塹壕帰りの迷宮潜り   作:バショウ科バショウ属

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迷宮の掘出物Ⅳ

 世紀の墓暴きに挑むような勇み足で出発した調査隊は、迷宮の手荒い歓迎を受けた。

 それでも、塹壕ほどではないと軽口を飛ばすくらいの余裕が私たちにはあった。

 今になって思えば、大きな間違いだった。

 足元から這い寄る闇には絶対的な死が潜んでいたのだ。

 迷宮の主は竜ではない。

 大百足(センティピード)だ。

 

 ――アーネスト・フリードマン著作『底無迷宮』より抜粋。

 

※

 

 洞穴に立ち込める白。

 ガスマスクの内で息を吐けば、乾いた唇が微かに湿る。

 狭苦しい視界とゴムの臭さが一瞬、私を塹壕の中へ引き戻す。

 当然、錯覚だ。

 

「ここを動くな、アルフ」

 

 ガスマスクを着けたアルフを視界の端に入れ、ここが迷宮であると再認識する。

 

「アメリアさんは…?」

 

 化学物質の白々しい霧に包まれた世界で、それは無意味な問いだ。

 私がどうするかって?

 

「決まってる」

 

 催涙ガスで目鼻を潰した悪党がのたうち回ってる。

 連中がガスマスクを着けるまで、まだ時間があるだろう。

 なら、選択肢は一つだ。

 

「打って出るのさ」

「アメリアさん!?」

 

 黒土を目一杯に蹴り、コンクリートの影から白い闇へ飛び出す。

 疾駆のイメージは獣みたいな低姿勢。

 

 銃声――足跡を銃弾が叩いた。

 

 紙一重。

 徴兵逃れが大半を占めるストリートギャングにしては上出来だ。

 目を潰されても引金を引くだけの根性がある。

 

「くっそ、げほっ、狙いが!」

 

 だが、それだけだ。

 壁際まで走り抜けると見せかけて、黒土のカーペット目掛けて飛び込む。

 頭上を掠めるライフル弾の風切り音。

 地面に這いつくばったまま、相棒(トレンチガン)の銃口を獲物へ向ける。

 

「相手はっ…1人――がっ」

 

 銃火が瞬き、男の上半身が大きく仰け反る。

 バックショット弾に攪拌された白を彩る赤。

 

「がぁぁぁぁ!」

 

 倒れた人影の後ろ、シャツ姿の男が右腕を押さえて絶叫する。

 流れ弾が腕の肉を抉ったらしい。

 

「う、腕がっ!」

「落ち着け、ビル!」

 

 パニックは更なるパニックを呼ぶもの。

 わざと射線を被せた甲斐があった。

 

「くそ! どこ行きやがった!」

 

 洞穴に滞留する催涙ガスの霧は、とにかく視認性を下げる。

 相棒のハンドグリップを後退、空薬莢が宙を舞う。

 次なる犠牲者は、ガスマスクを引っ張り出したシルエットだ。

 

 発砲――人影の腰近くが弾け飛ぶ。

 

 地を左手で掻き、足で蹴って一気に駆け出す。

 催涙ガスの白を纏って。

 

「あぁあぁぁ…!」

「腕、腕が!」

 

 近所迷惑な悲鳴が洞穴を反響する中、有象無象(レッドキャズム)の群れへ突っ込む。

 私にとって誤射を恐れる連中はカモでしかない。

 泥を散らしたブーツで男たちの影を踏む。

 

「こいつ…!?」

 

 明後日の方角へ向いていた男が足音を拾い、泥塗れの私を見下ろす。

 赤く充血した目に浮かぶ感情は怒りか、恐怖か。

 距離は目と鼻の先。

 照準よし、引金を絞ったままハンドグリップをスライド。

 

「アメリあがっ」

 

 排莢と同時に発砲。

 飛び散る脳漿を横目に、改造銃を持った隣人へ鉛弾をプレゼントする。

 ガスマスク越しの曇った世界を輝かせるスラムファイア(意図的な暴発による速射)。

 

「ぎゃぁ!」

「なんで奴は動けるんだ!?」

「くそったれ!」

 

