――ザァア……。
翼が空気を切り裂く音が、雲間に溶けていく。
空の高みを、二つの影が並んでいた。一人は銀の翼を持つリト族の女性、ヒューラ。もう一人は、風を自在に操る英傑、リーバル。
ハイラル城を飛び立ってからしばらく、二人の間には言葉はなかった。
沈黙のまま、高度を維持し、風を読む。森を越え、丘を越え、リトの村へ向けてひたすら進んでいく。
だが、その静寂を破ったのはリーバルだった。
「……さっきのこと、まだ怒ってるか?」
ヒューラは前を見たまま答えない。
代わりに、強めの羽ばたきで一気に高度を上げる。リーバルはそれに追いつくように、滑空しながら再度声をかけた。
「おい、黙って飛び続けるつもりか? 話くらい聞いてくれてもいいだろう?」
「……あんた、空中で人と話すの好きよね。」
ようやく口を開いたヒューラの声には、微かに疲れと苛立ちが混じっていた。
「だって、この高さなら周りに聞かれる心配もないし。君、地上ではやたらと壁作るじゃないか。」
「……うるさい。」
ヒューラは僅かに顔を背け、視線を下へ落とす。下には、森と川が広がっていた。
「怒ってるわけじゃない。ただ……面倒なだけよ。」
「面倒?」
「誰かと一緒に居ること。誰かに期待されること。信じるとか、託すとか、そういうの全部、面倒。」
リーバルは黙った。だがその横顔には、軽口では返せない真剣さがあった。
「……記憶、戻らないのか?」
「さあね。夢の中で断片的に見えることはあるけど、それが真実かどうかも分からない。覚えてるのは、名前と、弓と剣の扱い方、あとは……アンタが言っていた“再生の唄”。」
ヒューラは小さく息を吐く。
「でも最近、もういいかなって思い始めた。知らなくても、生きていける。」
「それは……強いようで、少しだけ寂しい考え方だ。」
「違うわよ。」
彼女はピタリと飛行を止め、空中でホバリングするように姿勢を整えた。
「本当に寂しいのは、信じたものに裏切られること。記憶があった時の私が、誰かに裏切られてたら? それが嫌だから、知る必要なんてないの。」
リーバルは彼女の正面へと回り込み、真正面から向き合った。
「それでも……君は“誰かを守る”って言った。王に言っただろ? “厄災が世界を滅ぼすなら、協力してあげる”って。」
ヒューラは無言で空を見上げた。淡く流れる雲が、風に流されていく。
「……あれはね。」
ぽつりと呟く。
「“私が選ばれたこと”に対する、最低限の責任ってやつよ。だってさ……“力のトライフォース”なんて、私が一番望んでないものじゃない。」
リーバルは頷き、そして問いかける。
「じゃあ……望んでいるものは、あるのか?」
その問いに、ヒューラは黙ってしまった。答えられないのではない。まだ分からないのだ。
代わりに、彼女は小さな声で言った。
「……“自由”。それだけ。」
しばらくの間、二人の間に風の音だけが流れる。
「君らしい答えだな。」
リーバルがふっと笑みを漏らす。
「……何?」
「いや、君のそういうぶっきらぼうなところ、嫌いじゃない。最初に会った時は、ただの皮肉屋かと思ったけどね。」
「……そういうの、軽々しく言わないの。」
ヒューラは顔を背けた。だが耳の先がほんのり赤くなっていることに、リーバルは気づいていた。
「じゃあ、真面目に言おうか。」
リーバルの声色が少しだけ真剣になる。
「君が記憶をなくしていようと、何者か分からなくても、僕にとっては“今の君”が全てだ。ヒューラ、君は強い。そして、誰よりも自由に空を飛んでいる。それが、僕には少し羨ましく思えるんだ。」
ヒューラは目を見開いた。リーバルがそういうことを、照れもせずに言うとは思っていなかった。
「……あんた、リト族の中でも相当変わってるよね。」
「まあ、よく言われる。」
ふたりは再び羽ばたき始めた。リーバルが空中でぐるりと一回転しながら、言葉を続ける。
「でもね、君がどれだけ一人になろうとしても、僕は勝手についていくから。」
「……また勝手なこと言って。」
「勝手が僕の信条だ。」
ヒューラは思わず吹き出し、声を抑えながら笑った。
「……もう、ほんと、めんどくさい鳥男。」
「褒め言葉として受け取っておくよ。」
そうして、ふたりの影は再び並んで空を駆ける。夕日が傾き、空が黄金に染まる中――
遠くに、小さな山肌に囲まれたリトの村が見えてきた。
帰るべき場所が、確かにそこにあった。