ウェストベルク迷宮の調査が進まない理由は、国家の怠慢である。
戦後処理で余力のない国々は失業者の列を伸ばさないため、あえて介入していないのだと。
それも間違いではないのだろう。
だが、国が調査を渋る理由は単純に
「ぎゃぁぁぁぁ!」
断末魔の叫びが闇を反響し、遅れて人体の裂ける音が聞こえてくる。
レッドキャズムの構成員がまた1人、餌食になった。
「ひぃぃ!」
「おい、逃げるんじゃねぇ!」
洞穴の中をランタン光が散る。
逃げる獲物を追いもせず、頂点捕食者は悠然と肉を食む。
ブリタニアの調査隊を全滅させた
与太話だと取り合わない者が出るほどに、その目撃例は少ない。
なぜなら目撃者が生還しないから。
「う、撃て!」
花火のように瞬く銃火を茫と眺める。
あの巨体なら外すことはないが――鉛色の外骨格を照らす火花。
響き渡る甲高い金属音は、鉛弾が装甲を叩く音に似ている。
なるほど、調査隊が一方的に殺されるわけだ。
「303が効かねぇぞ!」
「いいから撃て!」
触角を揺らしたかと思えば、風切り音を伴って長大な身体が消える。
「がっ!?」
振り抜かれた1対の尻尾が人間をボールみたいに飛ばし、壁面から破裂音が響く。
そして、ランタンから漏れ出したオイルに火が灯る。
「アントン!」
「くそ、くそっ!」
仄かに赤く染まる迷宮の底を、怒号と銃声が満たす。
あの地獄に比べればピクニックみたいなもの――本当にそうか?
毒ガスの霧から現れた鋼の芋虫と、あの
既視感を覚える光景に笑いが込み上げてきた。
「あんなのどうしたら…!」
どうにもならない。
あれは人間が勝てる相手じゃない。
「やめっげばぁがぼ……」
スコーンを齧るみたいな軽々しさで人骨が砕かれ、咀嚼される。
大した健啖家だ。
暗順応してきた目で周囲を見渡せば、琥珀色の目とかち合う。
「アメリアさんっ」
恐怖と不安の奥に、微かな希望が覗く。
こんな状況でアルフは何かできると思っているらしい。
「今のうちに――」
「無駄だ」
肺から濁った空気を吐けば、酸っぱい腐敗臭に顔を顰める。
「え…?」
「逃げたところで追いつかれる」
私たちが人間である以上、ドレッドノートの追跡から逃れることは不可能だ。
現在地も不明、闇雲に逃げたところで苦痛を延長するだけ。
「どう足掻いても死ぬ」
であれば、逃避には何の意味もない。
いずれ死ぬとは思っていたが、呆気ないものだ。
何もかもがどうでもいい。
残された時間、コンビーフ缶を開けて最後の晩餐を楽しむか。
「アルフ」
あるいは、この不運な少年の願いを叶えてやるか。
「やりたいことはあるか?」
「な、何言っているんですか…?」
意味が分からないと見開かれる目。
琥珀の中に映る赤毛の女は、空虚な笑みを浮かべている。
こんな奴のために命を擲った結果、迷宮の底で死ぬのだ。
不運といわず何という?
「まぁ、やれるものは身体くらいしかないが」
そう言って胸に手を当ててみるが、年下のバルバラよりも薄い。
相変わらず女性的な魅力に欠ける身体だ。
「い、いりませんっ」
「だろうな」
力強い口調で拒絶され、思わず苦笑してしまう。
こんな貧相な身体、抱いたところで虚しいだけか。
「冗談を言ってる場合じゃないですよ!」
顔を赤く染め、声を張り上げるアルフは必死だった。
生への熱量が失われていく私とは対照的だ。
響き渡る銃声を子守唄に、そっと相棒の放熱板を撫でる。
「アメリアさん、僕は…!」
最後まで言い切ることなく、口を閉ざすアルフ。
ヘルメットの下から覗く琥珀色の目が、じっと私を見つめる。
ひどく既視感のある真っすぐな眼差し。
ああ、よく知ってる。
『伍長と一緒なら生き残れそうです』
『お袋のパスティを食べないと死ねませんよ』
『故郷に待ってる人がいまして……この戦争が終わったら、その……』
明日があると信じていた新兵たちの眼差しだ。
今、目の前の少年は呪いの言葉を紡ごうとしている。
そんな嫌な予感が――
「妹のところに必ず帰るって決めてるんです」
的中する。
「まだ死ぬ気は……死にたくないです」
今にも溢れ出しそうな感情を抑え、震えた声で言葉を紡ぐ。
私を
怒りと呆れが腹の中を巡り、たまらず天井の闇を睨みつけた。
妹が待っているのに迷宮なんか潜るなよ、バカが。
「そうか」
どこぞの死に損ないと違って、この少年には明日がある。
こんな穴底で終わっていいはずがない。
くそったれめ。
こういう時に限って、迷宮が飲み込んだ
