川尻浩作、Fly High with キヴォトス 作:堂廻り 眞くら
川尻浩作は、イグニッションキーを回すみたいに、ほんの少しでも小突いてやれば今にも鼻歌を歌い出しそうなほど、身体がブルブルと疼いている。或いは、これが川尻浩作の本性なのだろうか。
「ホントは君の身体を漏れなく木端微塵に消し飛ばすことも出来たんだがね。実は君にちょいと聞きたいことがあるのを思い出したんだ」
「う う」
「君の名前だよ。知りたいんだ。確か苗字は……田岡君、だっけ? ほら、下の名前を教えて欲しいんだ」
「うああ
あ
ああ~」
「ちなみに私の本当の名前は【吉良吉影】って言うんだがね? 折角だから君を【恋人にしよう】と思うんだ。君の趣味とか趣向は先ほどの【無駄話】でだいたい分かったから結構なんだが、でも、名前の知らない恋人だと、ほら、デートの時に色々不都合だろ? 田岡君、だなんて呼ぶわけにはいかないし……。おい、とか、君、とか、お前、とかでいちいち呼ばないといけなくなるじゃァないか」
恐ろしい、田岡は恐怖で身体中が震え始めていた。なぜならば、自分の身に何が起こったのか、その実感が胸の内に芽生え始めていたからだった。彼女は自分がもう助からないことを悟ったのだ。右半身の感覚の消失が如実に表れてくるのと同時に、痛みが、右半身が無くなった痛みが、脳が誤魔化していた傷本来の痛みが蘇りつつあった、その事実が何より【恐ろしい】。川尻浩作が何を言っているのかよくわからないのも拍車をかけて恐ろしい。
「ほら、早く名前を言うんだよッ。ソラッ! 早く言えッ! 次第に麻痺してる痛みがぶり返してきただろ? んん? 鼻水涙垂らしまくって醜態晒したりとか、オシッコチビっちまうくらい痛い目に合う前になァ。痛みが麻痺してる間になァ、早く名前を言えッ! そしたら痛む前に殺してやるから」
「うわぁぁぁああああああッ!!!」
耐えがたい恐怖に襲われて、田岡は絶叫した。叫ばずにはいられなかった。
「……うーん」
川尻浩作はフッと真顔になって、仰向けに倒れている田岡を目を合わせた。
「……」
「叫んでないで早く言えッ!!
クソガキがァッ!!!!」
「ト、ト…【トモエ】ェェェェ!!!!」
「ヨーシいい子だ」
完全に田岡【トモエ】の精神を屈服させることに成功した川尻浩作は満足げに唸ると、カチリと【右手のスイッチ】を押した。
「……」
「そして、喧しく騒がない君は実に魅力的だよ。【トモエさん】」
そうして、【田岡トモエ】は【左手】だけを残して、その一切を消し去られた。川尻浩作は手首だけになった田岡トモエを、まるでついさっき不慮の事故で以て失くしてしまった結婚指輪を、不意にカーペットの上に見つけた時の新婚の旦那のような、愛おしそうな表情で以て恭しく拾い上げた。
「……いや、【トモエ君】……違うな。【トモエちゃん】? うん、少々青臭いんで私の好みからは外れるが、中々退廃的な響きだ。こーゆーのもたまには悪くないな。ヨシッ、今回はこれでいこう」
川尻浩作はそこで不意に押し黙ると、【トモエちゃん】と名付けた左手首を、じっと見つめ始めた。それから、 掌のしわを引き延ばすかのような所作で丹念に【トモエちゃん】の手相を親指で何度も何度もなぞる。それから親指の腹で何度も押し込んで、掌の弾力を確かめる。
「……」
そして、川尻浩作は徐に手首にほおずりし始めた。
「フーゥ」
すりすり、すりすりとひとしきりほおずりした後、川尻浩作はまるで新しいパンツを履いたばかりの正月元旦の朝のような爽やかそうな表情を浮かべた。
「やはり、【切りたて】は温くて実に心地よい。電子レンジで温める時とはまた違った、リアルな温度感だ。肉も新鮮で衛生的だし」
そうやって、川尻浩作はひとしきり【恋人】と楽しんだのち、職場に備え付けのキッチンへと向かった。
「でも、【トモエちゃん】は一先ず冷蔵庫にしまっておこうね? 一晩冷えた頃にまた会おう。夜になったらちゃーんと血抜きしてあげるからね」
それから【恋人】を大事そうに冷蔵庫の奥深くにしまい込んだのであった。
乾燥するとアレなので。ラップで切り口を巻いておくのも、忘れなかった。
というわけで【シャーレの先生】である川尻浩作の正体は【殺人鬼】であり、手の美しい女の人を殺して手首を切り取って、それを恋人にすることが趣味の豚野郎であった。