され、レッドキャズムは自衛すら怪しい状況に陥っていた。
彼らの未来を暗示するように、天井の白熱球が不規則に明滅する。
「腑抜けたこと言ってんじゃねぇよ」
アルフの頭からブーツを退け、唾を吐き捨てるサディアス。
彼に逃走という選択肢はない。
立ち上がった醜男は白熱球を背に隠し、部下の男たちを見下ろす。
その巨躯が放つ威圧感は、相対した者を萎縮させる。
「アメリアは殺す、絶対にな」
サディアスの口から恩人の名前が飛び出し、アルフは無意識のうちに身を固くする。
「あんなチビ、どうでもいいだろ」
薄暗い室内に響く声には、嘲笑の色があった。
しかし、その貧弱な体躯は到底軍人には見えず、塹壕帰りという肩書を訝しむ者は少なくない。
「ジョーを殺ったのはブリタニア軍に決まってる」
「脱走兵って話だったからな」
地上の彼女しか知らない男たちもまた外見で判断する側だった。
目撃者であるアルフへ真実を問い質そうともしない。
「そういえば……鮮血のアメリアとか呼ばれてたか?」
「鮮血が出るのは下の方だろ!」
「あんなに小さいんじゃな!」
わざとらしい下卑た笑い声は、現実から目を逸らすための虚勢。
本物を目にしたアルフには、それが如何に愚かしいか理解できた。
そのまま
「真実はどうでもいい」
低俗な会話を切って捨てるサディアス。
赤いバンダナを口元に巻けば、ナイフのように鋭利な眼差しが強調される。
「大事なのは、落とし前と
男たちは下卑た笑みを消し、一斉に口を噤む。
静まり返った室内には、羽虫が白熱球に当たる音だけが響く。
「鮮血のアメリアを殺して、舐め腐ったカモッラどもに警告する」
自信に満ちたサディアスの態度に、アルフは言い知れぬ不安を覚えた。
レッドキャズムのボスは外見に反して頭が切れる。
揺れる赤いバンダナは、まるで狡猾な肉食獣の舌なめずりのようだった。
「街中だと邪魔が入るぞ、サディアス」
「バカが……迷宮で殺るんだよ」
部下の尤もな意見に対し、ブーツの靴底を床に打ちつけるサディアス。
彼らの足元には、ブリタニア軍の検問を通らず底無迷宮へ下りられる
迷宮に潜ってしまえば、カモッラも手出しはできない。
「迷宮で殺るって……なぁ」
「ああ」
アメリアを嘲っていた時の虚勢は鳴りを潜め、男たちは視線を泳がせる。
死と隣り合わせの底無迷宮で狙った獲物を捉えることは困難だ。
当てもなく彷徨えば怪物の餌食となるだけ。
「こいつを使うのさ」
しかし、サディアスも無策ではない。
太い首から下げたネックレスを指で弾けば、薄暗い室内に翠の輝きが走る。
仄かに翠の光を帯びた指輪は、既存科学と相容れぬ異物――
「
「う、嘘だろ」
「本物か?」
国が挙って買い取り、市場に出回ることは滅多にない値千金の代物。
それを前にして、レッドキャズムの構成員たちは口々に驚きの声を漏らす。
「そうか、こいつがあれば迷宮の中でも見つけられる」
魔術技巧の能力を知る部下が口角を上げ、サディアスは満足げに頷く。
「商人を嗾けて
「あとは、お楽しみってわけだ」
赤いバンダナの裏側で下卑た笑みを浮かべる男たち。
商売敵との血生臭い抗争ではなく、久々に狩りが楽しめる。
そう信じて疑わない短絡的なストリートギャングは、軽い足取りで仕置き部屋から去っていく。
「チビに興味はねぇが……」
「おいおい、遊びじゃねぇぞ?」
白熱球の光が落ち、世界を闇が閉ざす。
「アメリアさん……っ」
