君と奏でる幸せの音∶intermezzo   作:賀茂川泰伸

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16話の「いざ立つスタートライン」で書ききれなかった裏の様子を描くお話です。
本編はサクサク進めないと完結が見えなくなってしまう可能性がありますのでね…。
1周年をまわってようやくお見せできました。それではどうぞ。


練習デイズ

 定期公演、そして幸哉――もといアイドル「今永優希」としてデビューとなる公演の練習が始まった初日、もう既に日が落ちた時間に幸哉と慶一は自宅である相河家に帰ってきた。玄関の扉を開け、疲労の混じった声が帰宅を告げる。

 

「ただいま……」

「おかえり。慶一、あんたもいるのねぇ」

「そうだよ。しばらく送り迎えしないと……」

「送ってくださってありがとうございました……」

「ああ~、大分疲れてるね。もうすぐご飯だから手洗ってきて」

「わかった……行こう」

 

 慶一の実母であり、幸哉の養育者である雅恵が二人に声をかける。言葉からも疲労困憊の二人を心配しており、慶一はそれに返事をして幸哉と共に洗面所へと向かっていった。

 二人して手洗いとうがいを済ませ、食卓へと向かう。親子丼とすまし汁、ほうれん草のお浸しが本日の献立だった。

 

「いただきます」

 

 手を合わせて食前の挨拶を唱え、スプーンで丼の具を白飯に混ぜ込んでから口の中へ運ぶ。弾力のある若鶏の肉とぷるぷるした溶き卵が絡み、炊きたての白米とよく合っている。作りたての温かさが疲れきった体に染みていく。ボウルに入れられたお浸しも茹でられて締まったほうれん草の水分と砂糖の混じった醤油の甘じょっぱさが体に溶けていく。

 

 その二つを噛み締めながら、今日の出来事を思い出す。思えば失敗が続き、自分がやっていけるのか不安が残る結果となった。一言も発さずに食べている幸哉を見て雅恵が声をかける。

 

「失敗したみたいだけど」

「はい、あんまりうまくいかなくて。あんまり時間がないのに……」

「時間ない…。慶一、まさかあんたがやったの?」

「いや、俺もうちょっと練習させてからやらせた方がいいって言ったけどさ、先輩が投入決定してて……」

「災難だね……」

 

雅恵が息をつく。自分の息子と養育している子供の不安そうな先行きを心配しているのがわかる。落ち込んだ雰囲気の中食べ進める最中、慶一が口を開いた。

 

「というわけで今日から練習始まって、本人も戸惑ってるようだし、どうしたらいいんだろうなって」

 

 一通り喋った後にため息をつく慶一。悩んでいる息子の様子を見て雅恵もふぅと小さく呼吸し、幸哉と慶一、二人の目を見て話し始める。

 

「あのね、やる前から諦めたらいけないよ」

「……」

「慶一は支える立場なんだからそんな顔してたらアイドルの子が不安がっちゃうでしょ。幸哉も一人で考え込まないでまず誰かに相談。ほら、横にいるでしょ?」

「そう、ですよね」

「うん。後、友達がいるよね。二回も行ったんだし、優しそうな子ばかりじゃないの。分からなかったら聞いて教えてもらえばいいじゃない」

「一度だけの人生なんだから、やりたいこと全力でやりなさい」

 

最後ははっきりとした口調で言った。その言葉を二人は食事に手をつけず、黙って聞いていた。ゆったりとした語り口から出た先程の言葉を噛み締めるように、静かな時間が流れていた。

 

「それと、アイドルやることって未来ちゃんたちに言ってるの?」

 

質問に対して、幸哉は首を横に振った。

 

「実は、言ってないんです。止められてて」

「それは、どうして……」

「……幸哉を投入した先輩と同じ人がな、正体隠せって命じてるらしくてさ」

「まぁ……」

 

雅恵が息を吐いて二人を見つめる。その後何を思いついたのか堰を切ったように話が始まった。

 

「あの人…霧生とか言ってた人、いきなり来て連れてくなんてちょっと怪しいなって思ってたのよねぇ」

「はぁ」

「関係者じゃないからとやかくは言えないけど一応親代わりなんだから私も交えて(はなし)したかったけど……家族だからそういう話はこっちも聞いておきたかったし、ねぇ?」

