「岡崎さん、岡崎さん。起きてください」
「……朝、か……」
身体を揺さぶられて目を開けると、そこはまた天井の低い部屋の中。ほこりっぽさと光に当てられながら、天井裏には住みたくないな、と思った。体を起こした先には山田の顔があった。
「今度こそちゃんと挨拶をします! おはようございます!」
「……あぁ」
変な拘りだな、とぼんやり思っていると、横からもう一人の声が聞こえてきた。
「……ふへへぇ……」
「種島さん、さっきまで起きてたんですけど、寝てしまいました」
「そうか」
幸せそうな寝顔を見て、やはり何度聞いてもこいつが子供じゃないという事が信じられないと改めて思う。
「……痛みはだいぶ引いたから、もう歩けそうだ。世話になったな」
「もう帰るんですか?」
「部外者がいつまでもここにいるわけにはいかないだろ」
店の天井裏に無関係の男を泊めたなんて、誰かに知られたら面倒だ。音尾という人にも知られているが、俺をわざわざここまで運んでくれるような人間なら、きっとバラさないでくれるだろう。
「種島さん、種島さん。岡崎さん帰るみたいですよ」
「……うにゅー、……あと、……起きるまで……」
「斬新過ぎて山田パニックです!」
「……じゃあな」
いい気分の種島に水を差す必要はない。開きっぱなしの扉から梯子に足をかける。怪我の痛みはもう無くなっていた。
「あ、岡崎さん! 靴は裏口ですから、そこから出てくださいね! 正入口からだと山田の朝掃除が増えてしまいますので!」
「はいはい」
「はいは一回です! それと、岡崎さんはそれ以上頭を打って悪くなっちゃダメですから気をつけてくださいね」
「ああ、表の入り口を踏み荒らしてツバ吐き捨ててくから、掃除よろしくな」
「そ、それはいけません! 山田の仕事が増えてしまいます!」
本当に踏み荒らしてやろうかとも思ったが、子供相手にムキになっても仕方ないと思い直す。更衣室と書いてある扉を通り過ぎ、靴の置いてある裏口へと向かう。道がわかる理由は簡単で、ゴミ捨て場までの案内が壁に貼ってあったからだ。
欠伸をしながら外に出ると、朝日が目に入ってくる。早朝だからか、車の通りはまだ無いがちらほらと歩行者の姿は出てきている。
家に帰る気にもならなかったので、春原の寮に向かった。相変わらず汚い部屋だったが屋外でうろつくよりは幾分かはましだ。いや、天井裏のほうがまだマシだったかもしれない。
「今何か失礼なこと考えなかった?」
「いや?」
「ったく……つーか岡崎、お前その頭どうしたんだよ? 思い切り包帯巻いてるじゃん。喧嘩でもしたわけ?」
「まぁな。相手が絡んできたから、仕方なくだ」
あの日に起こったことを説明するのは面倒だったので、ただの喧嘩という事にしておいた。これで話は終わるかと思ったのだが、春原は何故か気持ち悪い笑みを浮かべだした。
「……ふふん」
「気持ち悪っ」
「かなり傷つきますよそれ単品は!?」
思うだけに留めていたつもりだったが、ついうっかり口に出てしまった。
「ま、まぁ。お前も現役ってことだねぇ」
「現役?」
「お前が喧嘩した所を見るの久々だったというかさ。最近お前付き合い悪かったじゃん」
「……別に、喧嘩なんか誰だってしたくないだろ」
春原と会った時は、確かにもう少し行動的だったかもしれない。今はただ学校に遅れていって、寝るだけの日々になっていた気がする。
(本当に、なんで首を突っ込んじまったんだかな……)
あの少女が怖がっているのを見たら、放っておけなかった。気づけば体が動いていた。それがなぜなのかは、わからないままだった。
「それはいいんだけどさ、岡崎。一つだけ、文句を言わせてくれ……」
「はぁ? 俺になんの文句があるってんだ?」
「何でお前の制服を早朝にたたき起された僕が洗ってアイロンまでかけなきゃいけないんですかねぇ!?」