捨て置かれたアルフは恩人の名前を呟き、埃臭い空気に噎せ返る。
鈍い痛みと共に思い出すのは、彼女の後姿。
小柄で華奢、それでいて恐ろしく強い――アルフを見捨てなかった女性。
ガーラント兄妹を見捨てた大人とは違う。
だからこそ、万が一という可能性を見過ごせない。
「伝えないと…!」
アルフの助力など彼女は必要としていないだろう。
妹の待つバラック小屋へ戻り、縮こまっているのが正解だと分かっている。
それでも少年は立ち上がらずにはいられなかった。
◆
底無迷宮には生態系が存在する。
それが何かしらの意思が介在した結果なのか、自然発生の代物なのかは神のみぞ知る。
ともかく、この暗い洞穴にはコボルト以外の住民がいるのだ。
瞬く銃火――ぱっと弾ける乳白色の破片。
ランタンの光を浴びた影が傾き、湿気った黒土に沈む。
まだ銃口は下げない。
地肌を掻く
「ようやく死んだか」
たっぷり1分ほど足掻いた後、生態ピラミッド中層の
体高だけで私と同じくらいあり、有刺鉄線カッターみたいな大顎を持つシロアリ。
こいつはコボルトと違って稼ぎにならない。
「それで……」
苛立ちやら虚しさやらを溜息ごと吐き捨て、ハンドグリップを後退。
飛び出した空薬莢が、ぼすりと黒土に突き刺さる。
「ここで何してる」
湿気た土と硝煙の臭いが漂う中、クリッパーを殺す羽目になった
「アルフ」
もう会うことはないと思っていた獣人種のガキ。
全身土塗れ、右目と頬に内出血の痕あり。
戦利品として渡したはずの改造銃1丁を抱えたまま固まっている。
「アメリアさん…?」
ぴんと黒毛の耳が立ち、アルフは琥珀色の目を瞬かせた。
頭を齧り取られる寸前だったから思考が追いついていないらしい。
「どこも齧られてないな」
「は、はいっ」
お先真っ暗な底無迷宮には似合わない、喜色に満ちた声。
まるで英雄でも見つけたような――冗談じゃない。
傍らに落ちていたヘルメットを拾い上げ、アルフの視線を遮るように被せる。
指に残った黒土の不快な触感に苛立つ。
「わっ」
「連む相手を考えろ……とは言ったが、1人で潜るバカがいるか」
銃1丁、ハバーサックに水筒、それからガスマスクバックと必要最低限の装備は持っている。
だが、それだけだ。
知恵も経験もないガキが生き残れるほど底無迷宮は甘くない。
「あのクリッパーは斥候だ。不用意に突っつくな」
ランタンのカバーを外し、撃ち殺した乳白色の巨大昆虫を照らす。
外見こそシロアリだが、構造も生態も全くの別物。
単独行動のクリッパーは餌を探す斥候と言われている。
「死ぬぞ」
仕留め損ねると本隊を呼ばれ、目も当てられないことになる。
「す、すみません……」
慌てて立ち上がったアルフは謝罪こそ口にするが、どうにも反応が薄い。
私が5番坑道に潜ってなかったら、今頃は迷宮の養分だ。
そんな恩着せがましい言葉を辛うじて飲み下す。
「今は、それよりもっ」
かつん、と暗い洞穴に響く打音。
「…もう嗅ぎつけたか」
斥候の死に勘づいたクリッパーが集合の号令をかけている。
次第に打音は数を増していき、ランタン光の届かぬ闇が歌い出す。
数は20前後と言ったところか。
「ついてこい」
「え、あのっ」
相棒にバックショット弾を装填しつつ、来た道を引き返す。
わざわざクリッパーの本隊とぶつかってやる必要はない。
塹壕と違って逃げ道は幾らでもある。
「アルフ」
黒い地肌からコンクリートの白が張り出したところで、背後へ視線を投げる。