「…、そうだな」

「でもそんなに聞かれたくなかったってまさか怪しい事務所じゃないよね?おかしいって思ったら早いとこ転職を」

「あの……」

「仕事だけが人生じゃないんだから、独り立ちしたとしても頼ってくれればいいよ。家族なんだから。あと変なことあったらちゃんと上の人に言いなさいよ」

「……はい」

「あと、しっかりご飯食べてるの?一人暮らしだからって出来合いとかインスタントで済ませたり」

「……してないって」

「それならよかった。後は……」

 

立て続けに話を進める母親の様子に、慶一はため息をしながらも耳を傾ける。その後一人語りが続いた所で、雅恵が慶一の方を向いた。

 

 

「全力でサポートするんだよ、いいね?」

「はい……」

「……大変ですね」

 

 母親のマシンガントークに折れたのか、慶一は萎れた植物のようになっている。その横で幸哉は親子丼のおかわりを食べ始めていた。

 

〜〜〜

 翌日もレッスンの日だった。準備のため一旦自宅に戻って、女装用のウィッグを被り運動用の服に着替えて劇場へと向かっていく。

 準備に少し時間がかかってしまい、小走りになりながらレッスンルームへと足を進める。新人は早く入っておかねば、という考えが幸哉の頭にあったからだ。急ぎ足で廊下を進んでいたそんな時だった。

 

「…っ!」

 

足を滑らせてしまい、転んでしまった。(すんで)の所で手をついて顔から衝突することは避けられた。しかし立ち上がって膝を見ると十円玉程の大きさの擦り傷ができ、血が染み出ていた。自分を襲った小さな不運に息を吐いていると、

 

「気ぃつけやぁ。走ったら危ないで」

 

明るいながらもどこか相手を心配するような声が前から聞こえた。声の方に顔を上げてみる。

 

「奈緒さん!」

「ん〜、知ってるんや。私も有名になったなぁ♪」

 

奈緒が楽しそうに喋る声の正体だった。笑みを浮かべた彼女の表情は膝の傷に視線が移ると、目を丸くして手をとってきた。

 

「擦ってるやん!ちょっとこっち来て!」

「えぇ!?」

 

手を引かれるまま連れて来られたのは医務室。取り敢えず椅子に座らされ、奈緒が棚を漁っている様を眺める。しばらく探した後、ガーゼと絆創膏を手にとって戻ってきた。

 

「勝手に使(つこ)うたらあかんけど、ケガしてるしな。今貼ったるから」

 

 奈緒はそう言って水で濡らしたガーゼを傷口に押し当てて濡らし、その上から絆創膏を貼り付けた。手際の良さに思わず感心してしまった。

 貼り終えた所で、奈緒が幸哉の顔をじっと見つめてきた。

 

「えっと…どうしました?」

「この顔どっかで…あ、もしかして新人の子やんな?幸哉の親戚言うてたらしいなぁ」

「今永優希です。次の公演から出ることになリました」

「早いな〜…。すぐステージ行けるのうらやましいわ〜。もう一週間ちょっとしかないのにようやるやん」

 

 恐るべきスピードの情報伝達に顔には出さないものの舌を巻く。発生源は恐らく未来や翼といったお喋り大好きな二人だろう。それも設定とはいえ自分達と交流があった人物の親戚とあらば物珍しく扱われるのも無理はない。

 

「優希ってレッスンに来たん?」

「そうなんです。早いとこ入っておこうって思ったら転んでしまって」

「偉いやん。私なんて遅刻してまうときあるのに…見習わんとなぁ」

「それでこうなっちゃって…ありがとうございます」

 

そう言って立ち上がると、奈緒も一緒について来た。本人曰く見送りたいらしい。

 

「ほな行ってき!みんな待ってるんやろ」 

「ありがとうございました」

「いってらっしゃーい。頑張りや〜♪」

 

 医務室で奈緒と別れ、そのまま廊下を進む。レッスンルームにたどり着いて扉を開けると未来をはじめとする昨日一緒にいたメンバーや桃子、海美に琴葉や恵美、百合子、そして見慣れない二人の女性がレッスンウェア姿で座っていた。一方は亜麻色の髪を後頭部で纏めた、所謂(いわゆる)ギブソンタックと呼ばれる髪型の女性。もう一方は背中まで伸びる長い髪、その右側に組み紐でできた髪留めをつけ凛とした姿勢で座る女性だった。

 