泥に塗れていても駐退機を備えた砲は、ガリア軍の75ミリ野砲と一目で分かった。
「なら……」
だから、どうした。
とっくに私の戦争は終わっている。
無意味な悪足掻きと分かってるはずだ。
「あいつを殺すしかないな」
冷笑する私を蹴り出して、相棒から乾いた土を叩き落とす。
本当にどうしようもない。
前世の記憶が蘇った時、自称女神が満面の笑みで宣った言葉を思い出す。
闘争こそ人生、だったか――
「アメリアさん…!」
少年の顔を視界から締め出す。
希望に満ちた目なんて見たくない。
その輝きがガラス玉に変わる瞬間が心底嫌いだった。
「囮がいるうちに準備するぞ」
「はいっ」
私だけでは手が足りない。
ドレッドノートを殺ると決めた以上、行動あるのみ。
アルフを引き連れて、75ミリ野砲まで小走りで駆け寄る。
「これは……大砲?」
「ガリア製の75ミリ野砲だ」
こいつがドレッドノートの外骨格を吹き飛ばせるかは賭けだった。
砲尾から泥を掃い、砲身が歪んでいないか確認する。
私は正規の砲兵じゃない。
ポップコーンを作るために放棄されていた砲身を多少弄っただけで、撃ったことなんてない。
「弾は、2発か」
車輪近くに埋まる弾薬箱には、2発の榴弾が収まっていた。
徹甲弾はない。
現実ごと蹴り飛ばしたくなったが、あるだけマシだと言い聞かせる。
「ロニー、後ろだ!」
「化け物がぁ!」
ドレッドノートを大声で刺激してくれる囮は2人に減っていた。
そのまま怪物の腹を膨らせてくれないものか。
相棒を車輪に立て掛け、見た目より軽い榴弾を引っ張り出す。
「僕は何をすればいいですか」
75ミリ野砲をランタンで照らし、真剣な声色で問いかけてくるアルフ。
心配しなくても大役を任せてやるさ。
「私がドレッドノートを誘き出す」
砲尾から榴弾を装填、尾栓のレバーを回して閉鎖。
これで発射できるはず。
射角調整用のハンドルが欠損しているから照準の調整はできない。
「合図したら引け」
尾栓から伸びる
すぐ傍らで息を呑む気配。
それでもアルフの顔は見ない。
「下手をすれば吹き飛ぶ。それでもやるか」
とんだ
私もレッドキャズムの連中と大差ない。
「やります!」
呆れるくらい良い返事だった。
少しは疑えと言いたいところだが、説教する時間もない。
この世界は本当に、くそったれだ。
「よし」
重荷でしかないハバーサックを下ろし、深呼吸。
燃える焔が照らす大百足まで、目算で50メートルほど。
まったく、距離感の狂う巨体だな。
「行くぞ」
「はいっ」
ずっしりと重い相棒の感触を確かめ、思考を切り替える。
ドレッドノートが最後の1人へ狙いを定めた。
ここからは賭けだ。
「く、来るなぁぁぁ!」
リボルバーの銃声を号砲代わりにスタート。
靴底が土を噛み、ぐっと加速する身体。
ドレッドノートを中心に、大きな円を描くように突っ走る。
進路上に死体が1つ――ブーツとコートの切れ端くらいしか残ってない。
銃剣の切先で折畳式ランタンだけ引っ掛け、光源を確保。
そのままドレッドノートの背面まで駆け抜ける。
「あ、あげぇ……」
ばきり、と骨の砕く音源へ照準。
ランタン光を浴びた外骨格が光沢を帯び、血塗れの頭部が浮かび上がる。
外しようがない。
発砲、命中――火花が天井へと走る。
相棒から空薬莢を吐き出させ、照準を上へ。
「こっちだ、デカブツ!」
残弾を考えず連射。
長い触角を鉛弾で殴れば、鉛色の巨体が微かに傾ぐ。
ランタン光を反射する4対の眼――ドレッドノートが私を認識した。
頬の筋肉が引き攣る感覚。
さすがに感覚器官への攻撃は無視できないか。
鈍い音が鼓膜を叩き、真っ二つになった肉塊が落ちる。
「来いっ」
身体を捻ってトレンチガンを振り抜き、ランタンを投擲。
その勢いを殺さず、横へ向かって跳ぶ。
視界の端を走る一筋の光が、鉛色の風と正面衝突する。
「ちっ!」
神経を逆撫でする風切り音。
すぐ背後を掠めた大百足の突進は、戦車の無限軌道を彷彿とさせた。
触れたが最後、ミンチにされる。
「ったく!」
とにかく足を前へ、止まったら餌食だ。
75ミリ野砲が動かせない以上、目の前まで誘き出すしかない。
右手に広がる闇から迫る死神の足音。
迎撃は自殺行為――選択肢は1つ。
腐敗臭の染み付いた地面へ突っ込む。
不気味な風切り音が頭上を飛び越え、荒れ狂う風が髪を弄ぶ。
あと少しでヘルメットより下が無くなっていた。
「冗談じゃない…!」
口から乾いた土を吐き捨て、すかさず駆け出す。
アルフの掲げるランタンの輝きへ向かって。