打音が遠ざかっても、アルフは頻りに周囲の様子を窺っていた。
クリッパー以外の
「……いいか、クリッパーの獲物はブロブだ」
コンクリートの壁面を照らせば、弾痕に集るブロブが見えた。
泥と判別のつかない不定形の生物で、迷宮の掃除屋と呼ばれている。
「人間を好んで齧らない」
正直、クリッパーよりブロブの方が危険だ。
薬莢から死体まで取り込んでしまう悪食は、厄介な代物を抱えていることが多々ある。
今、洞穴の奥でランタン光を反射した不発弾とか。
「あの、アメリアさん!」
迷宮に沈んだコンクリート製陣地の近くで足を止める。
アルフの声に応えたわけじゃない。
こっちに向かってくる雑多な足音を捉えたからだ。
「レッドキャズムが」
「知ってる」
数は15前後、同業者のピクニックにしては人数が多い。
腰から下げたランタンの光を絞り、相棒の放熱板に手を置く。
思考を切り替える。
「え…?」
揺れる琥珀色の瞳。
なぜ知っているのか、そういう困惑だ。
「それを伝えるために潜ったのか?」
この底無迷宮で私を狙うなら餌釣りは使わないと見ていた。
最も確実性が高いのは、魔術技巧だろう。
となれば、ここにいるガキは一体何なのか?
「アメリアさんが危ないと、思って……」
アルフは顔を俯かせ、絞り出すように言葉を紡ぐ。
たった一度、命を拾われただけ。
ただの気まぐれかもしれない。
そんな相手のために命を擲つのか?
「まったく……」
放っておけばいいものを。
正面にランタン光が見えた瞬間、コンクリートの影へアルフを押し倒す。
遅れて銃声――コンクリートの表面を銃弾が跳ねる音。
銃剣の切先が黒土を削り、泥臭さが鼻を突く。
刃渡り40センチは取り回しが悪い。
「あ、アメリアさんっ!?」
下敷きにしたアルフが目を白黒させている。
私の体重くらい支えてほしいところだが、私より薄い身体では難しいか。
まったく、他人より自分の心配をしろと言いたいところだが――
「勇気だけは買っておく」
ここが迷宮でなければ、立派な志だろう。
少年のヘルメットを小突いてから起き上がり、コンクリートの壁に背中を預ける。
相棒の動作を再確認、天井を指す銃剣も歪みはない。
あとは殺すだけだ。
「ちっ…運の良い女だ」
「簡単に殺したら面白くねぇだろ」
口元に赤いバンダナを巻いた連中は追撃もせず、呑気に会話していた。
ここは路地裏じゃないぞ、ストリートギャングども。
トレンチガンの放熱板を撫で、深呼吸。
位置関係を脳裏に描き、順序を組み上げる。
「……よし」
体を回転させ、相棒と右半身だけを晒す。
照準は、連中の足元。
「さぁ、狩りの続き――」
火花散る。
そして、甲高い金属音が鼓膜を叩く。
バックショット弾は狙い違わず獲物の殻を食い破った。
ブロブに侵された不発弾が――ガリア製の毒ガス弾が爆ぜる。
四散する泥、溢れ出す白。
瞬く間に洞穴の黒を塗り替え、花のような匂いが満ちる。
「な、なんだっ!?」
「げほっうげぇ…!」
「め、目が!」
ランタン光に照らされた人影は目鼻を押さえ、奇怪な踊りを披露する。
症状を見るに催涙ガスだったらしい。
「運の良い連中だ」
「あ、アメリアさん…?」
呆けているアルフの前でガスマスクを引っ張り出す。
「ガスマスクを着けろ」
化学兵器は敵味方を区別しない。
ゴーグルの狭い視界に、鼻を刺すゴムと薬品の臭い。
塹壕に帰ってきた気分だ。
「……行くぞ」
悪党に慈悲は必要ない。
殺すに限る。