「あっ来た!」

「――!」

「待って優希ちゃん!怖がらなくていいからね!」

 

 海美が自分の方を向いた。彼女の動きを皮切りに部屋の中にいる女性陣の目線が向いてくる。それらの視線が刺さる様に思わず後退りしてしまう。その様子を見た未来が幸哉に慌てて近づき、口を開いた。友人の言葉に平静を取り戻し、周りにいる人間を見つめた。

 

「紹介するね!紬ちゃんと歌織さん。次のライブに一緒に出るんだよ!」

「白石紬と申します。今回の公演、どうぞよろしくお願いいたします」

「桜守歌織です。よろしくね、優希ちゃん」

 

未来の紹介と共に、初対面の二人が名乗る。その瞬間幸哉の中の記憶の蓋が開いた。目の前にいる紬と歌織は先日初めて行った定期公演の出演者であり、紬に至っては劇場にいる慶一に書類と昼食を届けに行った際、最寄り駅で衝突してしまったからだ。

 

「私の顔に、何が……」

「いいえ、なんでもないんです。それよりも前のライブ見てました」

「……そうなのですね。見ていただいてありがとうございます」

 

 顔をまじまじと見られたことで紬が一瞬動揺したように見えたが、幸哉の言葉にはっと目を見開いてそちらを向いて丁寧なお辞儀をしてきたのでそちらも礼の言葉を返す。開演の挨拶や所作から見えるように、とても丁寧な人物であることが伺える。

 

「そうなの。見に来てくれて本当にありがとうね」

「いえ、こちらこそ。桜守さんの歌、聞いてて感動しました」

「ありがとう。名字は堅苦しいと思うから、歌織って呼んでね」

「はい。歌織さん、よろしくお願いします」

 

 紬と会話していると、近くから歌織がやって来た。彼女も出演者であり、その歌声に心を揺さぶられたことは記憶に新しい。

 二人と話していると、不意に翼が横から顔を出した。

 

「へぇ~。あのライブ、優希ちゃんも来てたんだ」

「――!」

 

 ついはっとなって翼を見る。会話を楽しんでいたせいで失念していたが、今は「優希」と名乗って練習に参加している状態だ。しかしこれまでの会話の内容は「幸哉」しか知り得ないことである。何気なく喋ってしまったことと翼が発した言葉に、冷や汗が流れ始める。早くも正体が露見してしまわないか、と落ち着きが無くなりそうな時だった。

 

「優希ちゃん『も』?他に誰かがいたの?」

「はい。幸哉くん――プロデューサーさんの親戚の子が見に来てたらしいんです」

「その人は、どちらさま?」

「優希ちゃんの親戚で、同い年の男の子なんです。こないだ劇場に遊びに来てくれたんですよ」

「……私と杏奈ちゃんが襲われてしまった時、体を張って助けてくれたんです。かっこよかったなぁ……」

「まあ……」

 

 歌織の質問には未来と琴葉、そして百合子が頬を染めて答える。それを聞いた彼女は声を漏らして幸哉以外を見る。自分の知らない人物がいることに驚きを隠せない様子であった。幸哉のことを知らない紬と歌織に向かって、以前の交流の様子を事細かに伝える。話を聞きながら二人は相槌を打つなどして反応し、彼女達の経験した出来事を共有していた。話を聞き終わって、二人は幸哉の方を向いた。

 

「とても良い親戚の方みたいですね」

「いつか会ってみたいわね。素敵な人みたいだから」

「……色々聞いてるので。彼の身に起きたことは知ってます」

 

 期待の眼差しを物事を体験した本人たる幸哉に向ける。しかし今は「優希」として接している。先程の発言に帳尻を合わせるように静かに言った。それに対しては誰も何も言わなかった。

 周りのメンバーに視線をやる。紬と歌織以外は既に顔を合わせた者達であり、知らない人物といきなり組まされることがないことに安堵の息を吐いた。時計を見れば開始まで少し時間がある。それまでの間、メンバーのことについて知ろうと会話することにして、まずは百合子の方を向いた。

 

「百合子」

「どうしたの?まだレッスンまで時間あるけど」

「もう大丈夫?刺されかけてたっていうのに……」

「うん。次は劇場だから…。この間は…うぅ……」

「落ち着いて!ここはみんな味方しかいないよ。とりあえずお茶でも飲んだらいいと思う」

 

