#2
そんな車窓からの光景を、南城は見向きもしないで、手元のスマホの画面を眼中にしてやまなかった。
大学生たちは、南城たちからは乗車口の扉の前の空間をまたいだ向こう側の席にいた。南城は埋忠と二人でならんでシートに座っていた。そして南城も埋忠も、手に持っていたスマホの画面を指先でいじくっていた。
学校からいっしょに帰るとき、初めのころは南城と埋忠は別れるまで、埋忠がさきに電車を降りるまで、話しっぱなしなものだった。
しかしだんだんと、帰り道では特に話もせず、電車に乗るとふたりで隣り合って座り、おたがい無言きりで自分のスマホをドラッグしている、そうして埋忠が降りるときにちょっと別れの挨拶をする、それっきりな感じになっていたのだった。
南城は大学生らの話、「女子の親友」「女子にとっての親友」というのが、妙に耳に入り込んでくる気がした。その時、南城はスマホで、ツイッターで、フォロー中のYoutuberのツイート──「俺の知り合い、ラセツ並みに顔がエグイ。んでマル暴で顔で無双中。これもこの世の中顔だ……ってヤツ?!」──を、流し見ていたところだった。
車内放送が南城の聞き覚えのある駅名、埋忠がいつも降りる駅の名前をアナウンスしだした。女性のような大人びた、れっきとした人工音声が、その駅名を繰り返した。そのせいか南城は何げなく耳を澄ましていたのかもしれない。
そう思えるほどに、だからこそ聞いていた耳を裂かれた──とっさに、そうまで思わされた。
絶叫だった。確かに。それは車内をつんざいた。気づいたときには、響きだけが、わんわんと何処かに残っていた。
南城は周りへと首を巡らせた。
車窓のむこうに、真っ赤な夕焼け。沈んでいく。白雲がよぎる。夕日を千切りに途切れさせていく。斜陽の光、紅に焼けている、血走る。とどく。この列車の中に、とどく。突き刺す、赤光が。貫く。それが夕日の断末魔だった。陽は、没した。
車内が暗がりに満ちる。車内がなんとはなしに ざわめく。
埋忠も周りを見回していた。腰を浮かしている。
「今の、悲鳴じゃんー?! それも、女の人の!」
埋忠は立ち上がった。その時、車両が急に止まった。何もかもが、つんのめる。南城の膝の上へと、埋忠が倒れこむ。南城は膝の上のバックごと、埋忠を抱きとめた。甘い匂い。南城の鼻のすぐ前に、埋忠の黒髪があった。
ポニーテールが南城の胸にあたって、南城の制服の布地、ブルーブラックのそれの上へと、
南城は はっとなって、顔を上げた。
向こう側の席、大学生三人組が横へとドミノ倒しになって、そろって目を白黒させていた。その傍の緊急停止ボタンが、カバーを外されていないのに、赤くともっている。どこか他にあるボタンが、押されたに違いない。
バン。そんな打ち付けた大音。隣の車両とつながる入口に、うつむいて立っていた。
「うおッ」
そのすぐそばのシートで、大学生三人衆のだれかが、
大学生から二、三歩もない近さだ。立っている。うつむいていて、顔は見えない。スーツ姿。ネクタイが赤い。髪が荒々しく乱れている。ぽたぽた。足元、床へ、なにかが、ぽたぽた、垂れていく。
赤いのはネクタイではない。白いワイシャツが赤くなっている。首から帯状に。赤いものを流したように。
鼻を衝くにおい。鉄の臭い。膿の、甘ったるく腐った臭い。
激音。乱入者が、凄まじい一歩を床に打ち付けた。大学生らがすくみ上る。
乱入者はそのまま、反対の乗車扉へと、一歩一歩と、床を打ちすえて、激音をたてて、近づいてくる。
大学生三人が、目を真開いて、くりぬかんばかりに乱入者を見つめる。
南城の腕が、強く引かれた。埋忠が立ち上がり、南城の腕を引っ張っていた。
乱入者が近づいてくる。さらに、一歩。激音。南城は立ち上がり、埋忠に引かれ、下がった。南城たちより奥にいる乗客たち、その一人が、さらに奥へと、そそくさと逃げだす。
「
乗客の誰かが、つぶやく。
スーツ姿の、乱入者。さっきまで南城たちが座っていた、すぐそば。そこへと倒れ込むようにして、手すりを、両手で抱え込むように、掴んだ。
ぽたぽた、落としていく。シートにぽたぽた、黒いしみが、ついていく。
「人食いだ!!」
乗客が悲鳴を上げた。我先にと駆け出し、奥へと逃げ出していく。騒音が、南城たちの後ろで、羅刹へと向き合う二人の後ろで、騒音、駆け出す足音、けたたましくなる。
顔を上げた、羅刹が。赤い笑顔。真っ赤だ。顔、羅刹の顔、一面が。
目だけが輝く。目をほそめて、赤く濡れた眉尻を下げて、微笑んでいる。
真っ赤に濡れて。口が、弓なりににっこりと歯を見せて、紅色の歯を見せて、にっこりと、笑う。
だらだら、粘液が、透明な黒い赤がまじり垂れる液が、口からこぼれていく。顎を、つたう。落ちる。首筋から腹まで、白いYシャツをべったり、赤く、滲みこませている。着ているスーツの袖が、黒ずむように、濡れそぼっている。両手が、爪ごと、赤いものを粘りつけている。
南城は、埋忠の目を見た。埋忠も南城の目を、見た。埋忠の瞳、揺れ動く瞳の中に、南城の顔がある。その顔が、零れ落ちそうなほどに目を見開いて、埋忠のことを覗き込んでいる。南城にはそれが、訳もなくはっきりと、見れた。
南城は、自分の心臓がこんなときになって、心臓があまりにも生きているのを、脈打つのを感じた。
胸を、その肉の中から、なんどもなんども打ち据えられている。止まってほしいほどに、激しく、胸を打ってくる。どれほど胸を打っても、矢継ぎ早に、待つことなく、打ってくる。
心臓が、南城の真髄を打つ。そこへと南城すべてを落とし込むように、ただひたすらに、鼓動を打つ。
おかしいほどのそれに、南城は撃ち抜かれたように、こわばってしまう。
埋忠が、ごくごく滑らかな動作で、羅刹のほうへと、さっき座っていた場所へと歩みだした。
羅刹は、手すりをつかんだまま、ただ笑顔だけを埋忠のほうへと向けて、動かした。
埋忠は、シートに置いたままの荷物を手に取った。エペ、フェンシング用の剣、競技用のそれを、取り出す。すばやく南城のほうへと身をひるがえした。利き手に、エペを握っていた。
埋忠が上着を脱ぎ捨てた。スカート姿の埋忠、高々等学校の制服を着た、白いYシャツにリボンの鮮烈な紅を彩る、その姿が、エペの刀身とともに光った。
一番星が、窓から車内を見やってみせたのだった。たった一つきりな星の光が、照明のつかない車内へとさしこんだ。