#3
情け深く、真っ白で冷たい光が、地上のすべてへと浴びせかけられていた。月光であった。
停止した列車の中にも、月の光はそそぎこまれ、羅刹や南城たちの足元から影を引きのばしていった。羅刹の影と、南城たちの影は、何ら言葉を発せずに向き合っていたが、そこには一切の赤を含まなかった。それらはただただ、影でありつづけていた。
車窓から見える空はすでにくろぐろとして、月は白光に熟れている。星明かりがそのまわりに疎らにちらつき、月から星屑の潮を引かせるようにとり囲んでいた。そうして波打ち際を円にした月が、その中央で孤高に
鈍い音。床へと羅刹がうずくまったのだ。自分から飛び込むように。その影が、ちいさな塊になった。
羅刹は膝を屈し、自分の頭を両腕で抱え込み、掻きむしり、打ち震え、そのまま横に倒れこみ、体を内側へと丸め込んだ。顔をゆがむほど強く強く引っ掻いた。首を、胸元に達するまで、ひどい音をさせて掻きむしっていく。そうしてついには、腕を、着ていた血をにじませたスーツ、その袖ごと、その腕を、ごりごりと噛みしだいた。
硬いものをすり合わせる低音にまじって、繊維質なものがちぎれ、ひき潰れる、弾けていくような高音がして、液体の吹き出し、まき散らされる時の、やわらかくて突っ張った突発音が、羅刹の顔へと鮮やかな赤ごと飛び散った。荒い呼吸。南城たちは、息を呑んで見つめていた。羅刹は、ただ獣が自らをかき抱くように、しかし自らを傷つけながら、ただひたすらに己を閉じ込めていた。
車両の乗車扉、線路側の、扉の外側では地面まで一メートルほどは高さがあるはずの、両開きな自動扉。これが、一つだけ、あのうずくまる羅刹へと面している乗車扉だけが、その時、音もなく、開いていった。南城と埋忠は、これを見つめていた。扉が開け放たれて、動きをとめた。
月光が踏み入った。豊田守恵は、ローファーの靴先を、一歩、車両の床へと踏み込ませた。もう片方、車両の外にある足元には、なにもない。豊田守恵は、開け放たれた乗車扉の前、列車の外側のほうの、その
豊田は肩から古風なライフル銃を下げていた。ライフルは一見すると猟銃のような、木製の銃床にブルーグレーの銃身、そして根元のあたりにボルトアクションの機関部を備えているものだった。その銃、モシンナガンは、紅色のスリングによって豊田のいかり肩から下げられていた。そのスリングの空色が、彼女の真紅のYシャツと、スリットが開かれた青黒のタイトスカートの、膝よりも数センチ、上のほうに丈があるそれに対して、鮮やかなコントラストを、醸し出していた。豊田の、肩ほどまでに整えられた黒髪が、光へと厳かに煌めいた。
“保安部員”の着るディープ・レッドのYシャツ、そのうち片腕のほうに腕章があり、青地に黒い字で「保安部」と印字されていた。
豊田はライフルを、モシンナガンを、肩から降ろして、両手で持った。そうして銃口のほうを持ち上げて、胸の前へと持っていき、そうしながら片手をスカートのすそのほうへとやった。スカートの中へと手をやるようにして、その布地がやや持ち上げられ、豊田の手がその内側へと入って、ふとももの上のほうに巻き付けたベルトから、さやに収められていた銃剣を引き抜いた。
銃剣はスパイク型のもので、根元に横向きのリングが付いた、黒色で針状の形をしていた。豊田はこの銃剣、黒さを頑なにさせている鋼鉄でできた、先へ先へと己を尖らせたこれを、モシンナガンの銃身の筒先へと、スピーディーに
床へと倒れこんでいる羅刹、この体を丸めて腕を噛み、母の胎内に眠る赤子のように全てを拒絶しているような、この羅刹、その横へと、豊田は銃剣の黒を黙々とさせながら、中絶をする医者のように静けさをして、立ち会った。6月19日の夜のことだった。
#羅刹について
羅刹[名](梵 raksasaの音訳。可畏・暴悪・護者と訳す)仏語。もとは害する者、守る者の意。足が速く力が強く、人をだまし、人を食うという悪鬼。男は醜悪で、女はきわめて美麗とされる。女性の羅刹を羅刹女と呼び、神通力に長じていて空中を飛行し、人を魅惑するという。速疾鬼。