 未だトラウマが残っているのか、少しだけ顔が青ざめていた。幸哉の進言に従い、百合子は近くに置いていた水筒に手を取ってこくこくと喉を鳴らして中身を飲み込んだ。水分補給をして幾分落ち着いたのか息をついて向き直ってくれた。

 

「ごめんね。取り乱しちゃって……」

「ううん、しょうがないよ。イベントの最中にやられたっていうし」

「最近、なんとか復帰できたの。外に出るお仕事は止められててるけど…ステージに戻って来られてうれしいのと、またああいうことが起きないか怖くなっちゃって」

「……」

 

 そう述べる表情は少し固く、顔も俯き気味になっており不安を示すように服の袖を掴んでいる。あの場所に自分がいなければ、杏奈もろとも心に深い傷を負い、今日のレッスンどころか表舞台から去っていただろう。その事実を受け止めると目の前に百合子がいることが奇跡に思えてきた。この機会を無駄にしないようにしよう、そう思えた瞬間だった。

 

~~~

 

 百合子との会話の最中に、今日のレッスンの講師を務めるジャージ姿の女性が入室してきた。もう開始の時間になっていたらしい。立ち上がって姿勢を正し、出迎える。

 

「おはようございます。もう少しで本番の日がやってくるけど、一日の練習を大切に頑張っていきましょう!」

「「はい!」」

 

大きな声で返事を返すと講師が説明を始める。それにきっちりと耳を傾け、言葉を反芻していた。説明が終わると同時に、講師が幸哉を呼び寄せた。

 

「今永さん。気持ちの方はどう?初めてのライブなんでしょう」

「…そう、ですね。すごく緊張しますし、何よりあのステージに立つってことですよね」

「それで合ってるよ。そのために皆練習してるんだから。…というより、運がいいのね」

「どういう、ことですか?」

 

講師の質問の意図が分からず思わず聞き返す。それに対して真っすぐに講師は答えた。

 

「アイドルって、ほんの一握りの人しかなれないものだから。デビューするのに何年もかかってそれでも人気が出ないまま舞台から降りていく…。そんな厳しい世界なのよ」

「……」

「でもあなたは急ではあるけどその切符を手にしてる。それってすごくラッキーじゃない?」

 

言葉に対して幸哉は口を噤んで聞いていた。ラッキー、なのかどうかはわからないが765プロにいる自分を足して53人いるアイドルの中で自分も選ばれた、その事実は受け止めるべきだろう。

 

「…頑張ります。そうでないと、いけないから」

「うん。でも、気負う必要はないからね」

 

講師の言葉に頷いて、皆の元へ戻っていく。その最中に自分の顔を覗き込んできた人物がいた。桃子である。

 

「えっと、周防さん…じゃなくてどうしたの、桃子」

「なんでもないよ。親戚だから顔が似てるって思っただけ。それよりも優希さんって、歌とかダンスってやったことあるの?」

「……」

 

 彼女の言うことが最もである。周りにいる人物は全て少なからず経験を積んできた人物で、何かしらに得意分野があるだろう。

 しかし、自分はどうか。幸哉はそれを聞かれた瞬間に答えることが出来なかった。なぜなら、経験が何もないのである。ここに来るまで自分は虐げられ、悪意に晒されながらその日を生きることで精一杯であり、何かの技能を磨く余裕がなかった。それが顕在したのが初回のレッスン。事前に行う柔軟体操では体を上手く動かせず、ダンスでは足がもつれて転ぶなど何もいい所がなかったのである。

 ここで経験がある、と言えば疑いの目を向けられそうになることはわかっている。事前に彼女のことを調べれば出てきたのは彼女が元子役であり、事務所の中でも芸歴が一番長い人物であること。そんな人物からすればすぐに見えてしまうだろう。噓をつくことなく、正直に幸哉は答えた。

 

「……ないんだ」

「え?」

「ないよ。全く。下手くそでもしっかりやらないと」

 

その言葉に、桃子は幾分かじっと見つめたあと、後ろを向いて言った。

 

「そうなんだ。でも、真剣にやってね。優希さんもアイドルなんだから」

「……わかってる。やるよ」

 

返事をしてレッスンへと向かう。その目には一抹の不安と、真剣さが宿っていた。

 

~~~

「今日はダンスの練習をします。今永さんの加入でフォーメーションが変わりますが、今回はそれを頭に入れていきましょう」

「「はい!」」

 