 銃声と悲鳴、すっかり聞き慣れた不協和音。

 死体を踏み越え、とにかく前へ前へ。

 仲間に遮られて撃てない連中は無視し、私の前に立ち塞がった奴へ突っ込む。

 

「く、くそが!」

 

 右手のリボルバーを忘れて、反射的にナックルダスターを握り込むバカ。

 射程外、そして何より判断が遅い。

 

 とっくに私は構えてる――下半身に鉛弾を叩き込む。

 

 風通しの良くなったズボンから尿みたいに吹き出る血。

 足は太い血管が多い。

 

「あぁぁぁぁぁ!」

 

 股間を押さえて喚くバカと壁の隙間へ入り、相棒から空薬莢を吐き出させる。

 ゴムの臭いを吸い込んで、それから装填に移る。

 まともに戦えるレッドキャズムの構成員は9人と言ったところ。

 洞穴の反対側に寄って、ばらばらに得物を構えている。

 

「何やってっげほっ…やがる! 早く殺せぇ!」

 

 喧しく喚いている大男がレッドキャズムの頭だろう。

 この時勢、悪党なんて掃いて捨てるほどいる。

 レッドキャズムを皆殺しにしたところで何か変わるわけでもない。

 

「無茶言うなよ、サディアス!」

 

 折畳式ランタンを腰から外し、息絶えた男の背中にトレンチガンの銃身を置く。

 揺れる白霧の先にいる男は殺してもいい悪党だ。

 だから、殺す。

 

「あんな化け物なんて聞いてぐがぁっ」

 

 銃床が肩を叩き、放ったバックショット弾が獲物を殴り倒す。

 同時にランタンを左手に向かって放り投げる。

 

「くそったれ!」

「撃て撃て!」

 

 ランタン光を反射的に追ったレッドキャズム一行は、洞穴の壁に向かって斉射。

 それを尻目に光源と反対側へ全力で駆け出す。

 大きな円を描くように、連中の横合いへ。

 

 息を切らして白い闇の中を駆ける――懐かしい感覚だ。

 

 塹壕と違うのは、獲物がランタン光で居場所を教えてくれるってことだ。

 低姿勢で駆けるあまり銃剣の切先が黒土を削る。

 

「やったか!?」

「くそ、目が…よく見えねぇ!」

「ガスマスクを着けろ、お前ら!」

 

 いちいち判断が遅い。

 もう私の間合だ。

 白い闇を銃剣で切り裂き、無防備な背中へ突き立てる。

 

「あつっ!?」

 

 ずぶずぶと泥に沈み込むような、肉を刺し貫く手応え。

 嫌いで仕方なかった感覚が、私に生を実感させてくれる。

 血の滲むシャツを左手で掴み、刃渡り40センチを一息に引き抜く。

 確実に殺すために――

 

「がはっぎぃぇ…」

 

 もう一度、突き刺す。

 骨に当たる感触が指先から脳まで走り、塹壕の景色が掘り返される。

 ただの肉塊だった体が息を吹き返す錯覚。

 

 ああ、生きている――この感覚には中毒性がある。

 

 一度酔ってしまえば、前世の喧しい雑音も聞こえない。

 倫理観をハンマーで叩いて壊せる。

 

「あ、ぁあ、助けて、ぐれぇ」

 

 命乞いを聞き流し、相棒に黙々とバックショット弾を詰め込む。

 銃剣から滴る血が足元に落ちていく。

 まだ催涙ガスは滞留しているが、奇襲の効果は薄れてきた。

 

「ジャイルズ!」

「いつ近づいてきやがったんだ…!」

 

 こちらを睨む銃口の数は7。

 仲間を盾にされた時、引金を引ける奴は多くない。

 次に殺すのは、それを決断できた奴だ。

 6発目の装填を終え、ちょうど銃剣から伝わってくる鼓動が消えた。

 

「鮮血のアメリア…!」

 

 忌々しい二つ名が洞穴を反響し、白い闇に浸透していく。

 不愉快だが、血塗れなのは紛れもない事実。

 塹壕で死に損なった私は、どうしようもない人間だ。

 

「冗談じゃねぇっ」

「サディアス、どうするんだ!」

 