春原は今朝俺が頼んだ内容を一息で言い切ってみせた。
「だから、やってくれたら今日の昼飯奢るって言ってるだろ」
「それでも最初から僕に頼むの可笑しいでしょ!?水道を貸してくれとかならわかるけどね!?」
小言は無視して、適当に放置してある雑誌を手に取る。散乱している雑誌をランダムに取って読むことは、ある意味俺の日課にすらなってきていた。
「なぁ春原」
「何だよ。もう一着とか言われても絶対やらないよ?」
「お前、バイトするのか?」
「はぁ? 何だよ草むらから棒に……」
きっと藪という字を読めなかったからそれらしい言葉に置き直したのだろう。春原にしては上出来だと思う。でもバカには変わりない。
「いや、こんなモン持ってるから」
いちいち訂正すのも面倒臭かったので無視することにする。それはテレビでもコマーシャルをやっている有名なアルバイト求人雑誌だった。駅や本屋などに置いてあるフリーペーパーで、誰でももらって帰ることができる。
「あぁ、それね……。発刊日、見てみろよ」
呆れたような顔で見てきたので少し癪だったが、裏表紙の右下にある発刊日を確認する。
「去年の七月、か」
「そうさ。去年は時間も余ってたからね。バイトでもして小金を稼ごうとしていたんだよ」
「今も十分暇だろ」
「今はそれなりに学校いってるからさ、そうでもないんだよ」
「学校ではいつも『暇すぎて溶けそうだから塩かけてくれ』って言ってくるじゃないか」
「僕はナメクジじゃありません!」
ナメクジだとしたら塩をかけたら溶けてしまうのだが、そこまで言えたら完璧なツッコミだった。内心で春原へのツッコミ期待値が下がった。
「それにしてもお前がバイトか、まるでイメージがつかないぞ」
「いや、だからもう考えてないって。学生の大切な時間をちっぽけなお金を稼ぐために使うなんてバカげてるしね」
「そういえば、今日は新装開店するはずのパチンコ屋があったな」
「マジかよ!? 岡崎も明日の朝一番に並ぼうぜ!」
「断る」
こいつの言っている学生生活なんて所詮この程度なのだろう。手では洗濯をしながら、鼻息を荒くして明日のパチンコの事を考える春原を、果たして学生生活を謳歌している人間と言えるのかは疑問だが。
「なあ春原」
「何?」
「これは昨日俺の夢に出てきたお前の話だ。恐らく正夢になる。お前がラグビー部のやつのヘルメットを壊したとしたらどうやって許してもらう?」
「そんな嫌な未来予想図描かないでくれますかねぇ!?」
「まぁ落ち着けって。俺はお前の未来を本気で心配しているんだ」
「そ、そうなの?」
俺が心配しているのはこんな適当な話にのってしまうコイツの頭なのだが、それは言わないでおく。
「そうだな。僕だったら必死に謝り通すね。でもなぁ、アイツらは性根が腐ってるからその程度じゃ許してくれないだろうし……。きっとちょっとでもアルバイトして、弁償って感じだろうなー」
私が、弁償するから。あの時種島は、何度もそう言って男を止めようとしていた。アルバイトがどんなものか、俺は全然知らない。けれど、大変だって事だけは何となく知っている。
(………………アルバイト、か)
別に興味が沸いた、というわけじゃない。けれど、あの時種島が俺を庇うために言ったこと、どうしてああまでして俺を庇おうとしたのか。胸のどこかに引っかかっていた。
「……別にさ、僕が本気を出せばやれなくもないよ? けど学校じゃ嫌でも顔合わせちゃうじゃん。毎日目が合うたびに突っかかられるなんて、たまったもんじゃないと思うわけさ……って岡崎、聞いてんのかよ?」
「いや、お前がナメクジになるとこまでしか聞いてなかった」
「それ結構前の話ですよね!? お前から聞いといてそりゃ無いだろ!?」
だいぶ地の文などの追加はしていますが、本筋は変わっていないと思ってます。
大きな変更点は無し。