 全員が返事を返し、準備体操を始める。それに倣って体をほぐし、メンバーの横に並び立つ。センターのような目立つポジションではないが、それでも一員であることに変わりはない。緊張の面持ちで講師を見据えていた。

 課題曲として提示されたのは『WeLcome!』。アイドルと邂逅を果たしてからというもの、動画や配信サイトを契約してもらい彼女達の音楽やコンテンツに触れてきたが実際に踊るのは始めて。見るのと実際に動くのとでは大きな差異が生まれる。それを考えながら、指定された場所へと移動する。

 

「……昨日みたいに転ぶのだけは嫌だな」

「急いでも良くないから、ゆっくりやっていこうね」

「そう、ですね」

 

 琴葉が声をかけてくれた。それに軽く頷いてみせるものの、緊張は未だに体を支配していた。そしてレッスンが開始され、講師の掛け声に合わせながら体を動かす。準備運動でいくらか体をほぐしてはいたものの、動きをテンポ良く、正確にしなければならない事情もあってか、逆にぎこちなさの目立つ動きになってしまっていた。

 

「1・2・3……」

「ストップ!」

「へ…!?」

 

 講師の声が入り、全員の動きがぴたりと止まる。一体、何がだめだったのか。緊張で体が固くなった。そのまま話を聞くことにして相手の目を見据える。

 

「少し、動きがズレていましたね。でもまだ修正できる。その気持ちを持って!」

「……」

「今永さんのせいじゃないから。気負う必要ありませんからね」

 

 自分のせいではないかと思い込み、沈んだ気分になっていると講師が声を掛けた。生来のマイナス思考が故に失敗を重く受け止めてしまった。その様子を察してか、幸哉の周りに人が集まってきた。

 新人である分、かかっている期待も大きくなるのか、と感じて視線をそらそうとすると静香と目が合ってしまった。ストイックな彼女のことだ。自分に失望しているのではないか…。そう思っていたときだった。

 

「あなたのせいじゃないわ。でも、自分がステージに立つという自覚は持って」

「……ごめんなさい。しっかりしないと……」

「そこまで考え込む必要はないでしょう。とりあえず合わせるだけでいいから続き、いくわよ」

「…。うん」

 

 周りが見つめる中で静香とやり取りして前を向いた。迷っている時間はない。彼女の言う通り、今はついていって動きを覚えるべきだ。

 気を締め直して、講師の方を向いた。

 