 すっかり逃げ腰のレッドキャズム一行は、怒りの矛先を大男に向けていた。

 恐怖は正常な判断力を奪う。

 次の突撃で皆殺しにできそうだ。

 

「くそがっ!」

 

 サディアスとかいう大男がコートの裏側に手を突っ込んだ。

 あからさまに怪しい。

 血染めのシャツを掴んだまま銃剣を抜き、死体の肩を銃架の代わりにする。

 

「こいつだけは使いたくなかったがっ」

 

 使わせるものかよ。

 銃口の彼方に大柄な影を置き、一息の後に呼吸を止める。

 相棒の引金を引いた刹那――

 

「くたばれ、アメリア!」

 

 世界が爆ぜた。

 

※

 

 砲声が響くたび、小刻みに震える塹壕。

 泥水の溜まった通路で、死体の傍らに座る私を見た連中は口を揃えて言う。

 

 ――なぜ死なない?

 ――なぜ生きている?

 

 私が聞きたいくらいだ、くそったれめ。

 最初は敵の銃弾が避けて通る幸運の女神なんて言われた。

 それが死神へと変わり、いつしか鮮血のアメリアなんて呼ばれるようになっていた。

 泥水の中を這い回って生き残ったのに、この扱いは何だ?

 好き好んで殺していると思っているのか?

 私は――

 

「……ここは」

 

 酷い耳鳴りで目を覚ます。

 砲撃を至近で浴びた時の感覚に似ている。

 闇に覆われた視界の中、漏れ出した呼気がガスマスクの内を回る。

 

 暗い――まだ底無迷宮の腹の中だ。

 

 両手足は健在、右手は相棒を手放していなかった。

 まだ死ねないらしい。

 音を立てないよう上体を起こし、周囲に視線を走らせる。

 

「どこだよ、ここは!?」

「おい、サディアス!」

 

 癇癪を起こしたガキみたいに喚くのは、レッドキャズムの連中だ。

 催涙ガスの白は消え失せ、7つのランタン光を明瞭に視認できた。

 距離は目算で50メートルほど、辛うじて人影が分かる。

 洞穴ほど声が響かず、手元の土は水分を含んでいない。

 魔術技巧(ウィズテク)で空間を移動したと見るべきか。

 

「アメリアさん…!」

 

 這い寄ってきたアルフの前で、沈黙のジェスチャー。

 声を出さなくても安否は確認できる。

 パニックに任せて声を出すことは、致命的な結果を招きかねない。

 特に、こんな不自然に広い空間では。

 

「うるせぇ!」

 

 理解していないのは、底無迷宮における経験が浅いストリートギャングくらいだ。

 役割を終えたガスマスクを外し、視界を確保。

 周囲に満ちるチーズが腐ったみたいな臭いは、腐敗臭で間違いない。

 

「これで仕切り直しだ!」

 

 天井を跳ね返る濁声に、妙な音が混じった。

 

 土を引っ掻く、あるいは削るような――移(・)動(・)し(・)て(・)い(・)る(・)。

 

 それが足音だと気づいた時、背筋を悪寒が駆け抜ける。

 

「とっとと殺る――」

 

 闇を切り裂く風切り音。

 遅れて、骨の砕ける嫌な音が響き渡った。

 大男の足が地面から離れ、小刻みに痙攣し始める。

 即死だ。

 

「うわぁぁぁ!」

「な、なんだこいつ!?」

 

 誰だって取り乱すだろう。

 ランタン光が照らし出す襲撃者は、男たちを悠然と見下ろしていた。

 金属光沢を帯びた外骨格に、人体を軽々と粉砕する大顎、そして20対を超える脚。

 

「大百足(センティピード)……」

「いいや、違う」

 

 アルフの口から零れた呟きに思わず失笑してしまう。

 いや、知らないのも無理はないか。

 私も実物を見るのは、初めてだった。

 

「ドレッドノートだ」

 

 その呼び声に応えるように、底無迷宮の頂点捕食者は血塗れの大顎を打ち鳴らす。

 今日、私は死ぬ。




 ヒロイン(蟲)じゃん…!(歓喜)
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