距離にして10メートルもないが、果てしなく遠い。
頭上で膨れ上がる気配は――
「アメリアさん、上!」
頂点捕食者のトップアタックだ。
反射的に前へ身体を投げた瞬間、背後の空間が爆ぜた。
散弾みたいな土塊に殴られ、無様に地面を転がる。
「いっ……はぁ、くそ」
身体の節々が鈍痛を訴えてくる。
痛覚が残ってるなら、まだ死んじゃいない。
これで第一の賭けには勝った。
「今だ、アルフ!」
伏せた状態のまま、絞り出せる限りの声で吠える。
ここは
砲声が全身を叩く。
重低音が頭上を擦過し、世界から音が消えた。
第二の賭けも勝ち――炸裂の衝撃に全身を殴られる。
強制的に肺から息を吐き出され、思考が鈍る。
身体が鉛のように重い。
それでも零距離射撃の成果を確かめるため、瞼を無理やり開く。
「や、やった!」
アルフの歓声が響く中、背後へ視線を投げる。
どす黒い煙が渦を巻き、ドレッドノートの巨体を覆い隠していた。
その中で弱々しく燃える火種は、頭に叩きつけたランタンのオイルか。
高さを見るに位置は地面――ゆらり、と起き上がった。
外骨格の擦れる不快な音が、焼け焦げた空気を伝播してくる。
まだ死んでない。
「伏せろ、アルフ!」
頭上を高速擦過する鉛色の風。
警告は吹き消され、金属の潰れる甲高い悲鳴が鼓膜を叩く。
車輪の破片が頬を掠め、目の覚めるような痛みだけが残される。
アルフの生死は不明。
「くそっ…!」
巻き上がる土煙より現れたドレッドノートは、触角を1本失っていた。
いくら榴弾とはいえ、75ミリ野砲が直撃して死なない生物がいるか?
冗談じゃない、くそったれめ。
あれ以上の火力を出すには重砲か、
「魔弾」
乾いた唇から零れた言葉が、砲煙燻る闇に染み渡る。
今まで選択肢に入れていなかった。
本物のはずがない。
それでも土のこびりついた手をポーチの下まで突っ込む。
馬鹿げていると思いながら――指先に熱を感じる。
取り出した魔術技巧製の弾丸は、文字の羅列から蒼白い弱光を放っていた。
なかなかどうして様になってるじゃないか。
「触れ込みは……竜も殺すだったか?」
空薬莢を飛ばし、トレンチガンの機関部に得体の知れない弾丸を捻じ込む。
これで暴発したとしても、私も相棒も次はない。
最後の賭けだ。
痛む身体を起こし、銃口を突き付けるように構える。
「嘘だったら恨むからな、ジム」
照準の彼方で、ドレッドノートの残された触角が忙しなく動く。
異変を感じ取ったらしいが、逃すものかよ。
「くたばれ!」
4対の眼が私を捉えた瞬間、引金を絞る。
洞穴の闇を切り裂く光――蒼が爆ぜた。
螺旋を描く蒼白い閃光。
75ミリ野砲の比じゃない、でたらめな熱量。
それは超高速で回転し、中心へ収束、全てを貫徹する。
「――本物だったとはな」
手応えあった。
立ち込める土煙が晴れ、溶融した洞穴の壁面で陽炎が揺らぐ。
そして――ドレッドノートが倒れる。
長大な身体は半分になり、二度と起き上がることはなかった。
異様な熱気を放つ相棒から排莢。
魔弾は地面に突き刺さった瞬間、蒼い燐光を放って崩れ去る。
「はぁ……」
ゆっくりと息を吐き出す。
腐敗臭は一掃され、たんぱく質の焦げる臭いが闇の中を漂っている。
達成感なんてない。
全身に土を浴びせられ、打撲も数箇所、ひどい倦怠感だけが残された。
こんな賭け、二度とするものか。
「すごい…!」
場違いな声が耳を撫でる。
音源はドレッドノートの傍ら、土塊の中から顔を出す黒毛の獣人種。
ああ、まったく――本当に運が良い。
倦怠感とは異なる脱力感を覚え、思わず苦笑してしまう。
閃光に目を焼かれて表情を視認できないが、この様子なら問題あるまい。
「やっぱり奥の手があったんですね、アメリアさん!」
「……そういうことにしておく」
忙しなく駆け寄ってきたアルフの頭に手を置き、乱雑に土を掃う。
抵抗もせず、されるがまま。
「地上に帰るまで気を抜くな」
「はい!」
お先真っ暗な底無迷宮には似合わない、晴れやかな返事だった。
私のせいで散々な目に遭ったこと忘れてないか?
「うん…?」
不意に、私の手を挟み込むようにアルフの狼みたいな耳が立つ。
「どうした?」
「アメリアさん、あれは……何でしょう?」
琥珀色の視線を辿った先には、魔弾が穿った洞穴の壁面。
表面がガラス化した風穴の奥底で、人工物の放つ光が瞬いていた。
当然、ランタン光じゃない。
面倒事の気配がした。
ヒロイン(蟲)退場……(´・ω・`)