「お願いします。今の動き、もう一回やらせてください」

「OK。やる気があっていいね。続けていきましょう」

 

~~~

「はい。十分間休憩しましょうか!」

「ふぁ~。……!」

「どうしたの?」

 

 レッスン開始から一時間。ようやく解放されたことに安堵して息を吐いていると、不意に催してしまった。今は休憩時間。ならば用を足しに行けばいいはずだが、幸哉の中ではある問題点が浮かんでいた。しかし今は、一刻も早く「ある場所」へ行かなければならない。

 

「すみません。お手洗い…どこですか?」

「私、連れてくね!一緒に行こっか!」

 

恥を忍んで周りの人々に聞く。その様子を見かねた海美が手を差し伸べてきた。手を引かれてついて行くこと少し。二人の目の前には壁に赤と青の色で区別された場所――トイレがあった。男性用と女性用の部屋が存在している、何の変哲もないものだった。それを見て、幸哉の頭には一つの疑問があった。

 

(どっち行けばいいんだ……?)

 

そう。今は女装しており、誰もが自分を女性だと疑っていない状態。ここで正直に男子用に入れば正体が一発でわかってしまう。それだけは避けたい。しかし、用を足したいという生理的欲求に(あらが)うことはできない。焦りが刻一刻と増していく中、海美が顔を覗き込む。

 

「どうしたの?一緒に入ろうよ~」

「いえ、場所知りたかっただけで…。先入っててください」

「うん!また後でね!」

「……」

 

「何をしてるの?こんなところで」

 

 そう言い残して海美が女性用に入っていく。その後ろを追うことなく入口で立ち止まっていると、一人の小さな人影が目の前に姿を現した。

 出てきた人物はこのみだった。手にハンカチを持っているを見ると彼女は先程トイレから出たばかりであることがわかる。棒立ちのままの幸哉を怪訝そうな目で見ている。

 

「このみさん……」

「知っててくれて嬉しいわ。それと……あるわよ。――()()()()()()なら」

「!?」

 

 近くにある引き戸を指差して小声で言った。一瞬、言っていることが理解できなかった。普通女性相手なら女性用のお手洗いに案内するはず。なのになぜ、誰でも入れるとはいえそんな場所に案内したのか。発言の意図を読み取る間もなく、正直に案内された方の引き戸を開けて礼を述べた。

 

「ありがとうございます」

「いいのよ。早く行かないと休憩終わっちゃうわ。頑張ってね」

 

「……」

 

 このみと別れた後、個室の鍵を閉めて用を足す。出る時に一つ、幸哉の頭の中で一つ引っかかっていることがあった。

 

(なんで、ここに案内してくれたんだ?)

 

 多目的トイレは男女双方が使用可能なところである。何故、ここに案内したのか。もしかしたらこのみが自分の正体を知っているのではないか。頭の中で疑問がしゃぼん玉の如く膨らんでは弾ける。

 今は休憩時間であり、早く戻らないといけない。足早にトイレを出て部屋へと戻っていった。

 その後、場所を案内してくれた海美に心配されたのはまた別の話。

 

〜〜〜

 

「くっ……」

 

 それから二日。今までの練習によって筋肉痛になり学校に登校するも、足が上手く動かせない。傍から見れば動作不良の機械を思わせるような足取りで教室へと入っていく。周りもまた覚束ない歩き方でやって来た幸哉に目を丸くしている。その様子を見てか同性の友人たる柊太が近づき、疑問を持ったように聞いてきた。

 

「どうした?足めちゃふらついてるぞ。どっか痛めたのか?」

「最近ダンスの教室に通い始めてさ。いやぁ、練習きついなぁ……」

「発表会あるんなら呼んでくれよ?動画撮ってやるからさ。なんでそんな急に始めるなんて何があったんだ?」

 

「一番は、あのライブを見て心が動いたんだ。あの時からずっと頭に焼き付いて離れてくれなかった。それでこっちも何かしてみたいって思った。それで未来とか、アイドルと同じようにダンスをやり始めたんだ。…まだ、下手なんだけどね」

 

 ダンスの練習、は現在進行形でしているので噓ではない。ライブに関しても本当のことだ。未だに残る痛みを堪えながら座り、話を始める。記憶の中の風景によって憧れが芽生え、何もない自分の世界に光が差し込んだ。そんな中で転がり込んだチャンスに乗っかり、アイドルとして一歩を踏み出すことができた。細部を附せながら、笑みを浮かべて話す。

 友人の様子を見てか、柊太も楽しそうに聞いていた。

 

 

「そーか。どうせ今日も練習あんだろ?だったら楽にしてやるぜ!」

 

 そう言うと両手の指を動かし、幸哉の足に視線を落とした。いきなりの行動に身構えて止めようとするも、勢いは止まらず足へと手が伸びていく。

 

「え?ちょっと待っ……」

「待たねえよ!」

 

柊太の指が、右足の前に食い込んだ。筋肉痛だった所に刺激が加わり思わず目を見開く。

 

「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 

一人の悲鳴が、教室内に響き渡った。

 

~~~

 学校で柊太が施した彼曰く「マッサージ」を経て幾分か足の動きは平常に戻りつつあった。今日もレッスンの日であり、女装して部屋へ向かう。

その最中、一人の人間とすれ違った。

 

「……優希」

「静香。お疲れ様」

 

それは静香だった。いつものようにクール、ともすれば冷淡さすら感じさせる表情で応対していた。今日が本番の一週間前ということもあり、真剣さが一層滲み出ている。彼女について行ったままレッスンルームへと足を進める。

 

「調子の方は……」

「何もないわ。どこも痛めてないし、体調不良でもないから」

「……そうなんだ、すごいね。体の管理もアイドルとして重要なポイントなんだなぁ」

「当たり前よ。あなたの方こそ足が痛いとか思ってるんじゃない?」

「あっ」

 

 読まれていた。自分より歴が長く、しかもストイックの塊たる彼女のことだ。始めたての自分の様子なんてすぐにわかるのかもしれない。状態を当てられたことに驚愕しつつも静香を見る。視線を気にすらせず、黙々と準備を進めている。そんな様子を見ていただけだったが、不意に静香が顔を向けてきた。

 

 

「何をボーっとしてるの。…それにしても、似てるわ」

「何が?」

「あなたと幸哉がよ。ぼんやりした感じがするし、顔も……」

「ぼんやり…。そう見られてるのか……」

 

 自分に下された評価に対して息を吐く。他人の率直な意見だからこそ心にくるものがあった。(いささ)か落胆を覚えつつも、静香に倣って準備運動を始めた。

 屈伸、上半身の運動、柔軟体操。それらを横に並んで行っていた時。

 

「あ、静香ちゃん!優希ちゃんも一緒なんだね」

「おはよう。元気だね」

「うん!だってもうすぐライブでしょ?そう考えたら楽しみでしょうがないよ~!」

「未来ってば、もう……」

 

 未来やメンバーがやって来た。静香が未来を見る。彼女の態度はこちらの考えと違い、やがて来たる本番を心待ちにしている様子だった。そのマインドで周りを巻き込み、アイドルとして活動してきたのだろう。今も笑顔でいる様子を見るとそう思える。

 

「すごいなぁ、未来は。いつも楽しそうで」

「――?ライブ、いつも楽しいよ。優希ちゃんはどう思ってるの?」

 

「……そうかな。いきなり立つってなってわからないことだらけで…。それで、自分がもう少しでステージの上って考えてたらさ、不安になっちゃって。未来みたいになんでも楽しそうに出来たら少しは楽になれるかなって思ったんだ」

 

 何気なく投げられた質問に、静かに答える。表情は少し俯きがち。そのような姿で語る様を、この場の全員が見つめている。人生で体験できる人間がごく僅かしかいない場所に自分が飛び込む。それの意味が大きくのしかかっていたのである。

 

――未来のように生きられるなら、どんなに楽しいだろうか。

 

 自分は迷惑をかけずにいられるのか。考えが頭を駆け巡り、気分が落ち込みそうになる。皆が心から楽しみでいるであろう状況において、その様は場違いですらあるように思えてしまった。

 はぁ、とため息が漏れ出る。そんな様子を見た未来は座り込む幸哉に目線を合わせ、口を開いた。

 

「大丈夫!みんながいるから、優希ちゃんも絶対に楽しいと思うよ」

「未来……」

 

ゆっくりした口調で話す未来。その目には、明るい光が宿っている。

 

「確かに、未来の言う通り。私も不安になっちゃう時もあるけど…。ステージに立つとそんな気持ちも無くなっちゃうんだ」

 

 琴葉が傍に寄って来た。彼女は初めて会った時から優しく声をかけてくれた人物である。アドバイスに耳を傾けていると、その場にいた少女達が次々と幸哉に寄ってきた。

 

「心配しなくていいって~。優希は頑張ってる!これだけは言えるよ!」

「恵美さん……」

「私たちも優希ちゃんの努力に応えないと。みんなで素晴らしい公演にしましょうね♪」

 

 歌織が楽しそうに言う。その様子から見ると楽しみにしていることが伺える。彼女に同調するように翼、桃子、紬、百合子――公演を共にするメンバーが次々と幸哉を見る。

 口には出さずとも、心は同じ。そんな思いが態度からも読み取れる。

 彼女達の意思をくみ取ったのか、幸哉が顔を上げる。

 

「そうだね。他が言う通り、悩んでてもしょうがない。だったら残りの練習も本番も頑張らないと!」

「――!」

 

声に出して自らの意思を述べる。そうすると自分の目の前が明るくなったような気がした。幸哉の様子を見た未来が声を上げた。

 

「みんなでライブ、絶対成功させようね。練習がんばるぞ~っ!」

「「おーっ!」」

「お、元気いっぱいね!練習始めましょうか!」

 

 声が重なると同時に講師が入ってくる。その姿を見て一斉に整列して出迎える。まだまだ、練習の日々は続きそうだった。




悔やんでも悔やみきれないので自分に向けての一喝。

本 編 で や れ !

やるべき展開を書かなかったことへの自戒を込めてあとがきとさせていただきます。プレイバック的なお話なので物語の復習になるかも?本編に続いているのでそちらも読み返していただければ。
こうしてみるともう四月も終わってしまいました。私事(わたくしごと)ではありますが新社会人となり、毎日仕事でなかなか書く時間が捻出するのが難しいのが現状ですが、それを言い訳にせず頑張っていきたく思います。

それでは、また更新された作品で会いましょう。
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